9-2:鼻つまみももちゃん
アクアホテルの『開かずの間』、つまり画家先生の居るお部屋は6階の北側とのこと。ローヴィルさんに連れられて、その部屋の前まで来ると。
「ん、くさい!」
なんか酸っぱいニオイがする。ゲーム世界だから、多少は調整してくれてるとは思うんだけど……それでも十分に臭かった。
「レッガン先生、少しよろしいでしょうか?」
ローヴィルさんが鼻を摘まみながら、部屋の中へと声を掛ける。けど全くの無音。本当に中に人が居るのかな、と疑ってしまうくらいに無反応だった。ていうか、まさか。
「中でお亡くなりになってるとか、ないですよね?」
この異臭も相まって、そんな最悪の想像までよぎるよね。まあ流石に半子供向けゲームで腐乱死体は出てこないとは思うけど。
「仕方ありませんね。マスターキーを持ってきます。四の五の言っていられないかも知れません」
ローヴィルさんも焦った様子だ。私と同じ想像に至ったのかも。それくらいには臭いもんね。
「どうなったの?」
ももちゃんもお鼻を摘まんでるので、いつもより低い声。不安そうに眉根を寄せている。
「うん、今ローヴィルさんがお部屋の鍵を取りに行ってくれてるの。中に居る人が……」
言いかけたところで。唐突に、
――がちゃ
部屋の扉が開いた。
「え!? くさっ!」
「くしゃい!」
驚きと悪臭で、混乱の極致だ。なんだろう、ちょっと目に染みるレベルの香り。
そのニオイの元は……50代くらいのオジサン。モジャモジャの髪に、モジャモジャのヒゲ。お腹がポッコリ出ていて、シャツをグッと押し上げている。目元には大きなクマも出来ていて、とても不健康そう。
「部屋の前で話すんじゃない。うるさくて敵わないぞ。全く……このホテルの従業員は」
「あ、えっと。私たち、ホテルの従業員じゃなくて……冒険者です」
とにかく出てきてくれたのだから、繋ぎ留めないと。ニオイが酷すぎるので、仕事じゃなければお帰り願いたいところだけど。
「ああ、冒険者……か。なるほど、冒険者」
えっと。なんだろう、なんか冒険者という単語に異様に食いついてる。
「そうだな。そういう手もあるか」
なんか1人で閃いて1人で納得してる。お城で会った学者のゾードさんと、少し似た空気を感じるよね。
「オマエたち、金なら払うから、俺の助手になってくれ」
「え!?」
助手!?
「くしゃい」
ちょっと詰め寄って来たから、余計にニオイがね……
「ん? ああ、そういや風呂……1週間くらい入ってないのか?」
私たちに聞かれても。ていうか2週間です。
「そうだな、じゃあ風呂に行くか。一旦リセットした方が良いかも知れん。このまま凝り固まった頭で考えてたって、良い題材は思い浮かばんだろう」
またも勝手に結論が出た模様。画家先生、レッガンさんはそのまま私たちの横を素通りし(ニオイが酷くて思わず避けてしまった)、階段の方へと。
「え? ええ……」
思わず行かせてしまったけど、これで良かったのかな。
と。ちょうど階段を上がってきたローヴィルさんの姿が。
「レ、レッガン先生!? うぷっ!」
マトモにすれ違ってしまったみたいで、ローヴィルさんが見たことも無い顔になった。あれだけ余裕と自信に満ちた大人の男性でも、2週間熟成した体臭の前では無力なんだね。
「ど、どちらへ!?」
それでも、ホテルでバイオテロが起こらないよう、止めに入るのは流石だね。
「風呂だ。少し臭うらしいしな」
少しではないんだけどね。
ローヴィルさんはレッガン先生の背を見送る。その顔はなんとも複雑そう。
お風呂に入ってくれるのは嬉しいけど、道中ですれ違う他のお客さんが卒倒しないか心配なんだろうね。
「……仕方、ありませんか」
見送った後も、自分の判断が正しかったのか迷ってる風だけど。とにかく切り替えることにしたみたい。
ベルトに着けたキーリングをカチャカチャ鳴らしながら、私たちの所へ合流してくる。
「どうやって先生を中から?」
「あ、いえ。別に何もしてません。私たちがうるさかったので、注意しに出て来たみたいです」
「そ、そうなんですか」
マスターキーを取りに行ったのが無駄足になった格好だ。
「……アッサリお風呂に入っていただける流れになったのは?」
「ももちゃんが臭いって言ったので……」
「なるほど。無垢なももちゃんさんの一言が」
まあ、いわゆる「効いた」って感じではなく、創作活動が煮詰まってるところにリフレッシュ方法を提示されたので乗ったって雰囲気だったけどね。
「部屋も臭いますから、今のうちに掃除しますか?」
「いえ。勝手に絵具や筆に触れば、それこそお叱りを受けそうですので」
「あー、確かに」
道具への拘りとかも凄そうだもんね。
「そういえば……先生、私たちを助手にしたいとか言ってましたよ」
「え? それはどういう」
「さあ。なんか助手になれって言って詰め寄られたところで、ももちゃんが臭いって言ったら、お風呂に行ってしまったので」
ローヴィルさんは困惑した表情だけど、実際にそうなんだから仕方ない。
「……レッガン先生は恐らくスランプ、とまではいかずとも。今描こうとされている物に迷っていると推察されます。であれば、その手伝いにアナタ方の力を借りようと考えた……」
まあ状況から考えて、そうだよね。
「……とにかく先生が戻ってくるのを待ってみます」
「はい、私の方は……気が進みませんが、他のお客様へのご説明ですね」
いきなりバイオテロを食らったお客さんが居たら、謝り倒すんだろうなあ。グランドホテルの支配人さんも大変な仕事だ。
「それでは、すいませんが手筈通り、レッガン先生の方はお任せしますね」
「はい」
自信があるワケじゃないけど、クエストだからね。
「くさいおじちゃん、まつの?」
ももちゃんが嫌そうに訊ねてくる。我慢してね。
「ももちゃんも、たまにお風呂嫌がるけど……おじちゃんみたいになるよ?」
話を変えて、チクッと刺してやると、
「も、ももちゃん、まいにちはいってるもん」
慌てて弁明した。良い脅しになったみたい。今日から少しお風呂に入れるのが楽になるかな。
そんな風に軽く利用させてもらいつつ待っていると。20分ほどでレッガン先生は帰ってきた。




