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con-tract  作者: 桐識 陽
3:守ると吠える月の銀狼
16/36

3、明色の出会い

 

 3、明色の出会い


  

 東からの強い日差しが部屋を燃やすように入り込み、部屋の中を明るく照らす。

 ダイニングもキッチンもない、小さなリビングと備え付けのトイレだけの空間。部屋の家具もほとんどなく、小さなテーブルとパイプ椅子に、教科書類が積まれているのが唯一のインテリア。

 いや、もう一つあった、等身大で投影することが可能な縦長の大きな鏡がある。そこに映るは布一つ巻かれぬ、生まれたままの姿で写る少女。

 日本人には珍しい艶のある亜麻色の地毛が腰まで流れ、体つきは柔らなバランスの取れたライン。身長は高めなのだろうが、長身とは呼べない程度。顔は温厚そうな笑顔が似合うだろうと断言できる温和な顔立ち。

 自己の評価ではこれくらいだ。自分で自分を褒めることに慣れていない人間なのだ、九重 撫子()は。

 簡素な白地の下着に足を通し、朝の日差しに眼を向けて眩しさに瞼を細める。同時に床に置かれているソドムの市場で安売り品ではあるが、初めて自分で買った清楚な(質素とは考えない)シャツと藍色のミディサイズのスカート(地味かな、とか考えてない)の方へ眼に入る。

 一週間ほど前に買えたのだが、何やかんやで着るのは今日が初めて。それが堪らなく嬉しいと思い、自然と笑みがこぼれる。

 なにせ、今までは宛がわれた服しか着ることが出来なかったのだから。

 ゆっくりと服に近付き、腰を折り、下ろし立ての衣服へと手を伸ばし

 「おい、撫子。お前、今日どこか行くのか?」

 ノックも何もなく、|進がドアを唐突にあけやがりました。

 「……」

 お尻を彼の方へ突き出すような形で数秒停止した。頬の方へと血が巡り抗議をしかけたが、声が出なかった。なんせ

 「俺たちは今日の夜は仕事に行くから、適当に飯は食っておけよ」

 なんの謝罪もなく、表情から声色まで、女性の裸同然の姿を視界に入れているというのに無反応かつ、淡白に説明を始める(この男)に絶句したのだ。

 「それだけだ、じゃあな」

 バタンと、ドアを閉め、去って行った進。

 ある事実に愕然となり、私がヘナヘナと崩れ落ちたのすぐ後だった。急に部屋のドアを開けたデリカシーの無さや、言うだけ言って帰っていく神経の図太さはともかく。

 (は、裸を見られてなんとも思われなかった……!)

 その事実が、女としてちょっとは持っていた自信を打ち砕いた。のに……

 「あぁ、そうだ」

 「っ!!?」 

 戻ってきた!? この野郎様は、戻ってきやがりました!?

 進は崩れている私の顔を見ると、呆れ果てたように嘆息後に言い放つ。

 「ちょっとは、下着にも金かけろよ。安物ばかりじゃ、体が泣くゾ」

 「大きなお世話ですっ!! なら、お小使いを上げてっ! その前に、謝れぇぇぇぇぇっっ!!!」

 怒りにまかせ、和風の布団をそのままドアへと投げつける。だが、すぐさま閉められたドアに防がれて掠りもしない。

 その後、無神経男が戻ってくることはなかった。

 17の夏、この日、私は始めて女としての自身を初めてなくした。


 

 「まったく、もう!! あの魔王っ、あのハデ好きっ、意地悪男! もう知りません!」

 「朝から、騒がしいですわね」

 先ほどのシャツとスカートも着て、二階の個室から下りると一階にはローザとアルバイン……しか、いなかった。

 「裸でも見られました? ずいぶん騒いでいたよう……図星ですの?」

 苦々しいモノに変わった私の表情を見ると、なぜか私をジト目で睨めつけるローザ。しばらくして、自身の体を一瞥(いちべつ)し、「(わたくし)でしたら、どうなのかしら?」などと頬赤らめさせながら小声で一人事。……どういう意味だろう?

 そんな彼女は、学園指定の体操服(下はブルマ)を着て、床にどっかり胡坐をかきながら難しそうな分厚い本と睨めっこしている。椅子に座って紅茶を飲んでいそうな気品あふれる容姿の彼女のそんな姿に異様な違和感を覚えたのも始めの頃、今では普通の光景のようにも思える。

 アルバインはポロシャツに白いジャージとラフな格好で、もくもくと腕立て伏せをしている。自室でやれ、と進とローザから散々言われていたが、本人としては誰かに見られながらの方が、意識を保てるらしく、事務所のフロアでやるのが常になっていた。

 腕の上下運動を続けながら、顔をこちらに向け、苦笑しながらアルバインが語りかけてくる。

 「アハハ、それはずいぶんとシンはおいしい思いをしたようだネ」

 「進は(あれ)は、眉ひとつ動かしませんでした……」

 「アハハ、ハ……そ、そウ」

 怖い何かから目を逸らすように、私から視線を外すアルバイン。

 「それはそうと、撫子?」

 「なんですか?」

 「貴女、どのような経緯でソドム(ココ)に来ましたの?」

 「え?」

 「進に聞けば、ここに来たのは最近なのでしょう? それまで何処で何してましたの?」

 「そ、それは」

 真意を探るように、こちらを見ずに目を話しかけてくるローザ。何かを自然に探るようなその仕草に、私は息をのんでしまう。

 言うべきなのだろうか? だが、ハジから口止めされている。なにより“ドレイク”という存在に関わり過ぎた私を、私自身が話たくないと感じてしまっている。

 だから、嘘をつく。

 やさしい嘘を、何よりも、だれよりも、彼よりも私自身に安易(やさし)い嘘を。

 「早くに両親を亡くしてから、支援者の方にお世話になっていました。その人が二か月ほど前に亡くなって、それから流れるようにソドムに来たんです」

 はにかむ様に、聞いた人が暗い気持ちにならないようにワザと明るく話した。大抵の人はそれを聞けば申し訳なさそうに興味を無くすのだが、やはり不幸の場数が違うのか、ローザは気にした様子もない。もしくは信じてもらえなかったのかもしれない。

 「そうですか。変な事を聞いて申し訳ありませんでしたわね」

 「い、いえ」

 本当に何の感情もなく淡白に返事をするローザ。さすがに何の反応もされないと変な気分になるが、彼女が納得したならば良かったと思うようにし、そのまま玄関へと向う。

 「そういえば、撫子」

 やはり納得していなかったのか、再度質問を迫るローザ。

 「今日は、どちらへ?」

 ああ、なるほど。

 にぎり拳を胸の前でつくり、奮起するように、何分はじめての事なので興奮を抑えきれない私は、感情を込めて返答する。

 「アルバイトです!」

 

 

 視点変更1



 「アルバイト? あの娘、なにかしてたかしら?」

 私の問いで重苦しい雰囲気になったと思ったら、急に明るくなってドアから飛び出して行った変な同居人はなにか働いていただろうか? 

 「そうか、君はあの時はもう部屋に戻っていたから聞いていなかったネ」

 今ではすっかり警戒をなくした騎士、アルバイン・セイクがいつもの基礎トレーニングを終えて自家製のスポーツドリンクを飲みながら話しかけてくる。

 この男とは最近まで馬が合わなかったが、今では少しだけこの男のクセがわかるぐらいにまでなっている。

 ちなみにむさ苦しくも自室ではなく事務所(ここ)でトレーニングをしていたのは、他人の目に触れながらやっているほうが、集中力が上がるタイプだから、らしい。

 「昨日から? 日雇いのアルバイトですか……私も子供のころよくやりましたわ。熊の狩猟をする猟師のアルバイトで、襲われるエサ役をよく買って出たものです。あれは高収入でしたから」 

 「……君にはたまに絶句するヨ。日雇いというより、初めてのお使いかナ?」

 「お使い?」

 「昨日、ハジが彼女に頼んだんだヨ。撫子も夏に用事があるからお金がいるようだったから、じゃないかナ」

 (そういえば、昨日学校帰りに優子と智子と遊びに行く約束をしていましたわね)

 基本、ソドムにいる人間は国籍を持ってはいない。

 とある方法で本籍地等を持つ者もいるが、どれも違法紛いの方法で手に入れている。撫子も正規の方法で持ってはいるらしい。それでもアルバイトなど“日本”で働く場合は戸籍情報の提示は必須だ。提示して働けたとしても、いつバレるかわからない。不信感を雇用主に与えた瞬間、すぐさま調べられてしまう。今の時代は特にソドムがあるせいでよく違法滞在者の検挙率が増えている。

 それに違法滞在者の情報提供には現代では報奨金がでるため、人々は率先しておこなってくる。そんな世の中だから、撫子は普通のアルバイトに勤めるのは難しいようだ。

 しかし、(保護者)からのお小使いでは現役女子高校生の遊びには一日ともたないだろう。

 「どこまで? 小学生レベルで野菜を持って帰ればいい、などではありませんわよね」

 「そこまででは……ハジの知り合いの家に、荷物を届けるだけ、だけどネ」

 きっと馬鹿にされていますわよ、撫子。

 それにしても。

 「それにしても嘘をつかれるのは、あまり気持ちのいいものではありませんわね」

 「人の言いたくないことを無理やり聞いてはいけないヨ」

 「わかっていますわ」

 昨日、撫子の様子は明らかにおかしかった。急に金の延べ棒に描かれていたマークに動揺したり、ハジがアレの話をし始めてからは背後で凍りつくように震えていたのにも気付いていた。

