4.産声はあがっていたのだ
謁見の間に向かう途中、最低限の礼儀作法について教わった。付け焼刃でしかないので上手く出来るだろうかと不安に思っていれば、今回は型式ばったものではないから大丈夫だよとの励ましをタウニーに、もし何かあったら私が君を助けるよとシアンに言われた。直接女王陛下と対面するのは私一人だ。
謁見の間に続く扉の前に来ると両脇には騎士の姿があり、その騎士にタウニーが声をかけると了承したかのように頷き扉に手をかける。
「それじゃあ、不本意だが私はここで待っているよ。……やはり着いて行っては駄目だろうか」
「ダメだね。この馬鹿が行動に移す前に行っておいで、戻ってきたらご褒美のキャンディーをあげるよ」
「ありがとう、行ってくるね」
そうして足を踏み入れると、隅々まで手入れの行き届いた艶やかな大理石の床が目に入る。女王から声がかかるまで顔をあげてはならないので粛々と、それこそ判決を待つ罪人の様な面持ちで俯く。厳かな雰囲気の漂う空間に委縮してしまったのだ。
カツン、と軽い音が広い空間に響く。それは波紋のように広がっていき、音の余韻が消え去った頃にもう一度カツン、と音が鳴る。それを三度繰り返した後、場の空気が一転した。顔を上げていないのに押しつぶされてしまいそうな重圧が肌を焼き、自然と冷や汗が流れる。
「面を上げよ」
恐る恐る顔を上げる。透けた素材の白いベールを頭の上から覆い、目元はレースで彩られた仮面で隠されていた。長いドレスは足元で広がっていて、聖職者の服装とウエディングドレスを掛け合わせたようなデザインをしている。
あまねく光を束ねて結わえたような、ゆるやかに弧を描く豊かな髪の毛は地面に着くかつかないかと言った長さだ。今は玉座に座っているけれど、立てば膝下ほどの長さになるのかもしれない。荘厳たる女性の姿である。ひと目見ただけでこの人は総ての上に立つ存在なのだろうと、どれだけ鈍い人間であっても理解できるような得も言わぬ存在感があった。
玉座の下、階段を数段降りた先には左右に二人ずつ、計四人の少女が並んでいた。手には背丈よりも高い銀の杖を持っており、揃いの白いロングガウンは袖口に赤いラインが入っている。一部の王宮に仕える者は白と赤の色合いで統一されているのかもしれない。
「突然の呼び出しにも関わらずここまで出向いてくれたこと、心より感謝します」
凛と澄んだ声が言葉を紡ぐ。目元が見えない分、口元の赤く彩られたルージュがひと際目を惹いた。こちらも目礼をして続きを待つ。
「……あぁ、そう。そうなのね。これはまた、難儀な物を背負わされたようで」
直接瞳は見えないが、その視線には憐みの感情が強く含まれているように感じた。この世界に来てから憐れまれてばかりだ。突然訳も分からず、右も左もわからないような見知らぬ世界に来てしまったのだから、第三者の視点であれば可哀想に映るだろう。しかし、この女性の言葉には、それ以外の何かが見え隠れしている。
「そうなると長い前置きは不要でしょう、本題に入ります。我らの神からの啓示により、貴女には調律という役割が与えられました。この世界に存在する淀みを正すのが役目です」
「その為にここへ落とされたのか、それともこちらが呼び寄せたのかは定かではありませんが。ただ、あなたが元居た場所に帰りたいと願うのならば、すべての淀みを調律しなければなりません」
身体は緊張した状態ではあるが、問題なく思考は回る。帰る方法が有ることに一先ずホッとした。ずっと帰れないかもしれないという不安を抱かずに済むからだ。ただし、淀みと言うのがどれほど存在するのか、調律というのにどれほどの時間がかかるのかは不明だ。私の寿命が尽きるまでに解決しないのであれば、それは帰れないも同然。
「調律を行ってもらいたいのは4エリア。この世界の国は東・西・南・北・中央。計5つの国が存在していますが、その内の東西南北に1エリアずつ。詳しい資料はそちらに」
そう言うと一人の少女が歩いてくる。B4サイズほどの大きさをした、厚さの薄いアンティーク調の箱を手渡された。それとは別に説明書きのなされた紙も一枚渡される。
「そちらの箱は魔道具になります。貴女の世界では馴染みがあまり無いかもしれませんが、とても便利な物です。貴女の意思で出現・消失を行えるように事前に設定し、中には拡張魔法もかけています。わたくしからの贈り物です、上手く使ってくださいな」
