2、吸血鬼の遺産
2、吸血鬼の遺産
「それでさ、三人とも夏休みはどうするの?」
夏の日差しを受け、アスファルトが熱気をだす遊歩道。人がまばらに歩く道を、私たち四人はゆっくりと横並びに歩いている。
「夏休み、ですか……?」
一学期最後のホームルームを終え、帰宅を選択した者たちは早々に学校を去っていく。
私、九重 撫子もその内の一人である。
運動部や文化部に所属する者は夏休みの予定や活動のために学校に残るが、私は特に所属していないので帰宅する類に入る。いわゆる、帰宅部だ。
同じく横に並んで一緒に帰っている優子や転校してきたばかりのローザは部活動は行っていない。もう一人の智子だけは陸上部に所属しているが、今日は明日からの夏合宿の用意のために休みになっているので、一緒に帰ることができている。
そんな中、優子が夏休みの予定を聞いてきた。
「ゆっくり、宿題でもやっていこうかと」
「「「…………」」」
私の完結的な夏休みの予定に、他の三人がすごく渋い顔になる。え? 私、変なこと言いました?
「え? 何か変ですか?」
「変、というかさ……」
「いや、いいんだろうけど……夏休みだよ?」
「貴方、ホントに現代人?」
特に最後のローザの一言が痛い。魔術を操る人間に言われれたくはなかった。
「でも、夏休みはいつも……」
夏休みにいい思い出などない。夏は“屋敷”に“養父”の会社関係のお客様が来られて毎日のように駆けだされるし、お稽古事と勉強ばかりで、宿題をやる時間を得ることすら……と頭の中に予定が展開されている内に気がつく。
(そうだ。私はもう“養父”に囚われてるわけじゃ……)
普通の夏休みといえば。
「海、行こうよ! 海!」
「私もいいな、海。部活は山ごもりでさ~」
「日本の夏にある祭には、昔から興味がありましたの」
「「それもいいね」」
“普通”、このようなモノだ。
忘れていた。学生にとって夏休みとは、一年の内でもっとも長い連休なのだ。将来のための勉強や、日常では出来ない実験や冒険などが出来る自由な時間。
そんな常識を、ある理由から忘れていた私は本当に歪な存在だったのだろうと今さらに認識する。今まで私にとって夏休みは気がめいる普通の日と変わらない長いだけの、ただの過ぎ去るだけの時間だった。
そうだ、今は違う。その時間を楽しんでも、いいのだ。
そう認識しながらも、おそるおそる尋ねる。
「私も、一緒に行ってもいいですか?」
「もちろんだよ! 撫子ちゃんはどこか遊びに行きたい場所ある?」
「待つんだ、優子。私は部活の合宿が登校日まであるから、それ以降がいい」
友人たちの笑顔に囲まれ、予定を決める。そんな当たり前の光景を、今まで見たことも、その輪に入ることがなかった。
いや、そんな光景を無意識に見ようとしなかった自分がいたのだろう。辛くなるから、期待してしまうから、羨ましいと思ってしまうから、楽しそうな他人の日常を見ることを心が拒絶していたのだ。
緑が多くあった遊歩道を抜け、現代的なコンクリートの街並みに変わると、ふとビルとビルの間にある狭い路地に目がいく。
思い浮かぶのはそことは別の路地裏での出会い。
(全部、あの路地裏から……進と出会ってから……)
目を閉じれば、思い出すことができる。そんな昔ではないのだが、自然と遠い昔のように感じるのは、この二カ月ほどで体験した事件の密度が濃かったせいだろう。
「……撫子!」
そうそう、こんな感じで危険なので避けろ! 的なニュアンスで名前を呼ばれることが多かったな。
「そこ、どけぇ!」
うんうん、ドスを利かせた男の人の声で罵声を浴びせられたり。見ていた路地裏からアタッシュケースを抱えた、いかにも極道です、と言わんばかりのはだけたスーツ姿のお兄さんが出てきて……
ガチリ
「ああ、こうやって銃をこめかみに突き付けられたことは、無かっ……た、な……?」
「何をボケてますのっ!」
「やかましいわ! ボケぇぇ! 黙っとけぇ!!」
命を何度もとられかけた思い出に浸り過ぎて、反応が遅れた(?)ので、されるがままに人質にとられた私。
「撫子!」
「撫子ちゃん!」
「じっとしとけよ! 騒がなければ、悪いようには……なんだ、ねえちゃん? そのうんざりしたような面は?」
自分で言うのもなんだが、決して美少女がするようなヒロインめいた表情ではなく、どこか諦めたようなうんざりした顔になっているのだろう。
言ってしまえば、「またか」。そんな表情にもなる。
(進と出会ってからは普通の日常に戻りましたけど、なぜか事件に巻き込まれる率が多くなっている様な……)
この場合、泣きわめいたりするのが鉄則? なのか、拳銃を突き付けるお兄さんの表情が変な奴を見る目になったが、それも一瞬。すぐさま、路地裏から飛び出してきた時のような余裕ない、何かを恐れているかのような表情で辺りを見回す。
「何処だ! どこに居やがる……! 勘弁してくれよぉ!」
「?」
息があたるほど近くにいる私にしか聞こえないような小さな悲痛の声を上げるお兄さん。誰を指しているのか? その答えは、目の前の闇が貯まる路地裏から聞こえてきた。
「ここにいるだろ。獲物君」
闇から出てきたのは、黒いスーツにロングコートの男性。一瞬、身近な人物にも見えたが、声は野太く、身長も彼より大きい。別人だ。
未だ高く上る夏の太陽の日差しを受け、その姿をさらす。
整えれた顎髭と髪に、人が良さそうなやや垂れ目の白人の中年男性。頭には服には似合わない黒色のカウボーイ・ハット。
その私が知っている黒い人よりもさらに黒い男性は、ブラウンの瞳でお兄さんを見つめる。
「さぁ、そのアタッシュケースを渡してもらおうか?」
「ノーブルマン……ハンター」
ローザが目を細めて、出てきたおじさんを見る。ならば、今のが名前だろうか? でも、貴族の男?
