倉賀野、朝
もう、いいだろう。
知っている人が読めばわかる程度に書いてあるし、知らない人は、どうせググらない。
もう、その生み出した音楽が消えるか、ご本人が旅立たれるかのチキンレース中なのだ。隠す程のファンもいない。まだ事務所の方のエゴサの方が見つかる確率が高いと、正直に思っている。
でも、文頭には書きたくない。
倉賀野 (2023年9月末、曇りときどき晴れ)
ちょっと驚いたのは、この3日間、日本全国は大変天候が不安定で、東京は嵐に京都は台風、滋賀は雨が降らないから、降りすぎて沈むし、晴れの国岡山も雨。それぐらいに荒れていた。
高崎以外。
3日間、ずっと、暑くもなく寒くもない、曇り空。
運命を一切考えない人でも思わず、曇り空を仰いで神の存在を疑った。なしたてて?
という訳で順調にスタートした高崎調査。
普通に考えれば、今から半世紀なんてとっくに過ぎた情報を調べている。
藤井聡太様と伊藤匠様の年齢足しても全然足りないぐらいに、あまりに古い記念碑探しの旅。
従って、建物系の記録はない。
あるのは「土地の記憶」。
人の思考の基礎は「言葉」
「言葉」を作るのは「周辺環境」
従って、風土の確認やその原風景をみたい。
高崎駅から小学校、中学校、木の虚に手を突っ込んで虫が嫌いになったと記載された神社(候補地は2つ)、実家跡地、事件により延焼した建物に対する寄進結果の石碑を周る。
午後は高校を見に行く。
本人コメントは「都落ち」。よほど何もない場所らしいが、私にこの聖地巡礼をリコメンドした知り合いコメントだと大きな病院が今はあるらしい。
どきどきする。
歴史探訪。人の思考に迫るドキュメンタリー
なお、誰も必要とはしていないし、いい迷惑なのもわかっているため、移動は公共交通機関、飲み物、食べ物は現地購入。ホテルなどにきちんと宿泊し、地元にお金を払っていく。
決して、犯罪史でもなかなかないファンの妄想によるご実家放火、という何故にそっち?という斜めな犯罪の確認ではない。
ご本人に向かわないし、意味不明な供述な挙句、世間では真犯人はバンドメンバー!?みたいなアホな流言が信じられたと言う、人の理性を別の意味で疑わせる事件は確認しなくても、結論は変わらない。
お巡りさん、お疲れ様です。
ということで、そんなひたすらツッコミを脳内で入れながら歩く、倉賀野までの道。
高崎駅から、旅のスタート。