倉賀野 実家跡地
「To say goodbye is to die a little」
これはレイモンドチャンドラーの「ロング・グッドバイ」の一説である。
村上春樹様の名訳がある誰もが知るハードボイルド小説。
ちょうど先月の村上レディオで「花に嵐の例えもあるさ、さよならだけが人生だ」という一節と、その返答として「さよならだけが人生ならば、また来る春はなんだろう」を、あの耳に少しざらつく、だけど吹き抜ける風のように質感を捉えられない声で読まれていた。
なんとなく、この言葉を思い出したのは、この方の事務所が経営しているバーの今日の情報が「ギムレット」であり、ギムレットといえば「I suppose it's a bit too early for a gimlet,"he said」。
まだ「お別れには早い」。
誰かが生まれて、小学校三年生になる時間は経過した、終わった物語で商売するバーの「ギムレット」。
思わず「飲まんけ?」とツッコミながら、ベッドでゴロゴロとネットサーフィンしてる。
この方のファンなら、こっちの言葉の方が「この方っぽい」というのだろうことは想像に難くない。
「タフじゃなくては生きていけない。やさしくなくては、生きている資格がない。
If I wasn’t hard, I wouldn’t be alive. If I couldn’t ever be gentle, I wouldn’t deserve to be alive.」
まあ、どんなに「粋がって」も、更年期障害という生物学的な痛みは抗えない。50代になってからの記録をみると、ずっとイライラしている。
相手の発言を遮ったり、前に言ったと怒り出したり、2人でのインタビューなのにご自身の言いたいことだけ言って相手の話を聞いてないか、我田引水な発言したり。
症例や、俺自身が他の上司達を見続けてた結果と比較しても、おそらく発症していたと見られる。
なお、40歳過ぎるまでやらかし続けた「世界の教授様」は50歳ぐらいならまだ、人付き合いができる範囲に収まった。ホルモンバランスの不思議を感じる。
中学校からご実家までは、かすがい(まっすぐ、右、まっすぐ、ひだり)の経路。迷うことはない。大きなお寺さんの横にあったそうで、店が点在していた跡が残っているが、現在は住宅か廃屋、自販機になっている。
この道をまっすぐなはず、とGoogleマップを見ながら歩いている。街中は変わらず、誰もいないのに、ずっと風が吹いて、風鈴がなっている。
九品寺らしきお寺が右手に見え、入口らしき場所を通り過ぎると出てくる、空き地とロープ。
廃屋になることすら、赦されなかった「跡地」手前は、遮るものがないからか、曇り空がどこまでも広がっていた。