流暢で柔らかな印象を持たせる日本語で、語りかけるハンター。それだけで、お兄さんの体温が下がったのを感じ、頭に汗が、凄い量の汗が落ちてきた。
「く、くるな。たのむぅよぉぉ! くんなよぉぉぉ! こ、殺すぞ。この女を、そ、おっそそそそそうだ、殺されたくなかったら近づくなぁぁぁぁぁ!!」
人質にとった私の価値が、あの人に通じるかどうかを考えぬまま、焦り、狂うように声を上げるお兄さん。
そんな彼の脅しに何の感情もないのかハンターは、肩をすくめて溜息をつく。
「それは困るな。美人は世界のかけがえのない財産だ。打つのなら、私にしたまえ」
そういって両手を上げたハンター。それを見たお兄さんが猟奇的に笑う。それは勝者の頬笑み。
「……そうか、じゃあ死ね!!」
そう言って、私のこめかみから銃を外すと、無抵抗の体勢であるハンターに銃を向け、引き金を躊躇うことなく引いた。
すぐに響く一つ分の銃音。
騒然となる現場と野次馬たち。
そして、
「ほら、危ないだろう? 素人が銃を撃つと…」
いつの間にか、私の目の前にいたハンターとお兄さんの持つ銃が“バラバラ”に分解されたのはほぼ同時だった。
(え?)
私が視認した時にはすでに綺麗にパーツに分けられていた。ならば、解体した時間は刹那に等しいということになる。この尋常ならざる神業と、彼から漏れ出る怪しげな存在感、間違いない。
「ほら、こうだ」
ちゃりん、ちゃりんと拳銃の小さな部品がコンクリートに落ちる音にようやくお兄さんの時が動き出した。まず最初に動揺。その隙に私は彼の束縛から逃れる。
「は?」
「イイのかな? ガラ空きだが?」
次に腹部にハンターの拳が深く潜り込んだ衝撃に、白目を剥きながら苦悶の表情。さらに次はなく、そのまま意識を失いながら地面へと倒れた。
一瞬すぎる出来事に、静まりかえっていた世界は事態の理解を始めた人々によって急速に沸き立つ。
騒ぎ立つ野次馬、響く歓声。
「撫子ちゃん! 大丈夫!? 怪我は! ああっ! 髪に汗がいっぱい!」
「……また、助けられなくて……うっ、撫子。クサイ」
ひどい。だが、確かに臭う。
「……無事のようですわね」
事後確認のように淡々と確かめもせずに声をかけてくるローザ。彼女の目線は別に向けられている。
「で、どうして貴方が日本にいますの、ハンター?」
「おお、やはりレーリス嬢。その美しさ、見間違いはなかったようだ」
どうやら二人は知らぬ仲ではなかったようだ。でも、二人の間には安穏とした雰囲気は一切ない。あるのは疑惑と腹の探り合いでもしているような重たい空気。
「質問に答える気はないのかしら?」
「いいえ、そんな気はありません。しいて言うなら仕事でしょうか?」
「仕事?」
「ええ。私もレーリス嬢と同じく雇われ動く身ゆえ」
肯定しながら、お兄さんが持っていたアタッシュケースを拾い上げると、留め金をゆっくりと外してゆく。
「それは、なんですの?」
「言うなれば宝。または……」
アタッシュケースの中身を見せるようにこちらに向け、開く。そこには。
「遺品、“遺産”でしょうか」
金。金の延べ棒。金塊がぎっしりと詰まっていた。
それも、“あるマーク”が入った金の塊。
「わ! 嘘!」
「これは、凄いな……」
裕福な家庭とはいえ、一般人の二人のは衝撃が強すぎたのか、息をのんでその財宝から目を離すことができないようだ。
「貴方が金銭目当てなんて考えられませんけどね」
「ははっ、耳に痛い。あや? そこのお嬢さんは大丈夫ですか?」
「? 撫子?」
意識と呼吸のすべてが一点に集中される。私が目で捉えているはずなのに、心がそのエンブレムに囚われ、これまで見てきた恐怖と絶望に、目を離すという選択肢を奪われる。
息がつまるような動悸と息切れをする私を、残りの二人が怪訝そうに見る。
