5、守ると吠える月の銀狼
5、守ると吠える月の銀狼
視点去来 1
待ちに待った誕生日、幸せに笑顔を浮かべるはずだった少女は、当然の幸せと、笑みを浮かべられる人生を奪われた。
その日、その時、あの惨劇は……
それは全て俺の目の前でおきていた。
忘れられない、あの日の夜。雨と雷音が責め立てる様に降る十年前の夜。
月と星など見えない真っ黒い雲と暗闇の中
ただの、普通の家庭が吸血鬼共に襲われている。
(そうだ、この家の中が見える庭先から俺はじっと見ていた、全てを)
普通の一軒家で、父母娘の家族三人で普通の生活を営んでいただけの家庭だった。
それが、だだ一人の男の“遊び”のためだけに襲われている。
この家の主である若い夫は、突然の蹂躙者たちに家族を守らんとしたが、一瞬で組伏せられ地べたに這いつくばることしかできない。
「……家族に手を出すなぁ!」
そう叫ぶが、彼らの束縛から逃げることはできない。
妻である若い女性は家族の名前をつぶやくこうとするが、声は恐怖から生まれる震えでうまく言葉に出来ないでいる。
(頼む、動け)
土足で踏み荒らす黒いローブの者たちはまるでごちそうでも眺めるかのような、または望まない断食を強要されていたかのような飢えた目線で彼らを見る。
その赤く、血走るどす黒い欲望の目を剥き、今か今かと“お預け”が解かれるのをジッとまっている。
(まだだ、まだ間に合う。間に合うんだっ! 頼むから、早く、早く、早く動けよ、俺ッ!!)
祈るよううな心の叫びは、俺自身を突き動かす叶わず……そもそも
「待たせたな」
なにもかも、もう遅いのだ。
人の心の中へと染み込むような低音の声がこの豪雨の中でもはっきりと響いたと同時に、ローブの蹂躙者たちは一斉に二人へと、人間の犬歯とは思えないほどの大きな牙を彼らの体へとつきたて、噛みつく。
噛みつかれた二人は、襲撃者たちの異常な行為に目を剥く。だが、突き立てられた牙から急激に血液が吸われ、痛みを通り越すほどの眠気に襲われるように瞼が閉じられてゆく。
ただ、ただ仲むつまじい夫婦だった。人から後ろ指さされるような悪事などしたこともなく、堅実に生きていただけの普通の男女。
二人は互いを求め合うかのように手を伸ばし合うが、ついに触れ合うことなく力尽き、指と指は重なりあうことは叶わない。体中の体液と魂を吸い尽くされ、体は砂のように崩れ、大気へと散る。
吸血鬼は血を吸引する際、その者の魂に干渉し、汚すのだという。汚れつくされた魂は、汚した吸血鬼に従属する。
それがおこなわれずに、ただただ吸い尽くされた者は、輪廻の輪に入ることなく、世界に漂うのでもなく、消え去る。永劫、救いは訪れず、無に帰すこともなく、消滅しただけという結果しか残らない。
生物が迎えうる死の中でも、最も命を否定された死に方だ。
「さて、獲物はどこかね?」
威厳に満ちる男は、土足で家に入ると、ある一角に目を止める。
そこには、今までいたことがわからないほど存在感が希薄な、ひとりの少女が怯えきった表情で体を抱きかかえながら小さく震えていた。
「ふ、ふふ。そこにいたか……」
(あの子を、あの子だけでも、頼むから、頼むから!)
その子の両親を喰らい尽くした黒いローブたちは、男に、跪き、道を作る。
その間を王者のように歩き、恐怖に目を閉じることさえ適わなくなった少女の前へとたどり着くと、見下ろしながら“通告”した。
「お前は今日から私の所有物だ。これからは最高の……否、完璧な人間となるよう育ててゆく。ならなければ、殺す。なることを一刻も遅らすようでも殺す。見込みがないと私が思った瞬間も殺す。私に喰われること以外に救いを求めた瞬間には救いと共に、お前に永遠の罰を与えて殺す。素直であれ、従順であれ、なによりも完璧であれ。お前を完璧な人間と認めて私が喰らうその時まで生きるのだ。ならば、お前たち人間の世界に平穏と安寧を与えよう。異存は言わせぬ、では……契約、成立だ」
怯えきった少女に矢継ぎ早しに本物の殺気と狂気をぶつけ、一方的に契約をさせられた少女はショックと恐怖で気を失ってしまう。
その少女を価値ある物のように抱きかかえ、こちらに向かってくる。
未だ雨は止まず、傘をさしても濡れてしまうほどであるというのに男は……近代において現存する純血の吸血鬼である男、ドレイク・V・ノスフェラの体は雨にうたれない。まるで強大な存在から雨が逃げるかのように避けている。
自身が築きあげた巨大会社で日の当たる人間社会の一端を担いつつ、夜には人間を食料と称し数えきれないほどの人間を殺し、気に入った者がいれば隷属させ仲間を増やし裏世界の地位を得た強力な吸血鬼。
そんな吸血鬼が俺に向かい話しかけてくる。その顔は目的の達成感から愉悦に歪んでいる。
「どうかね? “素体”は手に入れた、とはいえこれからが問題だ。協会からの妨害や、私の宝を狙う不埒な輩も現れんとはいいきれん。……その時は、頼むぞ」
俺は答えない。ただ、ただ立ち尽くす。
そんな俺を、ドレイクは笑った。
「フン、その代わり“金狼”のことは追手から、魔術協会からも“保護”しよう。だが……」
続けながらも、俺の横を通り抜け家の前に停車するリムジンへと歩んでいくドレイク。
(行かせるな、ここでドレイクを……奴を殺すんだ! 行かせたら……行かせてしまえば、俺たちのために大勢の人間が死ぬんだぞっ!?)
「もし、私に反旗を翻すようならば……君の大事な仲間たち、音芽組の連中の命はないと思えよ。安心しろ、そうなったときの話だ。なにせ君には……」
ドアが開き、身を入れるドレイクは最後に振り返る。
「それに、もしこの小娘が、九重 撫子が私の目指す完璧になった時は、君にもこの子の血を与えてやろう。……いや、必要ないか?」
ドレイクは見たのだろう。俺の手から血が滲んでいるのを。両手に自身の爪を握り込み血を滴らせてることを目撃し、満足したのかドレイクは車に乗り込みいなくなった。
(今から追えばまだ間に合う。そうだ、まだ、まだ、まだッ!)
この一家消失事件は殺人事件とも扱われず、不自然なほど未解決事件として早急に処理された。それを不思議がる世の中ではなかったのだ。ソドムという放棄地区が生まれ、混沌としていたあの時期は神隠しのように人がいなくなるなど当時は当たり前のように毎日起きていた。ただ、その事実が報道されなかったというだけの話。
だが、裏ではいつも誰かが犠牲になっていた。人以外の化物に喰われることもあれば、同族に殺されることもあった。そして、一人の少女は人生の一部を奪われたのだ。
(頼む、行かせてくれ、アイツを、ドレイクを俺の手で殺せば間に合う! そうだ、行ってくれ、俺はあの娘を守らなければならないんだ!!)
けれども、雨に打たれながら俺は……過去の俺は動いてはくれない。ただただ、後悔と責任に打ちひしがれるしかない。
「そんな所で、どうにかしようとしたって現実は変わってくれねぇよ。さっさと起きろ」
そんな世界に声が届いた。
ぶっきらぼうで、突き放すようなモノ言いではあるが、同情のような悲痛なモノでもみるかのような男の声が俺に届いた。
この慣れることのない場面は何度も観ていた。このモノクロ色で彩られる展開を何度も、そう視ることしかできなかった、もう観ることしかできないのだ、何せコレは・・・
「悪夢じゃ、現実は変えられねぇ」
目の前が明るくなる。
これは悪夢。無力な俺を苛む、だが、決して忘れてはならない現実。
視点変更 1
「……よぉ」
目を開くと、そこに魔王がとなりで座っていた。覗きこむ彼は黒いコートとワイシャツを脱ぎ、上半身を包帯巻き付けている。その下にあるのは自分が付けた傷だろう。
「悪夢はもういいのか?」
「ああ、もう…っ痛」
起き上がろうと上半身を起こそうとするが、力を入れた瞬間、体が熱をもった悲鳴を上げた。
よくみれば、俺の体も彼同様に包帯で……。
「それにしても人間に戻ったアンタはそんな感じなのか……」
彼に言われて、やっと気付いた。
自分の目、科布 永仕という人間の手が映っていた。
彼と縁が深い九重 撫子の通う高校の同級生であり、その学園の次期生徒会長という姿の手が。
銀色の人狼という姿ではない、もうひとつの俺の姿。いや、もうひとつも何もないか。どちらが本当の俺かと聞かれれば、どちらも俺なのだから。
そんな彼との会話に気がついたのか、二人の人影がこちらに向かってくるのが見えた。
「彼、起きましたの?」
「ああ、12人の可愛い妹たちとの同棲生活から始る恋愛の夢を見ていたらしいぞ。最後のクライマックスハーレムエンドに挑戦しようとする寝言を吐いてたから、叩き起こしておいた」
隣に座る男、進・カーネルの誤解溢れる説明を聞き、ゴミを見る視線を送ってくる男女の内の女性のほうとは面識があった。
ローザ・E・レーリス。先月、転校してきた芸術品と呼んでもなんら困惑ない美しい容姿を持つ金髪の美少女。裏の顔としての錬金術師としての実力も耳に入っている。
もう一人とは面識が無かったが噂話だけは聞いている。
アルバイン・F・セイク。魔専討伐部隊“騎士団”のホープ。一年前に起きた魔術を用いるテロ集団が起こした英国王女暗殺未遂事件を見事解決に導いたことにより、この世界では廃止されているはずの爵位を送られた平民出の騎士。
どちらも現魔術世界においては頭一つ飛び抜けた実力を有する若手だ。それが今、最悪の地と噂さるソドムの中で、さらに悪名轟く若手の中でそのトップに名前があがるの存在ととも行動している。
「銀色の人狼さん……とは呼べないネ。どう呼んだらいいんだイ?」
「エイジでいい。この名前は気に入っている。こっちは何と呼べばいい?」
「アルバインでいいヨ」
「アルバイン。なにか聞きたいのかな?」
「ちょっと、私のことは無視ですの?」
俺とアルバインのほんのり友好的な会話に、怒りに震える錬金術師が割り込んでくる。別に無視してたわけじゃないんだが……
「錬金術師は、少し苦手でね」
「別に私は、貴方たちを“そんな”目でみませんわ。人を物として視るなど錬金術師の恥、暗黙にもならない当然のルールですわ。何よりもあんな低俗な輩と一緒にされては嫌ですわ」
少し驚き、目を開いてしまった。
彼女は僕ら……いや、金狼の正体がわかっているはず。あの子のことを知れば大抵の錬金術師、いや魔術師のみならずよくに目がくらんだ人間ならば倫理を忘れて手を出してくるのが常だった。
いつの間にか、百と何十年という逃亡の人生で彼らの見方が固まってしまっていたのかもしれない。こんな誇り高く魔を扱う者もいるのだと再認識させられ、純粋な驚きと敬意が心から湧き出る。
「すまなかった…えーっ」
「……ローザでいいですわ。同級生でしょう?」
「すまなかったローザ、そしてありがとう」
再三の詫びと感謝の言葉に顔を赤らめるローザ。お礼を言われることに慣れていないのだな、と感じる。もっと棘のある人かと思っていた。人は見かけによらないらしい、若い男性のように見え、実は狼である僕が言うと説得力もないがね。
「で、本題に入りたいんだ……いいのか?」
割とうんざりしたような進は話を始めようとけし掛ける。彼の心境はわかる、なにせ……
「俺は、あんなポンコツのことなんて気にしてない」
「待て……何で俺の思考が読めたんだ?」
「読んでねぇ。そんな顔してたからだ……そんなことはどうでもいい。お前はなんだ? それに何で俺に攻撃しかけてきやがった?」
直線極まりない質問。他の二人もそこが気になっていたらしく、真摯なまなざしを向けてくる。そんな目で見られたら答えるしかないじゃないか……
「俺は…
「彼は、人狼のライカンスロープ。かつてユーラシア大陸を旅するように暮らしていた狼から人へと“適応”した一族の現存する唯一の生き残りでやんす」
「…………」
俺が言うべきことを、急に気配なく表れた男にすべて語られた。
その男の名はハジ。ソドムでも名の通った情報屋にして変人は俺が頼んでもいないのにも関わらずペラペラと語り続ける。
「ライカンスロープっていうのは、つまるところ月の魔力やなんかの特別な外部刺激を与えらることにより変身する人間で知られていますぅ。昔は狼男だけに当てはまる言葉だったらしいんですが、今は人間から動物に近い形態へと変化する者を指すようでやんす。普通の世界では病気の一種で何かの事象を受けて凶暴化したりする人間のこととして使われていますねぇ。あ、吸血鬼みたいに攻撃を受けると受けた人間のもライカンスロープになると言われてたらしいんですが、それは彼らの血液や体液を浴びて遺伝子が適合してしまった例で、宝くじが当たる確率と同じらしいですよ。宝くじが当たる確率は……」
ほんとうに長々と、しかもどうでもいい話を織り交ぜながらの説明を聞かされる。コイツとは長い付き合いだが、出会ったときからの印象は変わることはなかった。
「彼らの部族はそらもう美しい銀の毛並みを持つ種族で、あっ綺麗といったら…」
「長いんだよっ!!」
溜まらずに俺が吠える。出会ったときから、俺はこいつが嫌いだった。
「エイ君、そんなに怒らずに……ほらほら、血圧あがっちゃいますよぉ?」
「クソっ……怪我がなければ、今すぐ喉笛かみ千切ってやれるのに……!」
「……え?」
「なんだ、その“君に、できるの?”みたいな顔は! いますぐ! グゥウウっ!?」
力みすぎた。包帯がジワジワ赤くなる。嫌だ、こいつが理由で死ぬのだけは、それこそ恥だ。
組の皆が駆けより、医師を志していた一人が苦笑いしながら包帯と血を抑えるガーゼを変えてゆく。そんな俺に同情を隠しきれていない進がいたわる様に声をかける。彼もこいつに付き合う苦労がわかるらしい。
「落ち着けよ……テメェも茶化すな」
「うぅん!」
ニヤニヤするハジのどっちつかずな回答にこの場の人間すべてが半眼となり、無視をすることを決意する。
「……もういい。時間がねぇんで率直に聞く。俺らはこれからあのポンコツ娘を奪い返しに行く。お前はそれを阻むか、否かだけを答えろ」
紅い眼が俺を射抜く。
真偽を計るのでもなく、威圧して自分に都合よい答えを引き出すのでもない、ただ問うだけの目で。
お前はどうするのか聞いておいて、どんな答えであろうと自分のやることを変えることはない決意の眼差しだと俺は知っている
その目の力に身震いする。人である前に獣である俺の本能の部分から来るこの高揚感に鼓動が高鳴る。
その目を持つ人物を俺は知っている。その男と進という青年が重なって見えるほど、彼らは似ていた。
『テメェさんは、どうしたいんだい?』
「テメぇはどうする?」
ハッとなる。……マズイな、視界がぼやけてた。過去と今が重なるなんて……血を失いすぎたかな?
