【短編】低摩高等学校に来た悪役令嬢、ママと出会う
低摩女子高等学校一年一組には、悪役令嬢が来る。
だいたい毎日、時間はランダム、授業中に来ることが多い。
悪役令嬢とは、あだ名や悪口じゃない。
本当に、物語の中のような「悪役令嬢」が来る。
しかも武装しながら。
大人を頼ることはできない。
私達自身でなんとかしなければならない。
だって――
+ + +
授業中で、数学だった。
窓からは太陽が入り込んで、教室内を暗さと明るさに二分していた。
日差しの関係で見えにくい黒板の前で、原田先生が淡々と教える。
わかりやすい授業のはずが、まったく頭に入って来ない。
悪役令嬢が来ているからだった。
廊下側のドアを開け、にんまりと非人間的な笑顔を浮かべる。
服装はドレス。細かい名称はわからないけど、フリルのたくさんついたスカートが鳥かごみたいに膨らんでいる。
色彩は全体的に黒色、けど、それを否定するみたいに鋭い剣を手にしている。
普通なら、当たり前に大騒ぎになっていたはずだ。
けれど、先生はまったく動かないし、そちらに目を向けることもなかった。
たしかに扉を開けて入った。
ガラガラという音だって立てていた。
なのに、気づいた様子もなく、変わらず授業を続けた。
高校生である私達と同じくらいの年齢に見えるその子は、服装こそ違うけれど普通の人間に見えた。
透けていない、浮いていない、足音だって立てている。
けれど先生は、すぐ目の前を通過する悪役令嬢を、まったく認識していない。
ひっ――
と隣の席の橘供羅が押し殺した悲鳴を上げた。
その悪役令嬢は、しずしずと歩く。
剣を形に担いで、笑顔のままで。
目がぎょろぎょろと移動している。
まるで、獲物を品定めするかのように。
教壇側から黒板を横切って、後ろ棚へと向かう。
机の間を通りながら。
悪役令嬢が行くその周辺の人たちが「教科書に集中」し出した。
その一帯の空気だけが重くなる。
ドミノ倒しみたいに緊張は移動する。
誰もが通り過ぎてくれと頭の中で願っている。
「――ッ」
いつもなら、そのまま一周して通り過ぎて出ていくはずなのに、なぜか、止まった。
足音が続かない。動かないままだ。
誰かの息を飲む音が聞こえた。
たぶん、その近くの席の人たちだ。
少し離れた席で私が顔を上げると、悪役令嬢が窓の外を見ていた。
左右の人の、青ざめた顔とか、シャーペンを持つ震える指とかも気にせずに。
私からだとその後ろ姿しか見えない。
肩にかついだ剣が、陽の光を反射している。
「……」
何かをつぶやいていた。
ほとんど声にならない音だった。
意識を集中するが聞き取れない。
窓を向いていた顔が、向き直り、また歩き出す。後ろ黒板の方へと。
その横顔は、とても冷淡で、とても整ったものだった。
あの気味の悪い笑顔がなければ、本当にただの美人だ。
悪役令嬢は、教室を一周し、そのまま後ろ扉から出た。
より正確にいえば、その全身を黒いモヤのようなものが包んで消し去った。
全員が安堵の息をついたのを、原田先生は不思議そうにしていた。
+ + +
休み時間、友達の供羅が机の上にぐでんとしていた。
「もう、さあ……」
「どうした」
「逃げたい……」
声はかなり切実だった。
「元気出せ、供羅」
「どうして日衣美はそんなに平気そうなの?」
「平気じゃないぞ」
「嘘」
「凶器を持ったやつがうろついているんだ、私だって緊張する」
「まあ、そっか」
「どうすれば倒せるかシミュレートしているが、いまだ成功していない、見たところあの悪役令嬢は、とても強い」
「なんか、悩みどころ違くない?」
「気にするな」
「気にするよ……」
「授業中にテロリストが入ってきたらという妄想があるが、その形が少し変わっただけだ」
「授業中に悪役令嬢が入ってきたらどうするかって妄想する人、あんまりいないと思うよ?」
「そうか?」
「そうだよ、しかも妄想じゃなくてリアルだし」
「そうなのか……」
どうやらそうらしい。
世の中って難しい。
供羅は重々しくため息をついた。
普通の高校生の五倍くらいは重かった。
「噂くらいはさ……」
「ん?」
「あたしも噂くらいは聞いてたんだよ、低摩高校には、なんか妙なのが来ることがあるって……」
「うん、そうだな」
そう、低摩第一女子校に悪役令嬢が来るのは、昔からのことだった。
以前は悪役令嬢じゃなくて別のが来ていたらしいが、とにかく「変なもの」が訪れる。
その変なものは、生徒にしか見えない。
生徒にしか触れない。
そして、生徒しか害さない。
「それが本当だなんて、思うわけないじゃん……」
「初対面のときにはびっくりしたな」
「びっくりどころじゃないよ、もう……」
あの悪役令嬢は、授業開始一週間後くらいにはもう訪れた。
派手な格好だが見た目としては同年代だ、いい趣味した同級生が来たと思うのが普通だろうが、誰もそう受け取らなかった。
一目で、違う、とわかったからだ。
この世にあっていいものではないと気付いた。
それはたとえば衣服だ。
舞踏会にでも参加するような姿は、きちんと馴染んでいた。
それはたとえば肩に担いだ剣だ。
芝居などの小道具だとは思えなかった。
偽物というにはあまりにも重そうで、あまりにリアルだった。
それはたとえば、全身から立ち上る黒い霧だ。
最近はあまり見かけなくなったが、全身から立ち上らせていた。
自然なものではない証拠というように、身体を螺旋状に巡っていた。
物語の一幕のように、あるいは夢の中の光景のように登場し、唖然としている私達の姿を認め――
悪役令嬢は、ニンマリと笑った。
それからは毎日、悪役令嬢はこの一年一組を訪れている。
それが義務だと言いように。
「あれは一日に一回しか来ない。以降は安泰だろう。大丈夫だ、心配いらない」
「今日はね……」
「明日のことは明日考えよう」
「日衣美、意外と後先考えないよね」
「そうでもないが」
「うそだあ」
とても意外な評価だった。
その後、私は部活へと向かう途中、生活指導の君枝山先生に呼び止められ「髪を伸ばすのは肩口までだ」と言われた。
たしかに現在、私の髪は腰まで伸びている、どうやらこれは校則に抵触しているようだった。
有名無実の空文でしかないと思っていからとても意外だ。
私は頷き、そのまま剣道部で汗を流した。
見れば確かに部活内でも髪を伸ばしている人はいなかった。
私は知らずルールを逸脱していたようだ。
そうして家へと帰り――
とりあえずバリカンで丸坊主にした。
さすがにつるつるにするのは抵抗があったので、触れたらじょりじょりするくらいまで。
ここまで短ければ、きっと文句もないだろう。
ちょうど短くしたかったところだし、割といい機会でもある。
きっと先生も褒めてくれるに違いない。
+ + +
なぜか私の行動は問題視された。
謎だ。
何度もこのような行動をした理由を聞かれた。
私は素直に「君枝山先生に指導されたので、ちょうどいいから刈ってみた」と言ったが、どうもあまり通じている雰囲気がなかった。
たまに大人はこちらの言語を曲解し、日本語が通じない生物になることがある。
何を言っても通じず、彼らの中で発生した物語だけしか見ない。
「大丈夫だ、先生は日衣美の味方だ」とか言われても、私は誰かを敵に回した覚えはない。あくまでも私自身の意思で行った。
そう何度も説明したが通じなかった。
君枝山先生は困惑と諦観を混ぜたような顔でただ立っていた。
結果として生活指導を過度に厳しくしすぎないように、ということになった。
どういう流れでそうなったのかは不明なものの、クラスメイトから感謝された。
「日衣美、身体を張りすぎ」
「なんのことだ、あと供羅、人の頭を勝手に撫でるな」
「日衣美の坊主頭、なんか感触いい」
「いいだろ」
「癖になる、ちょっと撫でたい形……」
「供羅も、一緒に刈ってみないか?」
「真似はしたくないかなあ」
残念。
だが、たしかに供羅の癖っ毛がまったくなくなるのも寂しくはあった。
「しかし、髪の毛って意外と重いものだったんだな、今朝、歩いていて身体が軽く感じた。違和感がすごかった」
「こっちからすれば違和感どころじゃなかったよ……」
「慣れてくれ、きっとずっとこのままだ」
「このまま? 伸びたらまた刈るつもりなの?」
「せっかくだからな」
「君枝山先生がさすがに可愛そうだから止めたほうがいいよ?」