親友二人同様、私も金塊から目が離せない。
ただ二人と違う点と言うなら、彼女たちは金塊全体から目が離せないのに対して、私は金塊に押されたマークの一点から目が離せないでいるところだ。
すると、ふいにアタッシュケースの蓋が勢いよく閉じられる。
「あッ」
「……少しお嬢さん達には刺激が強すぎたようだ」
「…………」
我に帰る三人の内、顔から汗が滝のように流れ出る私をローザが探るように見つめてくる。それも数秒で、すぐさま対象を変えたローザが話を戻そうと、未だ意識を失っているお兄さんを抱え上げたハンターを問い詰める。
「それが、本当にお仕事? さすが……」
「ローザ嬢はこれが何なのか、ご存じではない様子だ。なら、観光もこれまでにして早く英国に帰ることをオススメしましょう」
「なんですって?」
「ここはもうすぐ、ハイエナたちの戦場になるのですよ。……まぁ、そこのお嬢さんはこれが何なのか知っているようですがね」
スッと雑踏の中へと入って行くハンター。あれほ目立つ外見で、肩に男一人抱えているというのにスグに見えなくなっていく。人を隠すなら人の中、と言うが自分をあれだけ隠せる存在は見たことがない。
「……どうして、今さら」
私は雑踏に消えていった背中に問うように呟く。
彼の最後の言葉。
ローザにはわからなかった価値。
だが、私にはわかった、あの金塊の価値。
金塊そのモノではなく“彼の遺産”という意味で。
「撫子! 貴方なにか…」
「何やってんだ? お前ら」
えっ、と後からの声に振りかえる。
問いつめようとしたローザも、優子も智子も目に入ったのは黒いコート、ではなく白いシャツ。
この暑さ厳しい夏に相応しくない青いジーンズと流石に熱いのか、白地のワイシャツの袖をまくり上げている。いつも上から二つほど開けた状態のボタンも、今日は盛大に四つ以上開けている。
黒い髪と、見下ろしてくる二つの、いつもより鋭さが半減した紅い瞳が印象的な青年は、凄く有名な安いアイスバーをかじりながら、めんどくさそうに聞いてくる。
「お前は、ほんと巻き込まれる天才だな」
「進……」
進・カーネルが黒いコートを肩にかけて、そこに居た。
「進?」
「あ、この前のヤクザっぽい人だ」
「……こんなに優しそうな、お兄さん指さしてヤクザっぽいは無いだろ。ご近所でも有名なんだぜ、進はまるで聖人君主がいたらこんな奴だな~、とか」
嘘つけ、間逆のくせに。
「誰が間逆だ」
「どうして! いつも私の心があ、ああ! 止めてぇ、止めてください。髪をワシャワシャしないでくださいぃぃ! 臭いが! 臭いが着いちゃうぅ!」
ついでにアイスの汁もかけようとする進から、女三人が協力して私を救出してくれた。
「……はぁ、はぁ……ど、どうして進がココにいるんですか?」
「いちゃ、いけねぇのか? 暑かったからアイスを買いに来たんだよ」
ホラっ、と紙袋を持ち上げる進。中には複数のアイスがぎっしり。
「ついでにアルバインの奴に何がイイって聞いたらハーゲン●ッツだとよ。しかたねぇから日本の百円アイスの実力を見せてやろうと思ってな」
「はぁ……」
野次馬も去り、何事も無かったように戻る人と街。その雰囲気に聞く気をなくしたのか、ローザがムくれたように虚空を見つめていた。
すると、
「ねぇ? 撫子ちゃん。このカッコイイ人、だれ?」
「そうだな。紹介してよ、撫子」
彼を知らない二人が興味津々になっていた。
(たしかに二人にはきちんと紹介したこと無かったが……カッコイイのだろうか? このイジワル魔王)
興味の対象となっているとは知らずに、アイス棒に当たりが出たことに驚いているこの人を紹介してもいいが、ついでに住所も聞かれたらどうしよう?
それはつまり、私の住所ということに、なる……。
「彼は進・カーネル。私たちの住んでいる借り家の大家ですわ」
ローザ!?
