糸が視える少年
「ねぇばあちゃん!この糸なぁに?」
リオは、何もない空間を指さした。
ばあちゃんは一瞬きょとんとした顔で周囲を見回し、それから少し考え込んだ。
「…リオ、それはきっとあなただけに見えるものよ。」
そう言って、ばあちゃんはいつもの柔らかい笑顔を消した。
「きっと素晴らしい宝物の目を神様はくださったのね。
でもね、どんなに素晴らしい力でも…使い方を間違えれば、誰かの運命を変えてしまう恐ろしいものになるの。」
低く、真剣な声だった。
「だから、むやみに口にしてはいけないよ。」
6歳のリオにはよくわからない話だった。
けれど、いつもニコニコしているばあちゃんが真剣な顔をしていたから、リオはそっと頷いた。
リオとばあちゃんは白い糸で繋がっていた。
それからリオの目にはたくさんの糸が見えるようになった。
家族とは白い糸。
幼馴染のロイとも繋がっている。嬉しい。
赤い糸もたまに見かけるけれど、途切れていることが多い。
理由はまだわからない。
「ロイに借りた本、まだ返してなかったな…」
リオは近所で肉屋を営むロイの家に向かった。
店先にはロイのお父さんが立っていた。
普段はロイやおばさんが店番をしているのに、今日はツイてない。
おじさんはいつも怒鳴り声を上げるから苦手だ。それにロイは見えるところに痣を作っていることがよくある。
本人は転んだとか、ぶつけたとしか言わないけれど、おじさんに叩かれているのかもしれないって疑ってる。
「おじさんこんにちは!ロイ、いますか?」
おじさんは不機嫌そうな顔を向けて、怒ったように言った。
「いねぇよ」
「…いつ帰ってきますか?」
「だから、知るかっ!」
怒鳴り声に肩をすくめ、リオは頭を下げて逃げるようにその場を後にした。
―-本当に怖かったのは、おじさんの怒鳴り声なんかじゃない。
おじさんに巻き付くように黒い糸が見えたんだ。
それはおじさんが怒鳴ると更に太くなって締め付けるように動いていた。
怖くて見ていられなかったんだ。
その晩夜更けに母さんに起こされた。
近所で火事が起きているから、危ないから避難するというのだ。
父さんは消火の手伝いに行って、僕と母さんとばあちゃんは避難した。
噴水のある広場まで来ると、他にも避難している近所の人たちがいた。
お隣のパウロにマリー、パン屋のおばさんは猫を連れて避難していた。
今夜は新月で外は真っ暗なのに、空が赤く染まっている。
「ロイの家だって。みんなちゃんと逃げられたかな?」
パウロが教えてくれた。僕はびっくりして尋ねた。
「今日店に行ったんだよ!それなのにどうして…」
その答えは誰にもわからない。
ただただロイが無事でいることを祈った。
その祈りが通じたのか、ロイは無事だった。
でも酷いけがをしていた。
それは火事で負ったケガではなく、顔や体に殴られたような痣や骨折で病院に入院していたから無事だったのだ。
火事のせいでロイは一人ぼっちになってしまった。
孤児院に行くことになったと母さんに教えられた。
もう会えないかもしれないと。
一目だけでもいいから会いたいと頼んだけれど、会えるような状態ではないと言われてしまった。
知らないうちに、ロイは孤児院へ行ってしまった。
最後に会うことは叶わなかった。
手元にはあの時返せなかった本が残った。
それを見る度にどす黒い太い糸がおじさんの体を締め付ける様子が思い出されて、体が震えるのだった。
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幼いリオにはまだわからないことが多い。
きっとこの糸にはたくさんの意味があるはずだということは分かった。
だからリオは誰にも糸が見えることは言わなかった。
見えることを知っているのはばあちゃんだけ。
でもばあちゃんもリオが10歳になるころ虹の橋を渡ってしまった。
「いいかい、糸のことは心から信頼できる人にしか言ってはいけないよ。」
最後にそう言っていた。
その頃になればリオにもわかることが増えてきた。
この世界にはギフトという他の人とは違う能力を持って生まれる人間がいるらしい。それをギフテッドといい、人によっては国にその能力を狙われるらしい。
近くにギフテッドがいるわけではないので、そうらしいとしか言えない。