 理由は、ほとんどわかっている。彼女がひた隠しにしたい秘密も調べればすぐわかる。

 アルバインはともかく、私は彼女と同じ学園に通っているのでよく耳にすのだ。彼女が、あの吸血鬼の保護下にあったこと。それが何を示すのかも理解できる。

 「彼女が自分から僕たちに話してくれるのを待つのが、いいじゃないカ?」

 言うだけ言ってアルバインはトレーニング用具を担いで部屋へと戻っていった。

 「……わかってますわよ」

 ()ねたように呟いてしまう私。なんとなく、嫌なのだ。まるで貴女()は信用ならないと言われているようで。

 「友だち……だと、思われてないのかしら」

 恥ずかしくも、暗い自分の思考を振り払うように頭をブンブンと振りまわし、目の前の本へと没頭してゆく。

 この本はとても興味深く、面白いのですぐに集中ができた。それにしても、日本人の感性と、表現力、発想力は素晴らしい。

 「両手を合わせた姿勢を錬成陣として力を引き出す、その発想はありませんでしたわ」

 私は人体錬成で失った対価をとり戻す兄弟の物語に、すぐに熱中していった。


 

 視点帰還1



 とつぜんですが、ここは何処? 

 見たこともない、廃墟同然のマンションが大きめの道を挟み込むように並び立つ長い道。

 今は何時? 

 太陽はもう西へと落ちかけ、建物の隙間から赤色の光が差し込み、頬照らす。

 私は誰? 

 九重 撫子。花も恥じらう女子高校生。17歳。血液型AB。誰も通らぬ、人気がない道の真ん中で(たたず)み、目に涙が溢れかけている。

 統合的に今の状況を言葉にしてみる。

 認める事には若干の勇気がいる。そう、勇気を振り絞るのだ、撫子。よし!

 端的につぶやこう。私は現在、

 「誰か、助けてくださーーーーいっっ!!」

 迷子だ。

 十七歳にして、迷子になった。

 つぶやこうとしたが、勢い余って叫んだ、人生にも最近迷いかけているダメ人間が道の真ん中で嘆く。



 時間は昨日の夜に戻る。

 ドレイクの遺産の回収の仕事を引き受けた進たちは、現在所有している情報等をまとめた後にそれぞれの時間へと戻っていった。

 そのため、今現在事務所には私、進、なんやかんやで夕食を一緒に摂ったハジさんの三人が残っている

 「進」

 私は勇気を持って、交渉を決意。ソファに寝そべり新聞を読んでいる家主に声をかける。

 進が私の方へと目を下げた。

 彼が視線を下げたのは私が現在、地上に(ひざまず)いて深深と頭を下げての礼の姿勢、つまり土下座してるためだ。

 私はその姿勢を崩さず、勇気を、声を出す。

 「おこずかいを上げてください」

 「……ぁあ? なんだって?」

 何を言っているのかわからない、そんな声のトーンに再度声を上げる。

 「お小遣いを上げてください」

 「……ローザやアルバインにまで、渡さなきゃならない理由がわからないな」

 すっとボケたトーン。もっと明確に要求を述べなければならない。

 「お小遣いの、値上げをお願いします」

 「今耳が聞こえづらくてな……なんだって? もう一度、大きな声で、しっかりと、勇気に見紛う無謀さがあるなら、覚悟があって、さらにほざける意思があるなら、俺の目を見ながら……言ってみろ」

 「お、あ、いえ、そのぉ、うっ、うぅう~」

 一言、一言に重圧がかかり始めて最後にはドスが入った声で、脅しにかかる我が契約者。

 それでも! 私は学んだんです、あの空港で、どれだけ女子のお買いものにお金がかかる事実に。だからこそ言わねばなるまい! さぁ、ありったけの勇気を持って顔をズバッと上げる。

 満面の作り笑顔と、祈るように胸の前で手を組むことを忘れずに。

 「お小遣いを、上げてください!」 

 待ちうけていたのは、満月にも負けないぐらい瞳を見開く、血走った紅の瞳。

 「おい、ポンコツ」

 「……あい」

 「……そのまま、部屋に戻って寝ろ」

 「……うぅ」

 速攻で切り捨てられ、涙目で言う通りに部屋に戻ろう。やっぱり駄目だった……。

 そんな完全敗北した私に、ハジが助け舟を出してくれる。

 「あら、あら旦那ぁ。ひどいじゃないっすか、撫子さんが健気にも、一月前の大量出費の件を大きく棚に上げて、頼み込んでるっていうのに……旦那に人の情はないのぉ!?」

 助けているようで、助けられていない! この人敵なの、味方なのっ!?

 「毎度毎度、仕事の事前情報に不備がある情報屋には人の情があるのか? あるんなら、一度銃弾を一発くらってくれないか? そろそろ、俺も不満が溜まってるんだ」

 「旦那、小さな事は“見ずに”流す。これ社会の常識」

 「テメェの仕事は、知らなかったら死にそうになるほど重要な情報がいつも抜け…」

 「さぁ! 撫子さんにココで提案がありやす」

 不自然極まりない会話の流し方に進は肩を落として、銃をハジに向けようとして、止めた。ついに疲れ果てたらしい。それにいつも使う銃弾の経費がもったいないと判断したのだろう。そのまま無視を決め込むように新聞に没頭を始めた。

 「仕事をひとつ受けてくださいやせんか?」

 「え、私がですか?」

 驚きに表情を隠せない。なにせ、いつもハジが持ってくる仕事は無理難題に等しい内容(もの)ばかり。私が知る限り、進の驚異の戦闘能力で何とかなるレベルの仕事ばかりであった。

 そんなものできるはずがない。

 「撫子さん、なにか勘違いしてませんかぁ? 簡単なモノも仕事として流れても来ますし、旦那がよくやる仕事は大抵がアッシから、旦那に頼んでやってもらうモノばかりですから難しいんです。危険度も高い分、報酬は高額なんですがねぇ」

 「それじゃ、私にも出来る仕事があるんですか!?」

 パッと明るくなる私。

 「いえ、大抵は危ないモノばかりなんで撫子さんじゃ無理ですね」

 ガンッと暗くなる私。

 だから、と前置きして、懐から電卓を取り出しカタカタと音を立てるハジ。目深く帽子をかぶっているために表情はあまりわからないが、商人じみた頬笑みを作って私に電卓の数値を見せてくる。

 「私個人の依頼として、撫子さんにお願いしたいですよぉ。報酬はこれぐらいで」

 表示されていた額は、ゼロが四つに、頭に5!? それは私の一か月のお小遣いの十倍の額。

 「待つんだ、ナデシコ。せめて仕事の内容ぐらいは聞いておこうヨ?」

 すぐさま、受諾しかけた私を制するのは、今まで夕食の後かたずけをしていたアルバイン。部屋の奥にあるキッチンルームから出てきた彼は、スッとこの場の全員へお茶を手渡していき、そのままテーブルの椅子へと着席する。

 「アルさん、ひどいな~。裏なんかありゃしませんよぉ、撫子さんには“配達”をしていただきたんですよ」

 「配達? 物品は何だイ? 業者に頼んだ方がいいんじゃないかイ?」

 とんでもないっ、と手を払う仕草をするハジ。

 「ソドムに配達業者なんかありませんよぉ。あったとしてもいつ荷物を盗むかわからない連中に任せておけませんしねぇ。やるなら自分で届けた方が低価格で安全ですよ」

 「なら自分でやればいいんじゃないのかイ?」

 確かに。なんとなくきな臭くなってきた。

 急に黙るハジに、この場の全員が不信感をあらわにし始める。進に至っては新聞の裏に隠している銃のロックを外したようだ、カチリと小さな音が鳴り、緊張感が増してきた。

 「待ってください旦那たち! 別に悪いことはなにも! ホントですよぉ。実はアッシは届け先にいる方に嫌われていましてねぇ、面と向って話すと攻撃されるくらいでして」

 ハジさん、何をしたんだろう。

 「それでいつもは知り合いの信頼できる人に頼むんですが、今回はゴタゴタが続いていたり、ドレイクの喪失の際に起こった株価の暴落の対策とかに奔走してて、無理だって言うんでね」

