婚約破棄は誰のせい?
※倫理観が中世
「──婚約を破棄しないかい?」
ミシリと、握られた扇の骨が軋む音が聞こえた気がした。
海に囲まれた美しき水の国、輝かしい真珠の如きウォールリリー。小さい島国であれどその発展は凄まじく、かつてあった海向かいの砂漠の国さえ今は飲み込み、大陸の覇者となりつつあるその国で今、一組の婚約が破棄されようとしていた。
かたや、百合の如き白き髪に海の如き青の瞳、よく焼けたパンのような肌を持つ王太子アルバート。
かたや、血のように赤い髪に深緑の瞳、雪のように白い肌の侯爵令嬢エウラリア。
双方、連れてきた侍女や侍従を背後に置いたまま、まるでいつもの茶会のように向かい合って座っていた。
「……突然何をおっしゃるのです?」
「いや、はは、ごめんごめん、説明するよ。……あなたが納得できるまで。」
その言葉に剣呑な空気を発していた侯爵家の侍従たちは困惑したように目配せする。それを片手で制してアルバートは微笑んだ。
「我が妹、イヴェットが離縁されたのは知っているよね?」
その言葉に息を呑んだのはエウラリアの方だった。先ほどまで微笑みのなかに滲ませていた怒りを一転させ、どこか哀れむように目を伏せた。
「…存じております。イヴェット様のご心痛、如何程ばかりか。」
「うん、まさか幼いうちから教育しないといけないからと相手方がのたまうから齢10で嫁がせたのに、まさかその6年後に突然離縁するなんて…。ここに帰ってくる途中も何度も命を狙われ、長らく仕えた侍女もなくし、かわいそうなことにあの子は今居室に引きこもって暮らしている。
…兄であっても、異性であるあの子の部屋に私は入れない。側について慰めることもできないのは、…心の底から情けなく思う。」
明るくそうアルバートは言う。しかしその瞳には煮えるような激情が垣間見え、恐ろしさ故かエウラリアは直視できずに浅く息をするしかできなかった。
「戦になる。」
やはりそうなったか、誰もがその言葉に心を一つにし、そのことをこぼせずに身体をこわばらせる。
「我が国は四代前の女王、オリヴェイラ陛下の御世から急激に成長してきた。…信じられないことだ。わずか100年ほどのあいだで、我が国は世界でも有数の大国となり今や帝国の名を大陸ではほしいままにしているらしい。…ゆえに、長らく続いていた大陸の王朝と縁を結ぶことと相成ったが…その結果がこれだ。到底看過できるわけがない。侮辱と無礼には死をもって償ってもらう。…それがわが国の流儀であるがゆえに。」
「だから、頼むよ──婚約を破棄しよう。」
「王太子として、…いや、一人の兄として、前線へといかねばならないのだ。」
「あのこの、そしてこの国の名誉のために。」
──そうして王太子は頭を下げる。その謝罪にどれほどの価値があるのか、エウラリアはよく分かっていた。だから、
「……承知しました。」
だから、頷いた。こればかりはどうしょうもない。家族としての情もあるだろうが何より国のためだ。ならば、一令嬢である彼女は飲むしかない。
エウラリアが呑むとわかっていたのだろう。アルバートは淡く微笑んで礼を言い、事前に用意していたらしき書類を数枚、騎士に手渡されそれをペンとともに差し出してきた。
どこか緩んだ空気に、ようやく一息をついてエウラリアは紅茶を飲み、書類を確認する。
婚約を破棄するための書類かと思ったがそうではないことに若干首を傾げつつ、内容自体はごく普通の引き継ぎのためのものだったのでそのままペンを走らせた。
「あっけないものですわね。」
「…8年、だったか。君がどれほど努力してきてくれたのかは理解している。」
「ええ、王妃となるべく尽力してまいりました。」