「繋がりが不明だが、この髪型、そんなにだめか?」
「うわ、この人、本気でこの坊主頭を気に入ってる」
「みんな騒ぐだけで誰もかわいいと褒めてくれないのが、今の私の不満だ」
「似合ってるとは思うけど、インパクトの方が先にくるかなあ……」
世の中の流行というものは難しい。
本日も悪役令嬢は来た。
にんまりとした笑顔が「は?」という驚き顔になり、私を二度見した。
ぐるりと教室を一周する間、ときおり私の方を見ていたが、これは気のせいかもしれない。
また同じ用に黒いモヤにつつまれて悪役令嬢は消えた。
+ + +
部活でも騒ぎになったが、他と違い爆笑された。
私ならばやりかねないと思われていることが、この差につながっていた。
これが良いことなのかどうかは不明だ。
「いやー、思い切ったねえ?」
「真可部先輩まで撫でないでください」
「自業自得ぅ」
「損しかありません、私はどんな業を背負ったんですか」
「撫でたくなるキレイな頭の形を呪うがいいぃ……」
「頬ずりまでは許可していませんが」
「うへへぇ」
よだれまで付着しそうな勢いだが、真可部先輩は私よりも強い人だった。
家が道場であることもあり、同年代はもちろん先輩方よりも強いに違いないという私の天狗鼻をぽっきりと折った人でもある。
「せっかく頭が軽くなったのに、今日はだいたい加重がかけられています」
「寒くはないの?」
「すうすうしてます」
「やっぱりあっためたくなるんだよ、こう、見た目的に」
「カツラでも作ったほうがいいんですかね……」
「本末転倒になってない?」
本日の騒ぎで長髪時代が懐かしくなっているのは確かだった。
髪の長さが100センチから3センチに変わったくらいで、こんなに大事になるとは思っていなかった。
家族は全員が「おお、すっきりしたな」で済ませていたのに。
「真可部先輩」
「なぁにぃ?」
「先輩のところにも、悪役令嬢は来ているのですか?」
「いないよぉ」
「え」
「ちなみにぃ、一年の時は来てたよぉ?」
からかうような笑顔を浮かべているのを、坊主頭に頬ずり感触越しに知った。
「……どうして、来なくなったのですか?」
「んふふぅ?」
「教えるつもりがないですね?」
「正解ぃ」
「理由を聞いても」
「教えちゃうとね、間違っちゃうから」
「意味が伝わる日本語を喋ってくれませんか?」
「意味が伝わったら教えることになっちゃうでしょぉ?」
「なるほど」
私はしばし考える。
人の頭に噛みつこうとする不届き者こと真可部先輩の気配を感じたので距離を取りながら。
「この高校の一年一組には、悪役令嬢が訪れます。これは先輩のときも同様だった」
「ケチぃ……」
先輩は頬を膨らませていた。
「これは解決可能な問題なのですね」
「さあ?」
「問題は、どうすればいいのかサッパリわからないことですが」
「日衣美ちゃん、意外と察しが悪いよねぇ」
「わからないから、とりあえず斬ってみようかと」
「察しが悪いのに正解を引き当てるからタチが悪いんだよねぇ……」
不思議なことを言われた。
+ + +
タイミングが重要だった。
その日が来るまでに、一週間もの時間が必要だった。
授業中は駄目だ。
休み時間にはそもそも来ない。
放課後では見たことがない。
終了五分前、その日の授業のカリキュラムが終わって先生が雑談をするような時間帯が狙い目だった。
「先生、トイレに行ってもよろしいでしょうか!」
「ん? 日衣美、あと五分くらい我慢できんか?」
「限界です!」
「お、おお、なら行って来い」
「はい!」
「元気すぎないか?」
知ったことではなかった。
私の視線の先には、背を向け今にも扉から出ようとする悪役令嬢がいる。
悪役令嬢は最近、笑顔を浮かべなくなっていた。
日々だんだんと沈鬱になった。
こころなしか丸くなった背中が、ドアを開けようとしていた。
変わらず剣を肩に担いだままで。
令嬢が完全に外に出ようとするより前に、私は出口付近に立てかけていた袋を引っ掴みつつ、その肩を叩いた。
「失礼」
当たり前の、衣服と人の感触しか無い。
それに慄然としながらも、言葉を続ける。
「試合をしないか?」
竹刀袋を示しながら言う。
振り返った悪役令嬢は、まばたきを繰り返していた。
+ + +
後ろ手に扉を閉めて廊下に出る。
改めて悪役令嬢と相対する。
剣を担ぎ直そうとしたので、慌てて制す。
「いや、違う、真剣じゃなくてこの竹刀でだ」
小首を傾げられた。
やけに整った小さな頭だな、という印象を受ける。
「真剣での勝負は受けられない、それは私が慣れていない、駄目か?」
竹刀は一般的なものだった。
できればカーボン製のものを使いたいものだが、あれは高すぎる。
それを一本、差し出した。
令嬢はそれを手にして、いろいろと感触をたしかめていたが、やがてコクンと頷いた。
完全に納得はしていないようだが、理解はしてくれた。
「ああ、ありがとう、君は良いやつだな」
最低限の竹刀の握り方や振り方を教えた。
戸惑っていた雰囲気が、だんだんと「面白そう」に変わっていくのがわかった。
「竹刀なら、全力で当てても怪我で済む」
たまに事故は起きるが、とは言わないでおく。
「君は強そうだ」
真正面から、本心で言う。
「だから私は、戦いたい」
言いながら制服を脱いだ。
剣道着に着替えるためだった。
全力を出すには必要な作業だ。
悪役令嬢も倣うのは止めた。
私の「いや待て、君は脱がなくていい」という言葉に、壁向こうのクラスメイトがざわめいた気がした。
私は声も潜めず喋っている。
だというのに、先生は気付いた様子もなかった。
どうやら「悪役令嬢と一緒にいる私」も、注意から外れる対象らしかった。
授業が終わり、先生は明らかに私と令嬢の姿を視界に入れたはずだが、当たり前のようにスルーした。
待ちかねたというように、わらわらとクラスメイトが出てきて、私達を取り囲む。
全員が、見守る。
全員が、黙っていた。
窓ガラスから陽光が降り注いでいた。
当たり前の、午前中の太陽だ。
私はビニル床に素足で構える。
上下紺色の道着が慣れた柔らかさを伝える。
供羅が強く握る手のきしみ、その音すら聞こえそうな静けさだった。
他のクラスは騒がしくしているというのに、それらの雑音はここまで届かない。
クラスメイトが取り囲み、遮っている。
私は一礼した後に、中段で構え、悪役令嬢に竹刀を向ける。
廊下隅には靴や靴下や折りたたんだ制服がある。
対する悪役令嬢は、あきらかに竹刀に慣れていない。
けれど、重さの感覚を掴んだのか、ひとつ頷くと構えた。
クラス中を徘徊する時と同じ、剣を肩に担ぐような姿だった。
ああ、と思う。
それは「構え」だった。
戦う姿であり、その準備としての格好だったのだ。
彼女は戦う相手を求めていた。
ヒントは、あからさまに示されていた。
悪役令嬢は、笑う。
ニンマリとした笑顔。
だが、最初に見たときよりも、さらに禍々しく。
「いいか?」
嬉しいそうに頷くその頭に、私の竹刀が直撃した。
+ + +
面ッッ! という叫びは、踏み込みの音と打撃音と同時に。
令嬢は一撃に目を白黒させていたが、すぐさま反撃を繰り出した。
後ろへと跳び戻った私に、令嬢は全身を使って回転させ、横振りの竹刀を送り込む。
当然、防いだ。
令嬢は目を見開いたが、心外だ。
こんなあからさまな攻撃が当たるはずがない。
力や速度は凄まじいが、それだけだ。
これが真剣なら違うのかもしれないが、竹刀同士の戦いとなれば、こちらの土俵だ。
角度をズラし、力の流れを変え、
「――ッ!」
「胴ぉッッ!」
身体が流れたところを一閃する。
当たり前のように攻撃は吸い込まれる。
いい音が廊下に響いた。
たぶん、身体には直接当たっていない。コルセットの類に当たった感触だった。
あはっ
そんな幻聴が聞こえた気がした。
振り返り見れば、目を見開いた令嬢が、そのような笑顔をしていた。
黒いモヤのようなものが、悪役令嬢を覆う。
ダン! という音は踏み込みのそれ。
反射的な動きで防げたのはほとんど奇跡。
高くぶつかり合う竹の音。
気づけば鍔迫り合いの格好になっていた。
力勝負だ。
やばい。
すぐ目の前に、令嬢の顔があった。
歯をむき出しにした笑顔だ。
足が後ろに行く。
押されている。
暗い霧が吹き出る。
暗く破滅的な歓喜が叩きつけられる。
竹刀が悲鳴を上げる。
どうする?