 ドレイクを進が倒してから、世界経済になんら影響は見えなかったのはハジ一人の功績では無かったようだ。

 なら、その方が受けられないこの仕事は私が受けるべきなのだろう。

 「ハジさん、私がその仕事受けますね」

 「いいんですかいぃ?」

 「だって、その(かた)の代りにやるのは私が適任かな、って思ったんです。ささやかな恩返しにもなりますし」

 「……それは、とてもありがたい。その言葉はあの人にも伝えておきますよ、きっと彼は喜ぶ」

 帽子のつばをつまみながら、目を伏せるように礼を言うハジ。 

 「その方にも会って、お礼を言った方がいいでしょうか?」

 「いや、いいですよ。きっと、貴方達に会いに来ますからねぇ……それじゃあ、仕事の内容を説明させてくださいねぇ」

 よっこら、と何処からともなく綺麗な朱色の装飾が施された包みを取り出す。

 「こいつを、指定する場所に届けてほしいんです、明日の夕方ぐらいまでに」

 「壊れモノですか?」

 「いいえ、衣服ですよ。女物の着物ですね」

 その言葉に、世界がひっくり返る……感じがした。

 「じょ、女性への贈りものなんですかっ!?」

 私は飛び跳ねるように驚く。アルバインと進も同じ気持ちだったのか、目を見開いてハジを凝視する。

 「そ、そうなりますねぇ。あのどうしたんですか、お三方?」

 「お前……いや、なんでもない」

 「ハジも男だからネ」

 「そ、それよりもそんな大事なモノを私が渡していいんですか!? お、おもいを伝えるなら自分からの方がいいですよ?」

 いや、イヤとハジが違うと言いたげに、手をヒラヒラと振る。

 「撫子さん、勘違いしているようなので言っておきやす。別に恋愛感情とかはありません」

 なんだ、と肩を落とす私を苦い笑顔で見てから、持っている包みを見る。

 その視線は、私が見たことのないほど真剣な声で話し始める。

 「これは……そうですね。“恩”を返す意味で送っているモノなんでよ。返しきれないほどの恩と勇気と感謝を彼女から貰ったので。毎年送らせてもらっているってだけです」

 いつも飄々と冗談事ばかりしているハジの真摯な言葉に虚をつかれる。

 恩。彼がいう恩とはなんだろう? それは返さなければならないことだろうか?

 そんな空気が許せないのか、手を叩いて、私をよび起こすと、いつもよりはにかんだ笑顔で仕事内容の説明に戻る。

 「荷物の説明は十分でしょう。それで届ける場所が問題でしてね。場所は“17地区”なんすよ」



 つらい現実から目を背けたとしても、起こってしまったのなら常に己の前にあり続ける。

 昨日の回想に浸っていたとしても、迷子である自分の現状が変わる訳ではない。

 「ここはどこ……17地区ですよね。18地区じゃないですよね?」

 ビクビクと虚空に問うが、やはり答えは無く。刻々と太陽は沈みつつある。

 このまま行けば夜になるとマズイ。ソドムの共通点は中央市を除いて夜になると危ないだけの人のパラダイスになることだ。

 「この道を……真っすぐいけばいいんですよね~。地図はあってるはずなのに、この道を三回ぐらい通った気がするのはぁ、なぜ~」

 歌うように、自分を鼓舞するように歌うような独り言をいいながらも焦燥に駆られ歩き出す。このままではハジさんからの依頼を完遂できない。

 それに、もうひとつ大きな不安があった。

 

 このソドムは当時の東京二十三区のほぼ東側全域が隔離されて出来た場所だ。隔離が開始した当時の区の名は新設された新東京の方へと移ったので、区名がない状態である。

 なのでソドムの人々は、左から人口や目立つ物がある地区ごとに数字で場所に区名をふった。ただし、範囲などが不明確なため判断が難しく、場所によっては集まる人の特色により番号が付けられた所もある。

 現在、私がいるであろう17地区は“出戻り”たちが多い地区と言われている。

 ここでの出戻りとは、隔離された自分の街や家に、周囲の者や国の反対を押し切って、戻ってきた日本人の事である。

 どんな危険や異国人がいようとも、住みなれた地に戻りたいという人々がいた。それは当たり前のことだろう。皆、自分の住みなれた地に愛着があるものだ。

 だが、当時の隔離され、日本と認められない地へ戻ろうとする人々を戦後間もなかった頃の人々は彼らを責めた。

 似たような考えの、異国人を追い出して国をとり戻そうとする“急派”と呼ばれる人々は多くの人が賛同していたが、異国人を認めて、共に住まうという思想を持った出戻りの人々の思想は認められなかったのだ。

 時が経って、出戻りたちの声は姿を消してゆき、急派の方も新法による土地権の獲得と譲歩や、新東京の完成により無くなっていった。そんな昔の話として学校では勉強していたものの、まさか本当に出戻りを実行した人々がいたのは知らなかった。

 日本人という国籍、それまでの経緯なども犠牲にして、自分の住んでいたところへ帰った人々。そんな彼らのほとんどで構成される17地区は比較的平和な地区と言われてる。

 問題はお隣である。

 対照的に18地区と呼ばれる場所はどうしようもない危険地帯と言われている。

 ヤクザやマフィアの本部や事務所が集まり、武器密売や違法取引、人身売買などが普通に行われる魔窟。ソドムで聞こえる銃声の約60%がここで起きている(15%は進の事務所からである)。

 しかも、この両地区の決定的な境はないも等しく、いつのまにか危険地帯へ迷い込み、そのまま帰らぬ人になることなどざらにあるらしい。

 そんなこんなで、危険と安心の間をさまよう私の現状。

 冷静はとっくに吹き飛び、情熱に近い混乱と懺悔の思考が頭の中で駆けめぐる。

 (進は、やめとけば? お前、ポンコツだし? とか言って止めてくれましたけど、そこまでポンコツじゃありません。迷子になんてなりません! なんて言いました、ごめんなさい!)

 ソドムで道を歩くときはなるべく端を歩いてはならない。なぜなら引きずり込まれて暴行を受けることが多いから。その教訓にのっとり道の真ん中を歩く私は気がつく。

 (ひ、人がいないし、平坦な道なのに車もあんまりないです……もしかして、危ない道とか?)

 ガサッっ。

 「ひぃ!?」

 反射的に、壁の隙間からの物音に身構える。ね、ねこか何かデスカ?

 ガサッ、ガサッ、ガサッ。

 もがくような、まるで手招きしているかのような音が連続する。その隙間はゴミのような塊が詰まっており中の様子は全く見えない。

 お……に、ち……ん

 「え?」


 

 「おねぇちゃん、タス……けて」



 弱ったような少女の声で、助けを求める声がする。

 そう本来ならば助けるべきだ。でも、ここはソドム。どんな罠があっても不思議じゃない。助けに行った瞬間、手を捕まえれ、引きずり込まれて……など当たり前にあるのだ。

 それでも何度も、何度も呼ぶ声がする。私の中に二つの葛藤が生まれる。

 一つは、すぐさま助けに行くべきだという天使的な考え。

 もうひとつは、聞かなかったことにして、逃げろよという悪魔的な考え。

 常識的には、前者が当然。しかし……

 そもそも、この時間でこんな人気がない場所に子供がいるのだろうか? そうだ、これは罠に違いない。

 何も見なかった、聞かなかったことにして歩き出す。

 そうだ、これは

 「お、ねぇ、ちゃん」

 これは、そうだ、そうなのだ。

 「う、うぅ」

 声に鳴き声が加わった。

 「……いま、助けますからね」

 私は助けを求める子供の声に弱い、そんな人間なのだ、私は。それに過去助けを求める事さえできなかった私に、助けを求める気持ちを無視することはできない。見捨てられ、果てていくのはどんな孤独よりも辛いことを知っている。

 手を使って強引にゴミをかきだしていく。腐乱死体とかあったらどうしようとか、急に野太い男の声に変わったりとかしないだろうか、とか幾度となく不安に駆られながらも徐々になくっていくゴミ。そして、ようやく何かが見えた。うごく何かを。あれは口だ。

 「おねぇ……ちゃん」

 「も、もう少し。よし、もう大丈夫です……よ!?」

 その少女はとても小さかった。小さすぎる、なにせ全長が二十センチ程度。かわいいフリフリがついた服にビーズのような目玉の……フランス人形がそこにいた。

 その四角い口が唐突に開く。

 「お、お、おねねねねねねえんえねちゃちゃちゃちゃ! キャキャキャキャキャキャキャキャキャ」

 狂ったようなかすれ声が上がると同時に、ゴミの中から何かが私に飛び込んできた!

 私の恐怖に対する許容量は一気に半壊。

 

 「き、きゃあああああああああああああ!!」

 私の悲鳴が木霊する。

 「み、みやあああああああああああああ!!」

 ……? だれかの悲鳴が木霊する?

 合わさる視線。さきほどの人形ほどではないが、小さな体のそれを捉える。

 「きゃあ?」

 「み、みや?」

 「kyキャキャキャキャキャキャキャキャキャキャキャキャキャ!!」

 

 未だゴミの中で笑い声を上げる人形。ならば飛び込んできたのは一体何?

