2−7
ライカーンが甲斐甲斐しく私の世話を焼いてくれる。切られた頬を消毒し、白い清潔な手巾を当てる。
お酒なんて、あったのね。飲まずに消毒に使うなんて。そう言えば、昔何かの書物で読んだわ。使わない知識は、どんどん記憶の底へ沈んでいくから。
優しく私の身を起こし、水を飲ませようとしてくれる。
「自分で飲めるわよ」
「ダメだ」
……頑固な王さまね。
諦めて、されるがままになっていると、私の顔色を確かめていたライカーンがようやく頷いてくれた。
「気分は?」
「平気よ。それほど酷い怪我じゃないもの」
「何があったのだ?」
何と答えれば、納得してくれるかしらね。
それとも、思い出したことと一緒に全部話す?
いえ、ただの人間であるライカーンに、余計な知識を増やしたくないわ。
……人間よね?月の神を追い返したけど。
顎を掴まれて、彼の方に顔を向けられた。
「ライカーン?」
「何を考えている?」
「えーっと……」
「誤魔化そうとしないでくれ」
そんな切なそうな顔をするなんて、ずるいわ。
いつも私を真っ直ぐに見つめる、橙の瞳。南国の情熱的な炎が燃えているような気がするわ。
「先ほどのあれは、何だ?」
「あれ……」
「黒い影が、宙に浮いていたように見えた。一瞬だったから、よくわからないが」
よく見ているわね。どうしようかしら……。
「貴方を傷つける者など、許さない」
「!!」
何を言っているの。相手は神さまなのよ。そんな恐ろしいこと……。
「クララどの。俺では頼りないかもしれないが、知っていることを教えてくれ。……頼む……」
消え入りそうな声に、私は諦めた。
「……月の神……」
私の話を黙って聞いていたライカーンが、言葉を失う。
いつの間にか、掴まれていた顎から手が離れている。
やっぱり、話さない方がよかったのかしら。
しばらく考え込んだ後で、彼は視線を上げた。
「時の神を誑し込んだという、月の神か……。厄介な相手のようだ」
「そうね。この世界から太陽を奪った存在だもの。今は、この世の絶対神として、その強大な力を思うまま振るっているわね」
「話の通じる相手だろうか」
「無理じゃないかしら」
あっさり答えた私に、ライカーンが目を見張った。
「無理?」
「そもそも話の通じる相手なら、太陽を昇らせないなんて強硬手段はとらないと思うの」
結局、あの神さまは自分が絶対で唯一の神になりたいのだ。
だから、太陽神が邪魔だった。時の神を利用している。
「太陽神は、この世に顔を出せなくなってから、どこにおられるのだろうか」
「えっ?」
「月の神が、時の神の力を利用してこの世界に君臨しているのは聞いたが。
では、昇るのを邪魔されている太陽は、どこにある?」
太陽神が、今どこにいるか……。
何かしら、とても大事なことのような気がするのに、上手く思い出せない……。
ズキリ、と頭の奥がまた痛んできた。
「クララどの?」
「……ごめんなさい……よく、思い出せないわ」
「いや、俺こそ、すまなかった。貴方を休ませるつもりだったのに、問い詰めるような真似をした」
そう言って、彼は座っていた椅子から立ち上がった。
「ライカーン?」
「俺が傍にいては休まらないだろう。階下にいるから、ゆっくりしていてくれ」
私の返事も待たずに、ライカーンは階段を降りていった。