さり気なく、薄紙に包んで話している気配もある。だが、外国生まれで、危険地帯に平気で入ってきて順応した魔術師であるローザのことだ、“あの”場所に関してなんら疑問も持っていいまい!
「え? じゃあ、撫子も一緒ってこと?」
「そうなりますね」
「この近くなの? 行ってみたいよ!」
元お嬢様の家がどんなモノか知りたいと、眼をキラキラさせて喰いつく優子と智子。
まずいっ!
「ええ、この先にあるソ…」
ソ!?
「ソフトクリームがおいしいアイスクリーム屋の横を曲がって」
ほっ、と一息。少しは気にして……
「めんどくさいので、省略してソドぉ」
くれてる訳が無かった!!
各部筋肉を出しうる限りの出力で、駆動させる。再びアイスを舐めだした魔王みたいな奴と微妙に天然な金髪娘の首根っこを掴み、急速ターン。
「夏休みの予定は、登校日にでも話し合いましょう!! ええ! そう! ソレが良い!! お、おほほほ!! ご機嫌ようですぅぅ! ほんとに、本当に……ごめんなさぁぁぁぁぁい!!」
緊急のためかいつもの三倍以上の力をもって二人のお荷物を引っ張って走り出す。さりぎわの友達への挨拶の最後の方はほとんど懺悔になったのは、嘘をついている私の後悔故か。
すごいスピードで駆けだした私をポカンとその場にとどまる、友達の姿が見えた。
友達に嘘をついていなければならないこと。それがとても心苦しかった。
第三次世界大戦を起こしてしまったこの世界では、技術水準などは上がっているが、別に空飛ぶ自動車が復旧していたり、家のすべてに猫型ロボットがいることは、ない。二十一世紀初頭とそこまで変わったことがないのが実際だ。
ただし、新たに生まれた場所はある。
戦争による死傷者は、過去の大規模戦争に比べれば少ない、と言われている。それは破壊兵器への防衛対策の技術力が向上していた点が大きいだろう。それほど無かった地下シェルターも今は当然のようにあちこちに設置され、普通のご家庭にもあるくらいだ。
しかし、戦争で外の建築物は躊躇いなく破壊され。高威力の兵器になす術もなく破壊され、傷跡を残している地も多い。
その中でも日本の首都、東京に出来た傷痕は大きく、23区の台東区を中心とする東側のほとんどは復興の目処が立たないと判断され放棄・隔離された。
それは化学兵器の使用された痕跡や戦後の補償金等もある政府には復興に回すだけの財源が無かったのが大きな要因であった。
そうして、人々はそこから渋々出てゆくこととなり、隔離区は出来上がった。
だが、そんな隔離されていたはずの地に住みだす者たちが現れ始めた。
「ぜぇー、あああ。ココまで……くれば、大丈夫でしょう……」
「……撫子。お前、時折すごいよな」
住みだした者たち。彼らの大半は安住の地を持てない外国からの流れ者、戦災により土地を追われた戦争被害者、事情により日の下を堂々と歩けないようなならず者など。
「なんで逃げなければなりませんの?」
それだけならよかったが、彼らは“隣国”となった日本に被害を出し始めていった。日本の領域にありながら、国の法が適応されない無法の地から、易々と国境を飛び越えてくる者たちに日本の人々は被害を被っていった。
増える犯罪や暴行等に日本のみならず他国からも批判を受けた政府は隔離対策として対象地区の周囲にビル二階ほどの高さの壁を作った。それ以降、犯罪傾向は減ったとしている。
それからは、隔離区に対する日本人の見方は変わった。可哀想な者たちが居る地から、犯罪者が集う最悪の地と言う見方に。
そんな場所に、私はある理由から住んでいる。
「もし、ここに住んでるなんて知られたら……どんな目で見られるか、わかりません」
「そんなの気にしなければいいのですわ」
「一応、格式が高めな進学校ですよ、私たちの学校。バレたら、退学になるかも」
「……それは、まずいですわね」
隔離され壁に覆われた地のことを正確に確認することが出来なくなったために、自然と悪い噂ばかりが流れ、気がつけば、勝手にある時から皮肉めいた名前で呼ばれるようになっていたそうだ。
多くの人々が心乱れたため、かつて神により燃やされたと言われた場所、神に見捨てられた者たちの巣窟の名を。
人は言う、そこには死体が石ころのように転がっていると。
人は聞く、そこは一日中、銃声が鳴り響いていると。
人は語る、あそこは常識が呆れかえり、どこかに去ってしまった場所だと。
いつしか、人は隔離区を“ソドム”と呼んでいた。
そんな無法の地にある事務所のニ階に私は住んでいる。
つまり住所不定者なんです、私。
海外に本籍地を持っているローザが羨ましかったりする、高校二年の夏である。
……悲しくなんか、ない、ないもん!