どう攻略する?
いなす?
力をズラす?
なにが正解だ。
どうすればいい。
違う。
そうじゃない。
正しさを求めるな。
引いたら駄目だ。
気骨を正せ。
身体を使え。
深く呼吸をしろ。
賢さなんて捨てろ。
ビビんな。
気合の声と共に前に出る。
踏み込みの音がひときわ高く鳴る。
無理な動きに全身が悲鳴を上げた。
無視。
いつもの練習であれば防具がぶつかるが、いま頭部を守る面はない、それはただの頭突きになった。
坊主頭が令嬢の額に直撃する。
「……!?」
痛みはある、けど、向こうと違って私は意外だとは受け取らない。
よろめき、反射的に防御の姿勢を取るそこへ――
「小手ぇッ!」
試合であっても確実に一本を取れる一撃が、いい音をさせた。
+ + +
悪役令嬢は、唖然と小手を打たれた跡を確認し、悔しそうに唇を噛んで私を睨み――そのまま消えた。
黒いモヤのようなものが覆ったかと思うと、ロウソクの火が吹かれたみたいに姿を消した。
はあ、と余韻に浸る時間は一秒もなかった。
クラスメイトが喝采した。
まるでサッカーでゴールが決まった時みたいな騒ぎだった。
そうなって、ようやく他のクラスも気がついた。
なんだなんだと近寄って来るが、誰もその騒ぎの理由をわからない。
当然だ。
全員が等しく苦しめられたストレス、そこからの開放なんだから他には伝わらない。
生活指導の君枝山先生が騒ぎを聞きつけズンズンと来たが、私の顔を見てひどく嫌そうな顔をした。
なぜだ。
「みんな、落ち着いてくれ」
「日衣美! けど、やっと、やっとなんだよ!」
「たぶん勘違いをしている」
「なにを?」
「明日も来るぞ、あの令嬢」
「え」
意外な顔をされることの方が意外だった。
「私は、竹刀で叩いただけだ」
「でも、でも」
「あの令嬢の顔を見ただろう」
「え、うん」
「とても悔しそうな顔をしていた」
「だから、やっつけたんだよね……?」
「違う」
クラスメイトも呆然とした人が大半だった。
「あれは、明日こそはリベンジしてやる、という顔だった」
私は一つ頷く。
鍔迫り合いのしびれが、まだ手のひらに残っている。
私を睨む視線の熱さも、まだ記憶に残っている。
「大丈夫だ、心配いらない、私はとても楽しみだ」
「そうだ、日衣美ってこういう子だった……」
なぜか呆れた風だった。
+ + +
11月にもかかわらず昼間は暑い。しかし、夜ともなると寒さを増す。
私は家の縁側から庭を眺めた。
気温としてはひどく冷えるはずだが、まったくそうは思えなかった。
身体の内側に、熱があった。
眠ることすらできず、どうにも心がざわついて、こうして冷まそうとしていた。
思うのは、あの令嬢のことだった。
笑う顔、戦う様子、幻のような、あの姿。
あの一秒一秒が、まだ心に焼き付いていた。
閉じられた瞼の裏で、その動きが繰り返される。
そう、試合で勝てたのは、実のところ紙一重だった。
一つ間違えれば私のほうが打倒されていた。
だからこそ、必死にその戦う姿を思い返しているが、完全というわけにはいかなかった。
見えていない部分があった。
「剣道着、あの令嬢も着てくれないかな……」
鳥かごのようなスカートのため、その足さばきを見ることはできなかったのだ。
たしかに、重さや動きにくさを考えなければ、歩法を見せない良い衣服だった。
ひょっとしたら、なにか特殊な素材で出来ていて、あまり動きを邪魔しないものなのかもしれない。
きっと、カーボン製の竹刀とは比べ物にならないくらいの高級品だ。
彼女は一万円とか二万円の支払いが気にならないくらいの富裕層の令嬢だ。
「どういう人なんだ……?」
それが気になって仕方なかった。
動きに剣術の基礎のようなものは伺える、しかし、専門的に習った動きではないように思えた。
また、対人戦の経験が豊富というわけでもなさそうだ。
頭突き程度で驚くくらいだ。
だが、その一方でその手には明らかに剣を常日頃から振り続けた者の痕跡があった。
マメを何度も繰り返し重ねた指だ。
その身体能力は、なんらかの後押しがされているのか、目にも止まらないものだった。
「……」
私自身の手を見る。
負けないくらいのマメがそこにある。
けど、指導や装備がちゃんとしていて、どう鍛えればいいのかはっきりした上で作成されたものだった。
あの令嬢には、そうした『師匠』に当たる人がいないんじゃないかと思えた。
「考えてみれば……」
手のひらに残ったほんの僅かなしびれを惜しむように包みながら、一人つぶやく。
「私は、君の名前すら知らない」
明日が早く来て欲しいと願った。
+ + +
朝、教室に入ると妙な様子だった。
いつもなら気軽に返答してくれる人たちが、「お、おう」というような中途半端な対応になる。
感謝と困惑とを混ぜ合わせたようなそれは、正直に言えば気色が悪かった。
「どうしたんだ?」
「ああ、日衣美、ええと、あれだよ」
「あれとは」
「みんな、悪役令嬢のことが怖いんだよ」
「ふむ?」
よくわからなかった。
それは今までと変わらないはずだ。
「ほら、いままではただ怖いお化けだったけど、日衣美が倒せたじゃない?」
「辛勝ではあった」
「なんとかできる相手じゃないか、って気になったんだよ」
「先生や他の大人には頼れないが」
「そして、あの、すごく言いづらいんだけど……」
「どうした」
供羅は口ごもり、罪の告白でもするように地面へ向けて言った。
「たぶん、あの悪役令嬢、日衣美に憑いてたんだと思う……」
低摩女子高等学校一年一組には悪役令嬢が来る。
そう、考えてみれば不思議な話だった。
話がそれだけであれば教室から逃げ出せば良い。
一人二人ではなく全員が。
転校するなり別のクラスにどうにか変わるなり、あるいはそもそも学校に行かないという手すらある。
だが、このクラスではそのような選択をした人はいなかった。
「怖かったんだよ、みんな……」
それは、あの悪役令嬢がこの教室という場ではなく、特定の誰かに憑いているからだった。
場所ではなく、個人に執着している。
その個人が誰かは、わからない。
これは私達の方はもちろん、悪役令嬢の側も同様のようだ。
だいたいの居場所しか、つかむことができていない。
だから、転校したところで、意味がなかった。
なにせ悪役令嬢は「だいたいの場所」であればわかるのだ。
その転校先にまでついて来る。
家にいても同様だ。
気づけばその家の中にまで悪役令嬢が来る。
逃げることは、その「憑かれた個人」を炙り出す作業だった。
「なるほど」
「黙ってて、ごめん」
「いや、いいさ」
これを私が知らなかったのは、情報が秘匿されていたためだった。
あるいは、このクラスの大半が知らなかった可能性すらある。
だって、逃げ出してくれれば、悪役令嬢が追うかもしれない。
たった一人の犠牲だけですべて解決する。
おっかない悪役令嬢――凶器を手にした、言葉や条理が通じない相手ではなく、クラスメイトの誰か一人を排斥するだけで、安全が手に入る。
そう、私は「悪役令嬢について文句を言える相手」となった。
私が学校に来なければ、悪役令嬢は隔離される。
「真可部先輩が言っていたことは、これか……」
「え、誰」
「いや、なんでもない」
教室内の微妙な雰囲気の理由はわかった。
まだ決めかねているようではあるが、きっとその内に彼らは「なんとかしろ」と言ってくるのだろう。
取り憑かれた相手は私なのだから、そうすべきであるという理屈を振りかざす。
「まあ、それは違うな」
「日衣美?」