ギフテッドは稀なのだ。
貴族たちには多いらしいけれど、平民では多くはいない。だからこそ狙われるのだろうけれど、ただ糸が見えるだけでは狙われる理由がわからない。
最後のばあちゃんとの約束があるからリオは誰にも言わなかった。両親でさえ知らない。
13歳になる頃にはリオは配達の仕事を始めた。
手紙を集めて集積所に持っていき、各戸へ配る仕事だ。
「なぁリオ、すまないけど今日早く帰らなきゃいけなくてさ。悪いんだけど、これも頼めないか?」
リオよりも年上で人のいいパセオの頼みだ。断る訳にはいかない。
「珍しいね。いいよ、借りだからね!」
パセオは面倒見がよくてリオにいろいろ仕事を教えてくれた。
「わかったよ!悪いな、今日はアンジュの誕生日なんだ。」
「はっ?今日??誕生日にプロポーズするって言ってたじゃないか!休めよ!」
「だって俺が休んだら迷惑かけちゃうと思って」
頬を掻きながら笑っている。
「パセオが居なくても俺がいるんだから大丈夫だよ!ほら、早く帰れって!」
背中を押して外に押し出すと、パセオはようやく手を振って帰って行った。
初めてパセオとアンジュを見た時、二人は赤い糸が繋がっていた。
きっと良い家庭を築くんだろうなと思っていたけれど、なかなかプロポーズをする勇気が出ないパセオ。
弱気すぎるだろうと、心配していた。
仕事の量は増えて大変だけれど、今日くらい頑張らなくてどうする!
よし、明日は根掘り葉掘り聞いて、たくさん惚気てもらおう。
思わず笑みがこぼれ、仕事もいつもよりもはかどった。
翌日職場に行くとパセオは休んでいた。働き始めてパセオが休んだのは初めてだった。
そしてその翌日もパセオは姿を見せなかった。かなり忙しかったが必死に頑張り、仕事終わりにはパセオの家に向かった。
すでに暗くなっているけれど、家に灯りは点いていなかった。
「パセオ!僕だよ!リオだよ!いないのか?」
ドアをノックしながら声を掛けた。
家の中から返事はなかったものの、物音が聞こえたような気がして、思わずドアノブに手を掛けると簡単にドアは開いた。
「ねぇ、パセオ!いるんだろ?」
そっと家の中に入って声を掛けると、奥からパセオが姿を現した。
顔には痣があり、足を引きずっている。
「えっ、どうしたんだよ!?」
表情のない顔をしながら、パセオはそっと話をしてくれた。
「仕事迷惑かけたね。ごめん。」
「違うだろ!そのケガどうしたんだよ?」
「…アンジュが他の男と結婚するって。俺さ……振られちゃったよ。」
堪えきれずに涙が溢れて、座り込んでしまったパセオの肩を抱きしめた。
「何言ってんだよ!アンジュはパセオのことが大好きなんだよ!二人は赤い糸でしっかり結ばれてるのに、他の男と結婚するなんてあるはずないだろ!」
「俺の知らない男が家にいて、…ごめんって言われたよ。」
「もしかしてその男に殴られたの?」
パセオは苦笑いするだけだった。気弱なパセオはきっとやられっぱなしだったのだろう。
アンジュは何もしないで見ていたのか?
「僕アンジュに話聞いてくる!」
すっと立ち上がったリオを止めた。
「いいんだよ。アンジュがそれで幸せになるんだったら、それで…」
「いいわけないだろう!」
リオは叫んだ。
「何か理由があるに決まってる!僕は、僕にはパセオとアンジュが幸せになる未来が見えているのに、他の男と結婚して幸せになるはずないんだよ!」
走って、走ってアンジュの家に向かった。足はパンパンで、胸が苦しい。でも立ち止まろうとは全く思えなかった。
ドンドンドンと何度もドアを叩くと、おばさんが出てきた。
「アンジュはどこ?」
おばさんの表情はだんだん曇って、静かに目を伏せた。
「私たちのせいで、連れていかれてしまったよ。」
「どういうこと?」
おばさんは借金の方にアンジュを差し出してしまったことを話した。
相手はこの街に住んでいれば知らない者はいない、触れてはいけない男の名前だった。
アンジュの美しさに嫁に差し出せば借金を帳消しにしてやると言われ、アンジュは自ら了承したそうだ。
リオは掌を強く握りしめていた。口の中に鉄の味がするまで、唇を噛みしめていたことにも気づかなかった。
どうすればいいのかわからない。
パセオもアンジュもあんなに良くしてくれて、自分にとってとても大切な人たちなのに、彼らの力になることもできないのか。