 私の胸のあたりにいるのは、私と同じように首を傾げる一人の小柄な少女。

 それもとびきり可愛い、灰色の髪の女の子がそこにいた。

 


 「サヤちゃんっていうんですか」

 「うん、私、サヤ」

 「キャキャキャキャ」

 互いに、にっこり笑いあいながら道を歩く。

 飛び込んできた少女、サヤ。

 珍しいツヤのある灰色の髪に小柄な体格、くりくりと大きな目に調った顔だち。見るからに抱きしめたくなる衝動を引き起こす可愛らしい少女だ。

 彼女が抱くようにして持っているのは、さきほどの壊れた喋る人形。あそこにいるのは可哀想だからと、彼女が持ってきたのだ。時折、非常に怖い壊れた笑い声を轟かせるので、正直怖い。

 聞くに、彼女も道に迷っており、なぜかゴミ捨て場に迷い込んだ? らしい。

 「なでしこおねえちゃん、迷子仲間。帰り道、きっと皆が教えてくれる」

 「は、ははは。ありがとう、サヤちゃん」

 現在、私たちはサヤの家へと向っている。サヤは迷っていたが、それは何所かへ向かう行き先に迷っただけで、帰り道は忘れてはいないらしい。なので、家に帰り道を聞いてくれる彼という彼女の誘いをうけることにしたのだ。

 小さい子に手を繋がれながら、優しく引っ張られる自分……とても情けない。

 「う、うぅ。進が見てなくてよかった」

 「シン? おやごさん?」

 「違いますよ、進は私の保護者みたいな人でね。それと魔王みたいで、意地悪かつ性格が百八十度曲がってて、破壊魔で目立ちたがり屋でね……」

 彼を語れば語るほど吹き出る悪口の数々。そのためサヤの進と言う男のイメージが怖い人というものに変わっていった。

 「怖い人? どんな人?」

 少し怯えたようなサヤがそれでも興味を持ったのか聞いてくる。そうですね……進は。

 「怖い人じゃありませんよ。そりゃ皆から怖がられたり、嫌われていたりしてますけど」

 進は、ソドムでは危険人物のレッテルがよく貼られている。だが、実際彼を嫌っている人は少ないように思える。

 よく事務所に殴りこんでくる人たちも、怨みや怒りをもってやってくるが、彼にちょっかいをかけている程度にも思える。実際、彼らと戦う進も彼らに手加減を加えている節がある。それに私は本気の殺し合いに発展したところを一度も見たことはない。

 最後は、お決まりの負け犬ゼリフを言って帰っていく彼らに、二度とくるなという進のお決まりと化したセリフという形で終わるのが常だ。

 魔王がいたらあんな奴というあだ名も、ハジが考えた嫌がらせなのではないだろうか? もしくは彼の、あの力ゆえについた通り名なのだとしたら……

 「進は……イイ人ですよ」

 「……、私も、会ってみたい、シンに」

 「いつか、連れてきますね。きっと進もサヤちゃんに会いたがります」

 「わたし、シンと、友達、なれる?」

 「なれますよ、それと私の友達にもなってくれます?」

 「! うん! なる、なる! 友達……え、えへへへへへ! なでしこおねえちゃん、友達!」

 「うん、うん。友達だよ」

 見る者にほんのりした温かな感情を抱かせる明るい満面の笑みに、私もつられて笑顔になる。

 そんな温かな交流を交わしながら歩くこと五分程度で荒廃した雰囲気はなくなり、清潔感溢れる道に出ていた。

 ソドムには珍しく平らなコンクリートに道。人気(ひとけ)は少ない昔からあるような(へい)が道に沿って続いている。江戸時代にタイムスリップでもしたような感動に包まれながら歩いていると、やっと人の姿を視認する。

 「サヤちゃんのお家はどこなんですか?」

 「あそこ! すぐそこ!」

 元気に指さす方向は、確認できた人がいる場所。その指さされた場所にいた人がこちらに気がつくと、なぜか猛ダッシュ抱え寄ってきた。

 家の人かな? と思いつつも迫る二つのシルエット。

 そのシルエットは接近するほどに輪郭が露わになってくる。一人は頭をきれいさっぱり坊主にしている、ブルドッグの様な彫の深い顔立ちをしている中年男性。もう一人は黒いサングラスをかけた若い男性。ふたりの共通している点と言えば、ド派手なシャツと厳つい体、そして服の袖からチラホラ見える刺青。

 見るからに、あの人種。

 「「おいぃぃぃぃぃ!!」」

 それが、猛烈な勢いで突貫してくる。

 私はサヤを庇うように前に出る。

 「サヤちゃん、下がって! 怖くありませんからね、お、お姉ちゃんが守ってあげますから! く、くるなら来なさい、このロリコンさん達!!」

 「おィ待てぇぇい! ロリコン!? 嬢ちゃん、フツーまず先に、ヤクザ屋さんって言うだろ!? なんでロリコンっ!? なめてんのかい!?」

 厳ついブルドッグ顔が、怒るように、困惑するように怒鳴る。

 「お嬢さん、初対面の人に対してそれは失礼というものですよ。常識、知ってますか?」

 サングラスの若い男は冷静に、言葉を続ける。

 「ちなみに、私の恋愛守備範囲は下は6歳から14歳まで、ですので」

 「「ロリコンっ!?」」

 驚愕になぜかブルドッグ顔の人と一緒に、サヤを庇う。

 「冗談です。とにかく……兄貴! お嬢が居ました! こちらです」

 サングラスの男は、明後日(あさって)の方向に声を張り上げる。すると割と近いところから返答が返ってきた。

 「本当なのかな? おまけに、綺麗な女性と一緒で、これが運命の出会いだった、なんて物語りが始まりそうだったら嬉しいな」

 私は最近、このフレーズを聞いたことがあるような気がする。

 「兄貴、できそうですぜ」

 「本当(マジ)なのかな!? よし、そこの角だね? ……え、あれ?」

 声が一段と近くなり、声の主が私の視線の先にある曲がり角から顔を出す。それは……

 「……ああ……やぁ、九重さん」

 私の同級生にして、次期生徒会長。科布(しなぬの) 永仕えいじが引きつった笑顔でそこに居た。



 視点変更2



 あのポンコツ、なにやってんだ?

 俺はソファに腰掛けながら、窓の外の夕焼けを眺める。

 時すでに夕刻。茜色の光が事務所に入ってくるほどの時間だと言うのに、撫子が帰ってこない。

 普段なら気にしないが、今日はあいつは仕事として荷物運びをしている。それにここから第十七地区はそう遠くない、歩いても一時間とかからないぐらいの距離。

 届け先でもてなされているなら、別だ。

 だが、もしそこに至るまでに何かあったとしたら……

 「あいつ、何やってんだ」

 「おやぁ~ん、旦那。心配? ねぇ、心配? あれれ、もしかしてラヴ? そんな純情旦那もイイ!」

 「……あのポンコツ、家のカギを持たずに行きやがった。今日は夜から仕事で誰も居ないっていうのに」

 事務所がある第6地区は比較的平和だ。だが、夜は通り魔や強盗も出ることがある。そんなところに体育座りでカギが空くのを待ってる馬鹿がいたらば、目標にされること必至だ。

 だが、今さらどうこう言ったところで仕方がない。

 「ハジ。今日の情報は信用できるものか? 罠の可能性は?」

 「お、切り替えが早いことはいいですね~。それで情報の方ですが信用できる所から出ているんですが……ちょっと情報が流れすぎている面もあるんで」

 入ってきた情報は、第十八地区にある半ば廃墟のビルに遺産が大量に運び込まれている、というものだった。 

 情報源はハジの関係者かららしいが、こいつが言うには同じ情報を多くの情報機関やフリーの奴らに知れ渡っているらしい。

 「一気に遺産を狙う連中を呼び出して、皆殺しにする罠か。もしくは、遺産をすべて牛耳るために集める罠か」

 「どちらにしても罠ですのね」

 背後から美しい声がした。振り返らなくともローザとわかるその声にハジが声を上げる。

 「あらまぁ、ローザ嬢。あたらしい服ですか?」

 俺も気になり背後を振り返ると、たしかに着ているところ見たことがない服を着たローザが立っていた。

 学園の制服のワイシャツとミニスカート、という泣かせる服の上から着ているコートとも見て取れそうな黒い外套を着ている。なんの装飾やフードすらない黒い外套の方になぜか目が奪われる。

 その視線を感じたのか、ローザは珍しく子供っぽい笑顔を浮かべて、くるりと外套を誇るように見せる。

 「どうですか? このローブ」

 よほど気に入っているのか、終始笑顔。こいつは大人びた微笑などをよくするが、こんな風に子供っぽくも笑い方は見たことがなかった。

 「凄いですねぇ。着た者に最善の形にフィットする仕組みですかぁ。きっと名のある方が作られたんでしょうねぇ」

 「えぇ。私がこの世でもっとも尊敬する人の作品ですわ」

 一度、ローブを脱ぐとそれは不自然なほどの広がりをみせ、再びローザが羽織ると彼女の体に沿うように布が伸び縮みして、完全に着こなす。あれも魔具の一種か?