「うわっ、本当ダ。進、このアイスおいしいネ。これが百円とは、すごいな日本」
ところ変わり、家主である進が事務所と呼ぶ場所。
その広めの空間の中央にソファは三つ、その奥に進のデスクがあり、四角いガラス製のテーブルを囲むように相対している。
その向って右側のソファで王子様がアイスを食べていた。
細い顔立ちに、サファイアを沸騰とさせる青玉の瞳と優しい色のストロベリーブロンドの綺麗に整えられた頭髪。
おとぎ話に出てきそうな王子様のようで、実は騎士にして貴族の称号を持つ“アルバイン・F・セイク”は白いポロシャツに黒い半ズボンというラフな格好で、この場所に馴染んでいる。
「そうだろ。ならこれ以降、高いアイスをねだるな」
「でも、アレも食べたいナ」
「それなら、そこのポンコツにでも頼めよ」
「なんで私、何なんですか!? ローザに頼んでください」
「……私、よくお金持ちと間違われますけれど、全然、余裕がない労働者ですわよ。この百円アイスも高価に見えるのが悔しいくらい……」
そういうどこぞのお嬢様でも滅多にいない、美しい外見の美女である“ローザ・E・レーリス”は実は苦労人らしい。
本人に聞いたら、家と呼べる場所もなく、今も生活費などすべて自分で稼いでいるそうだ。彼女がいま着ている服も、ソドムで買った安いTシャツに体育用の半ズボンである。
それでも彼女が着ると高級ブランド品に見えるから不思議だ。
一応、冷房機がある事務所の一階で涼みながらアイスを頬張る四人。と……
「いやぁ~! 夏はアイスと扇風機に、クーラ~ですねぇ~。これぞ、日本人のだいご味!」
「……体を肉抜きして、風穴空いたら、もっと涼しくなるから手伝ってやるよ」
ソファーに座っていた進が、素早くとりだした銃の引き金を、躊躇なく引く。
狙いは対面するように座っていた私、の斜め後ろ。に、いつの間にか居たハジさん。
「い、よっと」
それを華麗にバク宙でかわすハジさん。ソドムでも名のある情報屋にして安物雑貨屋の店主である彼はこうして進のちょっかいをかけては進に撃たれている。だが、これまで彼の銃で撃たれているが当たった試しがない。
当たらなかった銃弾は、そのまま標的を通り過ぎて、事務所のドアへと直撃。ドアの一部を抉るように貫通する。
「ああぁ! ドアが!?」
「……撫子さん、アッシが撃たれた事を心配してくれないんですかぁ? うぅぅ、早くも旦那に毒されて」
いつも、いつも誰が直してると思ってるんですか!! うぅぅ、なんの怨みがあるんですか……。
「おいおい、撫子を泣かすなよ……」
「誰が一番泣かしてると思ってるんですか!! それに進! 今、私の人権を無視した意味を感じましたよ!」
「それは、置いといてぇ~」
「ハジさんまで!?」
もういいですよ、とドアを直すべく立ち上がる私。部屋の隅に作られた収納スペースから簡易大工道具を取り出し、穴を塞ぐベニヤ板を取り出す。あ、釘を打っても貫通しないように端材を……
「本題は何だよ。まさか、アイスのタダ食いだけじゃないんだろ?」
「…………うぅん」
「よし、アルバイン。そいつの体を押さえろ、俺が首を断つ」
「待った! 旦那ぁ! 冗談でやんすよ、本気にしないで!! え、アルバイン氏? なんでアッシの腕を掴んでるの? ローザ嬢!? やめてぇ! 暑い、熱いぃぃぃ!!? 溶けた銅は止めてぇ! いやぁぁ助けてぇ……あれ、撫子さん!? どうして向こうに行っちゃうの?」
「え? ドアを直さなきゃいけませんし」
「づぇぇ!? アッシの存在価値、ドア以下ぁ!?」
いつものやりとりを聞きながら、思う。アルバインもローザもここの順応してきているな、と。
息も絶え絶えになるほど抵抗したハジを三人は解放する(進だけがマジで大剣を抜いていたのは無視する)と、元の定位置に戻っていく。私は手慣れた動作でドアの改修作業をしているため、彼ら三人の会話を遠くから聞いている状態になる。
「で? 本題は?」
静まりかえる室内。その緊張感に何かが起きると、確信できる。そんな部屋に満ちる空気を作りだしたハジは掌を進に差し出す様に…
「本“題”を“ちょうだい”とか……言うんじゃ、ないよな?」
あらゆる意味で、進の言葉に部屋の時間が止まる。
微妙な空気が室内に満ちる。一人を除いた全員の視線は、除かれた男、ハジへ向う。
ハジは。
「……テヘッ」
「殺せ」
進の合図に、私を含めた全員が武装を瞬時に展開。ちなみに私の武器はカナズチ。
「タンマですっ! 悪かったですぅ! だって! アッシ、二章で全然出番なかったしぃ! 目立ちたかったのにぃ! 何でやんスかアレ。どっかの飲茶じゃあるまいし……」