「文句はちゃんと本人に言おう。大丈夫だ、心配いらない」
すべきことは決まっていた。
+ + +
その日、悪役令嬢は休み時間にやって来た。
どうやら授業中という概念を理解してくれたらしい。
なぜかムッツリと不満そうに私を睨んでいる。
がるる、という声が聞こえてきそうだった。
「お待たせ、やろうか」
昨日のように授業中に抜け出したわけではないので着替える時間も惜しい。
私は竹刀を二本持って、廊下に出た。
同じように野次馬も追随したが、その数はいくらか減っているようだ。
「ああ、供羅」
「なに」
「悪いが、私のカバンを持ってきて欲しい」
「いいけど……?」
「すまない、必要だ」
ウキウキしすぎていたらしい。
竹刀以外にそれらも持ってきておくべきだった。
私は制服姿のままで一礼し、竹刀を構えた。
令嬢の方も構えたが、私のを模倣したような格好だった。
いままでのような、肩に担ぐような構えではない。
口の端が上がりそうになるのを堪えた。
この令嬢は、私に勝ちたがっている。
平静に見えてその内側は沸騰している。
互いに中段の構え。
細かく動き、最適な距離を測るべき場面。
けど、そんなことなんて知ったことじゃ無いというように、令嬢は前触れもなく突きを放った。
凄まじい打突。
廊下が高く鳴り、竹刀の軌跡がまっすぐの線を描く。
隔絶した身体能力から放たれるそれは、私の喉元を狙った。
当たればただでは済まない。
けど、そんなことは、百も承知だった。
「!?」
令嬢はずっと睨んでいた。そこを攻撃してやると目で訴えていた。「剣道の流儀」に乗ったフリをしてそれをしてやると言っていた。
「面ッッ!」
だから、簡単に合わせることができた。
躱しながら反撃を打ち込む。令嬢の長い黄金の髪だけを捉えた。
反射的に傾けた頭を通り過ぎ、私の打突は肩で鳴った。
あっけにとられていた表情は、すぐに戦意が上書きする。
鳥かごのスカートが、飛んだ。
脱いだわけじゃなかった。
跳躍だ。
廊下の壁、天井を駆け上り、竹刀を振る。
無茶苦茶な動きの、無茶な攻撃だ。
防げたのは、ただの直感と運だった。
引き戻した竹刀への、凄まじい衝撃に身震いする。
上下逆になった顔で、令嬢は攻撃を続行する。
更に天井を蹴っている。
ぐるりと廊下を縦に一周、窓のサッシ部分を蹴りながら竹刀を振ろうとするのが見えた。
勢いそのままに、身体の横回転まで加わっている。
まったく想定にない動き、どこから竹刀が来るかわからない。
なんだその空中二連。
敵の姿勢と腕の様子からして考えられるのは――
違う、そんな暇あるか。
考えるな。
受けに回るな。
「――ッ」
竹刀を盾に突進する。
有効打は打突部でなければならない。
そうでなければ力が乗らない。
だからこそ、距離を詰める。
攻撃の無効化を狙う。
空中にいる相手を押し潰すつもりで踏み込み――
「え」
バシン、と当たった。
右の手首、小手にあたる部分だった。
正しい機に気勢よく打突したとき特有の、致命的な音がした。
全身のバネをつかって着地しながら、令嬢がニンマリと笑ったのを見た。
一本、という見えない審判の声が聞こえた気がした。
+ + +
言いたいことは、山程あった。
一本とするには姿勢も残心もちゃんとしていない、そもそも剣道に空中機動はない。
けれど――
「ッ! っ!!」
ぴょんぴょん跳ねながら両手を上げている令嬢の様子を見れば、そういうツッコミは野暮すぎた。
まして、昨日のやり返しというようにきっちり同じ場所を打たれた。
「私の負けだ」
両手を上げてそう言うしか無い。
きっと、事前に狙っていた。
私の踏み込みすら計算にいれての跳躍だった。
誘い込まれるように、私は「令嬢が思い描いていた位置」に来てしまったのだ。
その令嬢は、むふぅ、と満足そうに笑った。
周囲のクラスメイトは微妙な顔だった。
なにせ、いつの間にやら令嬢は長剣を手に無音の勝鬨を上げている。
当初の気色悪さこそ減じたが、「大人には見えもしないし対処もできない凶器を持ったやつがうろついている」という状況に変わりはなかった。
私に勝った令嬢は明日も来るだろうし、危険人物であることもそのままだ。
だから私は頷き。
「まだ消えずにはいられるか?」
そう令嬢に聞いた。
不思議そうにまばたきしていた。
「君は気づけば来ているし、気づけば消えている。だけど、ある程度は長く居れるんじゃないかと思う」
昨日の戦いなんかそのいい例だ。
この令嬢がいられる時間は、教室をぐるりと一周する間だけ、というわけじゃなかった。
戸惑いながらも頷く様子を確認しながら、私は供羅が持ってきてくれたカバンを手に取った。
「よし、じゃあ、場所を変えてもう一戦だ。勝ち逃げするなよ」
「え、日衣美?」
「悪いが今日は早退する」
「ちょ、ちょっと!?」
「私の家には道場がある、あそこであれば存分に続きができる、広いからさっきのような動きはできない」
令嬢は、む、という顔をした。
「道場であれば、まだ私のほうが強い」
んなわけあるか、という顔をしていた。
「まだ一勝一敗だ、邪魔の入らない場所で次をしよう」
「日衣美!?」
「この子は、私が家に連れて帰る、邪魔をしてくれるなよ」
「この悪役令嬢を!?」
「うん」
「え、え……マジで言ってるの……?」
むろん、マジだった。
私は、おう、連れていけ、とばかりに胸を張っている令嬢の手を取り早退することにした。
事態を理解できていないクラスメイトは、ただ口を開けていた。
どちらにせよ事態は変わらない。
そう、我が家に、悪役令嬢が住むことになった。
+ + +
約束通り、道場で対戦した。
結果としては私の圧勝だった。
どうせならと防具を着ての戦いだったからだ。
視界の狭さに令嬢はまだ慣れていなかった。
死ぬほど悔しそうな顔をしていた。
「そういえば……」
ふと思い出す。
「私の名前は日衣美という、君の名前はなんと言うんだろうか?」
む、という顔をしていた。
まだ喋ることができない、というより、声がこちらにまでは伝わってはいない。
私は慌てず騒がずノートとシャーペンを用意して渡した。
「……読めない」
アルファベットですらなかった。
なんだこの象形文字。
「いや、そんな地団駄を踏まれても、この文字の読み方がわからない」
もー! という表情だった。
指でちょいちょいと近づくように促され、私はその顔をまじまじと見つめる。
正確にいえば、その唇を。
やけに血色が良い。
繰り返し、令嬢は唇を動かしていた。
「ああ、それで当てろと?」
令嬢は頷く。
「これは……い、ではないな、え?」
唇の形から当て推量で言う。
令嬢は満足そうに、うむ、と頷いた。
続いてさらに唇を動かす。
「なんだこれ、唇が開閉しているのはわかるが。ぱ? そうか、エパさんか?」
軽く肩を殴られた。違うのか……
「ぴ、ぺ、ぷ……?」
殴られ続ける。
エピさんでもエペさんでもエプさんでも無いらしい。
なんでわからないの!? という顔をしながら、また唇が開閉する。
「ま?」
やっとわかったか、という首肯。
「エマさんか、そうか、よろしく」
悪役令嬢ことエマさんは、胸に手を当て、偉そうに頷いた。
誇り高さを表現したかったようだが、鼻の穴が広がっていた。
+ + +
悪役令嬢もといエマさんに時間制限というものは無いらしい。
親に早退した理由を聞かれたり、家での普通の鍛錬の時間の間もエマさんと戦い続けていたが、ついには夕食の時間にまでなった。
「そういえば、昼飯も食っていなかった」
エマさんもお腹をさすっていた。