 「待たせたネ。用意は出来たヨ」

 階段を下りてくる音とともに現れた白人の青年、アルバインはとても何かをしに行くという格好ではなかった。いつもの白地のポロシャツに藍色のジーンズ、それだけだ。

 こいつの場合、必要な装備などは次元統制保管という術式で見えない次元に裂け目を意図的に開けておき、そこに必要な武器やら装備を入れている。これは騎士団特有のモノではなく、魔術を扱う者にとってはポピュラーな術らしい。常に魔力を流さねばならないし、数や大きさが限られて、あまり扱う者もいないそうだが、アルバインは修行の一環で師匠から命じられてやっているらしい。

 「それでどうしやすか?」

 すべての目線がおれに向かってくる。そりゃそうだ、なにせ俺が受けた仕事なのだから。

 「行くに決まってる」

 「罠だとしてもかイ?」

 「罠だろうが、何だろうが、行かなきゃなにも始まらねぇ」

 それに、と続ける俺。

 「仕事の邪魔をするんだってんなら、罠ごと潰して、ハメようとした馬鹿を後悔させてやるだけだ」

 言うなり立ち上がり、玄関へと向う。いつもの黒いコートに腕を通し、ホルダーに銃と弾丸が収められているのを確認し、黒い大剣が収められた不可視のバッグを背負う。

 後ろから全員がついてくる気配を背に受けながら、ドアを勢いよく叩く。

 「さぁ、お仕事の時間だ」



 視点変更3


 

 「「「「「「お帰りなさい、兄貴たち! お嬢!」」」」」」」

 「うん、ただいま」

 総勢二十数名のかたぎじゃない強面の人たちによる気合いの入った出迎え。衝撃とも錯覚してしまいそうな声に、私は意識を飛ばしかけた。

 「御苦労さま、皆。戻ってくれて構わない。本当に苦労をかけたね」

 「「「「「「へい、エイジ兄さん!!」」」」」

 それでも彼らは道を作るように並んで、戻ろうとはしなかった。そんな彼らを見て苦笑いを浮かべて、嘆息するブレザー・タイプの学生服の青年。

 纏う雰囲気、人の良さそうな目の形は、凛と立つ青年はなんら学校で見た時と変わらない彼。

 所属する組は違えど、同じ高校で学ぶ二年生同士の彼、そして、次期生徒会長、科布(しなぬの) 永仕(エイジ)

 ついこの間に初めて会話した程度で彼となんら関わりは無かった。だから、私は彼のことをほとんど知らない。

 聞く話によれば、性格は温厚、学力は優秀の域、対人関係もしっかりしている、ぐらいだ。

 「ふぅ、仕方ないね……九重さん、怖いだろうけど、恩人である君を少しばかり持て成したい。だから、家にあがってくれないかい?」

 「は、はい!」

 スッとんキョンに声を張り上げて、歩き出した彼の後について行くしかない。

 怖いお兄さんの睨めつけるような視線を見ないように真っすぐに、学生服の背を見て歩く。その背中を見ながら思う。

 (この人、何者なんだろう?)

 考えながらも答えは出ない。そうしているうちに大きな平屋作りの屋敷へ導かれていく。

 とても大きな屋敷を余裕を持って囲んでおける敷地を年季の入った白地の塀が四角く囲み。分厚く、威厳ある大門。

 そこの掲げられる名は“音芽(オトメ)組”。

 総合的に考えて、ここは俗に言う極道、ヤクザなものたちの巣窟。



 歴史を感じる縁側の廊下を釣られるように歩く。

 窓一つない廊下から見える広々とした庭は整えられている。力強く起立する松の枝、押しては返す海の波間を連想させる白い砂利の波紋。、置き石に至るまで手が行き届かせてあり、私はそれに芸術というセンスを確かに感じた。

 息を飲む美的センスに浸りかける私に声がかかる。

 「九重さん、君の持っているソレは?」

 「え、あ! そうです! 私、これを届けなきゃいけなくて」

 永仕の突然の問いは、私に重要なことを思い出させた。手に持つそれは期限つきの届けもの。そして、今はこの状況からの脱出の理由になりうる可能性を秘めたもの。

 「こ、これを届けになきゃいけなくて、ですね」

 「お姉ちゃん、お姉ちゃん」

 「なんですか、サヤちゃん? いま大事な」

 「それ、そー君の、匂いする」

 私の服を引っ張りながら包装された包みんをクンクンするサヤ。その小動物を思わせるサヤの言葉に

 「アア?」

 ドスが利いた声を上げたのは、先導して歩いていた永仕だった。いつも人のよさそうな笑みを浮かべている彼が、こうも濃い怒りの感情を出したことに驚く。

 その“そー君(たぶん、ハジ)”とは一体、彼に何をしたのだろうか?

 「九重さん、それを寄こしなさい。早く捨てないと、体中に呪いが写るよ」

 根拠もないのに断言した永仕は、サヤと私の返事も聞かず、私から包みをむしり取る。その速度は刹那の域。同じようなスピードで、かつ綺麗に包装紙を外していく。

 包装紙の下にあったのは無地の木箱と一枚の紙切れ。今度は打って変わって身長に箱を開けると、そこには……

 「わぁ!」

 中身は、着物。それは事前に知らされていたが……

 「ふんっ。相変わらず、センスは良いんだな……」

 ここまで美しい代物だとは教えられていなかった。

 鮮やかな赤い染物に、金色の刺繍(ししゅう)が施された一品。一見、自己主張が強い色合いに見えるが、絶妙な染加減に刺繍の文様が重なり、色どりを抑えつつも、美的な素養も強く出しつつも調和の取れた絶妙な具合を作り出している。業物のそれは、着るべき人間に合わせた大きさになっていた───

 「これ……もしかして、サヤちゃん用?」

 「そうだろうさ。……アイツめ」

 忌々しいと全身で語る永仕から目線を外し、着物を見る。

 着物の小さいのだ。子供用のサイズと差し支えない大きさに織られているソレをサヤが着る想像を安易に出来てしまう。

 (オーダーメイド……ですよね、アレ)

 お値段を考えるほど私はおろかではないが、きっと相当な額であろう着物を嬉しそうに取り出し羽織るサヤの表情は、笑顔。

 「エイジ兄、私似合う? どう、どう? どう! どおっ!?」

 「凄く似合うよ、サヤ」

 そう言いつつも顔に若干、苦みが残る永仕。苦笑の対になる笑顔の妹はそれに気がつかないようで持っている人形と一緒にくるくると喜びの舞を踊る。

 (はは、は……ん?)

 そんな兄妹の睦まじい姿と、もうひとつのモノに目が止まる。包装紙の下にあった紙だ。

 それはヒラヒラと舞いながら床に落ちていった。

 それを始めに拾ったのは永仕の手。

 紙には何かが記載されているようだが、彼と向かい合う形にいる私にはうっすらと見える文字の陰影を確認することしかできない。その文字を見た永仕はすぐさま背を向けると

 ────すぐさま、紙を粉々になるまで(やぶ)いた。

 「…………」

 口は無言、顔が能面になる永仕。

 (あ、ははは……ハジさん、何て書いたんだろ?)

 みるみる無表情になっていっていく彼は怒っている……間違いなく、怒ってる。そんな彼が口を開く。飛び出た言葉は人の名。

 「……(いわお)くん」

 「なにかな? (エイ)くん」

 廊下の先にある曲がり角から呼び出されるように出てきたのは、岩だった。

 否、岩を想わせる巨漢がぬっと現れる。

 頭を剃り、顎鬚を仙人のように伸ばした五十代半ばの男性。体は筋肉が彼の着る作業用のジンベイからでも主張している。深い彫の様な皺、貫禄ある佇まいに私は息を飲む。

 こちらに気がついたようで目と目が合う。私の緊張を見抜いたように、表情を柔らかにする巌と呼ばれた男性は軽く頭を下げた。

 「この音芽組の組長代理を務めさせてもらっています、“近衛(このえ) (いわお)”と申します。よろしければ、お名前をお聞かしてもらっていいですかな?」

 近衛の丁寧かつはっきりとした挨拶。ふかい知性と慈愛を感じる。そんな彼にギャップを感じてしまい、うろたえながら答えてしまう。

 「え、あ、はい! 九重 撫子と申す者です。よ、よろしくお願いします」

 「……九重、撫子……さん」

 噛締めるように、深く気持ちを込めるように私の名を言う近衛。

 「巌くん、彼女のもてなしを頼めるかな?」

 「……構いませんよ。で、永くんはどちらに?」

 「俺は“わすれもの”を取りに行く」

 「無理なく、お気をつけて」

 「ああ。すまないけれど九重さん、用事があるから俺は失礼するよ」

 えぇっ!? と反応する私に軽く手を上げて颯爽と背を向け歩き出す永仕。なかば放心状態で見送る私のスカートの裾が引っ張られ意識を戻す。

 「お姉ちゃん、お部屋、行こう」

 「え、そ、そうですね~。でも、私もそろそろお暇したほうが」

 「そんなことありませんよ。遠慮はなしでどうぞこちらへ、九重さん」

 二人の満面の笑みに逃げること叶わず、思わず頷き、また先導されるように歩き出す。

 自分の決断力の無さから、目を背けるように中庭を見る。そこには沈みゆく夕陽を眺めながら、目の前の白いキャンバスに筆を走らせる人影があった。その男はこちらに振り返り軽く会釈すると話しかけてくる。中年くらいの、だが絵筆をとるような繊細さはなく、厳つい、顔に大きな切り傷を残す大男がだ。