「君には何度も助けられたとも。知ってのとおり女王陛下と父上はあまり仲のいい夫婦ではなかったから苦労させたね。」
「未来の義父と義母でしたもの。それくらい苦労のうちに入りませんでした。」
「…そうか、懐かしいね。王配の仕事を学ぶためにわが父の仕事を君は手伝っていた。それを遠目に見ながら、私も頑張らなければと陛下のそばで政務に励んでいたんだよ。」
「、……存じ上げませんでした。」
「ふふ、仕方ないよ。だって伝えなかったのだから。」
「王の執務室から、王配の執務室を見張る事ができるなんて。」
「………え。」
──視界が、揺れた。
「全員動くな。……捕縛しろ。」
「な………ぃ、を………。」
「あぁ、安心して。君に盛ったのはただの痺れ薬だから。死ぬことはないよ。今は。」
コツ、コツ、コツ、机を叩く振動が身体を震わす。それでようやく、エウラリアは自分が机に突っ伏していることを理解した。
「書類は……うん、全部書いてあるね。よかった。イヴェットに渡してくれ。」
「ぁん、で、どぅ、……て」
「なんで、どうして?かな。…そうだね。もらえるものはもらったし、教えてあげよう。俺は優しいからな。」
そうふってきた言葉とともに頭部に鈍い痛みが走った。髪を引っ張られたのだ。痛みとしびれに喉から息を漏らしながら、無理やり上げられた視界の先に、穏やかに微笑む王太子がいた。
「ひどいじゃないか。…よりにもよって、婚約者の父と不倫をするだなんて。傷ついたなぁ。」
「ぁう……………。」
「あぁ、言い訳とか、もう無駄だから。何もしゃべらなくていいよ。…全部見たから。」
まるで天気を尋ねるかのような軽い口調で王太子は言葉を紡ぐ。
そうして髪を持ち上げた手とは逆の手でエウラリアの顎をすくって、ようやく彼女は髪を引っ張られる痛みからは解放された。
「執務室で淫らに睦み合うのは楽しかったかい?父上は顔だけは宝玉のように美しいからね。見惚れる程度なら構わないけど…でもダメだよ。その胎に受けていい子種は俺のものだけなんだから。
悲しかったなぁ。執務室の椅子のうえで自分の父に婚約者がまたがって激しく動いていたのを見たときは。」
「しょ……な、こと……!!」
「あぁ、だから、言い訳も何も聞きたくないんだって。聞きたくないから薬を盛ったのに…耐性だけはあるんだね。これも王配教育の成果ってやつかな?ふふ、もっと強めに盛ればよかったかも。いいことを教えてくれてありがとう。次はもっとうまくやれそうだよ。」
「君の後ろにいつも付き従っている従者たちも同罪さ。…安心して。君だけに責任を負わせたりなんかはしないから。みんなみんな………地獄に送ってあげる。」
ゆるりと、空いた片手でアルバートは婚約者だった女の首をなでる。
…それが何を意味するのか分からないほど愚鈍ではないと知っていながら。
「ああ〜〜、暴れないで!…すごいね、薬を盛ってもここまで動こうと思えば動けるなんて。兵器の参考になりそうだ。」
きっと両手が空いていれば手をたたいていたことだろう。そんな楽しげな声をあげ、彼はゆるりと首を振った。
「…あぁ、別に、怒ってはいないよ。ただ、君の胎の中に俺たちの弟妹がいるかもしれないのが困るだけで。」
「俺はね、正直王なんてどうでもいいんだ。俺しかいなかったから、王太子やっているだけで向いてる人がやればいいと思っているんだよ。…でも王家の血を引いていない人間に座らせるのは困る。それくらいの分別はあるよ。」
俺たちはほら、百合の王家だから。
そんなことを呟きながら彼は指にはまった王家の、王太子の証の指輪を明かりにかざす。
光の反射で七色に光るそれは、奇妙なほど美しかった。
「あぁ……君は、知らなかったっけ、知ってたっけ、どっちでも構わないんだけれど、意識か無意識かも構わないけど、血を乗っとろうとしたんだから同じことかな。」