「俺は、君たちの邪魔はしない」
「そうか」
「だけど……」
「あっ、おい!?」
かけられていたタオルを素早く広げ、目くらましがわりに、跳び起きる。
それだけで、体中が悲鳴をあげる。だが、それがどうしたっ!!
そんな体に鞭打った代償に血液が外へ漏れ出たが、人狼である自分の回復力は人間を遥かに上回る。一時間としないうちに大半の傷口はふさがっているはずだ。
されど命にかかわるほどの重症であることは確か、そんな見立てを無視し、その場から百メートル以上離れたビルの上まで跳躍する。
助走なしの跳躍であるが、普段ならもう少し跳べたはず。怪我の影響はたしかにあるようだ。
「テメェっ、待ちやがれ!」
「兄貴っ! 無茶です、その怪我じゃっ!!」
「必ずっ!」
そのまま立ち去るとでも思っていたのか、下からの声が急に止む。死にかけていた俺を助けてくれていたの彼らになにも言わずに行くのは気が引けた。
「必ず、九重さんと明は助ける! だから、君たちは来るな!」
もう振り返らないと決め、彼女たちの匂いがする方へと高く跳ぶ。目を逸らす瞬間、車椅子に乗った人物を確かに目撃したが、なにも言うまいと、そのまま追走に集中することにした。
必ず助ける、命をかけてでも……必ず、今度、こそ。
それだけが、俺にできる唯一の償いだから。
視点変更 2
「永君……“命に代えてでも”と言いたげだったね」
「誰だ?」
アイツの行動を予測していなかったための失態を犯し、やや気分が悪くなっていた俺の背後からその男は車いすに乗ってやってきた。
頭を剃り、顎鬚を仙人のように伸ばした男。
男の年齢は初老か、もしくはもっと上か。とにかく爺といわれてもおかしくなさそうな男だが、その体のデカサと実戦的な体付きが実年齢を若く見せている。
貫禄と周囲のヤクザ連中の反応をみれば、すぐに幹部クラスの重鎮か組長クラスの人間だとわかる。
「君が、進・カーネルさん……ですかな?」
「ああ」
俺の名前を呼んだ男の声はしっかりしているとは言い難い、弱弱しいモノだった。
「私は…音芽組、組長代理の近衛 巌と、申します」
一言発音するたびに血でも吐きそうな苦しげな自己紹介。
体中に怪我があるのだろう。彼の纏うボロボロのジンベイから覗く包帯を見ても一目瞭然。骨も何本か逝っているに違いない。それでもここまでくる理由はなんだ?
「貴方を、いえ、貴方だからこそ! ズェ、ゼァ……お願いが、お願いがあります」
息も絶え絶えになりながら、車椅子からすべり落ち、地べたに額を擦りつけ、深々と頭を下げるその姿は……
「撫子さんやお嬢……なにより永君を助けてやってくだせぇ!」
土下座だった。なにより誇りと威厳を重んじるヤクザの、しかもその頭とあろうものがただの街のチンピラのような俺に頭を下げている。
どうして……
「科布会長や金狼さんを助けてほしいのはわかりますわ。でも、どうしてそこまで撫子にこだわるんですの?」
俺の疑問を代わりにローザが問う。こいつは前々から撫子について興味を持っていたから、当然の反応だろう。
巌はローザの問いかけに罪を告白するかのように語る。
「私は、あの撫子さんを……あの子を一度、見捨ててしまっているのです……」
「……どういうことですの」
ローザの目が細まる。怒っているのかもしれないが、ローザも巌のことを責めることはできない
、もちろん俺も。そのことは撫子の秘密の一端に触れている俺は知っている。
巌は意を決したように土下座の姿勢のまま、語り出す。
「まず、それには私らのことを語るらねばなりません。実は我々の組は、組とは名ばかりの養護施設兼学習塾が始まりなのですが」
「なんで学童育てる場所が、極道なんぞになるんだ」
「ええ、それは……組長が、音芽さん、つまり奥さんが先生と母親の代りになる場所だからと、“音芽組”と看板立てたんですが、もともと施設が立派な門がある日本家屋というのも原因でして。そのあと、そのスジの方々にいちゃもんつけられたり、抗争みたいになったりしましてね、大変でした」
妻の教室、つまり何年何組みたいなノリでつけた名前が原因で、極道に間違えられたらしい。とてつもなく、子供たちと奥さんには迷惑な話である。組長という名前も、元は園長とかだったのだろう。
「それからというもの、組長の男気にホレた奴らが集まって、どんどん極道らしくなっていったというわけです。もちろん、ご近所さんに迷惑も、シノギやシマ拡大もやっちゃいません。どちらかといえば、堅気の世から弾かれ者たちの心休まる家みたいになっていきました」
巌の声に懐かしさがやどる。きっと目には過去の温かな日々が映っているのだろう。
「私が、皆さんと同じ年齢の頃に、組長は永君とサヤお嬢……銀狼と金狼を家に呼び、彼らをしつこく狙う奴らから匿うようになりました。組長はそれはそれは強い方でした。それゆえ、二人を捕まえようとする追手の手を何度となく払い、牽制し、抑止力となって彼らを守っていたのです。ですが……」
巌は拳を握りしめる。まるで自分の力不足に怒る様に。
「第三次世界大戦。その最中に組長は、先生……組長の奥方を連れて何所かへ行ってしまったのです」
「何処かへ……行った?」
「はい……その半月もしないうちに大戦は終結、各国で締結条約が結ばれ、平和をとり戻したのに……あの方たちは帰ってはこなかった」
なるほどな、と俺の中で結論が出た。
「そういうことか、ドレイクの野郎。なんつー回りくどいことを」
俺の言葉で巌の肩が確かに震えた。一人で納得した俺に、アルバインとローザが目を向けてくる。
「どういうことだイ?」
「話が見えませんわよ。たしかにドレイク・V・ノスフェラは第三次世界大戦後に財界に進出し始めたと聞き及んでいますけれど……」
「おいおい、どうした? お前ら最近、戦闘ばっかで頭が働いてないのか? それにあいつは財界に進出したんじゃない、人間の世界に出てきたんだよ。金狼が欲しいためにな」
「は?」
「いいか? ……コイツらはその強い組長の代りになる金狼を守ってくれる後ろ盾が欲しい状況に追い込まれたんだよ」
ちらりと、組員たちの様子を見る。その場にいる全員が悔しげに俯く。当時を経験した者たちなのだろう。なにせ、自分たちに力があればこんなことにはならなかったのだから。
「進さん。貴方の言う通りです。組長という戦闘単位を無くした我々は弱体化といってもいいほどの状態に陥った。普通の抗争なんかならまだよかったが、永君たちを狙う魔術師たちとの戦いとなれば、防戦一方になるのが落ちでした。永君がどんなに強力な力を持っていようと、彼一人では守りきるのは難しい」
だから、と続ける巌。
「当時“以前”から金狼の力に目をつけていたドレイクが、組の安全と金狼の保護を条件にあちらから交渉をしてきたのです。進さんの考え通り、すべてはドレイク自身による画策だったのでしょう。金狼について知る者にだけ居場所と情報を与えてぶつけさせ、組を、永君を疲弊させ、ドレイクという強い抑止力が必要となる状況を作り出した。そして、奴のやることに口を出さないという条件で、彼は組の安全と金狼の隠蔽を約束をしてしまわなければならなくなったのです。私達はまんまと奴の手を借りなければならないところにまで追い込まれていたのです」
ドレイクが世界に頭角を現したのは、世界的な地位と権力を明確にするためだったのだろう。権力は抑止力となるからだ。
奴が日本に根を張ったのにも理由がある。戦時中、日本は戦争をしかけさえしなかったが、同盟国に幾度となく支援を行っていた。そのため、日本は多額の出費をするはめになり、その上、同盟国の敵対勢力に“戦争拡大の支援国”とされソドム誕生のきっかけとなった大空襲がおこなわれたのだ。
戦後の日本は戦争被害への給付金や復興に金を吸い取られ、見るも無残な赤字大国となり果て、復興支援を受けなければ生きていけない国となっていた。
そんな国に世界的に事業展開する救世主が現れた。ドレイク・V・ノスフェラという人外だが、“暴挙”を見過ごすだけで、国を潤してくれる悪魔が。
奴の目論見通り、国は奴を必要とし、殺人の免罪符をまで与えた。そして、金の力で政界を動かすほどにまでなると、世界に無くてはならない男となり、誰も奴に手が出せなくなった。
自分を必要とし、やることを見過ごしてくれる都合のよい国と世界を手に入れ、資本と政治の社会的な力と奴自身の吸血鬼の力の両方を見せつけ、金狼を守るにふさわしい立場を作り上げた。
「でも、どうしてですの? ドレイクほどの力を持つ存在であれば、無理矢理にでも奪えるはず?」
「そいつは無理だろ。銀狼がいるんじゃな。ドレイク“程度”じゃ、あいつは倒せねェ」
「……その根拠は?」
「俺がドレイクを殺したからだ。そんな俺が言うんだ、どうだ間違いねぇだろ? なぁ、巌さん、そうなんだろ?」
サラリ、と言ったつもりだったが、ローザとアルバインが絶句した。気が付いていると思っていたがな? まぁ、どうしても不死身と呼ばれた奴を倒したビジョンが考えつかないのかもしれない。
そんな俺たちを見て、力なく顔をあげて笑う巌。
「ええ、進さん。ドレイクは永君……銀狼の力を恐れていたのだと思います。だから、こそ金狼と組を人質にした首輪をつけていた、ということでしょう。それにしても、永君から聞かされていたとはいえ、改めて聞かされると、驚きますな」
「聞かされた?」
「永君はあの時、あの場を遠くから見ていのですよ」
「なるほどな。だから、アイツは俺の血を……」
先程の戦いの最中の疑問の解決に一人で納得していると、さらなる疑問をアルバインが提示してくる。
「おかしくないカ? 金狼を奪うのではなく、保護だっテ? 彼ならすぐに自分の卷族にでもしそうなものを……」
「それが無理だったのでしょうね」
当然の疑問を投げるアルバインに、ローザは自分の答えが確信をもったように頷く。
「私の仮説が確かなのでしたら、ドレイクは彼女に絶対に手は出せませんわ。たしか、彼は宝物のコレクターでもあったはず。金狼という価値ある存在を手に入れたという満足感でも満ち足りていたのでしょうね……」
でも、とローザは繋げ、
「でも、そんなことはどうでもいいですわっ!! それに撫子がどう関係していますの!!」
「それは……」
ローザの問いに巌を答えることを躊躇う。撫子のためにだろうか?