「本題は?」
進が目に本気の殺意を抱えだしたため、言葉なく土下座するハジ。すぐに無駄な挙動なく立ち上がり、座り直す。
「えーっと、旦那? 最近、ソドムがずいぶん騒がしいと思いやせんか?」
「騒がしいもなにも、毎日のように銃声が聞こえてんぞ」
「それは、いつもでしょう? 最近ですよ、さいきん」
ハジは、座るソファーの沈み込みに抗うように、前のめりになる。それは逆に進を伺う姿勢のようにも見える。問いかけるような、またはお前が渦中の存在だ、とでも言うように。
「最近、ね? さてな、いろんなことがあり過ぎてな。一々、覚えてられねぇって」
「にゃ、はははっは! そういや、そうでしたねぇ~」
快活に笑って、ソファに倒れるように背を預ける。そして、首を上に向けて、話を始める。まるで全体へ降り注がすように、この場の全員に話かけるように。
「……最近、ある代物が出回り始めてるんっすよぉ。くだらないガラクタから、金銀財宝、または“使い道が判らない”ような不可思議な代物まで」
ハジの言葉にいち早く反応したのはローザ。ピクリ、と肩を震わせたのが一瞬見えた。
「それらは、一見して関連性の無いモノばかり何ですが……最近、出所が判りやしてね。わかったら、わかったで今度は争奪戦みたいなモノまで始る始末でしてぇ」
「争奪戦だっテ? 何処と、どこガ?」
アルバインも争奪戦、という物々しい言葉に反応を示す。正義の騎士である彼ならば、当然の反応なのだろう。
「いろいろですね。ヤクザな奴らから、政治家。一般人もいましたね。最後のはコレクターですがね」
「収集家? そこまで価値が判る者たちが参加しているということは歴史的なものですの?」
「歴史がある、と言われればありやすね」
「もういい、遠回りなのはキライだ」
ハジの説明の遅さに業を煮やしたか、簡潔な説明を求める進。紅い瞳がハジを睨む。それに動じず、圧力的な進を真正面から見つめる。彼が帽子を深くかぶっているため、ハジの目と紅の目が合うことはない。だが、はっきりと重たい間を挟んで、簡潔に答えを出した。
「ドレイクの遺産ですよ、旦那」
「っ!?」
私の心臓の鼓動を“完結”させかけ、絶叫しそうになるのを懸命に堪える。
皆から離れた場所にいたためか、私の変化に誰も気がつかないまま、単語の意味を計る三人。
「ドレイク? あぁ、ドレイク・V・ノスフェラですわね。たしか、二か月ほど前に飛行機事故で亡くなったとか。けれど……」
ドレイク・V・ノスフェラ。
世界的な大企業ドレイクカンパニーを一代で作り上げた、やり手の大社長。高貴さに溢れた、だれもが模範とするべき存“だった”と人は言う。
それが突然、死去したという報告が世界を駆け巡った。彼の所有する飛行機事故に巻き込まれたという内容だった。
「あのドレイクが飛行機事故“程度”で死ぬとは思えなイ、というのが我々の見解だったヨ」
「気が合いますわね。そうでしょう? だって、彼は“吸血鬼”ですのよ」
そう、世界的に知られる大企業の“元”社長の正体は、吸血鬼。
それも強大な力を持つ、吸血鬼の長。
彼はその力と財力を持って人の世界を己の支配下に置いていた。それが人の世界の経済一端を担う存在として君臨していることを幾人かは解っていた。だが、人に害なす存在であると正体がわかっていても、世界は彼を放置した。
彼がどのような非道を起こしていたとしても、人の世に繁栄をもたらす存在であるとして、人々は誰も彼を咎めずにいたのだ。
そうやって、世界は彼のエサ代として、多くの命と、一つの家族と、ひとりの少女を生贄にした。
「あの気持ちの悪い髭オヤジと一度だけ会ったことがありますけれど、視ただけで吐き気がするほど、血臭がしていましたわ」
「彼はどんなビンゴブックに載っていたとしても、国家が保護していたから、誰も彼に手が出せなかっタ。それに出せたとしても、彼は純血の吸血鬼ダ。敵う存在がいるとしても、騎士団の副長か騎士団長クラスでなければ太刀打ちできなイ」
純血の吸血鬼は、心臓を破壊されない限り死ぬことはない。始めから死そのものを内包した呪の塊であるからだ。しかも、心臓を破壊しようとする武器を簡単に呪いで溶かし、どんな武器であると心臓を破壊することは出来ない。
斬ることに成功したとしても、切り裂いただけでは心臓はすぐに傷を塞ぎ、再生してしまう。それに加えて、人を小指で殺せるだけの豪力と吸血行為による奴隷のような卷族作り出す能力を併せ持つ。それにもう一つ彼にはある能力があった。
