倉賀野 倉賀野小学校
新学期になり、学生たちがまた、街に出てくる。
5人組の学生達のうちの1人は、経堂駅のホームで、エイプリルフールの話題として、宗教伝道者のフリを誇張し、面白おかしく風刺している。
「信じれば、心が晴れて、浄化されます」
集団から飛び出し、振り返って対面に立ち、わざとらしい高い声を出して、他の学生たちに笑いかける。
彼からすれば、単なるジョークであるが、それは酷く奇妙に映った。
信じれば、救われる。
それは、人の不完全さ故。
母だろうが、神さまだろうが、国家であろうが、その「システム」の存在を信じていなければ、存在しない。
そう、別になんらおかしな事ではない。
「疑問」さえ、飲み込めれば、救われるようにこの世界はできている。
そもそも最初調べたとき、本当はそんなに興味がなかった。
音楽自体も好きじゃない。好きなジャンルもクラシックである俺は、ロックとかは怖いイメージしかなかった。
彼らが気になったのは、その魅力もさることながら「鵺」を彷彿させる「よくわからない」だった。
彼らは日本のミュージックシーンを変えた、とされる。事実だろう。だが、その理由も、原因も、どれもイマイチ、ピンと来ない。
シンガポールのマーライオンのしょぼい、しょぼくない論争。美しい写真とか、周りのホテル情報にその価格。
そんな感じで、肝心のマーライオンの材質や外寸、由来、なんで著名になったか、がわからない。
過去にマーライオンを作った人やその周囲を開拓した人はいるが、肝心のマーライオンの設計者が「ずっとだんまり」している。
誰でも知っているが、肝心なところにあまり情報が残っていない。
今はだいぶ調べたが、始めた頃は、本当に意味がわからなかった。みんなの熱量含めて、謎しかなかった。
だから、設計者の故地を訪れた。だが、不思議と、この場所はとても穏やかで。
シロさんに最後のご挨拶をして、想定される通学路を通る。
小学校までの道も、やはり、静かな住宅街だった。
道路は対抗二車線だが、歩道が狭い。ガードレールもところどころであり、少々道が悪かった。
半世紀以上前の記録は、正直にわからないが、小学校は現存しており、かなり駅前にあった。
学校の周囲を一周すると15分ぐらい。
結構、大きい。休みの日だから、学生はいないが、そここに生活跡があり、生きているとわかる。
この場所は、生きている。
少なくとも、半世紀前からずっと、歴史は刻まれている。
それが、酷く不思議に思える。
書物や音楽はセーブポイント。いつだって、例えば、幸せな時代を再現できる。
だが、現実は動いている。
この小学校の子ども達に半世紀前の先輩なんて、全く無関係だし、無関心。それよりもYouTuberのほうがよっぽど人気だろう。
日が落ち、日が登る。
頂点を少し、過ぎた太陽を不思議だと思いながら、次の史跡、高校に向かう。