「アッシが、お答えしましょうかねぇ」
そう言いだしたのはハジだった。
「撫子さんがドレイクの養女だということは知っていますね?」
「ええ、そこまでは。学園の皆の話を聞いていけばそこまではわかりましたわ」
「それでは、彼女がドレイクにより作為的に十年以上の歳月をかけ育て、金狼を喰らうための儀式のためだけに作り上げた“完璧な存在に近い呪物”になった人間だということまで気が付きましたかぁ?」
「おい、聞いてねぇぞっ!!」
ローザよりも、その場の誰よりも即座に驚く俺。そんな俺を無視し、ハジは説明を続ける。
アイツが撫子を完璧な人間に育て上げ、それを喰らいたいことまでしか、俺は知らされていない。
「彼女はそのためだけに六歳の誕生日にドレイクに両親を殺され、以降、死と隣合わせの生活を送りながら完璧と世間から呼ばれる存在となるように丹念に育てられていたんですよ。それに旦那、別にアッシは情報を渡さなかった訳じゃない。後で、彼女が寝室に使っていた部屋の下に魔方陣や呪物が見つかったんですよ。そこから入念に調べたところ、彼女が親しい友達の一家の殺害のほかにも一家の失踪が法則性をもって相次いでおこなわれていました。すべて儀式の一環だったようですねぇ。たぶん、ドレイク主催の晩餐会で撫子さんが毎度のように呼ばれ、目の前で人を喰い殺される様子を見せられていたのも何か意味があったのでしょうねぇ」
ハジはいつものような軽口で説明したが、さすがに想像を絶していたのか周りの奴らが声を無くしていた。特にアルバインとローザは衝撃を受けているようだ。なにせ、あの毎日楽しげに笑っている女にそんなことがあったなど思わなかったのだろう。
かつての撫子の日常を聞き、血の抜けたような顔色をさらに青ざめさせた巌が血でも吐くように懺悔する。
「私と、永君は自分たちの保身のために……あの子を絶望の底に突き落としたのです」
沈黙が訪れる。誰もかれも巌だけを責めることはできない。そんなやり場のない不快感と自責の念が生んだ静寂の場に、ハジのパンパンと手を叩く音が響く。
「はい、はい。じゃあ、旦那。これからのことなんすけ……」
「そんな気を使わなくていいんです、ハジさん。いいんですよ。隠していいことじゃない」
ハジの言葉を止めたのは巌だった。頭をあげてしっかりと俺の目を見る。それは俺を試すかのように、その真実で俺に何か判断を問う目だった。
「我々と、撫子さんの父親、九重 大和は……顔も知らぬ仲ではなかったのです」
「あ?」
「彼は、音芽組の養護施設で育った孤児。そして、私がまだ教師をしていた頃の、教え子だったのですよ。そう……同じ釜の飯を食った、家族だったのです」
視点去来2
「できちゃった結婚だぁっ?」
まだ組長の代理になってからすぐのこと。俺、近衛 巌のところに一人の青年が“帰ってきた”。
「はい、巌先生。今年の6月くらいに彼女と、蓮と式をあげる予定です」
小鳥がさえずり、木漏れ日が温かさが残る春先。去年やっと第三次世界大戦が事実上の終戦を迎えた年であった。組長とその奥方が行方不明、“長い眠りについていた”彼女が目覚めの前兆を迎えているなど、あまり良いことがない昨今に、こう言う幸せ溢れる報告はうれしいものなのだが、実際私は戸惑っていた。
「大和、お前……どうやってここに来た?」
しっかりと、俺の顔を見据えて報告する青年の名前は、九重 大和。音芽組の屋敷の中にある孤児院の卒業生で、かつて俺が講師として勤めていた大学の卒業生にして教え子。血を分けてはいないが、確かな絆で結ばれた弟でもある。
大和は、童顔で背もそんなに高くない、男義もそんなに感じない如何にも文系という感じの子だった。着ているスーツもあまり着こなしているとも言い難く、七五三でも見ている感覚になってしまう。
性格も気弱で誰かの頼みをすぐに聞いてしまう優男。そんな性格だから、外の世界に出ていくときも心配でたまらなかったほどだった。
そんな頼りなかった子の目には確かな自信と気迫に満ち溢れている。そのことも戸惑いの一つである。
「東区の全面封鎖のことですか? 僕は一応、国土交通省の役人ですよ、お忘れですか? 自衛隊の包囲網なんてどうにでも出来ます」
さらりと、国に喧嘩を売る公務員もどうかと思う。なにより、あの優しかった子がそんな手を使うとは思いもしなかった。
「毒素に犯されているという報告もあったろう。そんな危険を冒さずとも電話とか、ほら、いろいろ方法もあったろうに?」
「恩師にして兄弟を結婚式に招待しようとするのに電話だけでは失礼でしょ。それに、一度“家”に帰っておきたかった。それに……細菌兵器なんて、嘘っぱちだ」
第三次世界大戦末期、この日本に首都東京は同盟国の敵体勢力により襲撃を受けた。その際に、置き土産とばかりに至死の細菌兵器を使用されたという“デマ”を“国が”流し、二十三区の半分、東側を完全封鎖し、アリ一匹逃がさない包囲網を敷かれている。
そんな地に、大和は帰ってきた。俺がどっかりと腰を下ろす屋敷の玄関を見まわし、大和は呆れたような声をあげる。
「しかし、あんな大規模な空襲があったて言うのに屋敷は、“やっぱり”ここは何ひとつ変わらないね。傷ひとつないままだなんて」
驚いた様子もないよう言う大和だったが、この組の事情を知らぬ人間ならば外から見るこの屋敷の置かれた状況にはさぞ目を疑うだろう。
なにせ、この屋敷は開けた荒野の上に立っていた。言い方を変えれば、この屋敷の周囲一キロメートに建築物は何一つ残ってはいない。一発の破壊兵器が空から落とされた結果の痕跡だった。まぁ、それだけ高威力の兵器が落とされたのにも関わらず、普通に組の屋敷があることの方が驚きだろう。
「どうせ組長がなにかしたんだろうけど」
「ああ、組長がこちらに向かってくる爆弾の威力を“斬った”」
「……組長と、音芽先生はまだ?」
「ああ、帰ってこられない」
あの二人がいなくなってから、組への、永君たちを狙う者たちからの襲撃が増えたように思える。早く帰ってきてほしいものなのだが……
いや、今はそれよりも……
「なんだ、そのできちゃった婚ってのは!? 不謹慎極まりないわ!」
「いや、先生聞いてください。正しいお付き合いをして、でもお金がなかったり、仕事忙しかったりで、それでストレスがたまって、性欲に完全敗北してでですね」
「まったく……できる前に結婚を前提にしていたの……だろうな」
「はい。それはもちろん」
また、あの目だ。やはりこの子を変えたのは……
「大和さん?」
彼のと俺の話す玄関から数十メートル離れた後方、屋敷の門のあたりから美しい慎ましやかな声が響いた。
声の主は門の間から顔をだし、中の様子を探ろうとしていた。その人物とは面識があった、彼女もまた俺の生徒の一人だったからだ。
「蓮、大丈夫だよ、おいで」
「お久しぶりです、先生」
慎ましやかな大和撫子の見本のような女性の名前は、武藤 蓮。
彼女もまた大学の私の講義を受けていた一人でとても印象に残る女性だった。
色白の肌や和の印象が強い整った容姿。美人と簡略して読んで差し支えない。なにより印象的なのが彼女の髪だ。その色黒みを帯びた赤黄色、つまり茶髪だった。地毛だと聞いた時は少しばかり驚いた。
「まさか、君と大和がお付き合いをしていたとは……」
「以外、いえ、信じられないですか?」
苦笑げに微笑むのはかつての彼女自身を思ってのことだろう。
かつての彼女はつねに暗い影を背負っている印象が強い娘だった。それは彼女の生い立ちに関係がする。
彼女は孤児で、日本人と外国人とのハーフだ。容姿は日本人だが、髪の色の違いでつねに周りから異質で偏見的な眼差しを向けられていたらしい。
音芽組とは別の孤児院で育てられていても周囲と馴染めず、果てには苛めを受けていたと彼女は語っていた。
「信じられないのではないよ、ただ昔の君は誰りも他人を拒否していたからな」
そんな彼女はつねに人を寄せ付けない冷たい態度をとっていた。大学で知り合うまでずっとそうやって生きていたそうだ。だが……
「彼が、大和さんが私を変えてくれました。ソレ以上に説得力のある説明はないと思います」
「なるほど」
そんな彼女は大学で大和と出会い、大和は彼女に一目惚れした。そんな恥ずかしい報告を大和から聞かされた時のことを今でも鮮明に思い出せる。
「在学中に付き合いはじめたのは聞いていたが、こんなにも早く結婚までいくとは思わなかったよ」
孤児だけに関わらず、捨てられた人間というのはまた捨てられることに恐怖を覚えているものだ。彼女の場合、家族、夫婦となることに、誰かと深く関係を持つことに一種の恐怖だったろうに。
そんなかつて心の深層に暗いものを抱えていた少女は、そんなものを微塵も感じさせぬ晴れやかな笑顔で答える。
「今はもう大丈夫ですよ、先生。私には彼が、大和さんがいますから。それにこの子も」
「そうか……そうだな」
二人とも要らないという烙印をかってに押し付けられ、捨てられた人間だ。そういう過去を持っているからこそ引かれあい、だが、ソレ以上に相手を愛することで結ばれ、悲嘆を越えて幸せをつかもうとする二人の門出を祝おう。
「そう言えば、蓮くん。生まれてくる子は男の子か、女の子どちらかもうわかっているのかな?」
「あ、はい。女の子です。名前も決めているんですよ」
「ほぉ。よければ、聞いてもよいかな?」
俺のお願いに、蓮は満面の笑みで頷く。自身の若干大きくなりつつあるお腹をさすりながら幸せの形の名を告げる。
「もちろんです。この子は、撫子。九重 撫子」
視点去来3
相変わらず嫌な場所だ。そう俺はいつでも思っていた。
「科布 永仕様、旦那様がお呼びです」
俺の名前を呼んだ、燕尾服を着た老人は言うなりすぐに何所かに消えてしまった。だが、彼が確かにいたことは臭いでわかる。彼もまた俺と同じ人外の存在であった。酷く血なまぐさい匂いを思い出し、気分が悪くなる。
俺は見ているだけで高級感が伝わるソファーから立ち上がると、前へと進んでいく。
そこはひどく光が入り込む場所だった。
西洋の城を思わせる屋敷の大理石の廊下を静かに進む。広い廊下にはすれ違う者は一人とていない。そんな面積の中央を歩くこと数分後、豪奢なテラスに行き着いた。
そこにあるのは木製の丸いテーブルと二つの椅子。そして、吸血鬼が一人いた。
「ここは私のお気に入りの場所でな。まぁ、座りたまえよ」
見た目はやり手の実業家じみた中年男性。いや、実際に世界の経済活動の一旦を担う存在だ。
ドレイク・V・ノスフェラ。ドレイクカンパニーという商社を一代で築き上げた金融界の化物。一部の人間たちからは戦後の経済復活に貢献した男とも呼ばれている。その手の事業に手をつける者がこの彫の深い顔立ちと灰色の髪の男を知らないのならモグリだろう。そんな表向きは大企業の賢人に俺はふてぶてしく言い放つ。
「要件はなんだ、早く言え」
そんな俺にフンと鼻をならすドレイク。こいつは俺を……いや、人間すべてを見下している。そんな超越者きどりの男は馬鹿にするように肩をあげ、再度座るように指示をかける。
「いいから、座りたまえよ。それとも君はお茶を楽しむ余裕すらないのか?」
「茶を楽しむ? はっ、君たちの血なまぐさい匂いで茶の匂いが台無しだ。いいから、要件だけ聞きたい」
俺はこいつが嫌いだった。組長がいなくなり、最強の抑止力を無くした組には、もうサヤを守るほどの力はない。そのことを早くも察知した追手共は数年前から二桁をゆうに超える回数の襲撃をかけてきていた。
そこで現れたのが、この男だった。ドレイクは金狼を守るという名目で近づいてきたが、実際は彼女を手に入れたいだけだったのだろう。だが、こいつが吸血鬼である以上は手が出せないはず。
金狼は……いや、妹はそういう呪いにも似た境遇に生まれついてしまっているのだがら。
「あの子を渡せということなら、断るぞ」
「いや、そんな話ではない。それに私は彼女が手元におけるという事実だけで満足している」
この言葉に俺の思考が止まる。
(何を言っているんだ、こいつは?)