説明書までつけてくれる優しさに感動した。試しに消えるようなイメージを頭に浮かべると、手に持っていた箱は消える。それにまた感動し、何度も出し入れしたくなる衝動を抑え女王陛下に向き直る。
「このようなお心遣い、大変感謝致します」
「良いのです、わたくしの立場ではこの程度の干渉しかできませんから。貴女が無事に帰還できることを願っています」
「……どうかこの世界の事をよろしくお願いします」
そう告げると、並んでいた少女の一人がカツンと杖を鳴らす。目の前にいた人物たちは瞬きをする間もなく消え、ナビゲーターは一人ぽつんとその場に取り残された。しばらくすると背後の閉ざされた扉が開き、退出を促される。
謁見の間を出たが、シアンとタウニーの姿は見えない。門番のような騎士に二人の所在を聞くが首を振るだけで、何処にいるのかはわからなかった。
ほとほと困り果てたナビゲーターは近くで待ってみるものの、それなりの時間が経っても二人が現れることはなかった。話し相手になってもらえない(職務中なので仕方がないのだが)人たちと微妙な距離感で場を共にする居心地の悪さについ耐えきれなくなった彼女は、二人を探すという名目で王宮内を歩いて回ることにした。
間違って立ち入り禁止のエリアに入ってもいけないので、窓から見えていた中庭へと向かってみる。一つ一つ手入れの施された花を眺めながらあてもなく歩き続ければ、気づいたときには戻るための道を見失っていた。やってしまった! と思いつつも、誰か人に出会えれば帰り道を教えてもらえるかもしれない。そうでなくとも歩いていれば知っている場所にたどり着くかもしれないと足を進める。
普段見ることのないような周囲の景色を堪能しつつ歩いていれば、開けた場所へと出た。木々に囲まれたその場所には、素朴な外観をした建物が建っている。礼拝堂だろうか。近づいてみるが人の息遣いは感じられない。
勝手に入っても良いものか疑問を抱きつつ、好奇心が勝ったため軽くノックをして恐る恐る中へと入る。室内は白を基調とした内装をしており、木目調の温かみのある長椅子が左右対称に置かれていた。
何よりも真っ先に目を奪われたのは、入ってすぐ正面にあるステンドグラスだった。ゆっくりと近づき見上げる。天から降り注ぐまばゆい光の下には白く滑らかな衣装を纏った少女が描かれていた。色とりどりの花と自由に舞う二羽の青い鳥に囲まれ、すべてを受け入れるがごとく両手を広げてそこに立っている。
芸術に魅せられるというのは得難い経験だと思う。このステンドグラスに込められたメッセージをすべて理解できずとも、その内の一つでも受け取ることが出来れば重畳で、美しいと感じられただけで、得られるものは既にあったのだ。そうしてぼんやりと何を考えるでもなく眺めていれば、後ろからドアが開く音がした。
「すまない、邪魔をしたか」
振り向くと男がいた。知らない人だ。赤褐色の髪は後ろを刈り上げており、今まで出会った人たちは見張りも含めて長い髪をしていたので彼女には新鮮に映った。服装はタウニーと似ているが一部に装甲を纏っており、武人といった雰囲気がある。
「いえ、すぐにお暇するのでお気遣いなく」
「そうか」
勝手に立ち入ったことへの後ろめたさが先行して、帰り道を尋ねる事も無くそそくさと出ていこうとすれば背後から声がかかる。立ち止まって続きを待てば、どうにも言葉に迷っている様子で幾ばくか逡巡した後に彼は話を切り出した。
「貴女は調律の役割を与えられた者だろうか」
「そうですが……」
「ならば、あの人に会うこともあるかもしれない」
男は悲しみを湛えた瞳を下へ向ける。後悔、だろうか。何かを悔やんでいるような、自身の遣る瀬無さを耐えるような。そんな姿をしていた。
「もし出会うことがあったのなら、伝言を頼みたい」
「良いですけど、どのような人なんですか?」
「マゼンタという名の鮮やかな髪色の女性だ」
「わかりました。何とお伝えしましょうか」
「【午後のクッキーは綺麗に焼けています】とだけ」
「合言葉みたいなものでしょうか?」
そう問いかければ、困ったような笑みを浮かべて頷く。それじゃあ任せたと彼は告げると、椅子に腰をかけ祈りの態勢になる。ナビゲーターもそれ以上話しかける事無くその場を立ち去った。