「ウチで食べて行くか?」
「――」
「いや、無言で見つめられても困る、頷くか首を振るかしてくれ」
「――」
「あー、そうか」
武士は食わねど高楊枝。
腐ってもタイ。
悪役令嬢でも令嬢で、それなりの気位があるらしい。
「うん、最後の勝負は私が勝った。だから奢らせてくれ」
「……」
「なんだ、そのトータルでは勝ったのこっちだろ、みたいな顔」
「……」
「じゃあ、そっちが勝ったんだから、正当な報酬として夕食を食べるでもいい」
「……」
「あ、小馬鹿にしたな、庶民料理だと思って見下したな、そういうのはウチの母さんの料理上手を味わってから言って欲しい」
「へえ、――」
「ああ、期待していてくれ、絶対に美味い」
「それが本――」
「ほっぺたが落ちる準備をしてくれ」
なにか少し違和感がある気もしたが、エマさんが夕食を食べて行くことになった。
ただ親への説明がとても大変だった。
なにせエマさんは大人からは見えない。
兄ですらもわからないようだった。
下の妹は、なんとなくの輪郭はわかるようだが、それほどはっきりとはしていない。
そして、意味もなく夕食を1人分を増やして欲しいと言ったところで通じるはずもない。
「いや、だから――」
色々と困ったが、結局は正直に言うことにした。
細かい事情ではなく、気持ちとしてやりたいことを述べた。
「見えないかも知れないが、友達がここにいるんだ。母さんの飯を食わせてやりたい」
目を見てきちんと述べた。
なぜか途端にOKされた。
「その顔をするってことは、嘘じゃないわね」と了承された。
エマさんは、なぜか死ぬほど驚いた顔をしていた。
その日のトンカツは、普段よりも多く消費された。
どうやら令嬢は気に入ったようだ。
そのフォークにトンカツが突き刺さっていない時がなかった。
父や兄は「気づけばトンカツがガンガン減っていく」という事態にとても困惑していた。
ついでにその日は布団を敷いて一緒の部屋で寝た。
+ + +
私の日々の生活に悪役令嬢が追加された。
いや、悪役令嬢というのは最早ふさわしくない。エマさんが、私の生活に参加した。
エマさんは今まで授業中に勝手に入ってはすぐに消えていたが、どうやらそうせずともいいらしい。
時間制限のようなものは、本当に何もない様子だ。
その代わり、普通に衣食住が必要にはなっていた。
そのあたりの事情について詳しく知りたいものの、どうにもまだ意思疎通は難しかった。
筆記されても、その文字がまったく私には読めない。
唇を読むにしても時間がかかりすぎる。
そして、そんな時間があるなら私はエマさんと戦いたかった。
彼女は急速に剣道を学び、自分のものにしていた。
同時に、私もエマさんの動きを貪欲に取り入れた。
壁や天井を蹴っての空中殺法も今なら出来る。
互いに切磋琢磨し、鍛え上げた。
「そうなったかぁ」
剣道部の真可部先輩は、感慨深そうに言った。
「意外なんですか」
「いままで悪役令嬢を家に連れて帰った人って、たぶん居ないよぉ?」
「もったいないことをしますね」
割とかわいいし、良いやつだと思う。
隙あれば私のおかずを取ろうとするのだけはいただけないけど。
「もったいない、っ方がて変だよぉ。相手は悪役令嬢だよぉ?」
「エマさんです、ちゃんと名前で呼んでください」
「親しくし過ぎぃ」
「駄目ですか?」
「んー、相手は、真っ当な形でこっちに来てないんだよ?」
「それは、ええ」
「どういう形になるかはわからないけど、いつかは切れる関係だと理解しておいた方がいいよ」
予想外なくらい真面目な口調だった。
私がうなずき返すと、真可部先輩は、へにゃ、と顔を崩し。
「というか日衣美、最近、強くなりすぎだよぉ」
「ついに勝ち越しましたね」
「あー、もー、これだからこれだからぁ」
いつもの調子に、すぐに戻りはしたが。
「エマさん、いい子ね」
母はそんなことを言った。
「どうしてだ?」
「洗濯と掃除、不慣れながらしてくれてるのよ」
「へぇ……」
「たまに肩が軽くなっているし、ひょっとして、肩揉みとかしてくれてる?」
「たまにやっているのを見たな。父母は気づいていないようだったが」
「いい子ねえ、そう伝えておいてくれる?」
エマさんは私達の直ぐ側で、両手で顔を覆って恥ずかしがっているから必要ないと言うのはやめておいた。
「ほ、本当に悪役令嬢、日衣美の家にいるの?」
「名前はエマさんだ。今朝も腹を出して寝ていたぞ、踏んだら怒った」
供羅は「貞子が祭り会場で盆踊りしている」と言われたような表情をした。
「正直、日衣美に押し付けるような形になって申し訳ない気持ちで一杯だったんだけど……」
「別に問題はない」
「大丈夫? こう、呪われたりとかしてない?」
「初めて食べたゴーヤに対しては呪うような顔で睨んではいた」
「……ちょっとかわいいのズルいな」
「エマさんは渡さないぞ」
「ねえ、別の意味で危険なことになってない? そのエマって人に絆されすぎじゃない?」
「可能なら一緒に学校に通いたいくらいだ」
「すごく台無しだからやめて!?」
クラスメイトが怯えるからと、エマさんには来ないように説得はしていた。
「とても残念だ」
「割と日衣美の言葉にみんなが戦々恐々としているから注意してね」
「私にそんな影響力はないだろう」
「冗談だよね? 自覚ゼロとか嘘だよね? あ、けど、そのエマさんのことは、本当にお願いね」
「みんなにエマさんのことをちゃんと紹介しろということか?」
「100%違うから」
真顔だった。
誤解されがちなエマさんを連れて来なければと私は決意した。
+ + +
エマさんが寝る場所は、私の部屋だ。
当初、私はベッドをエマさんに明け渡し、客用の布団で眠るつもりだった。
どう見ても西洋風の顔立ちで、そちらの方が慣れていると思えた。
しかし、エマさんはむしろ布団の方を好んだ。
場合によっては敷布団を敷かずに床で直接眠った。
どうやら、思ったよりも「令嬢」していない様子だった。
衣服や髪の毛の手入れなどは、魔力的なものを使用しているのを見かけた。
割と戦闘民族よりの「令嬢」だった。
少なくとも、お付の人がいるような生活をしていた様子はない。
あと、エマさんからお礼というように、丸い携帯食料のようなものをもらったが、やけに塩辛くて脂たっぷりだった。
腹持ちだけはずいぶんいい。
返礼としてチョコレートを渡した。
食べてしばらくの間、エマさんは身動きひとつしなかった。
美味すぎたようだ。
以降、チョコレートの匂いにひどく敏感になった。
板チョコでも持って帰ろうものなら、延々と私の後をついてくる。
そうして日々を過ごしている内に、夢を見るようにもなった。
大半はイメージや印象だけしか残らないものだったが、それはひどく惨めで陰鬱なものだった。
その国には、騎士がいた。
高潔で慈悲深く、誰よりも強く、民草の剣となり盾となる者だ。
誰もが憧れた。
誰にとってもヒーローだった。
エマさんも憧れた。
しかし、養父には冷たく否定された。
「あんなものになる必要はないんだ」と。
その意味がわからず、けれど、ただ剣を鍛えた。
他にどうすればいいのか見当もつかず、技術の研鑽だけをした。
彼女の勘違いを正すものは、周囲に誰も居なかったのだ。
いかなる親切も彼女に注がれることはなかった。
だから、ただ剣も魔術も鍛錬し、学園に入り、そこで全員を蹴散らした。
幼い頃から鍛え続けたのもあるが、単純に才能があった。
それは、盛大な反発を生んだ。
階級が下のものがしてよい行いではなかった。