こいつは金狼の正体と性質を知っているはずだ。なのに“手元にあるだけで満足”? 何を言っているのか、本当に分からなかった。こいつは今すぐにでも彼女を喰らいたくて仕方がないはずだ。
そんな俺に気付いたのだろう、苦笑し、馬鹿にするように笑う。
「くふふ、そう警戒しなくてもいいではないか。彼女を喰らうということは自殺行為だ。それに……新しい遊びを思い付いてな」
「遊び、だと?」
凄まじく嫌な予感がした。それは長年生きた故の直感か、それとも歪な笑みを浮かべるコイツの表情故か。
「ああ、遊び。いや、真剣になるべき遊びだ。それを君に聞いてほしくて、呼んだのだよ」
そい言って取り出したのは一枚の用紙。それはある人物の詳細なデータが書き込まれた調査資料。その写真の少女とは面識はなかったが、その少女の名前と父親についてはよく知っていたからだ。
「お前、何を……!?」
「この子を、私のモノとする」
「ッ!? ふざけるな! 何言ってやがるっ!? 両親が、家族が許すはずねぇだろうが!」
「許しなどいらん、奪えばいいのだ」
コイツの言葉に驚く、いや耳を疑った。
「それを、俺が、なにより国が許すと思っているのか!?」
「いまさらだよ、君。日本は私の行いを咎めようとしない。それにもう、今さらだ。今さら何十人、いや何百人消えようと、彼らは私を阻めやしないのだからね」
高らかに笑うコイツの言っていることは本当だ。この“世界”はドレイクという甘い汁から離れることはできない。なにせ、こいつがいなくなれば世界はまた大規模な貧困に見舞われるとさえいわれるほど強い政治的発言力と経済力を手にしている。世界恐慌すらコイツならすぐに作り出せるはずだ。
そんな吸血鬼の非道の行いを、世界は許容している。今さらだ、今さら一つの家族が消えようと、世界は気付かないふりをするだけだと、コイツはわかっているのだ。
だが……だがな、ドレイク。
「俺が許すと、思っているのか?」
紅茶を優雅に飲んでいたドレイクの表情が硬くなるのがわかった。周囲に展開していたコイツの卷族たちも俺の放った殺気に後退りしたことを感じる。
コイツらには解っているはずだ。俺が、ドレイクよりも強いことを。
俺はこいつの能力……いや、ペテンを見抜いている。無傷とはいかないが、必ず喉笛を噛み砕き、奴の呪いに順応した攻撃を放ち、心臓を破壊する自信がある。
だからこそ、こいつは音芽組のみんなとサヤを人質にし、俺を縛りつけているのだ。こいつは俺を恐れている。
だからこそ、できることがあるはずだ。
「俺が、今すぐにでも殺してやろうか、ドレイク?」
「いや、君には無理だよ」
「その無理を……再現してやろうか?」
「違う、今、君は私を殺せはしないのだよ」
? どういう意味だ?
「今、音芽組に未だかつてないほどの襲撃の計画を“実行”している者たちがいる。メルルといったか、あの貴族気どりな連中は?」
「なっ!?」
計画を準備ではなく、実行しているだと!?
驚きと怒りのあまりテーブルに乗り出し、ドレイクの襟首を掴み引き寄せる。テーブルは倒れ、茶器は全壊し、熱湯が俺たちの下に漏れだす。
「ドレイク、貴様! ワザと見過ごしてやがったな!!」
「わざとなどではない、もう阻止の準備はできているのだ。だがな」
こいつが言いたいことが理解できた。今いる場所は東京の郊外、今からソドムに、音芽組の屋敷に戻るまでに早くて一時間。実行中ということはすでに始まりかけているか、もしくは……
「安心したまえ、まだ“死人”は出てない、らしい」
「き、サマ!!」
「わかるだろう? 私には彼らを救う手があるのだ。だが、君が私に牙を向けようものなら……わかっているな?」
焦り、絶望に身を引きちぎりたい感情の中で、考える。こいつは組の皆とサヤに命を救う代わりに、大和の家族を……身内を引き渡せと言っているのだ。
「ッハハハハ!」
笑みが上がる。
狂気的な愉悦を爆破させている感じの笑い声をあげるのは、目の前の吸血鬼。
「安心しろ。君にこの家族を襲えと言っているのではない。ただ、見過ごせといっている。簡単なことだろう? なぁ? 金狼の守護者よ」
こいつは俺の答えが一つしかないことをわかっているのだ。
「なにが、目的なんだ」
「言ったはずだ。遊びだと。完璧となりうる人間を育て、喰らう遊びだ」
「完璧、だと?」
「そうだ、たまにいるだろう。そう呼ばれる人間たちが。彼らの血はなによりも絶妙な味わいがある。そんな血を゛作って゛みようと思ってな」
嘘つけ、それだけじゃないはずだろ。
俺がこいつが嫌いなように、こいつもおれが嫌いなのだ。
遠回りな嫌がらせ。俺もまたコイツの行いを見過ごすしかできない男なのだと認識させる嫌がらせ。
金狼を力づくで手に入れなかった理由であり、自分の命を脅かす可能性を持つ存在である俺の苦しむ姿がなによりみたかったのだろう。
「大丈夫かね、顔色が悪いぞ?」
心配の表情でなく、満面の、それでいて人を陥れる喜びに浸る喜びから作り出される歪な笑み。
「それに時間もないぞ?」
ふところから差し出されたのは携帯電話。そこから聞こえる声は……
『エイジ兄っ!!』
「サヤ!!」
こんな妹の恐怖に上ずった声を聞いたことがなかった。背後から聞こえる怒号と喧騒の音が耳に痛い。
『危ない人たちがいっぱいで! イワオが! イワオの血が止まらないよォ!!」
巌くんが!? 俺の焦燥はさらに加速する。
「さぁ、どうするかね」
「くっ!」
どうすればいい!? このままでは音芽組が危ない。だが、ここでこの吸血鬼の手を借りてしまったら……!
究極の2択を要求される重圧に、膝が崩れ落ち地面に這いつくばる俺に
「何を気にするというのだ? 迷うことはない。目の前の欲望に手を伸ばすことは間違いではない」
耳元でささやかれる悪魔の声が徐々に俺を追い詰めていく。
「それに」
そして、気がついた。携帯電話から聞こえていた音と声が……
「通話状態なのだがね。声が消えてしまったよう?」
「クソがぁっぁぁぁぁぁぁぁぁぁっぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁああぁあっ!!!」
音芽組はドレイクの配置していた部下たちの手により守られた。
そして、大和の一家を守ることはできなかった。
助けに行くこともできたのだろう。だが、俺は助けなかった。
ドレイクの力が必要だと認識させられたからだ。
俺は見捨てたのだ。自分の守りたい者のために、あの二人と娘を地獄へと突き飛ばしたのだ。
視点変更 3
「見つけた」
あの二人の匂いを追い、ついに辿り着いた場所はソドムの外、つまり東京の中心街だった。
巨大な円錐形で、全面ガラス張りのビル。その屋上に近いフロアの一室へと、俺は隣のビルから跳躍した。
ガラス窓越しに見える敵の数は十数名ほど。ビル全体から薬莢の香りがきつく臭ってくる。たぶん、あのビルのほとんどに敵がいるのだろう。それに彼らとは面識があった。
咲那会。最近はソドムでのシマ拡大に力を入れているため、音芽組と幾度となくぶつかり合っていた若い組だ。
その中にあの三人の姿を捉えた。奴らは音芽組が邪魔な咲那会の連中と結託していたようだ。いや、咲那の奴らがいいように扱われているのかもしれない。
「……守る」
そんな奴らが集う場所の中央に彼女たちの姿がある。二人とも、寝むらされているようだが、何かの暴力を受けたようには見えない。
そんな二人を見て、改めて誓う。必ず守ると。
そして、俺は数十、いや百に届くかもしれない敵が溢れる地へと飛び込む。
厚いガラスの窓をぶち破り、吠える。
「ハンター! いや、メルルっ!!」
突然の襲撃に一歩遅れてだが、その広いフロアにいるの全員が銃器をこちらへと向ける。
フロアの中は大きめの木箱が点在し、中央には箱のような大きな機材がある。その周りにはくだんの三人がおり、九重さんもそこにいた。
「返してもらうぞ、彼女たちをっ!!」
銀の人狼と化した俺は、銃弾の雨の中へと走る。
彼女が再び絶望に引き落とされようとしているなら、命に代えてでも君を守ってみせる。
視点変更 4
「なるほどねぇ、だからアイツはあんなにも撫子のことを気にかけていたのか」
崩壊現場のテント中は静寂に満ち溢れていた。
ドレイクという抑止力を得ているために、奴の蛮行を認知しながらも止めることができず。
果てには、身内同然の家族を見捨てるはめになり。その娘はくだらない欲望のための生贄にされてしまった。
すべては仲間と家族を守るため。だが、そのための犠牲が大きかった。
その後悔と懺悔の気持ちが、こいつらの行動理由か……なるほどね。
「おい、ハジ。俺のコート、どこだ?」
「! 私たちの願いを引き受けてくれるんですかい?」
巌が俺の行動に、バッと顔をあげる。が……
「嫌だね」
俺の言葉に青ざめていた顔をさらに青くし、その場の全員が言葉をなくす。
「シン!」
そんな一人が、俺の胸倉を掴んできた。
突っかかってきた男は顔に怒りの表情のアルバイン。
「オマエは、彼らの気持ちがわからないのカ!!? どうして、そんな言葉が吐けル!!」
「わからねぇよ。こんな依頼引き受ける気にもなれねぇ。もういいだろ、離せよ」
その場の誰もが、アルバインと同じ気持ちなのだろう。ローザも非難の目をこちらに向けてくる。
「彼らは確かにナデシコを見捨ててしまったかもしれなイ。だけれど、助けたかったに決まってるだろうガ!! 今回だって助けに行きたいにきまってル。だが、自分たちの力ではどうしようもないから、頭を下げているんだろうガ!! そんな彼らの気持ちをくんでやろうと思わないのカ!!」
アルバインの言葉に、俺はキレた。
「じゃぁ、何時までそうやって頭下げてるつもりなんだ、あぁっ!!?」
逆にアルバインの胸倉を掴み、額をこすり合わせ、目と目が至近距離でぶつかり合う。
「こいつらは、今の今まで撫子のところにきたこともねぇんだよっ!」
「……それは、無理もないじゃないカ」
「無理!? 無理もねぇから、遠くから他人気どりで、幸せそうなところを確認できたらいいってか! ふざけんなよ!!」
力まかせに、アルバインを突き離し、地面に転がす。
「コイツらがまずすることは、俺に頭下げることじゃあねぇ! 撫子に自分たちの存在を告げることだったんだよ! それでアイツに貶されて、罵倒されて、恨みごと言われるべきだったんだ! なのに、コイツらは、自分たちが名乗りを上げる権利がねぇって、アイツから逃げてんだ! そんな奴らの依頼なんぞ受ける気になれるか。依頼出すならアイツの所に面だしてからにしろ」
まぁ、アイツが恨みごとなんぞ言うとは思えんが。
なんだアルバイン、その顔は?