ふむ、と彼は首を傾げる。
そしてまるで出来の悪い生徒を受け持った教師のような優しい顔で言葉を続けた。
「うちの王家にはね、稀に『百合の怪物』って呼ばれる人間が生まれるんだ。誰がそうとか、その怪物が何なのかっていう具体的な定義は特にないんだけど…、
例えば初代国王。彼は恐ろしいまでの軍才を持っていた。
例えばオリヴェイラ陛下の兄君、そう、薄命の王太子ウィルフルド。彼はすさまじい頭脳の持ち主だった。
例えば現公爵閣下、俺のお祖父様だね。彼は心を読むことができる。…正確には人の考えることが手に取るようにわかる洞察力を持っている。
そして、例えば我が妹イヴェット。彼女は類まれなる幸運の持ち主だ。あの子が望めば思うとおりにコトが進むし、不幸な目にあってもよいことに倍になって帰ってくる。これが分かってたら外になんて出さなかったのに…まぁ、でも出したから分かったとも言えるのかも。
…まぁ、つまりは『百合の怪物』は有能で、なぜかみんな青い瞳を持っていて、王家の血を強く引いていて……そして、ありえないほど心を揺らさない。
祖国のために、このウォールリリーの発展のために命と尊厳を捨ててでも尽くしてくれる人たちだ。なぜか王家の血が薄くなればなるほど、生まれる可能性が低くなる。だから俺達王家は乗っ取られるわけにも、滅ぶわけにもいかない。………彼らをなくすわけにはいかない。」
「だから……イヴェットが帰ってきてくれた時、本当にうれしかったなぁ!だってイヴェットの胎の中には2つの大国の血を引く赤子が育っている!これほどの慶事はない!」
「あぁ!そうなんだ!祝ってくれるかい?俺、伯父さんになるんだよ。王家の新しい子供の誕生だ。ありがとうありがとう。己のことのようにうれしいよ!どうか怪物が生まれることを祈ってくれ!」
「それにしてもイヴェットには幸運だけでなく胆力もある。すごいね。あの子侍女に裏切られても、離縁されても、命を狙われてもたくましくしがみついてこの故郷に帰ってきた!いくら幸運とはいえ、怪物とはいえたった16歳の子供がだ!王たるにふさわしいと思わないかい?」
「今も部屋の中でどうすれば元夫の国から多額の金と領土をもぎ取れるか考えている。本当に……素晴らしい子だとも。」
うっとりと瞳をとろけさせ王太子は笑う。まるで恋するように、まるでなにかを期待するように、その声には聞いたことがないほどの熱がこもっていた。
「母上も乗り気でね。寄生虫のような王配とそれに媚びる君たちを排除できるって喜んでいたよ。これから戦になるからね。金と兵はどれだけあっても足りないのさ。
…ありがとう。君が父上と繋がってくれたおかげで君の家のすべてを使い潰せる。」
「助けを求めたってもう無駄だよ。だって今頃父上は母上の騎士に切り捨てられているからね。…寝台の上で、君を待っていたらしいから。」
「慌てないで、今から連れて行ってあげるから。……大丈夫。愛しい男の腕のなかで、愛しい男の傍らで息絶えることができるのは君が心から望んだことだろう?だってあんなにも熱烈に恋文に綴っていたんだ。ふふ、ドキドキするね。」
「ああ、公爵の大叔父様と父上の実家の辺境伯にも連絡して…辺境伯は確か大型の戦艦をいくつか保有していたはず……今回の件でいくつか接収して…いいねいいね、海戦!心が躍るよ!白兵戦も好きだけど海は海の魅力があるから迷ってしまうな…。
黒金火薬の兵器も完成しているし、もしや船に載せればすごいことにならないだろうか…命中力に不安が残るけれども…狙う必要がないほど大きな的である港や戦艦を一方的に蹂躙できればどれだけ素晴らしいことだろうか。母上に直訴しなければ!