 「代理、お客さんですかい? お茶の方持っていきますかい?」

 「いや、ケン。もう用意は済ましてある」

 「そうですか。では、お嬢さん、ごゆっくり」

 そう言って、また絵へと戻っていくケン。遠目でも、その絵は未完成ながら感嘆を生みだす出来栄えであるとわかった。

 「はははっ、どうですかな。変なところでしょう?」

 「……ええ。っ! いえ、そんなことは無いですよっ!?」

 「そう硬くならないで。どうぞ、こちらに」

 客間についたのか、障子を開けて部屋へと上げられる。内装は純和風、中に備え付けられている物は緑がイメージされた心休まる雰囲気であった。

 用意されている座布団にサヤが座り、それに倣うように私も腰を下ろす。近衛は用意されていた急須(きゅうす)からお茶を茶碗へと流していく。

 「さぁ、二人とも、どうぞ」

 「あ、ありがとうございます」

 出された茶を緊張でカラカラになっていた喉へと流し込む。

 「! おいしい……」

 「おお、良かった! ご近所の夫婦の息子さんが運輸業をやってましてね。良い茶葉が手に入ったらしくて、ご丁寧にも分けてもらったモノだったんです。お口に合って良かった」

 お茶はよく冷えており、すんなりと喉を潤した。一気に飲んでしまったことを後悔するぐらいおしいかった。それを感じたのか、近衛はすぐにお代りを何もいわずに注いでくれた。

 「あの、近衛さん。つかぬことお聞きしたいんですが」

 「なんでしょうか、九重さん? それと巌で結構ですよ」

 「い、巌さん。ここは、その極道さんですよね?」

 我ながらアホなことを聞いてるのはわかっているのだが、どうもしっくりしない。ここの人はたしかに厳つく、強面の人ばかりだ。しかし、どこか彼らは人間味というのだろうか? そう大らかな知性を感じるのだ。

 そんな私の問いに困ったように、巌は長く伸ばした顎鬚をなでる。

 「そうですね。たしかにここはヤクザ、組という形をとっています。社会からあぶれた奴らもいます。ですがね、もともとココ先代の組長が作った身寄りのない子供を預かる養護施設や、近所の子供たちに勉強を教える塾だったんですよ。それは今も形を残していますし、極道の看板を背負っている他の組の方々と失礼ですが比べてしまうと、あまり真っ当なヤクザ屋とは言えないでしょうな」

 「そうだったんですか?」

 「ええ。かく言う私も元々はここで育った孤児(ひとり)ですから。今はここに学びにくる子たちの先生を兼任しております」

 遠くの方で元気な子供の挨拶が聞こえ、それに応えるような厳つい男の声がする。それは若干の恐れもなく自然体で行われるかけ合い。

 「変でしょう? 音芽組という名前も、先代組長の奥方の名前と彼女のクラスという意味で掲げた名前だったんですが、組長の人柄に惚れた奴らが集まって結局、極道者の集まりになってしまったんですよ。まぁ、ほとんどの組の構成員は養護施設出身者がほとんどで、奥方の影響で学問や芸術なんかに興味が傾いてる奴らばかりですがね」

 楽しそうに、そして、誇るように語る巌を見て、彼がどれだけ音芽組(ここ)が好きなのかがわかった。

 「構成員にならなかった卒園者が、ここを維持するための出資者になってくれる奴らも多くてね。まったく親の気もしらないで……おっと、申し訳ない。お客人を差し置いて長話を」

 「いえ、皆さんがここを好きなのがわかりましたから」

 「はっはは、そうですか」

 彼の話を聞いていたからか、始めの頃よりも居心地が良くなっていた。それは音芽組を大切にする人たちの気持ちがわかるからだろう。

 二人で話してばかりだったために暇になったのか、クイクイと巌の服をひっぱり注意をひくサヤ。

 「イワオ、イワオ。お人形、喋らなくなった」

 「む? おや、壊れてしまったかな。……いや、これなら私が直してこよう」

 「ほんと!?」

 「できるんですか?」

 失礼を承知で思うが、機械仕掛けの喋る可愛いお人形を直せるような人には見えなかった。

 「一応、機械系の大学に行って卒業もしていましてな。これぐらいなら一人でできますよ。それに故障の原因は各部品の老朽化でしょうから……部品を取り寄せる期間も考えて、一週間ぐらいでしょうかね」

 人形の関節の動きや、構造を見る彼の仕草はプロそのもの。彼から逐一感じていた知性の理由がわかったような気がした。

 「もともと教師になりたかったんですがね。先代組長が、旅に出る際に指名されてしまいましてな~。あの時は、まいった、まいった」

 「え、でも、巌さんって」

 「そうです、“代理”です。組長から指名されましたが、あの人以外にこの組をまとめあげられる男はいません。だから、代理です。それに実際、私の代で全盛期よりも廃れてしまった。それで(エイ)君にも迷惑をかけっぱなしで」

 「科布会長に? そういえば、会長もここの出身なんですか?」

 「うぅん、違うよ」

 応えたのは巌ではなく、彼の膝の上でゴロゴロしていたサヤ。

 「エイジ兄と、私は、もっと遠いところから来たって。私は憶えてないけど、エイジ兄、いつも言ってる、私たちの故郷は、え~と、綺麗なところだった、って」

 「そう、なんだ」

てっきり永仕もここの孤児院の出身なのかと思っていたが、そうではないらしい。ならば、なぜ……

 「九重さん、ひとつ妙な事を聞く事を許してください」

 急に真剣みを帯びた声に背筋が伸びる。声の主である巌もまた、胡坐の姿勢から正座へと直し、私の目を真っすぐと見つめてくる。

 どんな言葉で嘘をつこうとも、心に隠匿する事を許さないその視線にただ事ではないと感じる。何を聞かれるのか、想像もつかない。

 私もまた緊張して言葉を待つ。

 その内容は



 「九重 撫子さん、あなたは今、幸せですか?」



 言葉に詰まった。

 けっして返す答えが応えられないわけではない。問いの意味が理解できないのでもない。

 ただ、なぜこの人がそんなことを聞いてくるのかが、わからない。

 「あの、どうして?」

 「訳を話してしまえば、きっとあなたは私たちに優しい嘘をつく。それでは駄目なのです、今のあなたの答えを聞きたい」

 どうしようもなく不安が募る言葉を重々承知するように言葉を吐く巌。

 懇願、に近い問いかけに言葉を慎重に選ばねば、

 と思っていた。

 「幸せ、ですよ」

 意識せずともスラリと答えは出た。

 「ちょっと前まで、自分は不幸……みたいな状態でしたけど、今は幸せです。友達もたくさんできましたし、帰るところもできました」

 あれから二か月。それ以前と比べようもないほど私の世界は輝いていた。血に満ちた過去を忘れさせてくれるほどに。

 「夏休みなのに、遊びに誘ってもらえました。私のことをもっと知ろうとしてくれる友人や、皆のことを考えて料理してくれる人も、不思議な人だけど影ながら情報をくれる人も、それとガサツで、ハデ好きで、天の邪鬼で、意地悪、デリカシーのかけらもない覗き魔、魔王みたいで、拳銃をいつも撃って、私がいっつも、いっつもドアを直す原因だけど」

 「最後の人だけ、ずいぶん恨み事ばかりだね……」

 「私に生きる権利はあるって言ってくれました」

 私は幸せだ。だからと言ってあの時のようにもう死んでもいい、と思うことはできない。もっと生きて、もっと彼らと生きていたい。

 その気持ちを持てたことが私にとっては一番の幸せなのかもしれない。

 巌は私の言葉を吟味するように目を閉じる。だが、すぐに顔を上げて頷く。

 「……そうですか。そうか、そうですか。なら、私はともかく永君は少し救われる」

 「あの、理由を教えていただけますか? それにどうして会長が」

 「代理ぃぃっ!!」

 今度は私が聞こうとするが、激しくあけられた障子の音にかき消される。

 「五郎ぉ! 礼儀がなってねぇぞ! 四十過ぎて落ち着きがねぇ、それでも若頭を名乗るつもりか!?」

 「申し訳ありません、ですが緊急の用でして!」

 五郎、と呼ばれた男性は四十代とは思えぬ、筋肉隆々とした体を振るわせ、息を上げながらも簡潔に報告をする。

 「討ち入りです! 鈴木と天塩の奴が負傷、報告によれば攻めてきたのは“咲那(さきぐに)会”の奴らです!」

 「あ? 最近、出てきたジャリばかりの組じゃねえか。どうして家に?」

 「わかりやせん。ですが攻めてきてるのは事実です。西と東にわかれて来てます、ワシは西へ指示に向かいます。代理には東の方をお願いします!」

 言うだけ言って去っていく五郎。そして、続けて広い屋敷に響き始める戦闘らしき轟音。

 「ふ~、まったく。九重さん、申し訳ありません。お嬢と一緒にここにいてください。かるく絞めてきますから」

 体中からさきほどの温和さはなく、ただただ代理とはいえ、組長の肩書を背負うに相応しい鬼の形相でふすまを占めた。

 取り残されたのは、けたたましく響く悲鳴と銃声が聞こえるのにも関わらずスヤスヤと眠るサヤと

 (……ホント、帰っておけばよかった)

 涙ぐみながら、本気でそう思う自分だった。

 