まさに無敵の存在。
それなのに、彼は殺された。
「私、思いますの。彼はまだ生きていて、地下に潜っているかもしれませんわ」
「僕もまだ生きていると思うナ。彼が簡単に死ぬなんて思えなイ」
彼らの意見ももっともだ。だけど、彼は確実に死んだ。なぜなら……
「ホントに死んでますよぉ、彼」
断言したのはハジさん。そんな彼を馬鹿にしたようにローザが理由を聞く。
「貴方、冗談が好きですわね。だったら、彼はどうやって死にましたの? まさか、人に聞きましたでは済みませんわよ」
おもしろのを期待しますわ、と上から目線の彼女に淡々と説明を始める。
「彼は、作った配下のほとんどを切り裂かれ、吸血鬼としての能力も、彼自身の誇り、そして彼が育て上げた存在をもろとも奪われ、切り捨てられ、最後は自身の血が“拒絶”されてこの世から滅殺されました。めでたし、めでたし」
「そ、それは。い、いえ! 心臓をどうやって破壊しましたの!? 聖剣クラスの神話武装でやっと殺せるか、傷つけられるかどうかわらないと言われている呪いの塊を壊せるだけの武器が現世にありましたの?」
あまりにハジが見てきたかのような自信で話すので、動揺するローザ。神話武装というものが何なのかわからないが、たしかに“アレ”は心臓を切り裂いた。それは見ていた私が……アレ? そういえばハジさんって、あの場にいました?
そんなお互いの意見の討論状態になり始めた場を、話題の吸血鬼を殺した張本人が元に戻す。
「どうでもいいだろ、そんなこと。今はその遺産がどうして問題になっているか、だろ?」
脱線をはじめる全員を止めたのは、あの時に渦中の中心人物であった進。彼は睨むように二人を威圧しながら、ハジに話を戻させる。
今はいない吸血鬼の、そのために“遺産”とよばれている事を考えれば、世間一般でも死亡したことが認知をされていると言える。あれから二か月、もう記憶の片隅で消えかかっていた悪しき記憶がよみがえる。
どうしてあの人は、死してなお、私を苦しめるのだろうか。
「彼の莫大な資金や、固有資産のほとんどは彼の会社や他方の恵まれない方々へと分配されやした。けど、後から世界に回しちゃならない物がいろいろ見つかったんですよ」
「たとえバ?」
「う~ん、歴史的な場所から奪われて、所在不明だった金銀財宝。魔道に関わる者なら誰もが欲しがるアイテムから聖遺物。各国の機密情報をまとめたレポートなんかですかね。それと、噂話ですかね」
「噂? それがどうして回しちゃいけないカテゴリーに入ってますの?」
「その噂が今回、依頼したいモノなんすよ」
「どういうことだ?」
またロクでもないな、と言いたげな顔になる進。幾度となく、面倒事に巻き込まれた末の直感が彼の顔を歪ませる。
「遺産の大半はどこぞの組織等がかっぱらっていきましたが、その噂話のモノだけが見つかりません。だから、それを求めて、世界各国から組織の下請けやら、雇われ人がドレイクが最後に住んでいた日本に来てるんですよ。おかげで平和な日本は今はアウトローの巣窟。みんな欲望で目をギラギラさせたような連中が歩きまわってるんすよ」
「不確かな噂だけデ? ハジ、それは何なんだイ?」
根拠もなく言いふらす話が、噂だ。それなのにハジが言った組織などが動くということは、それほど価値のあるモノか、それともハッキリさせねばならない危険な代物なのだろう。平和に貢献する騎士であるアルバインが気になるようだ。
「流れた噂話の内容は、十数年前にドレイク卿が記したとされる書記の一文です。それに簡潔に、だけれども歓喜したような走り書きで、こう書かれていたそうです。……ついに私は、“金狼”を手に入れた、と」
事務所が一瞬にして静寂になった。
“金狼”
それが、いかなる意味なのか私には判別が出来ない。だが、彼らの反応をみればいかにそれが凄いモノなのかわか…
「「何、それ?」」
……わかんないのか。
「……で、それをどうすればいいんだ?」
他の二人と同様に、価値が判らなさそうな進が依頼内容を確認する。ハジは頷き、詳細を話す。
「ドレイクの遺産といわれる、金狼。それを安全に確保し、旦那に保護してもらいたい。それが今回の依頼内容でやんす」
「保護? どうして俺が? テメぇに渡せばいいだけだろ?」
確かに、依頼人が損ばかりで得が無い。
「だってぇ、そんな訳わかんないもの持ってたら、どんな不幸が舞い込むかわからないですしぃ」
なるほど、と思ってしまう。そんなハジさんに銃を素早く向ける進。イライラメーターが頂点まで一瞬で満タンになったようで、額に青筋が浮いている。
