倉賀野 九品寺横 Googleマップ未掲載道路
その映像は、空間上に点在する「鏡」に反射を繰り返す。
様々な「虚像」と明かりが織りなす空間は、その映像自体がもつ「魔力」と相まって、非日常性を醸し出していた。
今から34年前の4月2日、対象が30歳の記録。
このメモは、本当にメモであり、リアルタイム更新である。従って、昨日観てきたビデオ映像なんてのもメモになる。
如何にも対象なら「そう見せたい」と思わせるバーの店休日を利用したビデオ上映。青山霊園にある、対象の事務所が経営するバーにお邪魔してきた。
一度目に行ったことは文章化したが、今回で3回目の来店。対象のコンセプトバーだけあり、居心地はいい。
昨日は、夕方、街中をふらふら歩きながら、開演時間を待っていた。
別にどうしても観たい訳じゃないが、気になる。
周辺情報を探して歩く、雨の中。
残念なことに、人は、どうしても、その思考が作られた場所や思い出を完全に痕跡ごと、消すことができない。
「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」
今より遥かに「移動」コストが莫大な時代、中国の皇帝に気に入られた日本人という、普通に考えれば日本にいるよりよっぽど幸せなはずの日本人が日本を思って詠む。
移動し得た幸運に、気に入られる幸運
想い出はいつでも美しい。現実は仕事やしがらみがあるだろうが、当時、世界一の権力者に気に入られようと、それでも「望郷」というものは消せなかったのだろう。
西麻布の外れにあるこの場所は対象が選んだそうだ。所場代含めたランニングコスト、イニシャルコストに引退後のご自身の集客力。
いなくなってから8年も持っているコンセプトバー。この方のシビアな頭の良さは尊敬する。
だが、ここである必要もない。ブランドイメージに合わせたのだろうが、何かないかと、周辺情報を探して歩いていた。
そんな西麻布の夜、地下にあるコンセプトバーという、どこのトレンディドラマな場所に、終わった物語のあまりに美しい幻想的な映像に酔う時間。
・・・その、あまりに美しいライブ映像を映した機器は、普段「裏」に保管されているらしい。
お店のHPだと、対象がやってきて滞在したというVIPルーム。化粧室の横という奥まった位置にあり、昨日、店内の端っこ、そのVIPルームの扉の斜め前に座っていた俺は、位置関係から、片付けの間、中が垣間見れた。
豪奢な内装に、段ボール。
覗き込むわけにもいかない。
隙間から、ほんの少し。
「倉庫」だった。
対象が訪れたのは、8年前に一度だけ。
内装は未公開、貸切るのは結構高額。
この対象をあまりにわかりやすく表している気がしたのは、きっと、俺の心がぴーかん晴れだからだろう。
繰り返すが、これは俺のメモだ。
気になったことを書く。それだけ。
あの日、怪我した猫を追いかけた道は未舗装歩道で。付かず離れず、猫は歩いていく。
途中で、ランニングする男性にすれ違い挨拶を交わした。男性が猫を気にした様子はなかった。
中身が入ったまま打ち捨てられたバラックや、廃墟っぽい何かに、ハゲた自動車。令和となっては、通り過ぎた昭和を歩きながら、ここが九品寺と小学校の間の道だと気がつく。
もしかしたら、この歩道を対象は通っていたのかもしれない。
高鳴る心臓。この方のデータは膨大で、18歳まで、この地域にいて、その時点でのデータはすでにある。対象が言及していた場所にいる。
目が眩む。急激に対象へのよくわからない「何か」が溢れて言葉にならなくなり、天を仰いだ。
この方の「原風景」
曇り空、未舗装の道に、風鈴の音に蝉の声。
濃密な自然の匂いに、時折、ガソリン。排気ガス。
始終、風が流れ、土の埃を持った閉じ込めるような水の質感が身体にまとわりつく。
人の営みは丁寧で、古臭い。
立ち止まった俺に、黄色い蝶が止まる。
家屋の一部は崩壊し、自然に還る途中。
「にゃ〜」
遠くから聞こえる子どもの声。
前を向いて見れば、中学生ぐらいの子ども2人やってくる。
エネルギーがない街ではない。
もの悲しい場所ではない。充分に、ここは美しい。
ただ、活気溢れる人由来のエネルギーではない。若者にとっては、遊ぶことが、限られた場所。
情報も当時なら、さらになかっただろう。鬱屈した地方都市のエネルギー。
改めて、空を見れば、光が透過する曇り空。
対象はずっとひとりではない。孤独とは本来の意味で無縁な時間を過ごしている。大成功もした。これ以上にないくらいに「幸運な人」。
「に〜」
怪我した猫さんは、待ってくれない。
こうなったら、意地でも捕まえて、動物病院。引越しして、一緒に生きよう。見た目から4歳ぐらいかな。これからの10年は君に決めた!
気合いを入れて、追いかける。