「旦那、コート持って来ましたよ」
ハジが持ってきたコートを広げ、袖を通す。剣と銃を探して目をこらす。
「だから、俺がアイツを連れ戻したら、真っ先に打ち開けろ。でなきゃ、一生そうやって遠くから謝罪してるだけだろうが」
剣と銃はすぐに見つかった。テーブルにおかれた二つの状態を確認し、剣は背に、銃は懐にスリットに通す。
「あのポンコツはな、毎朝、毎朝起きる前にうなされてやがるんだよ。阿呆みたいにゴメンナサイやら、助けたかったとか涙流しながら唸ってやがるんだ。うるさいから、俺が部屋に入って頬つねったり、鼻つまんだりして起こさなきゃならん。そういえば、今日は珍しく早起きだったから、着替えの現場なんぞ見ちまった」
「……だから、君ハ……」
残弾を確認すると、もうここでやることはない。テントを後にしていくだけだ。
「あのポンコツは、撫子はそういう奴だ。確かにアイツは何人もの助けてって言葉を無視して、何十回以上、人を見殺しにしてる。別にアイツのせいじゃねぇのに、今もそれを気にして苦しんでる、お人よしなんだよ」
人は生きているかぎり、数人殺している。
それは自分がその家に生まれついた瞬間、椅子取りゲームのようにもしかしかしたら他の誰かが掴むその幸せを奪っているとか。自分がその場所を歩いているときに、安全地帯であるその場所を奪い、他の危険が訪れる場所を歩いていた別人が死んだとか、そんな虚数的な理論で構築された考え方で捉えた場合の考え方である。そんな考え方誰もしないし、してたらきりがない。
だが、自分が少しでも関わっていたならと、気にしてしまう馬鹿がたまにいてしまう。
アイツの場合、助けられる可能性があったと言うだけの話。けれども、成功率の低さを無視し、それでもと考えてしまう馬鹿な人種だ。そういう奴らは他人が何を言っても際限なく後悔し続け、やがて自分のせいだと思いこむ。そんなどうしようもない一人なのだ。そんな奴につける薬はない、あるとするなら……
そのままテントを抜け出して、数歩。背後に人の気配がして振り返ると、何だが変な確信をもって笑みを浮かべているアルバインとローザが付いてきていた。
「……なんだよ?」
「いいえ、なにも?」
「君も案外、お人よしだなと思ってネ」
チッ、なんだよめんどくせぇな。ガラじゃないってのはわかってるよ。
「……撫子には生きる価値は他人が決めてくれるから、自分の生き死にだけは自分が決めろって言ったんだけどよ」
言い忘れていた一言を思い出したように立ち止まる俺の背中に、何人もの視線が集まったのがわかった。
「人間、それだけじゃ生きていけねぇんだ。誰かがソイツが生きていいって、生きる価値があるはずって認めてくれないとダメなんだよ」
アイツはあの時、生きると決断した。でも、生きていいのか、悪いのかの場所で今も馬鹿みたいに悩んで、苦しんでる。
かつて、“俺が”そうだったように、馬鹿みたいに悩んでいる。
そして、かつて、俺はある男から言われたことを思い返す。
あの言葉があるから生きていられる。彼が、俺という存在を認めてくれたから、ここにいる。
つける薬など必要ない。撫子には必要なのは生きていいのだと、肯定してくれる存在なのだ。
何人、殺したか憶えてないようなクズである俺にはそれができない。
「だからよ、アンタらがアイツのことを認めてやれよ。俺はもう人だろうと化物だろうと命を何度も自分の意思で殺してるクズだからできないけどよ」
「生きるか、死ぬかはアイツが決めるよ。だから、アンタらはアイツが生きても良いって、生きて幸せになる権利があるんだって認めてやれる、存在でいてやれよ」
もう振り返らないと決め、この場を立ち去る。
いつの間にか、ハジが道路に車をつけて待っていた。ハジの高級スポーツカーに有無を言わずに乗り込む俺に続き、三人が乗り込む。
助手席に座った俺に、運転手が聞いてくる。
「へい、旦那。どこに行きやす?」
「撫子と金銀狼兄弟がどこにいるのか、もう掴んでいるな?」
「ええ。それに今日の運賃はただでいいですよぉ。なにせ、旦那のマジ恥ずかしトークが聞けぐへぇ!?」
「別に、俺が考えた言葉じゃねぇよ」
空気を読めず俺に拳骨くらった馬鹿がアクセル全開で車を走り出させると、後部座席に座っていた二人が興味ありげになっていた。
「あの言葉、誰かに言われたことがあるのかイ?」
「少しばかり、気になりますわね……女性ですか?」
アルバインが興味ありげに、ローザがやけに身を乗り出し、食いついてきた。これは話さないといつまでも聞いてくるな。
「男だよ。それに……」
“あの男”は……
「“お前は俺様の栄誉ある生きた盾だ、生きる価値があって当然なんだから生きてろ”って言ってたよ」
俺のシュールな人間関係の一端を話すと、それきり車内の会話は無くなった。
視点変更 5
「オォオオオオオッ!」
「来るなっ! 化けも…グアぁ」
マシンガンを乱射していた男の首元を爪で薙ぐ。人間が使うサイバイバルナイフより巨大な俺の爪の切れ味に、首と胴が離れ、鮮血が飛び散る。
弾丸の雨、いや嵐が続く。
その雨をものともしない俺の毛の防弾チョッキを貫いた弾丸は未だない。
その事実は相手の数を減らしはしないが、相手の士気は格段に減らしていた。
「おい、八島! 本当にあの化け物を殺せるんだろうなぁ!!?」
「大丈夫ですって、本城の兄貴! いや、組長! つーか、銃の音ウルせ―!」
あの本城とよばれた男、たしか咲那組の現組長のはずだ。パンチパーマに白い上等なスーツを着たあの男は30歳半ばという年齢で前組長が現役を引退した後に、すぐにその座についた男と聞いている。比較的若い組員を味方につけ、重鎮たちを菓子と弱みで抑え込んでいると悪い噂が多い人物。
そんな組のトップに立つべき男は、仲間たちを勇気づけもせず、そそくさと逃げようとしている。
「ええか、お前ら! かならずあの邪魔くさい化物を殺すんだぞ! どんだけ高い金払ってると思ってんだ!」
「大丈夫ですって~。兄貴に駆けてもらった恩は必ず一生をかけて払いますって」
そういってそそくさと奥の部屋絵へと逃げてゆく本城。そんな彼を見つめる八島の瞳は尊敬の念でいっぱいだった。
そんな彼に、疑問をもったのは俺だけではないようだった。
「八島、お前はどうしてあんな奴を慕う?」
「あはははっ、傭兵さん……」
傭兵と呼ばれた顔も素肌も見えない男が彼に問うた。その答えは
「ぶち殺しますよ。俺はあの人に助けてもらった。家からも不完全品扱いされ、挙句の果てに肉親に殺されかけた俺を助けてくれた恩人なんだよ。舐めてっと、殺すぞ」
本気の言葉と、本気の殺意を放つ八島。なるほど、義理がたい奴らしい。
そう考えながらも数人を血の上に沈め終わった後、唐突に銃弾の嵐がやんだ。フロアにはあの三人を覗いても数十名ほどの組員が残っていたはずなのだが?
「ヤメておきなさい。弾の無駄でしょう?」
そう組員を静止させたのは、こちらに歩み寄ってくる黒いカウボーイハットと黒のスーツの男。
「ノーブルマン・ハンター」
「お久しぶりだ、銀狼」
貴族の男、と言われつつも有能な魔術師家系の純血以外の人間を見下し、大規模テロやたった一人の標的を殺すためだけに、無関係な一般人をも巻き込むことを躊躇わない人間性皆無の男。
硝煙の中を歩むこの男からはドレイクにも負けないほどの血臭がする。一体、どれほど実験や狩りと称して殺人をおこない続けたのだろう。
そんな血の塊は口元をニヤケさせている。それがとてつもなくムカついた。
「何をニヤケさせてる」
「メルルの血族が長年追い求めた秘宝が手の内にあるのだ、よろこびに身を震わせて何が悪い?」
「なんだ、トイレが近くてたまらないのかと思って心配したぞ。お前の腹を裂くときに尿でも顔に付いたらたまらないからな」
「……下品な下等生物が」
「フン、初代メルルと同じだな」
メルル一族。こいつらと始めて出会ったのは百年以上前だ。
その頃はまだ俺は幼い小狼だった。
人が支配者として君臨するこの世界に順応、適応した俺たち一族は、人の姿へと自由に変身する能力を得て、各地を転々とする生活をする種族だった。
その特異な能力と、人を遥かに上回る力を持ちつつも、平和で安心できる生活を望む温和な種族。だが、当時の世界はどんな力を使ってでも敵を倒すことしか考えが世界に溢れだし始めた人類を恐れ、人も容易には入れぬ過酷な山奥に集落を築き、人里との交流を断っていた。それが俺が生まれた時代。
大きく力強い父、美しく優しい母、そして一族全員が待ち望み、尊んだ、自慢の妹。
四人の家族と集落の皆と平和に過ごした少年時代。
全てが輝いていたあの頃、俺が12の年齢となったころ、病と医者を名乗る男が現れた。
集落を不気味な死の病が襲いだしたのだ。病にも適応してしまうはずの銀狼をも殺す病を皆が恐れた。その恐怖の病を治せるという医者が現れたのは、すぐあとだった。
彼は、みたこともない機材を持ち込み、魔法の様な薬で皆を治していった。そんな彼に始めは警戒心を抱いていた仲間たちは、すぐに彼を受け入れ、歓迎した。病が根絶した頃には、彼に心を開いていた。もちろん、俺も。
そして、あの日。たくさんの人間たちを彼が連れてきて、仲間たちを次々と襲っていった。
生きて捕えられた者もいれば、死体になって運ばれた者もいた。俺と妹、母は前者、そして、父は彼らに立ち向かい後者となって、死んだ。
なぜ人間を超える力を持つ俺たちが負けたのか。それはあの医者が襲撃の前日に病の薬と言って騙して仲間たち全員に飲ませた薬が原因だということを知ったのは、俺があの住み慣れた故郷を焼き払われ、奴の実験場に連れさられた後だった。
その実験場の数年間で仲間たちはすべて死んだ。実験と言う名の拷問に妹は言葉と表情を一度失い、母は……
「初代メルル? ああ、お前は偉大なる我が祖を知っているのだったな。どんな御方だったのだ?」
興味を抱いたハンターが足を止め、聞いてくる。自分の祖先だ、気になるのも当然だろうな。
「お前と同じだよ。高貴な血のためにと言いながら命を殺すクソ野郎だった。あと、目の前で自分の痴態をみせることが趣味のカスでもあったぞ」
「……貴様、我が祖を侮辱するとは蛮死にあたいするぞ」
「何を今さら言ってる。殺す気満々だろう? それに俺も同じだ。メルルの血を引く者を生かす気なんてない。話は終わりだ、お前は殺す、彼女たちは助ける。それだけだ」
鏡が無くともわかる。俺の獣の瞳に人間らしい憎悪の炎がたぎり、犯しているはずだ。
身を灰にしてしまいそうな殺意が体にたぎり、四肢を大地に、一瞬で獲物をかみ殺さんとする力に変わる。
そんな俺を見るハンターは二丁の回転式拳銃を懐のショルダーホルスターから引き抜いた。
二人のとった臨戦態勢に、周囲にも緊張が伝わり静寂が訪れる。
そんな、静寂に
「……そういえば」
ハンターの何か面白いことを思い出した、というような皮肉げな声が上がる。
「初代の書記を見たことがあってね。彼はかつて金狼を生みだした母体と性行為に及んだという記事があったのだよ。それには余興もかねて、金狼とその子共にも鑑賞させていた…らしい」
怒りが瞬時に頂点に達し、殺意に埋め尽くされた脳裏にフラッシュバックが一瞬走った。
薬と女性の本能と憎き男からの愉悦から起こる喜声を噛み殺し、懸命に恥辱に耐える母の姿。
そして、誇りと名誉を汚され尽くした母を舌を噛み切り、自害した……あの光景。
「我が祖だがね、軽蔑する。私には獣姦趣味はない。獣に触れるなど」
ハンターの目には軽蔑と嘲笑は、
「汚れてしまうじゃないか?」
「お前は、その口から削ぎ落すッッ!!」
その言葉は、怒りにまかせた一撃の合図を切るには十分すぎた。
銀の残光を伸ばし、瞬間的にハンターとの間をゼロに。反り上げた爪が奴の顔を斬る。
だが、寸の所で上体を反らしたハンターには傷一つなく、後へ飛ぶように後退する。それを跳び追いかける俺は吠える。
「それで、逃げたつもりかぁぁッッ!」
「そんなつもりはないさ」
言葉と共にハンターが二丁のリボルバーの引き金を引く。
狙いは俺の腹部と肩部。すぐさま見抜き、避けることなく弾丸を受ける。だが、俺の皮膚には届かない。
「無駄だ! 俺はもうお前の銃弾の“魔術の”威力は覚えているぞ!」
たぶん、この弾丸には魔術にある強化がなされているはずだ。前回の場合はライフルであり、今回は拳銃。威力の違いがあるのは当たり前だが、これは無視しても良い。なぜなら、俺の毛はもうライフルの弾の威力などとうの昔に知っているからだ。あの時もそれで対処したつもりだったが、弾丸は俺を貫通した。それはあの時の弾に魔術が使われていたからだ。
「あの時、お前が打ちこんだ弾丸に付加されていたのは“防御解除”。ローマ皇帝という地位でありならがら、宗教と国民の信教の自由を認め、自らも徒になり紛争の調停につとめたコンスタンティヌス一世。彼にまつわる文字や絵などを彫り込んだ弾丸に魔力を通すことで発動する偶像魔術」
考えどり、弾丸は防弾チョッキよりも有能な俺の毛により防がれ、はじけて壊れた。
「彼の混乱の時代を知性で人身の心を掴み、心をひらかせた王の偉業を悪用し“敵の防御の術を解除させる”術式を扱うとはな。王の威厳を借りて裏の世界で生きたメルルの血族らしい、あさましい手だな!」
フロアを支える柱を破壊しながらの横殴りの爪撃がハンターの胴を払う。
またも後方へ飛んだハンター。今度は反応が遅れたのか、衣服が切り裂かれ、少量だが、出血が出た。
(……まだだ!)
