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2 気になる彼のこと

 確かにあの瞬間は気分が晴れたように感じられたけど、それは一時的なもので、今もこうして曇り空が心の中に広がっている。


 けれど、もしかしたら考え過ぎなのかもしれないとも思っている。昔は自由気ままに生きていたけれど、高校二年生にもなると、色々と考えるようになってきた。それに、新しいクラス、季節の変わり目。そうした新しい環境に、まだ慣れていないのかもしれない。


 パチン、と頬を両手でビンタする。少し頭を切り替えよう、そう思っての行動だったけれど、思いの外、音が響いた。先生も板書をしていてクラス全体が静かだった分、尚更。私は恥ずかしさで熱くなった顔を隠すため、画面におでこを押し当てた。


 けれど、そろりと画面から顔を(のぞ)かせても、自分に注目している人は誰もいなかった。


(みんな集中しているのかも。よかったー)


 まだほんのりと熱くなっている頬を掻きながら、私は再び授業を受けるのに徹することにした。





***





 曇天模様が広がる私であったけれど、そんな自分には今、気になる人がいる。


 授業が始まって二十分が経過し、朝練の疲れが出た坊主頭の少年が太陽に照らされて微睡(まどろ)みに陥る中、廊下の外から慌ただしい音が聞こえてきた。何事かと第六感でも働いたかのように一斉にみんなが耳をそばだてると、音はどんどん近づき扉の前でパタリと停止した。そして開かれた扉の先には、頭に立派な鶏冠(とさか)を生やした、もとい寝癖を(こしら)えた私の気になる人が登場した。


「遅くなりました」


「そんなことは聞かなくとも分かっとる。どうして遅刻をしたんだ」


「すみません、夜更かしをしてしまい、寝坊しました」


「全く、新学期に浮かれていたのかね。早く席に着きなさい。君、名前は?」


青葉(あおば)(ゆう)()です」


「青葉君、次からは罰を与えるからな。反省しなさい」


「はい、気をつけます」


 寝癖をくしくしと直しながら、彼は私の席の延長線上、一列を挟んで斜め右前の席に腰を掛けた。私の知る限り、彼の遅刻は五回目。半年で五回遅刻していたら、それは誰だって気にはなる。


 けれどそれが、私が彼を気になっている理由ではなかった。


 彼は転校生だった。半年前、ちょうど二学期の始まった九月一日に彼はこの学校に転校してきた。途中入学ということもあり、転校直後のクラスの話題は、夏休みの思い出話よりも彼への興味関心の方が先行した。


 と言っても、転校の理由は父親の転勤というよくありがちなものであり、彼が特別何かに秀でているわけでもなかった。身長は百八十センチ近くあり、細身の体型。髪はおでこが隠れるほどの長さで、あまり整えることをしないのか、いつもボサッとしている。運動部でなかったのか、肌は男の子にしては白色で、容貌は中の上、といったところが井戸端会議での評判だった。そのボサボサにしたままの髪がマイナス評価を下しているのだろう。ちゃんと整えれば十分カッコいいと呼べるレベルなのでは、と私は密かに思っている。


 だからといって、恋愛的な意味での気になっているでもない。


 席に着いて早々、眠たそうに欠伸をしている彼を盗み見る。彼が気になる理由、それは、ぼんやりした雰囲気の中、彼だけはっきりと映っているような感じがするからだった。理由は分からない。


 じっと彼を見つめていると、私の視線を感じたのか、きょろきょろと周りを見渡す彼の視線が私と交錯した。一本だけピンコハネしている髪の毛を見て、私はクスリと笑う。彼は私が何を見て笑ったのか気づいていないらしく、小さく首を傾げて髪を軽く掻いた後、はにかんだ。






 私と彼が出会ったのは、九月一日、つまり夏休み明け最初の日だった。新学期が始まり、いつものように休みボケを注意する説教から始まると思っていた最初のSTは、誰も予期していなかった転校生の紹介からだった。


「それではみなさん、今日からこの学校に転校してきた転校生を紹介します。青葉祐希くんです」


 新任の教師に連れられてきた転校生、青葉祐希は自分の名前を紹介されると、小さく頭を下げた。そして、簡単に自分のプロフィールを紹介した。


 転校前の学校は、隣町の進学校だった。電車に乗れば、三駅ほどしか離れていない。だから、どうしてこの学校に転校してきたのか、と疑惑の声がちらほらと聞こえる。私もその困惑の中にいた。


 けれども、彼はその様子に気づいていないのか、(ある)いは最初から想定していたのか、淡々と自己紹介を進める。好きな食べ物は林檎(りんご)らしい。甘酸っぱさが好きなんだとか。


「――よろしくお願いします」


 小さくお辞儀をすると、森閑(しんかん)としていた空気が(ほだ)されて、拍手がパラパラと発生し、そして大きくなる。深まった謎がみんなの好奇心を刺激したのだろう。私も手根を合わせながら、線香花火の弾ける音くらいの拍手をして迎える。


 その時、正面席に座っていた私と彼の視線が交錯した。最初はちょうど教室の中心に座っている自分ではなくて後ろの席の子に目を向けていると思ったけれど、視線は真っ直ぐ自分へと結ばれていた。困惑は更に深まったが、何か胸に来るものがあった。


 時間にしてほんの数秒、だったけれど、結ばれた視線が解ける直前、彼は小さく五回、口を動かした。そして先生に自分の席の場所を確認すると、窓際一番後ろの席へと移動した。


 その日以来、彼は私によく話かけてくるようになった。昨日見た番組から今日食べたご飯まで、話題になるのは、いつも他愛ないものばかりだった。


 けれども、時折彼は思い出したかのように、口をつぐむことがある。その時、彼は必ず下唇を内側から噛んでいる。まるで、何かを隠しているような、若しくは、何かを言いたげな、そんな相反する二つの感情が揺れ動いているような感じ。物憂げな表情はとても苦しそうで、私は何度か尋ねたことがある。


「青葉くん、何か言いたいことがあるの?」


 純粋な疑問。彼が何か抱えているのなら、力になってあげたい。手を差し伸べたい。それはただ、心から湧き出る、木の枝から水滴が滴り落ちるような、そんな気持ちからだった。


 でも、そういう時はいつも、彼は笑顔を作ってこう言う。


「大丈夫、何でもないよ」


 無理やり上げた口角が痛々しく、私もいつも、顔を()らしてしまう。何でもないわけがない。そんなこと、誰にだって分かる。だけど、踏み込んではいけないことなのかもしれない。だから私は、無理に踏み込もうとはしなかった。


 私と彼の間には、まだ、鎖で区切られた境界線がある。そこに踏み入る勇気を、私はまだ持てていなかった。それはたぶん、彼も――。

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