「オマエ、騎士になりたいんだってな」
ある時、侮蔑を貼り付けてソイツは言った。
エマさんが蹴散らした中の一人だった。
「バカじゃねえの、なんであんなデクノボウになりたいんだよ」
意味が分からなかった。
だって、あれは英雄だ。
間違いなくヒーローだ。
「そんな人間、いるわけないだろ、少しは考えろよ」
バカバカと繰り返していたが、ふと良いことを思いつたような顔をし。
「ああ、なら、いいよ、なればいいじゃないか、騎士に」
そうして連れてこられた場所は、ある種の魔法装置だった。
幾重にも構築された魔法陣の中心には、対象が逃げ出さないように拘束具が設置されている。
「謝るなら今の内だぞ、謝れよ! ごめんなさいって言えよ!」
わけがわからなかった。
むしろ望んだことだ。
どうして謝罪をする必要があるんだ。
感謝したいくらいなのに。
「バカが、バカが! そこはな、罪人が繋がれるところだよっ! 力を得る代わりに意識を消し飛ばされ、延々と滅私奉公させられるんだ! 騎士? 民衆のヒーロー? 高潔で公平無私? そんな奴がまともな人間のはずないだろ!!」
おそらく、ワザとではなかった。
だが、脅すようにしていた行動が、ちょっとした拍子に装置の起動へとつながった。
拘束されていた彼女に向けて、『騎士化』が行われた。
元の人格を抹消するための魔術が発動した。
+ + +
朝、私はベッドの上で呆然と上半身を起こしていた。
眠気に染まった頭で、淡々と考える。
エマさん、無口なのは元からだったんだな、とか。
いや、夢の内容的にそれどころじゃないけど。
「騎士……?」
たぶんそれは、私が思い描くような『騎士』じゃないんだろうとは思う。
イメージとして伝わって来たのは、それこそ変身ヒーローとかその類だ。
けれど、それは『非人間的』なものらしい。
「おはよう」
「うん、おはよう」
反射的に返事をした。
返事をしてから、誰の声だろうと思った。
見ればミノムシのようにくるまった布団があった。
エマさんだ。
「……納豆、まだ食べられるようにはならないか?」
「あれ、キライ」
「そっか、人によるから仕方ないか」
もぞもぞと出てきて、顔だけ出して私を見た。
まだ寝起きの、ボサボサの髪で半眼だった。
「ヒイミ、なんで話せるの?」
「私が聞きたいよ、エマさん」
どうやら、何かが通じてしまったらしい。
「まあ、大丈夫だ、便利になったと思おう」
「ヒイミのそういうところ、懐が深いのか馬鹿なのか未だにわかんないわ……」
「朝食のヨーグルトを分けてあげないぞ」
「いやよ、ヒイミのはわたしのものよ」
「いつから私はエマさんのものに?」
「お腹をすかせてガッコウとやらに行くといいわ」
「なるほど、母にエマさんがいかに可愛いか、事細かに言えばいいんだな?」
「そんなこと一言も言ってないでしょぉ!?」
互いに横になりながら、朝のひとときをそんな会話で費やした。
驚くくらい違和感はなかった。
その後、無事にヨーグルトを喰らい、学校へと行き、エマさんと会話できるようになったと伝えると、供羅はひどく難しい顔をした。
彼女にとっては未だに「真剣を持ってうろつくヤベえ奴」でしかなかったのだ。
「あたしも、話せるのかな……」
「たぶん出来るぞ、妹が興味津々に話を聞いていた」
「へぇ」
「どうすれば異世界転移できるか聞いていた」
「……妹さん、中学生だったっけ?」
「ああ」
「さすがに止めたほうがいいと思う……」
「ほぼ自滅装置のようなものに入らなければならないとのことだから、大丈夫だろう」
妹は、やっぱり転生トラックの必要が……とか言っていたが。
「自滅装置?」
「うん」
私も夢で見た断片情報でしかないものの、そうとしか言えない。
「エマさんは、人格を消去される装置に入ることで、ここに来た」
「なにそれ」
「私にも不明だ」
供羅は複雑な顔をした。
彼女にとってエマさんは、ただの邪魔者で加害者でしかなかった。
それとは異なる情報が出てきて混乱を来たしていた。
けれど、私にとっては日々だんだんと親しくなる相手だった。
+ + +
そうしてその日も夢を見る。
変わらずエマさんのそれだった。
騎士になれる装置、あるいは人格を消去するための装置、そこに入った後、現れたのは大きな獣だった。
見れば荒野であり、向こうも同様に困っていた。
だが、心のどこかでわかった。
惹かれるものがあった。
当然のように、あるいは当たり前のように、一人と一匹は殺し合った。
それは、全身全霊を振り絞ってもなお届かない戦いであり、どうしようもなく心が奮い立った。
牙をかいくぐり伸ばした切っ先は、たしかにその獣の脳髄を貫いた。
自分自身の脳をえぐられたような感覚がした。
心でも身体でもない部分が、ごっそりと削られた。
自分を自分たらしめる何かが失われた。
勝利は不可逆の喪失をもたらした――
「真可部先輩」
「なに?」
「先輩のところにも、悪役令嬢は来ていたんですよね」
「そうだよぉ」
「同じでしたか?」
「なにが?」
「私と同じように、先輩も悪役令嬢に憑かれていましたか?」
先輩は、ふ、と笑った。
とても儚い笑顔だった。
「うん」
それは、どこかで見たような異質さだった。
「そうですよ」
ちょうど最初にエマさんが来た時、同じような雰囲気を纏っていた。
「……自滅装置とは、どのようなものなんですか?」
「騎士になるための装置です」
返答はまるで逡巡が無かった。
「もっと言えば、自分自身の前世や来世と対峙できる魔法装置なのです。倒せば倒すほどに、心が削れる。代わりに魂が強くなる」
「私が、エマさんの前世とか来世?」
「ええ、きっと」
まだ整理がついていなかった。
疑問はいくらでもある。
「真可部先輩」
「なに?」
「あなたは、誰なんですか?」
「もうわかってるでしょう」
くすりと笑った顔は、とても優雅だった。
それこそ、本物の令嬢みたいに。
「心が削れるのが嫌なら、空っぽの生き方が嫌なら、選択肢は限られる。騎士とは、前世来世を含めたすべての『自分自身』を倒して成り果てるもの。私はそれを諦めた」
胸に手を当てた姿は、どこか自慢しているようにも見えた。
「わたしはこの魂と、真可部という人の魂に合流したの。私という魂の主導権を放棄した。そうして、ここを終わりと定めた。騎士になんて、もうなりたくないわ」
私は何も言えない。
どう言えばいいのかわからない。
「騎士となる者の魂、その転生先が、低摩女子高等学校に集まっている理由はわからない。装置の出力の関係かもしれないし、それこそ運命なのかもしれないわ」
「……いままで、どうしてそう言ってくれなかったんですか?」
「これは、本質的にはあなたの問題だからです。エマと呼ばれた彼女と、あなたとの問題です。半ば以上自覚している今ならばともかく、最初から教えるべきではないでしょう」
優しく頬笑むその様子は、ひょっとしたら私の未来の姿なのかもしれない。
場合によっては、このようになってしまうのだ。
+ + +
夢を見る、夢は進む。
エマは――私は、前世や来世の『自分自身』を倒し続けた。
人種どころか生物としての形も異なる己と対決し、これを倒した。
そうするほどに強くなり、また、そして、そうするほどに心が削れた。
不思議と楽に倒せる相手は一人もいなかった。
装置を使い、移動した時点で、相手にも力が流出した。
同等の条件で戦わなければならなかった。
それでも戦う。
勝利する。
なぜ?
騎士になりたいからだ。
どうして?