「……どうして俺が不幸を率先して抱え込まなきゃならないんだ、あぁっ!?」
「やだな、似た様な“者”を抱えてるじゃないっすか?」
そうだ。進はドレイクの遺産の最たるモノを抱え込んでいる。彼が死ぬ間際に渇望した“|完璧に成り切ることが出来なかった存在《九重 撫子》”を。
“モノ”と聞いて、アルバインとローザは進が持つ二つの武器に視線を向ける。それが彼の遺産とでも勘違いしているからだろう。
だから、次の進の言葉の意味が判らなかったようだ。
「撫子、お前はどうしたい?」
今ままで蚊帳の外であった私に対する進の問いかけ。進が関われば、いつか私にも関わり合う機会が訪れるぞ、と彼は言っているのだ。
進の胸中は計れない。彼の紅い目は、ただ挑む様な姿勢を見せるのみ。私がどうしたいのか、それだけを聞きたいことだけはわかった。
「私は……」
私以外の全ての視線が私に集まる。
どうしたい? そんなの関わり合いたくないに決まってる。彼の遺物の一端にでも触れてしまえば、あの吐き気がこみ上げる毎日を思い出してしまいそうで嫌になる。
だとしても。
「進、依頼を受けていただけますか?」
「いいんだな?」
「私はもう完璧なお人形じゃありませんから」
そうだと。私は二か月前に彼と決別したのだ。ここで弱気になれば、救ってもらったことに対する侮辱だ。
私の心を探ろうとする目と笑顔の余裕を見せる私の目が交差する。
進の決断は一瞬。
「……そうかい。ハジ、その依頼を受ける。いいな?」
「そ~こなくっちゃ。一応、こちらで把握した情報はそちらに渡していきますんで」
「アルバイン、ローザ。お前らはどうする?」
「僕は協力するヨ。義務でもあるし、なにより個人的にも貢献したイ」
「私も参加させていただきます。ハジ、成功報酬はいただけますのよね。先に見積もりを……」
アルバインは誇らしげに参戦し、今月金銭的に厳しいローザはもともと受けるつもりであったようなので早くも契約内容に飛びついていく。
ドレイクの遺産、金狼。それを確保し、保管。危険とあれば破壊。依頼を受けた三人は早くも作戦会議を始めていく。
私はその輪に入らずに、部屋にある小さな窓から空を見る。時間はすでに夕刻、一番星が姿を現し、月がその姿を強調させている。不完全ながらももうすぐ完全に円となるその形を見れば、明日には満月となることがわかる。
そんな月を見て思う。私は今、幸せなのだと。
あの吸血鬼に囚われ、完璧を強要されていた頃。あの牢獄に等しい、宛がわれた部屋から月を見ると自然と悲しくなって泣くことが多かった。
今は、月がほほ笑んでいるようにすら見える。そう思えるのは私が今、幸せで、不安がないからだと思う、いや、そうなのだろう、きっと。
ohhhhhhhhhhhhhhnn
その時、遠吠え? が聞こえたような気がした。どこか耳にかすかに届いただけの音。だが、意識の片隅になぜか残る音。
進たちの方を見てもこれと言った反応はなく、話し合いを続けている。
(気のせいでしょうか? ……そうですね。きっと、いつもの銃声でしょう)
耳に残る音が、どこか問いかけるような音であったこともすぐに心の片隅へと消え、私はドアの補修に戻ってゆく。
その際、もう一度だけ窓へと目を向ける。窓の外には壊れたお隣の家と、月があるのみ。
どうして気になったのだろうか?
その音に、まるで問いかけられているようで。
今、幸せですか? そう言われている気がしたから……
そんなことはないか、と私は仕事と化したドア補修へと戻っていった。
そんな私を、今は、月だけが見ていた。
次話へ。
大学時代、友達に誘われてpixibをやっていたことをなぜか思い出し、二年以上ほったらかしていました。
ここと同じ名前でやっているのですが、わたくしとても画力がありません。
ですが最近、メールの更新や、パスワードの変更の通知などに一週間ほど費やした身としては、何とかあちらもやっていきたい、と感じた、今さっき。
pixibの方で小説も上げられるらしい。とのことで、こちらで上げる予定であったcon-tractの短編などをあちらにいつになるかわかりやせんが、載せていこうかなと思います。その時はどうか、機会があれば読んでくだされば幸いです。
あと、今まであえて直してこなかった過去の文の修正等を行っていこうかなと思います。あえて、自戒で直しませんでしたが、とても恥ずかしいので修正を。内容的には変わりませんが、間違いを直した文を見てくださればこれも幸いです。