……あ!ごめんね手荒く扱って。最期くらい優しく運ばなくてはイヴェットに怒られてしまう…。女性は脆いのだから丁重に扱ってってよく言われていたっけ。」
そして、彼はエウラリアのことを抱き上げる。視界がようやく広がって、ひどく青ざめ拘束された自身の従者達に声をかけることもできず、物語の姫のように優しく、丁寧に。
「感謝しているよ本当に!君は俺の女神だ!俺を王なんてつまらない檻から解放し、自由にしてくれてありがとう!」
「だから、お礼に父上と結ばせてあげるね!」
─天使のようだと、エウラリアは思った。
……思ってしまった。
「か………い…ぶつ……。」
その言葉にキョトンと瞳を丸くして、ついでに弾けるように彼は笑う。
心の底からおかしくてたまらないというように、面白くて耐えられないというように。…哀れで仕方ないというように。
「なにを言っているのさ!」
「俺は、生まれた時から人間さ!」
「──あぁ、そうか、」
「君と父上は生まれた時から獣だから、俺が怪物に見えるんだね!」
「──俺は怪物じゃないよ。」
「人間なんだよ…………。」
「人間……だったんだ……………。」
絞り出すように王太子はそう呟いて、そして一度立ち止まり、──それでもなお、足を踏み出した。
「でも、そうだね。」
「これから俺は、君たちと同じ獣になる。」
「屍山血河を築き、すべてを征服し、ありとあらゆる文化を燃やし、そしてこの国の礎となり死んでいこう。」
「だからどうか、地獄の底で待っていてくれ。」
「…………婚約破棄は、君のせいでも、父上のせいでもないよ。」
歩みが止まる。ぎぃ、とどこかの音がして扉が開いたのだと理解した途端、ひどく濃い鉄と脂の匂いがして、ほろりとエウラリアの瞳から涙がこぼれた。
「だから、どうか、せめて、愛する人の隣で苦しまずに──死んでくれ。」
その言葉を最後に、背後で扉の閉まって、あとはもう、
某月某日、王国暦225年。
王宮にて刃傷事件が発生。被害者は王配、ステファンと王太子の婚約者であるエウラリア侯爵令嬢。
犯人は王太子アルバートであり現場で取り押さえられた。
被害者たちは互いに裸身姿で王配の寝室にいる所を王太子に発見され、激昂し切り捨てたものと判断された。
罪を犯した王太子は王位継承権を剥奪され、元王太子アルバートは彼を慕う数人の部下と共に国境ざかいへと海を渡って連行されることとなった。
しかし、被害者である侯爵令嬢の実家は王太子の婚約者でありながら王配と不貞したという明確な瑕疵があった。王配の実家も同じく、このことを恐れた両家は共に手を取ることになる。
──そして、多額の金銭と多くのやりとりの結果、この事件は隠蔽された。
──侯爵令嬢エウラリアと王配は城から出ることもなく流行病で病死したこととなり、王太子アルバートはこの後起こる大戦に自ら志願し、最中命を落としたということになったのであった。
貴族平民を問わず集められた兵たちは奮戦し、いくつかの家門が滅亡したがウォールリリーは勝利を収め帝国へと名を変えた。
その滅びた家門のなかにある侯爵家と辺境伯家がいたのは、語ることもない小さなことである。
不倫は心の殺人ともいうよねって話でした。ちゃんちゃん。
〜〜よくわかる登場人物〜〜
アルバート…王太子。人が苦手でどう言い繕っても王に向いていない長男。趣味は機械いじりと剣、そして殺し合い。黒金火薬という衝撃を加えたら爆発する砂を発見し俗に言う大砲を作り出した兵器作りと殺しの天才。
自身の暴力性と残虐性をずっと見ないふりして閉じ込めていたのに婚約者に浮気されて脳が破壊された結果自覚してしまう。このあと戦争に赴き泣き笑いしながら戦死した。21歳
エウラリア…王太子の婚約者。侯爵令嬢。父親の野心の道具として婚約者となったが当の相手は話していても面白くないし目も合わせてくれなかったので出来心から優しくしてくれた王配と浮気した。
普通の女の子。18歳。
イヴェット…王女。破茶滅茶に波乱万丈な人生を送るかわりにとてつもない幸運に恵まれる星のもとに生まれている。兄がヤバいことは理解していたがどうしょうもないのでせめて兄が自分を抑えなくて済むような場所を作ろうと頑張った。でも正直兄が寝取られ男になることは想像してなかった。このあと兄に変わって王太子になって頑張る。
子供は息子ですくすく育ち大陸を征服した帝国の皇帝になる。16歳
従者達…わんちゃんず。お嬢様の初恋を応援していた。しっかり始末された。