右腕の筋力を出せうる限り最大の力を引き絞り、振りかぶる。
「ォッォォオオオ、ラァァ!!」
真空の刃とまではいかないが、軽い衝撃波を作りだし、追撃させる。粉塵と目を瞑らざるえない風の圧力に周囲の野次馬どもも巻き込まれる。
回避に間に合わず腕を交差させ受けるハンター。後退途中での不意の一撃は、奴にとっては小さく、俺にとっては必殺の間を生みだす。
その間に距離をつめ、刺殺の爪を奴めがけて俺は、咆哮と共に突き出す。
「くたばりやがれェェッ!!」
入った。突撃力と突貫力が合わさった一撃はハンターに直撃し、奴を目の前から吹き飛ばし、フロアの名壁に衝突した。奴は咄嗟に掌で掴み取ろうとったが無駄だ。あんな片腕で、なにより不自然な体勢下では止めることなどできはしない。
手ごたえはあった。ならば、次だ。敵はまだいる。
粉塵の中から背を向け、威嚇の咆哮をあげる。
「次は……誰だっ!!」
未だ粉塵が舞い上がり、ハンターの死体を確認することができない。だが、咲那組の構成員たちはハンターは死んだと判断しているようで、一様に怯え、後退り、逃げ腰になっている。
(このまま、押せばイケるか?)
周囲の確認をしながら、今後の戦況の変化を見届けようと意識を研ぎ澄ませる内に気が付く。
咲那の奴らと打って変わり、あの傭兵が笑っていたのだ。
服とマスクをかぶっていて表情の見えないあの男が肩を震わせ笑っていることに、何故が戦慄を覚え、舞い上がる粉塵へと急ぎ振り返…
「油断大敵だ、獣」
る前に、三発の弾丸が俺を、驚くべき角度から撃ち抜いた。
「なぁッ!?」
(防御解除の術式順応は今も有効にしているはずなのにっ、なぜ!? それに……)
信じてきた自分の能力を無視されたことよりも、弾丸の軌跡のありえなさに一瞬、混乱する。この弾丸、別方向、別角度から“同時に”着弾したのだ。
粉塵が地面に落ち付き、中から五体満足状態のハンターが悠然とそこに立っている。破れたスーツの一部を除いて糸のほつれすらないスーツは、自分の攻撃が届いていなかった証明。
「銀狼? 馬鹿なのか、死体の確認を怠るとは……人間のモノマネなどしているから、そうやって地べたに這いつくばるはめになる」
「お前……どうやって」
「私は種明かしが嫌いな人種だ。だからマジックの暴露バラエティを死ぬほど嫌悪する」
ハンターの口は俺の攻撃を防いだ術を言わないらしい。だが、角度差の攻撃の正体は、奴の周囲に“浮いていた”。
それは、ブヨブヨとした塊。触手のような末端機関を有しているが、生きているようには到底みえない物体だった。しいて例えろと言われれば……クラゲだった。宙にふわりと浮くクラゲたち。
俺はこの物体を先ほど見ているが、一瞬のことでよく観察していなかった。よく見れば俺はこれに近いモノを見たことがあった。
「これは……精霊?」
「そんな高尚なモノではない、これはただの意思のない使い魔だ。宙に浮く性質と、気配を限りなく自然な存在に近づけた、だけのな」
「……なるほどな、俺対策か」
こいつが言うにはこのクラゲ、かなりの存在らしい。宙に浮いているのは揚力などではなく、ただ存在が希薄な存在として生まれたから。つまり幽霊に近い。
気配をかぎりなく自然にとは、空気が当たり前のように空気だと認識されるような、それがそこにあって当たり前で当然であるということ。つまり魔術のように自然の摂理を歪め現れる事象などではなく、自然の摂理にとってあるべき存在だということである。
だから、魔術の反応を匂いとして知覚できる俺の鼻に感知されず、ごく自然に当たり前のように俺の死角に現れ、俺に攻撃を、もしくは攻撃の一端を担ったというわけだ。
それにコイツが俺の死角から攻撃できるならば、俺の順応能力の隙をつく意味合いを持つということだ。
「別に君用ではないが……まぁ」
ハンターが二丁のリボルバーを水平に構える。
「くらってみたまえ」
ダブルアクション方式のリボルバーは次々と引き金が引かれる要求に応え、その分の弾丸を吐きだす。その弾丸の行方は、俺ではなく、宙に漂う無数のクラゲたち。
クラゲはその脂肪の体に弾丸を撃ち込まれ、貫通した。だが、クラゲはなんの問題もないかのように漂うのみ。変化を起こしたのは弾丸の軌跡。
弾丸の軌跡が、クラゲを介することで屈折し、すべて
俺へと直撃の軌跡を描いた。
「くっ!!?」
そういうことか、と叫びたい心を堪え、横に飛びずさり弾丸の雨を避ける。
「まだまだ」
薬莢が落ちる音とともに、新たな弾丸がクラゲに打ち込まれ、変屈して俺へと飛んでくる。速度と威力がクラゲを介して変わることなく、弾丸本来の速度のまま変則的な方向から飛んでくる。
「そら、そら」
尽きることのない弾丸の嵐に、回避に徹することしかできない俺は、徐々に追いつめられる。クラゲの数もいつしか倍に増え、俺を囲む布陣を組んでくる。
「そろ、そろ」
「そろそろ、舐めるなぁッ!」
如何に能力のあるクラゲだろうが、浮遊するほど“軽い”のならば!!
鋭く空気を吸い込み、活力を込めて吐きだす。
「ガゥォォアアアッッ!!!」
空間を震す咆哮が空気を叩き、全方位へと衝撃波となりクラゲたちを弾き飛ばす。弾き飛ばされたクラゲたちは、衝撃に耐えられなかったように空気へ溶けた。
邪魔は消えた、今こそ。
「今度こそ、終わりだッ!」
清浄された空間に、ハンターと俺を阻む存在はない。周囲の敵も轟音に耳をやられた様に悶絶しているか、脳を揺さぶられ、ハンターの加勢にくることはできない。
ここが勝機だと、自分に言い聞かせ足を出す。この数秒間束縛がかかったように重く、一秒が執十秒のように感じる。
走る。
百年以上にわたる呪われた因縁に決着をつけるために。
奔る。
俺たちのために、苦しみ続けた少女を元の世界へと帰すために。
逬る。
俺の防御を無視し、命を脅かす弾丸が放たれる。
趨る。
弾丸が掠り、その熱と痛みを怒りでかき消し、ハンターが両手に持つ銃の撃鉄と本体との間にナイフのように巨大な俺の爪を捻じ込む。弾丸を打ち出す重要な場所に遺物がねじ込まれ、リボルバーが不発状態になる。
辿り着く。
時間の束縛がやっと、
「たしかに、お前の言う通り、俺は……」
解け、正常に動きだす。
「獣らしい!!」
俺は狼の口で、ハンターの頭を丸かじりしようと口を開
ドォンッ
「……?」
いた、その瞬間。その俺の腹に弾丸が撃ち込まれた。弾丸を打てないはずの、ハンターのリボルバーの弾丸が。
「どう……して?」
急にめまいが起こり、膝をつく俺。その瞬間だけで把握できたのは、金属と同程度の硬度を持つ俺の爪が不自然に溶け落ちた瞬間だけ。なんだ、なにが……おこった?
力も抜けていく。脱力感は、俺の変身能力にも影響するのか、徐徐に人の姿へと変化していく。
そんな俺に声が降ってくる。
「それがお前の人の姿か、案外普通なのだ、な!」
ハンターは俺を蹴り飛ばし、地に落とす。それから何度も蹴りが全身に打ち込まれる。
蹴りを続けながら、ハンターは高らかに笑う。
「先ほどまでの威勢はどうした!? 獣は獣らしく、人に家畜にされていればいいんだよ!!」
「お……まえ、なに……を?」
「はははっは! 何を? 何をだと? イイ気分だ、教えてやる!」
靴底を俺の頭に押し付け、地べたに踏みつける。痛みと口の中に血と土の味が広がる。
「俺はお前の言うとり、知性で国を統治していた皇帝の実歴を使用する偶像魔術を使っている。その一つに、敵の武力を、己の技で“解体”“し無力化させる魔術を持っている。武器解体の魔術だ。それは肉体の武器であろうと例外ではない」
肉体の武器……なるほど、俺の爪の攻撃、そして先ほどの俺の爪をボロボロに溶け落ちたのは、その魔術が原因らしい。
「その魔術に、最高の呪物を取り入れ、昇華させた」
「?」
俺に見せつけるように、指のリングを見せるハンター。その指輪には、一本の糸が巻きついてあった。
「金狼だよ、金狼の毛だ。貴様に打ち込んだ弾丸にも溶かしこんでおいた。さぞかし辛かろうに、元は同種とはいえ、能力は金狼の方が上、その強すぎる異物の排除に体が追いついていないのだろう?」
「っ! テ、ぐぅ!」
怒りにまかせて立ち上がろうとするが、ハンターに抑え込みから逃れられない。くそっ、どうしても力が入らない。
さらに踏みつけを強めるハンターは狂気の喜悦に顔を歪めて話す。その姿に周囲の人間たちが恐れを抱いているの気配を感じる。
「やはり金狼はすばらしいっ! 肉体の一部を、髪だけで本質を体現するとは!!」
「キサマぁ!! どれだけ、俺たちを…!」
「会長……エイジ君!」
憎悪と狂喜が支配する戦場に、心配そうな声が木霊した。
眠らされていた九重 撫子が目を覚ましたのだろう。
「九重……さん」
「お早い、お目覚め……さすがはドレイクの遺産」
「エイジ君! この人たちが、サヤちゃんを、そしたら、サヤちゃんが!」
彼女もかなり困惑しているようだ。無理もない、僕の位置からは見えないがサヤはきっと……
「サヤちゃんは……一体」
「おや、お嬢さん。あなたは知らないのですか?」
妹の正体を知らない彼女に、ニヤリと顔をゆがませるハンター。コイツ……教える気だ。
「止めろ、ハンター!」
「いいではないか、銀狼? お嬢さん、あなたは知るべきだ」
誰もでもいい。こいつを、こいつを止めてくれ。
ここには、彼女だけじゃない。何人も人がいる。顔も、人格も知らない他人がいるのだ。
ヤメテくれ……頼むから……
「彼女は……」
……誰か、妹を……俺たちを助けてくれ。
視点変更 6
「ところでローザ、金狼ってのは一体なんだったんだよ」
耳と体に振動のように響く車の音以外なかった車内に、俺は疑問を投げた。
投げた、といっても真実を理解しているのはたった一人、ローザだけ。いや、となりで運転してる奴も知っていそうなのだが、答えないのはわかっているのではぶいた。
「え~! ハブかないでよぉ、旦那~」
省いていた男、ハジが運転しながら気持ちの悪い声をだした。
「じゃあ、答えるか?」
「ネタバレ、ダメ、ゼッタイ」
「……運転だけ、してろ」
こうなるのが落ちだろうと、ハブいていたのだが。聞いた俺が馬鹿だったなと溜息ついてやり直す。
ローザは質問にすぐには答えず、窓から外をみるばかり。
ローザの隣に座るアルバインは、気になるのか、チラリと彼女をみる。
いや、車内全員が彼女に意識を向けている。そのプレッシャーに、次第に体をピクピクさせるローザ。
ジーとした目線が×3
「あぁっ、もう!! なんなんですの!?」
ついに耐えきれなくなったローザが叫んだ。
「金狼のことですか? えぇ、推論はできましたわ。でも、あまり話す気にはなれませんの。ハジだって話してほしくはないのでしょう?」
今までの展開から、こいつが俺たちに依頼する前から金狼について知っていたことはわかっている。だが、この男がなぜそこまでしたのかまではわかっていない。
このソドムに来てから一年、この何処となく掴みどころのない帽子男と付き合ってきた。だが、今回以上に異様に私情を挟み込んでいきていることはなかった。
そんな男は、いつものように素顔を半分隠しながら、ケタケタと笑う。
「そんなことはありませんよぉ。アッシは皆さんを信用してますからねぇ」
ハジはそれきり口を開かない。金狼のことを話しても大丈夫だというサインなのだろう。
「は~、あ~もう、わかりましたわよ」
ついに観念したようにげんなりと溜息を吐いたローザはその長く美しい足を組み、人差し指をピッっと立てる。
その指の先は天井、いや空だ。
「回りくどい説明をこれから始めますわよ。貴方たち、錬金術において月がなにを示すのか、知っていまして?」
「わからん」
俺の即答に、三人の目が呆れるように細められる。答えるのがめんどくさいから、適当に分からないち答える高校生に向ける目で見つめんな。
これは、あれだ。ハンターの奴が言っていた冥土の土産といって出したヒントのことだろう。太陽とか、女とか、狼とかいってたアレだ。でも月なんてワードあったか?