たしかにあった答えは、今はもう仄かな憧れという形でしか残っていなかった。
そうして、訪れた。
それは今までと違い、出会い頭に襲われるような形ではなかった。
戦いが発生しない。
確実にここにいるはずなのに。
いくら探索しても襲われない。
同じ魂はやって来ない。
ただ四角く大きな部屋を巡るだけで終わる。
毎日、ずっと。
繰り返し。
そこに変化はない。
「ここが、わたしの終わりなのかな……」
窓の外を見ながらつぶやいた。
外では建物が多くある。
大抵の場合は二階建て以上だ。
見慣れないが、平和な景色だった。
ここでは、騎士など必要ないのだろう。
エマ・エルナンデスの終わりは、このような形かと思う。
けれど、魂は見つかった。
一度認識してしまえば、もう間違いようもなかった。
幾度も戦い――
そして妙な成り行きとなった。
いつの間にやら共に生活していた。
そうして、己であるのに己ではないその日々を知った。
やわらかく暖かい布団で眠れた。
親切にすれば感謝をされた。
いい子だと、言われた。
知らない戦闘技術が山のようにあった。
求めればその技術が手に入った。
長い技術が結晶化したものだ。
心を削り、失わせてはならないものだった。
美味しいご飯があった。
聞いたことのない、けれどキレイな音楽があった。
どれもこれも、宝石のようだった。
それを――
「……」
寝ていた私が目を開けると、エマの顔があった。
仰向けに寝る私に覆いかぶさるような格好だった。
その目には、どうしようもない痛ましさがあった。
「なぜ?」という哀切な問いかけがあった。
己であるのに、同じ魂の前世か来世であるというのに、どうしてこんなにも違うのか。
その答えは私にもわからない。
けれど――
「夢でいくらか、エマのことを見た」
「そう……」
「たぶん、私のほうが年上だと思う」
少なくとも、罠にはめて魔法装置を発動させたクソガキは年下に見えた。
「そして同じ魂だ」
「……」
「だから私のことはママと呼ぶといい」
「なに言ってんの!?」
「私のことを母親だと思って甘えれば、きっとエマが感じている寂しさのいくらかは解消されると思う。腹は痛めていないが私の子供なんだから、遠慮はいらない」
「ヒイミの思考回路がどうなってんのよ……!」
「いいアイディアだと我ながら思う」
「絶対違う、というか、そんなんだから坊主頭になるのよ」
「なんの繋がりがあるのかママに教えて欲しい」
「ママ言うな。突拍子もなく変なことをするって意味よ」
とても意外な評価だった。
+ + +
とはいえ、どうすればいいんだろうな、と思う。
現状、エマは「自分自身の前世か来世」を倒すことで、その魂の強化をしている。
これを続ければ騎士とやらになる。
真剣勝負で私が倒されれば、エマに吸収される形になる。
逆に、私がエマを倒せば、その魂を私が吸収する。
この場合、真可部先輩と似たようなことになるんだろう。
人格の融合だ。
どちらも好ましい選択ではない。
では、選ばずにこのままの状態を続ければいいのかというと、そういうわけにもいかない。
どうやら、滞在日数の限界がある。
そう真可部先輩から教えられた。
それを過ぎれば、装置が失敗であると判定し、拘束した身体を殺傷するのだという。
なにせ、元は罪人を対象とした装置なのだ。
そうした安全措置が取られていた。
騎士とならなければ、その首は切断される。
ただの処罰すべき対象として扱われる。
そう、エマは何を選択しても確実に消える。
どれを選んでも救いがない。
ママとしては、なんとかしなければならなかった。
+ + +
低摩女子高等学校の文化祭はそれなりに盛況だ。
一般公開はされておらず在校生だった人のみが対象となるが、それでも多く訪れる。
特に一年一組は賑わった。
「やけに注目されているようだが、どうしてだ?」
「きっとあの人達、悪役令嬢を見に来るんだよ……」
「彼らは大人だ。きっともう見えない」
「逆に言ったら安全になったってことだよ、お姉ちゃんもウキウキで来ようとしてた……」
「なるほど」
安全になった危険は、もはや娯楽だ。
彼らは「かつての危険」を確かめようとしているのだ。
「なら、エマを連れてこなければならないな」
「う……」
「私達がどのようなことをしても、『悪役令嬢がいない』というだけで彼らのガッカリ感は増すはずだ」
「そうだけど、たしかにそうだけど……」
エマが物見高い奴らの餌のような扱いにされることに思うところはあるが、堂々とエマを学校に連れて来れることのほうが大きかった。
「大丈夫だ、心配いらない」
「なにがよ?」
「私はすでにエマのママだ。安全を保証する」
「ねえ、本気でなにが大丈夫なの?」
なぜか正気を心配された。
ちなみにクラスでは結局、カラオケとダンスを組み合わせたようなものになった。
客が歌う背後で、私達ダンサーがそれに合わせて踊る。
簡易的なアイドルコンサート会場だ。
ライトアップも工夫して行う。
客が来なければ私達が自由に歌っていいことになっているから、多くのクラスメイトが閑古鳥よ鳴けと願っていた。
+ + +
文化祭当日、エマは学校に行くことに躊躇した。
より正確にいえば――
「ねえ、これ着なきゃ駄目なの?」
「私の予備制服で申し訳ないが、とても似合っている」
わざわざ制服を着ることを。
「いつものでいいでしょう」
「駄目だ、文化祭である以上、関係者として振る舞わなければならない」
「これ、絶対わたしに着せたいだけだ」
「そんなことはない、あ、襟がちょっと……」
「触るな、母親ヅラするな……!」
「うん、これでいい。いい子いい子」
「撫でるなッ!!」
文句を言うが決して逃げ出そうとしないのが可愛いと思う。
「いつになったらエマは私のことをママと呼んでくれるのか」
「だから、どうしてそれが決定されてるのか、まったくわからない……」
「姉のほうがいいのか?」
「そういうことじゃないわ」
ちなみにエマは、学校に来るなり目をまんまるにして驚いた。
「え、お祭り……?」
「ある意味では、そうだ」
「初めて来た……」
まだ開始前だから何もやっていないが、それでも口を半開きにしていた。
一年一組につれて来たときも、割と感触は良かった。
「え、これ、え、エマさん……?」
「そうだ、娘だ」
「違うわよ」
「わ、かわいい……」
「いくら供羅でもやらないぞ」
「触っちゃ駄目?」
「だめだ」
「そう言うな娘よ」
「だから、違うから……!」
「なに喋ってるかは聞こえないけど、めちゃかわいい……」
人間、見た目に騙される生き物らしい。
真剣を持たず、制服を着ている『悪役令嬢』は、案外簡単に受け入れられた。
+ + +
午前中、まだ客入りが少ないときにエマといっしょに回った。
エマはわたあめに驚き、フォトスポットで写真に映らないことにガッカリし、パルーンアートを苦労して作って自慢し、トリックアートに心底ビビった。
私の手を引いて急かす姿はとても楽しそうだった。
「ヒイミ、次、次の!」
「慌てないでくれ」
「わたし、ヒイミが出し物やってる間もここ巡っていい? いいよね!?」
「少しは教室にも居て欲しい」
「なんで?」
「娘を自慢するためだ」
「それをどこでも言うのは止めたら?」
不思議なことを言われた。
けど、同じ魂を持つ年下のことを、他にどう言えばいいのかわからない。
もっと適切な言葉があればいいな、とは思う。
午後になり私がバックダンサーとして踊る番になった。
しばらくは離れ離れだ。
しかし案外、よく見かけた。
でかけはするが、すぐに戻って来たからだ。
簡単に「脱出ゲームが面白かった」と言っては出ていき、「お化け屋敷はあれ、何が面白いの?」などと言ってはまた出たが、やがてはずっと教室にいるようになった。
「あともう少しすれば、ママの出番が終わるからな」
「撫でんな、あとママじゃない」
「どこに行く?」
「ふん……ここと、あと、ここ」
きっと一人で遊びに出かけても、つまらなかったんだろうな、と思う。
ノリノリで古い曲を歌う人の背後で、私はエマといっしょにダンスをした。
最初はまだ警戒していたクラスメイトも、最後の方ではエマを歌わせるくらいには受け入れた。
聞いたことのないそれは伴奏のない独唱だったけど、異国の匂いのする歌声だった。