あれから4日が経過したが、未だに他のことが考えられなかった。仕事でもミスを連発し、上司から叱られたが、どうしてもアンジュのことを考えてしまうのだ。
どこにいるのかもわからない。どうすれば連れ出せるかもわからない。
パセオもケガが治るまでは休むことになっているが、家に行くと気落ちしており、食事もあまりとっていないようだった。
仕事で町中までやってきたとき、教会に何人もの人たちが集まっていてとても賑やかだった。
平日にこんなにも賑やかに式を挙げているなんて珍しいことだと、教会の方に目を向けた。
何台も馬車が並んでおり盛装したした男性たちが集まっていた。そして馬車から降りてきた新婦に目が離せなくなった。
「…アンジュ?」
はっきりと顔は見えない。しかし彼女から出ている糸は見慣れたアンジュの糸だった。
別の馬車からも男が降りてきて、リオは思わず息を呑んだ。
ダリオン
その名前はこの街に住むものならば誰もが知る、近寄ってはいけない男の名前だ。
おばさんも言っていた。
一言でもいい、アンジュと話ができないだろうかとリオは静かに近寄って行った。
すでにアンジュもダリオンも他の男たちも教会の中に入っており、外にはまばらに数人がいるだけだった。
今のリオは配達員の格好をしており仕事で中に入ることができそうだと気が付いた。
手に手紙をいくつか持つと配達に来た風を装って教会に近づいた。
周囲にいた強面の男がリオをチラリと見たが、何も声を掛けられず中に入ることが出来た。
教会の中に入るのは初めてではないが、奥に入ることはない。花嫁の控室がどこにあるかなんてリオにはわからない。
しかもタイミング悪くシスターに声を掛けられてしまった。今の自分はただの配達員だ。
「あの、花嫁に手紙を渡すことは出来ませんか?大切な方からの手紙ですので、できれば直接お渡ししたいのですが。」
シスターは少し考える素振りをみせたが、「こちらへどうぞ」と案内してくれた。
控室の入口にはまたしても強面の男が2人立っていた。
シスターが説明したが、男たちは納得する様子はない。
「その大切な手紙とやらを見せてみろ。」
手を伸ばして要求するが、実際にアンジュ宛の手紙なんて持っているはずがない。
困っていると、男の伸ばしていた手が突然リオの首を掴んできた。
「姐さんの男もたしか配達員だったな。てめぇあいつの仲間か?」
苦しくて答えられないでいると静かにドアが開き、そっとアンジュが顔を出した。
「何かあったん…リオ!その手を放して!!」
アンジュは勢いよく男の手を掴み、リオの首から放そうとした。
「姐さん、この男は知り合いですか?」
物音に気付き、何人かこちらに向かってきた。
「この子は私の命を助けてくれたことがある恩人よ。だからこの1回でいいから見逃してあげてください。お願いします。」
アンジュは頭を下げた。
命を助けたことなんて無いのに、嘘をついてまでリオを助けようとしたのだった。
「おい、頭を上げろよ。命の恩人ってなら見逃してやってもいいだろう。」
男たちはその声がすると一斉に頭を下げた。
リオを掴んでいた手はすっと力が抜けて、思わずリオは膝から崩れ落ち咳込みが止まらなかった。
アンジュが近寄ろうとするが、その腰はすぐにダリオンの手に掴まれリオに近寄ることはできなかった。
「つまりはお前がいなけりゃ、俺たちは結婚することは出来なかったってわけだ。なら、俺にとっても恩人に変わりねぇな。」
ダリオンはマジマジとリオを見下ろし、
「せっかくだから、俺たちの結婚式に参加させてやろう。」
そう言ってアンジュを連れて行ってしまった。
部下たちに連れられて行く。両側にダリオンの部下が付いて身動きが取れない中で式が始まってしまった。
アンジュはリオをちらりと見たが、あとは顔を下に向け、式は進んでいった。
リオは何も出来ずに見つめていた。アンジュとパセオを繋いでいた赤い糸がちぎれアンジュからだらりと垂れ下がり、消えかかっていた。
誓いの言葉が始まると、急に扉が開き誰かが入ってきた。
2人の男が誰かを連れて来たようだった。男はぐったりとしており、引きずれるようにしている。
リオもアンジュも目を見開いた。
その男はパセオに間違いない。
「この男にも、俺たちの結婚の証人になってもらおうと思ってな。」