そんな不真面目な生徒をたしなめるように、優しげな声でローザが続ける。
「進、月は錬金術では女性原理を表しますの。別に錬金術だけではなく、古代の神話や西洋におけるシンボリズムもまた月を女神や妊娠などの受動性の高い女性のイメージとして表しますのよ」
「言われてみれば、女ってイメージだな、月って」
「アバウトですわね~。まぁ、いいですわ。それでは進、太陽は何を示すと思います?」
太陽?
「そりゃ……なぁ?」
「シン、ボクに振らないでくれヨ」
学がない男二人に半ば呆れ果てた顔になったローザは、立てていた指を倒し、俺達へと向けた。つまり……
「……男か」
「そうですわ。錬金術では太陽を男性原理を表し、そして、しばしば“金”と等置して考えられましたの」
つまり金イコール太陽って意味か?
「太陽の狼か。何かの火炎系の能力でも持ってんのか?」
「進、議論がズレていますわよ? 今はハンターの戯れごとのお話をしていますの。それに、金狼とよばれ始めたのは、つい最近のことなのでしょう、ハジ? たぶん、もっと別の名前で呼ばれていたはずですわよね?」
「ええ」
急に話をふられて、何事もなかったかのように返事を返すハジ。
「まさか、金狼ってハジがつけた名前なのかイ?」
「いえいえ、アッシじゃありませんぜ。金狼って名前を付けた最初の方は、音芽組の先代にして初代組長さんですよ」
金銀兄妹を匿い、実質一人で守っていた男。養護施設と学習塾に組と語尾をつけ、男義一つで本当の意味で任侠道に巻き込んだ人物。
「そう……相当ユーモアに富んだ人だったのか、もしくは皮肉が強い方だったのでしょうね。たしか、金狼の名前を永仕は“サヤ”とよんでいましたわ。たしか、日本の言葉でサヤとは“|明《あかり”と書く場合がありましたわね。太陽を表す“日”と月が完全に交わるとも取れますのね」
「もういいだろう、ローザ。金狼ってのは一体なんだ?」
「太陽にして月。金にして、銀。一にして全。ゼロでありマックス。あと、たぶん女にして男。もしくはもっと高次元の存在」
「はぁ?」
「ハンターは、位にこだわる男として有名ですのよ。あれはただ人があの存在に勝手につけた位についた名前”を言ったにすぎません。それに彼が見下す存在に対してキチンとした回答をすると思いますの?」
つまり、あれか、馬鹿にされたのか。
「ですが、それ以外で我々は金狼の正体のヒントを幾つも得ていますのよ。ハジやあのオカマの情報屋や、音芽組の重鎮たちが何年も守り続ける“少女”であること。なにより、科布会長……銀狼の能力である“順応”。これらのことを踏まえればおのずと答えは見えますわ」
車の外が騒がしくなる。この人と車の横行と目に痛いほどの街の明かりはソドムのモノではない。明らかに新東京都に出た証拠だ。
だが、外の世界のうるささに反比例して車内は静かだ。
ソドムの猛者たちを散々引っ張り回した金狼。その正体はあんな小さな少女。
世界に吸血鬼を呼び込み、多くの血が流れ、何の罪もない家族が、一人の少女が犠牲になった。
その正体に……
「太陽と月は男女の存在を表し、混じわることは雌雄同体、完璧な雌雄両属性を持つ完全な存在だと、ハンターは言いたかったのでしょう。遺伝子変異で稀にそういった存在が生まれることが人間にもありますが、魔術の世界ではある存在の意味で語ることがありましたわ」
人はそれを世界の創造者、万物の根源、はたまた救済者と呼び、崇拝した。
わずか七日で世界を作ったされた彼ら。
「銀狼の一族が何世代も種族間での性交配の中で稀な細胞変化を起こして生まれた突然変位種、または純血の血が先祖返りを起こした姿が金狼なのでしょう」
「その金狼が、おそらく保有する能力は銀狼の能力の完成形“完全適応”」
ローザ自身、自分の言っていることが極めて論外なことであると感じているのだろう、額から汗を滴らせ、緊張の面持ちでほぼ確定した仮説を説く。
「この世の全てに適応することができ、必要とあれば栄養を外部からでなく内部で“生産”し、その気になれば、自分の体から生命を単体で発生させることができる地球上の生命体の原型だということ。たぶん、己の寿命すら操ることが可能でしょう、だから彼女は何百年経とうとも少女のままなのですわ。これを人が有史以来、伝記以外での存在確認が不可能とされる完全生物」
さすがの俺たちでもローザの言っていることの意味がわかり、アルバインは息をのんで結論のことばを待つ。
人は、彼らをそう呼ぶしかない。
「……“神”。そう呼ばずして、何と呼べばいいんですの?」
視点変更 7
「……お嬢さん。彼女はね」
……誰か、助けてくれ。
傷だらけでもう立ち上がる力もない俺はそう願う。
どうにもできない自分が情けなくて、目じりに涙を溜めて、祈る。
そうするしかでいない。ここが三十階クラスの巨大なビルの屋上付近のフロアだとしても。
助けが来ないとわかっていても。
それしか出来ない自分が、憎くて、情けなくて、叫ぶしかできなくて。
「止めろぉ、ハン…」
「うるさいぞ、獣め」
ハンターが自分の説明を邪魔され、俺の叫びと重なるように弾丸を撃ってきた。
それは予想以上の早打ちで……
(マズい…順応、でき…な…い。死ぃ)
この顔面直撃のコースで弾丸が入れば、間違いなく死ぬ。その考察と予感が頭を巡るが避けるだけの力が残っていない。
そう意識した瞬間、弾丸の速度がスローモーションになる。それは生命の危機が迫った際の極限下の集中力の見せた幻なのか。
その弾丸が、別方向から突然割って入った弾丸によって、別方向へ弾き飛ばされたのも、幻か?
そんな幻のような世界から、俺を目覚めさせたのはフロアの窓ガラスのけたたましく“蹴り”砕かれる音。
そこから黒い影が飛び入ってきた。飛び出した黒い影は一歩で、フロア中央にいるはずの俺とハンターとの間まで跳ぶ込み、凄まじい威力の空中回し蹴りをハンターに直撃させた。
「んなっ!?」
ズダァンッ!! と銃声にも似た衝突音がフロアに点在していた機材や武器弾薬の木箱から発せられる。
そんな刹那にも等しい短時間の内で何が起こったのか、その場の誰もが瞬時に理解できていないようだった。
だが、数秒の間で誰もが視認し、理解する。
「……チッ、あの状態から撃たれたか。おいおい、コートに穴が空いたじゃねかよ……」
あれほどまでに優勢だったハンターが武器弾薬の詰まった箱に蹴り飛ばされたこと。
蹴り飛ばした侵入者が、黒いコートを纏った自分たちより年下の青年だったこと。
日本人特有の顔立ちと肌と黒い頭髪、そしてやや吊り目の中で光る、紅い瞳を持った少年と青年の狭間にいる男が、銃を左手に握りしめ、確かにそこにいることを。
進・カーネルが、数十名の敵に囲まれながら、堂々と仁王立ちしてそこにいることを。
「夜分、遅くに申し訳ねぇが」
男性特有の低い声をさらにドスを利かせて低くした声が静かなフロアに響く。たしかに、俺は祈ったが、神よ。
「……お邪魔ァしますよ」
魔王みたいな男を寄こすとは、聞いてない。
「キサマぁ」
怨みをたっぷりと染み込ませた声が、弾丸臭い男の口から這い上がってきた。
ジェントルマン・ハンターと呼ばれた男は、怒りに目をつり上げ、進を睨みながら立ち上がった。
そんな男を進は見ていなかった。
ハンターが衝突した武器の箱とはベつの箱。鉄製の機材が取りつけられた箱の中身が展開されていたのだ。
この場の誰もが彼を見ず、“彼女”に釘づけになる。
箱の中に隠れていた俺の妹、サヤの変化に。
「こりゃ、たしかに……神様って感じだな」
進の呟きは俺以外には聞こえない。なにせ、見れば誰もが思うのだ。
サヤの髪は灰色から、光を放つ朱金色の髪へと変色し、体は日輪を纏うかのように光に淡く包まれている。そして、体は人間で言う幼女の姿から二十歳ほどの大人の美麗な姿へと成長していた。
薄暗い闇が包んでいた広いフロアに太陽のように光を発する。その姿に神秘を、欲情を、そして崇拝の念を感じてしまう。これを神と思わずしてなんと呼ぶ。
彼女はたぶんあの機材の中に封じられていたのだろう。それを進の一撃で吹き飛んだハンターの衝突により誤作動を起こし、展開されたのだ。
そんな誰しも戦いを忘れてサヤに見惚れる中、魔の抜けた大きな声が通る。
「え~、こちらにポンコツな娘さんはいらっしゃいますか~? いたら返事をしてくださ~い」
誰も手も声もあげない。
ただ、一人の少女が全力で姿を隠そうとする姿がちらりと見えた。
「……おい、コラぁ! だんまり決め込んでんじゃねぇぞ! 挙手しなかっとしても、見つけ出してさらし者にしてやっからなぁっ!!」
「進ィィィイィイィィンッッ!!?」
「シン? アナタが、シン?」
半ばやけくそ気味な九重さんの声が上がると、サヤが目を覚まし、進の名を口にする。
上体だけをあげる仕草だけで心を奪われかけ、声を頭が知覚するだけでトロけそうになる男ども。サヤの行動は動物の本能の部分を揺さぶるのだが、この男だけは違った。
「そうだよ、俺が進だ。オマエがサヤだろ? これからうるさくなるからな、だからもう少し……安心して、寝てろよ」
「……うん」
いつも行動を共にしている九重さんでも驚く、進の口から出た慈しみ声。
だが、驚くべきはその言葉を素直に受け入れ、再び瞼を閉じ、サヤが眠りについたことだった。
すると姿は成長の巻き戻るように小さい幼女の姿に戻り、髪も灰色へと戻り、発光現象も止まった。
「進くん、君は一体何を…」
「キサマ、一体何をした!?」
「あぁん?」
俺よりも酷く驚いた声をあげたのはハンター。それもそのはずだ。サヤをあの状態にするには“ある手順”がいる。それを奴が知っているとは思えない、たぶん薬剤やなにかで無理やり覚醒させたのだろう。それはどれほどの苦労か、わかる俺には奴の気持ちが痛いほどわかりたくないがわかってしまう。
「寝むそうだったから、寝させただけだ。俺は兄弟が多いから、そういうのが得意なんだよ」
理由がこれではさすがにハンターも怒りに言葉を失う。
「ってめ、ちょーしこいてんじゃねぇぞ!」
そんなハンターの怒りを代弁でもしようと言うのか、八島が半端な怒りの声をあげる。
「さっきから、目立ちやがって! うぜーんだよ!」
そんな、理由かよ。
「八島、真面目にかかれ。お前らもだ」
そんな緩い空気を、冷静で冷徹な声が引き締める。傭兵さんと呼ばれた、この顔も見えない男は冗談が嫌いなタイプらしい。
彼の声に、フロア内に居た手下たちも銃器を掲げ、進を標的に絞る。