+ + +
文化祭が終わった。
後夜祭が行われている。
体育館でカラオケ大会のようなことをするようだ。
一年一組の何人かが、ついでだと言ってバックダンサーを買って出ていた。
踊る楽しさに目覚めたのかもしれない。
「……」
「……」
遠く聞こえるその歌声を背後に、私達は黙って歩いた。
そこかしこでは文化祭の残骸が散乱している。
明日は掃除が大変だ。
「楽しかった」
「そうか、良かった」
「ねえ……」
「なんだ」
エマは前を向いたままだった。
声は硬かった。
「事情は、わかっているんでしょ?」
「ああ」
「なら、なんで娘とか言って、わたしに親切にしたの?」
「残るかと思ったからだ」
「?」
「私は魔術的なことに詳しくないが、それは心を削ってしまうものだと聞いた。なら、その心を増やしてやればいいじゃないかと思った」
「……」
「エマにあふれるくらい良い思い出があれば、きっと残る。ママとしてはエマを消したくはなかった」
「だからヒイミは、別にママじゃないし……」
「では、どう言えばいい。パパは私が嫌だ」
「どうしてそうなるの、友達でいいわよ」
「関係が薄くないか?」
「わたしには、ヒイミしかいないわよ」
「そうか、光栄だ……けど、やっぱりママとしてエマに構いたいという欲求が――」
「がるる!」
「娘が唸る……」
「なに!? ヒイミはわたしが友達なのが嫌なの!?」
「どうにか授乳できないかとは思っていた」
「友達やめるよ!」
「ついにママと呼んでくれるのか?!」
「ばかーっ!」
「ははは……いや、けれど、友達でもない人間を家に呼んで、ずっと泊めたりはしない。だから大丈夫だ、安心してくれ」
「……もう‥…知らないわよ、そんな文化……」
そうして、立ち止まった。
場所は一年一組の前の廊下だった。
一番最初に、竹刀で戦った地点だ。
「わたしは――」
いつの間にか真剣を手にして、エマは言う。
「騎士になりたい、そう憧れた」
「うん」
「けど、ヒイミになるのは――あなたの魂に合流するのは、悪くはないかなと、そうも思ってる」
「そうか?」
「疑問に思わないでよ」
「私はエマになるのはやぶさかじゃない」
「なに言ってるの」
「けど、それでエマを損なうのは本意じゃない」
私は家から持ってきた日本刀を抜く。
刃文が夜に開示される。
それほど使っていたわけじゃないが、やけに手に馴染んだ。
「なら、仕方ないわ」
「ああ」
互いに制服姿で、武器を構える。
幾度も繰り返してきたことだ。
「私達の決着には、これが相応しい」
違いと言えばただひとつ。
これが、最後の戦いであることだけだ。
+ + +
窓外からは月明かりが差し込んだ。
エマは肩に担ぐように剣を構えている。
同じ形、けれど、そこに込められた研鑽はまったく異なる。
陶磁のような肌が月明かりを反射している。
正眼に構えた向こうで、黒い霧がその身体を包む。
廊下の暗闇に溶け込むように、けれど異質にそれは展開される。
夜に紛れた金の毛髪が、さらに深く沈んでいく。
「――」
エマの口の端が、少し歪んだ。
苦痛を堪えていた。
きっと、もう「滞在時間」の限界が近い。
だからこそ、全力を振り絞ろうとしている。
それを見て――
勝とう、と思った。
心底から、魂から思わなければならない。
肩の力を抜く。
柔らかく、しかし、適度な緊張を維持する。
呼吸をする。
動く機微を読まれないように浅く。
日本刀は重さを伝える。
切っ先がどこまでも伸びるような錯覚を覚える。
機敏な動きは、できない。
廊下にはいまだにチラシやら紙吹雪やらの残骸がある。
コケて決着は嫌だ。
互いに、身動き一つしない時間が過ぎた。
機会を伺っていた。
攻撃したい、したくない。
戦いたい、戦いたくない。
互いに矛盾する気持ちを断ち切る契機を、外へと求めた。
歌が聞こえた。
シャウトだった。
遠く体育館からのものだ。
高く吠え上げるような声。
長く長く、キレイに伸びる。
知らない動物の鳴き声にも思えたそれが、ふつり、と途切れ――
「っ!」
「面ッ!」
互いに動いた。
エマは身体を沈ませながら回転する。
私の打突を避けながら、威力を乗せた一撃を見舞おうとする。
私は「切り下ろして」いた。
頭部三寸を打ち付けるものではなく、上から下へとまっすぐに。
剣道とは異なる動きだった。
「く――!」
エマは攻撃と回避を同時に選んだ。
私は攻撃だけを選んだ。
相打ちでも構わなかった。
その差が、決定的だった。
私の剣が、日本刀がエマへと吸い込まれる。
同時に、エマの剣また私へ届こうとする。
確実に、私のほうが早かった。
たしかに打突した。
私の、『刃をつぶした日本刀』の方が、より早くエマへと届いた。
「ふざっ!?」
直後、『剣を横にして鈍器のように』ぶち当てられて私は吹き飛んだ。
「うぼあ!?」
ダブルKOとでもいうように、私達は同時に倒れた。
+ + +
しばらく声も出なかった。
私は吹き飛ばされて仰向けになっていたし、エマはどうやら片膝をついているようだった。
「ははは……」
「なに笑って、これどういうこと!?」
「それは、お互い様だ」
私は刃を潰した日本刀を使ったのに対し、エマは最初から刃を立てていなかった。
「わたしは、だって気付いたから……」
「その速度で振っている途中で剣の握りを変えるのは、さすがに無理がある」
「わたしは最後まで悩んだの! ヒイミは最初から騙すつもりだった!!」
「だって、私はママだからな」
「大人はズルい!」
「うん、そうだ、けど、私が勝った」
「う、うう‥…わたしは、でも、生きてるもん」
「私だって生きている」
「もう……」
顔を上げ、身体を起こす。
「こんな決着の形かあ……」
エマの身体をより濃い黒煙が覆った。
時間切れだった。
「ま、いいか」
「そうか?」
「ヒイミのお母さんに、美味しいご飯ありがとうって伝えておいて」
「私がママだが?」
「もういいって」
「大丈夫だ」
「ん?」
エマはどこか清々しさすら感じている様子だった。
私は吹き飛ばされても手放さなかった日本刀を確かめる。
ナマクラではないが、研ぎに出さなければ使うことはできないだろう。
竹刀袋にいれていたもう一本を取り出す。
こちは、真剣だった。
「なんの心配いらない」
「ヒイミ?」
そう、原理や理屈はわからない。
だが、私の魂はエマと同一だ。
ならば――
「ママが助ける」
その黒いモヤとやらは、私だって通すはずだ。
エマが包みこまれるよりも先に、日本刀を手にした私はそこへと飛び込んだ。
+ + +
色彩でも形でもない奇妙な空間を越えた先にあったのは、西洋風の空間だった。
地面には魔法陣が多く描かれ、その中央には私と、エマが居た。
私は自由だが、エマは拘束されている。
どこかで見たようなガキが何やら騒いでいる。
知ったことじゃない。
その装置の上部に、巨大な刃が設置されていた。
まるで、というよりも、そのままギロチンだ。
その直下にはエマの首がある。
ガコン、と音を立てて起動すると同時に居合抜きをした。
日本刀対ギロチン。
重さとしてはまるで違う。
敵うはずがない。
だが、私はエマといっしょに鍛錬をした。
そう、蹴って天井経由の一回転まで出来るようになっていた。
魔力の使い方を、わずかに理解していた。
その一撃は、ギロチンを粉砕した。
刃筋を立てず、魔力塊をぶつけた結果だった。
「――! ッ! 〜〜っっ!」
指を指してなにやら騒いでいた。
よくわからない言語だ。
「黙れ」
言ってみたが、通じていない感覚があった。
音としては出ているはずなのに伝わっていない。
どうやら、最初の方のエマと似たような有り様になっているようだ。
「……なにしてんの」
「あ、エマ」
「というか、え、本当になにしてるの……?」
「決まっている」
その拘束を解きながら言う。
「娘を助けたんだ」
「悪い母親」
「悪役令嬢から悪役義母に変更だな」
「意味わかんない」
私はエマの手を取り立ち上がらせる。
「大丈夫だ、心配いらない」
撫でる私の手を、エマが避けることはなかった。
くすぐったそうに目を細めて受け入れる。
目尻には涙が浮かんでいた。
「ホントばか」
「そうか?」
きっとママと認めてくれたんだと思う。




