5 謎の手紙
いつもより少し早めに登校した昇降口に人はおらず、私は上半身だけを頑なに守ってくれた傘を開いたり閉じたりして雨粒を払い落とす。
「うわー、雨でズボンが張りついているし。早く乾かないかな」
隣ではズボンの裾を絞っている彼の姿。しんしんとした空間に雨の匂いが混じり合い、心なしか重苦しい雰囲気が流れている。昇降口の電気がついていないからなのかなと思い、そそくさに電気をつける。
「ちょっと透けてる……」
ぼわっと広がる明かりに眩しさを覚えながら、私は制服が若干透明になっていることに気づく。背後を振り返ると、それと同時に彼が顔を背けた。分かりやすい人だ。
私は見なかったことにして、自分の下駄箱を開けて上靴を取り出す。すると、一枚の紙がはらりと落ちてきた。落ちる寸前に、偶然彼がキャッチした。
「このご時世に紙媒体なんて珍しいね。はい」
「ありがとう……」
彼から受け取った紙を、私はしげしげと眺める。星型のシールが真ん中に貼られたその手紙を見ても私が動揺していないのには理由があった。
「これで五回目……」
そう、私がこの手紙を貰うのは、もう五回目だった。同じ形状の手紙に、必ず星型のシールが貼ってあるので、差出人は同一人物。中に書かれている文章も、おそらくまたパソコンで打ったもの。それに加え、差出人の名前が書かれていないので特定することはできていない。手紙なんて古風な手段を使う人の心当たりは全くなかった。
五回目ということもあり、私は躊躇なく手紙の封を開けながら、今まで送られてきた手紙の内容を頭に思い浮かべる。
『目を背けないで』
『過去に縛られないで』
『前を向いて』
『一人じゃない』
何かを諭すような、そして、何かを気づかせるような力強い文章。それが何を意味しているのか、全く分からない。
五通目の手紙を開けて紙を取り出すと、無機質に書かれている文字が目に入る。相変わらず横文字に一行並んでいるだけの文章が書かれている。今まで送られてきた文章はそれほど自分に刺さることはなく、むしろ何これと疑問に思い、解答を得られずに終わることばかりだった。
けれども、今回はそうはいかなかった。
『あなたの大切な人を失ったら』
「大切な……人」
その瞬間、脳内を駆け巡ったのは、三日前夢で見たあの光景だった。
髪を揺らしながら、いつも楽しそうに茜と呼ぶ彼女の笑顔が、一台のトラックによって奪われたあの場面。時間を巻き戻せるなら自分が代わりに犠牲になってもいい、そう思っても自分は見えないトリカゴに囚われて叫ぶことも、手を伸ばすこともできない。悲痛な場面だけが網膜にこびりつき、頭を振っても振り払うことができない。
ただの夢、そう、あれは夢なんだ、だから現実とは違う。
そう思いたくても、どうしてか夢とは思えない悪夢のような時間。起きた時に全身におびただしく流れていた汗が、それを物語る。
流れていた。そう、アユもあの時流していた、真っ赤な血が。透明な組織液をヘモグロビンで染めた、忌々しい存在が。
必死で出血個所を手で押さえても、小さな手の力では塞ぐこともできず、腕を伝って袖の中に流れ込んでくる。慌てて離した時にちらりと見えた傷口は肉塊が抉り取られていて内臓が微かに動いているのが目に入った。目の前の私はそれを見てたまらず嘔吐する。そして何故か、その感覚は自分の意識にも共有された。発狂することすら許されない、まさに生き地獄だった。
けれども、悪夢は一度だけではない。その前はミクが、そしてその前はユキが、私の目の前で命の灯火を消した。何度も何度も、私に関わってきた人が、私にとって大事な人が命を失ってきた。そしてそのどの場面でも、私は無力な存在だった。
ねえ神様。私、何か悪いことをしたのかな。どうして私にこんな悪夢ばかり見せてくるのかな。本当に、本当に、これ以上同じような夢を見続けていたら、私は本当にどうかしてしまう。それに、この文面が警告文だとしたら、私の大切な誰かの存在が奪われてしまう可能性もあるし、もし、もし事件なんて起きてしまったら――。
「柊! おい柊!」
「え……?」
体の揺さぶりと、彼の声で私は我に返った。顔を上げると、彼の真剣な眼差しが目に入った。灰色と、ノイズのかかった音の世界から、現実に戻ってくる。それと共に自分の状況を把握した。
いつの間にか両膝をついて崩れ落ちていた私は、大粒の涙を流していた。周りを見回すと、少しずつ増えていた生徒たちが遠巻きに自分のことを見て囁き合っている。声を整えるために少し咳き込むと、泣き叫んでいたのか、喉に痛みを感じた。
「とりあえず、保健室に行こう」
「うん……」
伸ばされた手を掴んで立ち上がる。そして彼が用意してくれた上靴に履き替えて、そのまま
彼につき従って廊下を移動する。
背後から感じる視線が気にならないくらい、私はとにかく、休みたかった。
けれども、眠りたいとまでは思わなかった。