四方を敵に囲まれた状態だ。端からみれば絶対絶命。二人を助けて逃げるという選択肢もこの状況をなんとかせねばならないと、言うのに。
「あ、はっははははっ! 馬鹿言ってんじゃねぇよぉっ」
この男は敵中心で大爆笑。
警戒することも、恐れる様を一切せず、何もない背中から黒い大剣を引き抜き、地面を叩く。
「お前らの相手は」
その目はもう……
「っ! 八島、上だ!」
「「私達ですわっ!/ボク達だっ!」」
傭兵の指摘とほぼ同時に、天井ブチ抜いてローザ・E・レーリスとアルバイン・F・セイクが現れる。 彼らはそのままフロアの床を、ローザは錬金術の“分解”で、アルバインは爆発が付加された剣で同じようにブチ抜き、八島と傭兵、周囲にいた部下数名……あと誰かの名前を恨めしく叫びながら九重 撫子が空いた穴の中へと落ちていった。
「くっ、キサマら!」
「ほらぁ! よそ見してんじゃねぇぞっ!!」
突然の常識外れの襲撃によそ見をしていたハンターたちに、進の鋭い叱咤の声が“上”から降る。
進は跳躍していた。フロアの天井までおよそ4メートルほど。それをあのバカでかい剣を持った状態で跳んだのか? と、だれもが思わず思考を止める。
その隙に進が剣を円を描くように、大ぶりに薙ぐ。
敵へではない、天井へ向けてだ。
切り裂かれた天井は薄いコンクリートは石の雨となって敵組員たちやハンターたちに降り注ぐ。
「にっ、逃げろぉぉ!!」
組員たちは石の雨を避けるが数度にわたり衝撃を喰らった天井は、上の階がそのまま落ちてくることはなかったが、大きな瓦礫に数名が下敷きとなる。
「クソ野郎が舐めてんじゃねぇぞ!!」
運よく、逃げれた者はフロアに着地した進に銃口を向け、トリガーに指をかける。全員がアサルトライフルやサブマシンガンという重装備。
このままでは進はハチの巣にされる。
「誰がクソ野郎だ」
進は彼らが自分に狙いを定めた瞬間、クイックドロウで敵組員の一人へ銃弾を放つ。その弾丸は銃身に角度をもって叩きこまれ、衝撃に銃が傾き、発射寸前だった銃はそのまま発砲された。同じく進を狙っていた彼の味方たちに向かって。
「なっ!?」
「なに驚いてやがる! そんな暇があるなら……」
進が見せた偶然にも見える技だが、確実に狙って起こされている。それが傍から見ていたためわかり、驚きの声をあげた俺にむかって、進が叫ぶ。
「走れ! テメェが妹迎えに行かなくてどうすんだっ!! 後は俺が守ってやる、ささっと行けよ! 永仕ぃ!」
「ッ!!」
進に叱咤され、跳び上がると同時に走る。
人間の姿のままだが、それなりに早く走れる。そんな俺に銃が向けられるが、その瞬間には轟音が成り響き、短い悲鳴とともに何かが倒れる音が続く。
石の雨により起こった粉塵が視界を塞ぐ。だが、妹の匂いがする。見えない絆のようにあるそれをたどりフラフラな足にむち打ち、走る。
頭の中が沸騰しそうなくらい厚く、何度も倒れかけた。
だが、行かねば。俺がアイツを、サヤを守らねばならんのだ。
どうしてサヤの、金狼の正体を知られてはならないのか?
それは彼女の特性をしれば、誰もが彼女から“むしり取ろう”とするからだ。
たとえば、科学者が金狼の能力をしれば、人類の進化の高尚な気持ちを抱くだろう。
実際は、妹の体の全身を調べるために、体を面白げに切り開こうとした。
たとえば、医者が金狼の高度な代謝能力に、難病の患者を完治する可能性が出ると確信するだろう。
実際は、妹の不老不死にも近い存在だと知ると、見も知らぬ他人のために体の一部を与えろといい、死なないから大丈夫と笑い、苦しむ彼女の血液をすべて抜き取ろうとした。
どんな時でもそうだった。
ある時は、旅路で倒れた俺たちを助けてくれた優しい人間たち。だが、どんな傷でも妹がひと舐めするだけで治るところを見た彼らは、見世物にして金を得ようと、俺たちを捕まえようとした。それを拒んだら、今度は化物と俺たちを呼び、石を投げてきた。
そんなことが、初代メルルを殺し、唯一生き残った俺たち兄妹を何度も襲った。メルルに囚われていた頃とは違う、苦しみの連続で俺は完全に人という生き物を嫌悪した。
いや、嫌悪しなければやってられなかった。何とか一族の住んでいた山に戻ろうとする二人だけの旅。実際は一人だった。なにせ妹はメルルの城で何度も奴に実験という名の拷問を受け、心を壊され、喋ることも、笑うことも、歩くこともしない、まるで人形のようになっていたのだから。
そんな壊れてしまった妹を背負い、旅する中で何度も、何度も、人間は手を伸ばし妹からむしり取ろうとしてきた。初代メルルは殺したが、一族を皆殺しにしたわけではないから、彼らが俺たちを捕まえようと情報を世間に流していたのか、その手は後を絶たなかった。
助けて、助けてと、懇願てし、拒絶されれば、ゴミを見るかのような目でみて、殺そうとする。助ければ、もっと、もっとと手を伸ばしてくる。
俺は数十年、人を嫌悪し、信じることを止めた。妹の笑顔をとり戻してくれた方と……遠い極東の地で、白く染め抜いた浅葱色の羽織を纏って戦う、俺が始めてこうありたいと不覚にも思ってしまった男と出会うまで。
だから、俺は人間に妹の正体を明かさない。信じられる人間たちであっても、妹の能力を聞けば、変わってしまうかもしれない。なにより、そんな欲望に変えられてしまった知人の姿を妹に見せるわけにはいかない。
だから、俺が守る。なにがあっても守ると吠える。
太陽のために輝き、敵を威嚇する月であろうと誓ったのだ。
「サヤっ!」
「……ん、にい……ちゃん」
視界を塞ぐ煙の向こう側からのかすかな声が耳に確かに聞こえた。
間違いなく、サヤのの声だ。
その先へと一心不乱に足を出す。出血量に頭が上手く働かず、視野が狭まり、周囲の匂いをかぎ分けられない。それでも、行かねばならない。
だって、俺は、俺は。
「……エイジ、にいちゃん」
「俺は、お前の兄なんだから」
決死の思いで辿り着いた俺が最初に見たのは、幸せそうに眠るサヤの寝顔。気が抜けてしまいそうなほどのその表情に、ホッと息をはいた。
それが間違いだった。
背後に突然現れる気配。いや、普段の俺なら簡単に察知できていたはずだ。だが、出血と一瞬の気の緩みが生んでしまった絶望的なまでのスキ。
急いで振り返る俺の目に映ったのは、手にもつリボルバーを至近距離から俺に向け、目を血走らせるハンターの姿。
「それはもう、私のモノだ」
「ッ!」
俺は咄嗟にサヤを抱き込むように庇う。もし弾丸が貫通したら、間違いなくサヤに当たるとかそういう理由じゃない。この男にだけは妹を渡してはいけないという感情からの必死の行動だった。
躊躇いなくトリガーが引かれ、轟音が撃ち鳴る。
その一連の流れを俺は確かに目視できていた。
それはサヤを抱き込もうとした瞬間、視界の端にちらついた黒い布が見えたために振り返ったままだったからだ。
弾丸は天井へと向って飛んでいく。
それはハンターの誤射などではなく、進・カーネルが俺たちの合いだに割ってはいり、ハンターの銃を弾いたからだ。
そのまま二人は互いのインサイトを標的へと向けるべく、一歩も退かずに至近距離で撃ち合う。
互いの腕を弾き、巻き込み、時に銃身をぶつけ合う。
その最中、放たれた弾丸は周囲へと拡散。互いの体めり込むものは一切ない。
二人は死の弾丸が跋扈する戦場で、踊り合う。求めるもののためにリズムを刻む。求めるものはお互い、相手の死。
高速で乱打される手をどちらも握ることはない、自己中心的な乱舞。
叩き。
逸らし。
そして、撃つ。
だが、決して避けない。互いの体さばきと腕の交戦で射撃線を逸らし、変える技の応酬に固執する。それは互いのプライドの高さを表しているようだった。
そして、互いの領域を決してゆずることはなく続いた、5の秒数にも満たない内に繰り広げられた高速近接銃撃格闘が一旦、終局を告げる。
同時に互い腕を交差させ、銃口を額に突き付け合う形で止まる。
ハンターは目を血走らせた怒りの形相で睨み、進は歪んだ笑みを浮かべる。
「まったくよ、最近のおじさん達は、ロリコンの気が多いのか?」
誰が、おじさんだ。それにロリコンでもない。ただ、ちょっとシスコンなだけだ。
「……下劣なガキが」
「おいおい、紳士様よ。下劣なお言葉がお口から漏れ出てるぜぇ~?」
さらにハンターの殺意の濃度が増し、表情に現れる。ここまで人から馬鹿にされたことがないようだ。
進はそんなハンターを嘲笑うと、途端に表情を無くす。
「……寄ってたかって“神様なだけ”の小さな娘っ子に欲情しやがって、大人げねぇ。人間ってのは一方的に強請るだけで、誰も神様を助けようとも思わないから神様に嫌われるんだ。まぁ、俺もその一人だがね」
「お前は一体、何をしに来た!!」
「別にくだらない個人的な思いつきさ。なぁに、ただちょっと一度きりの人生なんだ。一回ぐらい神様を助けてみようかと思ってもいいだろ?」
ハンターと俺が絶句する。神は常に完全な存在として扱われてきた。そして、全てを救済してくれる存在であると、勝手に価値観を押しつけられてきた。
妹の内面を知り、助けてくれる人も数人いたが、進は妹とは面識は一切ない。そんな彼が平然と、簡単に、神の如き力を持つあかの他人である妹を“神なだけ”と言って助けようとしている。
そんな進を、ハンターは常軌を逸した者を見た眼差しで睨む。いや、怯む。
「お前は馬鹿なのかッ」
「馬鹿かどうかはわからねぇが、ちなみに俺の最終学歴は小学校だ。……いまからテメェはそんな馬鹿の気まぐれで、後悔してもらうから覚悟しろ」
俺の眼に悪人じみた笑みを浮かべる男の姿が映る。
それを見て、魔王みたいだと納得してしまうだろう。
だが。
(ハジの奴、なにが魔王がいたらこんな奴だ。それどころか……)
俺には、ただの気まぐれで命をかけて誰かを救おうとする彼が、本物の神様のように見えていた。
次話へ
予定より数週間遅れての投稿。ふふふ、だってまさか一月一日に風邪をひくとは思ってなかったもん!!
まぁ、それはいいとして。
次話の更新なのですが、実はそろそろわたくしめは国家試験を受けるための勉強の追い込みに入るため、更新が遅れます。予定は二ヶ月後なのですが、もしくはもっと遅いかな……失敗すれば、僕は仕事を失いますので……
と、とりあえず勉強の方に勤しみたいと思います。この機会に今までサボっていた一章からの誤字脱字の修正と、局所の改変を進めるのがメインなりそうです。
ですので更新は未定。
このあとがきが皆さんの目にふれることを切に願っておやすみなさい。