ダリオンは薄ら笑いながら言った。
パセオは何も反応しない。
するとリオも両脇を掴まれパセオの隣に連れていかれた。
「今日は特別に俺達流の結婚の誓いをしようと思ってな。」
そう言うとダリオンはアンジュに銃を渡した。
「特別に選ばせてやろう。どちらか1人でいい。」
アンジュは泣きながら首を振っている。
「ダメ、ダメ、、ヤ、イヤ」
「うるせぇな、てめぇの親の借金チャラにすんじゃねぇのか?それとも親を見殺しにするか?」
目を見開き、過呼吸になりながら銃を見つめるアンジュ。
ニヤつきながらダリオンはそっとアンジュの後ろに回り、銃を持つ震える手に手を添え耳元で何かを囁いた。
見開いた目を閉じ、アンジュは何かを決意したことに気が付いた。
リオにとって大事なことは
大事なことは
絶対に守りたいものは何だ
リオは静かに指を動かした。
リオは知っている。黒い糸が何を意味しているか。
ダリオンは急に胸を押さえて苦しみ始めた。部下たちはダリオンの側に近寄る者、誰かを呼びに行く者、その場から動けずに見ている者様々だ。
リオを掴んでいた力が急に無くなり前のめりに転んだ。パセオも床に倒れている。
ダリオンの周りを人が囲みどうなったかわからないが、苦しむ声が聞こえてくる。
アンジュは何が起きたのかわからず不安そうな顔をしているが、はっとパセオの方に走ってきた。
「パセオ!パセオ!」
殴られた痕だらけで、瞼は腫れ目は開かず、口や鼻からも血が出ている。
かろうじて息はしているから、生きていることはわかる。
「てめぇ、ボスに何しやがったっっっ」
取り囲んでいた男の一人が叫んだ。
何が起きたのかわからないが、アンジュが何かをしたと思ったようだ。
男たちは一斉に3人を見ると、捕まえようと近寄ってきた。
このままではみんな殺されてしまう!
何か手はないか?リオは考えたが、何もいい案は思い浮かばない。
その時、教会の中にパチンと手を叩く音が響き渡った。
その音がした瞬間男たちは一斉に気を失ったように倒れてしまった。
何が起きたかわからないリオ達は、互いに目を合わせると、周囲を見回した。
「全くうるさくて昼寝もできないわい。」
耳をほじくりながら老婆が中に入ってきた。
面倒くさそうにあくびをしている。
リオの前に立つと「お前さんか?」と聞いてきた。
何を聞かれているのかわからず、答えずにいると、フゥーとため息をつき指を動かした。
すると黒い糸がまるで生きているかのように動き出した。
「切ったな?」
もう一度老婆は聞いた。
リオは目を伏せて頷いた。
大きくハァーとため息をついて、近くの椅子に座った。
「あんたらはちょっと待ってな。」
しばらくすると警備隊が何人も入ってきた。
ダリオンの部下たちは連れていかれた。ダリオンはすでに息絶えていた。
パセオは病院に連れていかれ、アンジュはそれに付き添った。
リオはその場に残された。
「それではシュラ様我々はこれで失礼いたします。この度はご協力感謝します。」
「あたしゃ、なにもしていないよ。」
警備隊に話を聞かれるのかと思ったが、老婆と2人きりになりリオは戸惑った。
「あんたどこまで出来るんだい?」
聞かれているのがギフトのことだとすぐにわかった。
「糸が見える」
「あとは?」
「うーん、触れる」
「切れるくらいだからねぇ。切れた糸を結ぶことは?」
そんなこともできるのか?リオは
「わからない、やったことないから」
と答えながら、パセオとアンジュの切れて、消えかかっていた糸も思い浮かべた。
「なら、できるかやってみるといい。」
リオは頷いた。
病院へ行くと治療したパセオにアンジュが付き添っていた。手を握りしめ、祈りを捧げている。
リオは2人の側に近寄った。すでに糸は薄くほぼ消える寸前だった。
そっと宙に手を伸ばし糸を掴む。
もういいと薄くなっていく糸に消えてはいけないと伝える。
もう片方と繋いでやると、まるで意思を持っているかのように片方を求め最初から切れていないかのように1本の糸になった。
リオは疑問だった。その力は本当にただの人間が持っていてよい力なのかと。
パセオの呼吸がはっきりと聞こえるようになったとき、リオはそっと病室を出た。
外に出ると虹色が見えた。リオはまっすぐに前を向くと歩き出した。