 視点変更 4



 「テメぇ、肩ぶつかっただろうがぁ、ああ? 新品のスーツなのにぃ、どうしてくれんブるぎゅアッ」

 そうしてワザと肩をぶつけて言いがかりをつけてきたチンピラ風の男性が、半ば投げやりな進・カーネルの裏拳を受けて数メートル、宙を舞った。

 「相変わらず、ここはバカ率が高いな」

 ドシャ、と地面へと不時着した男の顔面は見事にクレーターを作り、血でカルデラを作る。ピクピクと痙攣してはいるが息はあるから大丈夫? だろう、たぶん。

 僕、アルバイン・セイクは静かに溜息をつく。どうしてもっと穏便に済ませられないのだろうか、と。

 僕の隣を歩く錬金術師ローザ・E・レーリスも同じような嘆息をついて辺りを見回し、進へと問いかける。

 「それにしても、ココはこんな騒動が起きても我関せず、なのですのね」

 確かに人一人が数メートルの自由落下をしたと言うのに、周りを歩く人々は振り向きもしない。

 (ここは、僕が聞いていたソドムの様な場所だナ……)

 僕らが現在いるのは歓楽街の大通り。挑発的な色をしたネオンが目に痛いほど入り込み、性的な快楽へと誘うような店の看板がやたらと多く、未だ青年を自称する僕の下半身を刺激する。

 その活気と明るさの影にあるモノも同時によく目に映る。

 店と店の隙間とよべる路地裏の影に潜む様に居るスーツの男たち、表には出せないような内容の店へと引き込む様に伸びてくる手、

 そして、早くも虫につかれ始めている死体と、やけに近い場所で聞こえる銃声。

 「おい、アルバイン。面倒事は…」

 「……わかっているサ。後でやるヨ」

 念を押す様に進が振り向くことなく静かに忠告してくる。最近はソドムのこともそれなりに気に入ってきていたが、こんな場所があるとまた嫌になりそうで、若干イラついていた。返す言葉にも嫌がこもる。

 ココは第18区。ソドムの中でも指折りの抗争と快楽と陰謀が渦巻く危険地帯。 

 「あら、進クン。今日は寄っていってくれないの?」

 ふと目の前を歩く進を呼び止める声に、皆で振り返る。

 そこに居たのは、色気を全開に広げたようなド派手なピンク色の服を着た熟女───のような、男性。

 「オカミさん。悪いが、これから今日は仕事でね」

 「あらぁ、そぉお? この前はあの二人の刑事さんとお仕事中でも遊びにきてくれてたのに、残念ねぇ。あら、このきゃわいい子たち“が”?」

 オカミさん、と呼ばれた男性は、いや。ここは空気を読んで女性か? は濃い化粧をしていて確かな年齢の判断はできないが、4、50代ほどの男性であった。 

 「最近、進の家にきたアルバイン・セイクと言いまス」

 「……ローザ・E・レーリスですわ」

 若干、奇妙なモノ言いに僕は眉をひそめながら頭を下げて挨拶し、ローザは若干、怖がりながらも名を打ち明ける。

 そんな僕らに満足するように満面の笑みで正体を明かす。

 「ここを中心にオカマバーを経営している上条(かみじょう) 輝弥(テルヤ)という者よ。みんなからは“オカミさん”って呼ばれてるわ。よろしくね。期待の爵位持ちの騎士様と、美少女錬金術師さん」

 この人はただのオカマではないようだ。彼……オカミは濃く残る青髭をジョジョリしながら値踏みするように僕らを舐めまわすように見ると、一人納得したように頷いた。

 「やっぱり気に入ったわ。あなたたちなら進クンにもついて行けるでしょう。良い情報、あげるわ」

 「オカミさんは情報屋なんだよ。どっかのエセ情報屋とは大違いの真面目で良い仕事をするから安心しろ」

 進の補足説明に若干、安堵する。ソドムの情報屋は彼のことしか知らないため、皆あんな感じなのだと不安だった。まぁ、変なことに変わりはないが。

 「あらぁ、ダメよ進クン。ハジさんだって、最近は彼女のためのプレゼント選びで忙しかっただろうし、情報にも不備ぐらいでるわよぉ」

 「アイツ、コンドアッタラメイニチニシテヤル」

 進の怒りのメーターがマックスになるのを楽しそうに見ていたオカミが、今度はこっちに振りかえる。先ほどの表情と打って変っての真面目な顔で話す。

 「アルくん、ジョゼット・ホーキンスがソドムに遺産回収の用心棒として来ているわ。後、ローザちゃんが探しているはずの“槍とフラスコの女神紋”が入った物品を彼の雇い主が所持しているらしいわ」

 僕はジョゼットという男の名で驚き、ローザは何かを確信したように笑みを作った。

 「なんだよ、その男となんとか紋って?」

 「進クン。人の黙っていることに自分から突っ込んじゃダメよ。下半身の武器ならいくらでも突っ込んでイイんだけど」

 駄目ダロ、とツッコミたいが突っ込んだら上げ足をとられるような気がして黙っていることにした。隣のローザはよくわからないらしく首を(かし)げる。

 下ネタを言って満足したのか、背を向けたオカミは手をヒラヒラさせながら帰っていく。

 「それだけ言いにきたのよ。お仕事がんばってね、3人とも」

 「ちょっと待ってくれ、オカミさん」

 帰ろうとする彼? を呼び止めるのは進。確信めいた目線を彼女? へと向けて。

 「アンタなら、“金狼”のことを何か知っているんじゃないのか?」

 金狼。今回の目標なのに関わらず、これについての情報は名前だけ。どんなものか、金色の毛並みの狼なのか、何かの隠語なのかもわからない。オカミがその情報を、もしかしたら居場所すら確認していると、進は考えているらしい。

 オカミが頭だけこちらに向ける、先ほどの明るい人物とは思えぬほどの鋭く暗い目と微笑とも苦笑とも取れる表情で。

 「知っているわ。金狼が何なのかも。在り処も」

 「!」

 「でも、教えない」

 「……どういうことダ」

 「きっと、ハジさんはあなた達に金狼を捕まえてほしいわけじゃないわ。大丈夫よ、そんなに警戒しなくても。今日の仕事に早く行きなさい、そこで全てわかるはず。それと、こんど撫子ちゃんを紹介してねぇ。彼女、いろんな意味で有名人だから」

 言うだけ言って、オカミはひしめく雑踏の中へと消え、もう姿を視認することはできない。

 「……どういう意味なのかしら?」

 「わからないヨ」

 「とにかく、行けってことだろう」

 釈然としない疑問もあるが、今は時間がない。約束の時間はもうすぐだ。

 立ち話をしていたネオン街を抜け、誰も目を剥けぬような暗闇の路地裏へと入る。そこは先ほどの喧騒が恋しくなるほど、闇と沈黙があるだけの路地が続いていた。

 そのさらに奥へと歩みを進める。広い道に出たはいいが、周りのビル群は廃墟で、ところどころに凄い衝撃を受けたかのような痕跡が多々見られる。ここは第三次世界大戦の古戦場なのだろうと推測できた。

 人の気配はほぼない。あるのは同族であるはずの人を殺し、金品をはぎ取ろうと画策する人間(ケダモノ)の静かな息遣いだけ。

 「……ここか」

 街灯一つない場所へと雲の隙間から小金色が降り注ぐ。

 見開かれた眼のようなそれは、月。

 (そうか、今日は満月だったカ)

 角度や大気中の不純物の濃度などで色々な月光があるが、今日は黄金色。視覚的な調整でやけに大きく感じるのは知っているが、今夜の月はやけに不安な感情を受けるほどの目に入る。占星術では衛星の光は人の精神に影響を与えるというが、事実のようだ。

 そんな月の光を受けたのは、大きな廃墟。

 もともと大きなデパートだったのが外観から容易に想像できたが、今は中が丸見えのボロボロ。外装と破損部分を通り抜ける風が化物の呼び声のように聞こえてくる。

 ここが今日の仕事場。今夜、ここで“遺産”の受け渡しが行われるらしい。

 「時間はちょうどいいはずだヨ。中で待ち伏せするかイ?」

 「ああ。物品は多いらしいからもう運びこまれているはずだ。回収のルートは空からだろうよ。だから屋上を目指せばいい」

 「横取り、しますの?」

 「い~や、このまま行ってもらってくる」

 「それは世間一般的には横取りだよネ? それじゃ、もう盗賊だヨ」

 「いいだろ。そこに“落ちていた”ものを、親切心から拾ってやるんだから」

 悪人面で無理やりすぎる善人論を語る進に二人で溜息をつく。彼に二ヶ月間つき合い続ける撫子は相当凄いのかもしれない。

 「とにかく、入るぞ」

 多少は警戒しながらも、堂々と元デパートの正面ゲートから入場する。

 中は外以上に荒れさを呈していたが、ショーウィンドや小さな売り場の壁などもないために建物の大きさよりも広く見えた。

 「ここまでくると、いっそ清々しいですわね」

 人ごみ嫌いなローザも同じ感想を抱いたようで一人つぶやく。それと同時に

 「……何人か、いますわね」

 僕と同じ気配を感じた様ようだ。今いる一階フロアだけではないようで、進が吹き抜けのようになってしまった天井を睨みつけている。

 罠を張られている可能性等々を考えれば、馬鹿正直に上にあがって行くのは得策でないことは明らかだ。ここは一旦引くか? それとも。

 「このまま上にあがるぞ」

 「本気かイ?」

 何も考えていない、ということはこの男に限ってないはず。だが、やはり不安はぬぐえない。

 「今の時間は運び出す予定時刻の十五分前。なのに関わらず、こんな所で油売ってるってことは、だ」

 「誰もが手を出せない状況なほどに警備が厳重か、もしくは誰かが無事に運び出すのを待っている、と?」

 「ああ。それにかなり胡散臭(うさんくさ)い内容だけに全員が遺産の有無がわかりきってないんだろ。だから、確認してくれる誰かを待ってるんだろうよ。だから、昇るだけには何ら問題はない」

 「片道だけは、ダロ?」

 「ああ、役得だろ?」

 まったく、この男は異常なまでに肝が据わっている時がある。思わず、尊敬しそうになるほどに。

 


 胸を張りつつも周囲に警戒をしながら、階段を上ること数分後、現在7階フロアにまで到達していた。

 旧デパートは全8階。屋上も合わせれば、9階建。

 街灯や内装の明かりもないために、明かりはほとんど外の月明かりを頼りに歩いている。破損と老朽化による隙間が多いために明かりには事欠かなかったが、急にそれが燦々と降り注いだ。

 「老朽化か、もしくは戦争時に使われた兵器によるものカ……」

 そこは7階の端、上へと昇るための階段があるはずの場所。なのだが、そこから上がない。まるでくり抜かれた様に円形に屋上まで天井が無くなっていた。

 「屋上があるだけマシですわね」

 階段と8階と屋上の一部がくり抜かれただけのようで、これで建物自体の耐久力には何ら問題はないだろう。

 「どころか、屋上までの道を(はぶ)いてくれたんだ。感謝するぐらいさ」

 確かに、と同意しつつも不意に月を見る。今はデパートの同じ大きさぐらいのビルに半ば埋もれるようにある。そこから差し込む横からの月光に目を瞑りかける。

 


 その“銀色”の光に。

 


 待て、それほどまでに早く光の色が変わるものか?

 鋭く月へと体を振り返り、目を見開く。

 月は未だに小金色。銀色なのは、月を背に立つ影だ。

 影は人の形を成している。二本足で力強く立ち、腕を二本肩からぶら下げ、頭が一つ。

 だが、おかしい。人の足は女性のウエストほど太かったか? 全身が覆われるように毛に満ちていたか? 腰から垂れるように“尻尾”があるか? 頭の上に突起物のような耳が二つ付いているか? 顔はあれほどまで“狼”のような顔をしているのだろうか?

 その巨体が、銀色の毛並みを持つ二本足で立つ狼が、力を溜めるように身を屈める。それと僕は同時に叫ぶ。

 「皆、ふせロォォォォォォォッッ!!!」

 「ッオオオオオオオオオオオォォォォォォォォッッ!!」

 デパートとビルの間はおよそ50メートル。その間を稲妻のごとき銀の閃光が駆け抜け、衝撃となってこちらを襲う。

 至近距離で爆弾でも使われたような衝撃が振りかかり、立っていた場所から数メートル弾き飛ばされた。

 グッと息を一気に吐き出される感覚に襲われつつも、受け身を取って転がり何とか床や壁に叩きつけられることを防ぎ、すぐさま立ち上がる。

 応戦体勢を取りつつ、周囲を確認。

 旧デパートはさらに廃墟になり、上の階が、無くなっていた。壁はまるで何かに引き裂かれたような傷跡を残していたが、すぐさま崩れ始める。

 (これハ……まさか、このフロアごと上の階を吹き飛ば……いや、引き裂いたのカ!?)

 あの銀色の狼の膂力(りりょく)に戦慄し、未だ粉塵渦巻く中に確認が出来ない二人を探す。

 「ローザ! 進! どこダ!!」

 「ここで、す、わよぉ!!」

 すぐ近くから苦しげな声がし、そこへと駆けていく。姿は見えないが、声がしたところは下へと大きな風穴が出来ていた。もしかしたら、上の階にあった荷物が下へと衝撃で落ちてできた穴かもしれない。

 「ローザッ! 無事…かっバァァァッ!?」

 そこ覗きこむ様に下を見たら、なぜか靴底が飛んできた。その相当な衝撃に仰け反るように後ろへ倒れる。

 「見るなァァァ、変態ぃぃ!」

 「グアァァァァ!! 目ガっ! 目が痛いぃイ! ノォアアアアッッ!」

 目にピンポイントで衝撃が叩き込まれ、その激痛にのたうち回る僕。

 片目が特に痛い。このまま目が失明して、隻眼の騎士とかカッコイイかな、とか思ったが、やっぱり痛い。それに目を失った理由は? とか聞かれて、逆さまになったパンツ丸見えの美少女錬金術師を助けようとしたら、目に靴がネ、なんて言ったら絶対引かれるし、馬鹿にされるからダメだ、そして、やっぱり痛い!

 「いいから、とっとと助けなさい変態騎士! 目を瞑りながらで、いいですわね。一ミリでも目を見開いた瞬間があるのなら、後で槍を千本、口に叩き込みますからね!」

 横暴ダ、と言おうとしたが、素直に手さぐりで目を瞑りながら、感覚を頼りに彼女の足を引き上げる。

 「も、もういいですわよ」

 「ああ、悪かったネ」

 「見てません、わよね?」

 「ハイ、上司に誓っテ」

 「……よろしい」

 荒げた息を整えていくローザを見ながら、心の中で謝る。

 スイマセン、見ました、綺麗な純白の下着を。脳内に足を大胆に広げた先にあった光景に下腹部が熱くなった……今回、僕こんなのばかりな気がしないカ?

 「それで、進は? あの衝撃はなんだったのわかります?」

 「ああ、銀色の狼が……」

 「そいつは……コイツのことかぁ?」

 舞い上がっていた粉塵が徐々に晴れていく中で聞こえた何かに力みながらの進の声。

 鮮明になっていく声の主は、


 

 進が振り返ることなく、この破壊を起こした銀色の人狼の右腕を、いつの間にかに背負っていた黒い大剣で受け止めていた。

 

 

 インビシブル・バックと呼ばれる不可視魔術が掛かったバックはあの攻撃を受けて木端微塵に弾けたようで、中に隠してあった進の身の丈ほどある重厚感溢れる黒い大剣が姿を現していた。

 名は、イザナミ。日本の古い文献に記される、夫への怒りと悲しみから千の人間を呪い殺すと言った神の原柱と同じ名を持つ剣。

 あの大剣を、撫子はよく大きなバスタード・ソードと表現している。だが、あの常識外の大きさと長さと厚みはグレート・ソードと言っても過言ではない。それを進は…

 「なに驚いてやがる」

 進は、剣を勢いをつけて引き抜き、振り返ると同時に、狼へと下から上へと振り上げる。

 銀の人狼は素早く、後方へと飛びずさる。それは決して恐れ慄いてではなく、その攻撃を見抜いての動きだった。

 「最近、よく背後から攻撃を受けるんでな。臭いな、と思ったら気を付けるようにしててね」

 「グルルル」

 大剣をおもちゃのように片手で弄びながら、軽口を叩きながら歩みを止めず、狼との距離を縮めてゆく進。人狼は威嚇するように、怒りに身を震わすように唸る。

 剣を相手へと突き付ける進は、その赤い眼を戦意で光らせる。相当の重量がかかっているはずの進の片腕は微塵もブレず、人狼へと向けられる。

 「で、アンタが“金狼”なのか? まぁ、見た目は銀だけど」

 見た目は銀色の毛並みを持つ人狼。金、という単語が当てはまる箇所はない。ただし、銀は常に金と共に色の双壁をなす存在でもある。関連性がないとは断言できない。

 その言葉に、銀色の人狼の目がたしかに細められた。

 「……だんまりか? なら、良いさ。俺はテメぇを徹底的に調教するだけだからな」

 ニヤリと笑うその顔はもはや主人公にあらず、ただのチンピラか悪役そのもの。

 その悪役の宣戦布告とともに、人狼が小さく息を吸い込み

 「スゥ…オォ…ガァァッ!!!」

 一気に鋭く、咆哮。

 全面を叩くような衝撃波がフロア全体を襲う。

 崩れかけていた床は容易く、周囲の壁もろとも粉砕される。僕らもそれに巻き込まれ崩れる足場から安全と判断できる場所を探しつつ、崩壊の光景に彼の姿を探す。

 その光景の中に彼はいない。

 「上から失礼ィッ!!」

 「ガァアッ!」

 誰よりも早く攻撃と察知した進は、咆哮を受ける前に飛びあがり回避していた。

 薄気味悪いほど大きく目に映る月の下。自由落下とともに振り下ろされる斬撃と、それに逆らう空の獲物を仕留める狼の大型のナイフのような三本の鈎爪が衝突する。


                                     次話へ



 非常に遅れたことを後悔しつつ、四万文字で今回を収められなかったのも後悔。どうにか、四万で収めるべく、ガンバりましたが……三話を二つにして分けました。

 なので、四話はあと一週間ほどで掲載できると思います。

 読んでいただけたら、幸いです。


 H24 7月4日 細部修正

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