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2月15日のチョコレイト

作者: まぴ



目が覚めると、身体は鉛のように重く、頭は煙に巻かれたようにもやっとしている。


いつもは枕の横に置いてあるはずのスマートフォンを手探りで探すが触れられない。

そこでやっと自分がアラームの音で目覚めたのではないことに気付く。



「…んじ…」



今何時?と口にしたはずがほとんどが声にならず私の中に留まった。


そういえば物凄く喉が渇いている。

学生時代、体育の授業で持久走をした後口の中が乾燥しすぎて吐きそうになることがよくあった。


まさに、それ。


仕方がないので重たい身体を起こしてみる。

やっと視界に入った時計を少し目を細めて見た。示すのは午後17時。


小学校時代夕食を食べていた時間だ。

どうやら私はその頃の時間感覚で言うと2食分と3時のおやつを食べ逃してしまったらしい。



ベットから届くところに置いてあるペットボトルに手を伸ばし、一気に飲み干す。


枯れた川にちょろちょろと水が流れていくように身体の隅々まで水分が行き渡る。


砂漠で遭難した人が満足するだけの水に在りつけたときはこんな感覚だろうか。

いや、きっともっと壮絶に違いないが、そう思うくらいには生き返った。


机の上に置きっぱなしだったスマートフォンを手に取る。




2月15日。 17:12





さあ、昨日の私の話をしよう。





昨日は今日とは違ってとても目覚めの良い朝だった。


枕元に置いてあるスマートフォンの反対側には少しいびきがうるさい彼が眠っている。

少し顔を寄せると女の私よりも濃くて長いまつげが頬に触れる。


私たちはいつも一つの小さな枕に頭を寄せ合って眠っていた。


新しい枕を買おう、とはどちらも言わなかった。



起きるよ、の挨拶に軽いキスをして私は起き上がる。



付き合ったばかりの頃は先に起きた私がキスをして立ち上ろうとすると、

まだ起きなくて良い彼が行かないでと抱きしめてベットに引きずり込んできた。


眠い目を擦りながらじゃれ合うその時間が好きで、

私はいつも起きる時間の2~3分前にアラームをセットしていた。


ぴったりの時間に起きるようになったのはいつからだっただろうか。



身体を起こして机の上に置いてあるペットボトルの水を飲む。



その横に置いてあるままの夜の情事を知らせる空のゴミ。


朝起きて初めて彼が捨て忘れたこれを見てなんだか気恥ずかしかったのと、

ゴミ箱に入れる自分がまぬけだったのとで必ず夜のうちに捨てようねと決めたのは私だ。


彼が捨て忘れたのはあの時と合わせて二回目。




昨日はすごく久しぶりに「そういう事」をした。




いい意味でいつも通りだった。


彼と私とで作り出したいつも通りだった。





ぐっすりと眠る彼を横目に朝の準備を着々と済ませる。


出勤時間の早い私だけの朝。いつも通り。



いつも通りではなかったのは、「行ってくるね」と声をかける前に目を覚ました彼。



「…ごめんね、起こした?」


「…いや、早く起きるつもりだったのにごめん」



早起きして出かけようねと約束していても起きられない二人だった。

たまの休みには一日中ベットでそう言う事をするでもなくだらだらと過ごしたりもした。



何を話すわけでもなく、沈黙の時が流れる。





「…別れようか」





沈黙を破るのはいつも彼だった。


くだらない話でいつも私を笑わせてくれた。





「…そうだね」





彼の提案は否定しない私だった。


否定をしないと言うか、本当にいつも肯定だった。



こうなる事はお互いになんとなくわかっていたのだ。




なんとなく手を繋いで眠らなくなった。


なんとなく夜中のお散歩をすることがなくなった。


なんとなく今日起こった嬉しいことを報告しなくなった。




はじめはその異変にも気づかないくらいちっぽけなものだった。


でもそのうち、なんとなくがなんとなくじゃ無くなっている事に気付いた。




お互いに黙って出かけることが増えた。


どちらかが家に帰ってこないことが増えた。


一緒にごはんを食べる事がなくなった。




浮気をしているわけではなかったし、不満があるわけでもなかった。

彼の事は嫌いではないし、むしろとても安心する大切な存在ではあった。


ただ、この先二人で幸せになる未来が見えなくなっているのは確かだった。


話し合いで歩み寄ることが出来た時期も十分あったと思う。

でもそれを持ち出さなかったのがすべての結果だった。



同棲を始めるとき、二人でいくつかのルールを決めた。



夕飯を作って貰ったら作っていない方は後片付けをすること。


彼はお風呂掃除、私はトイレ掃除を出来る限り毎日すること。


どちらかが休みの前の日に洗濯を回すこと。


同棲期間は最長で2年間にすること。






今日でちょうど、まる2年が経った。








あの時決めたルールは、結婚をしないでずるずると同棲するのはやめよう。

と言う意味だった。


まさか2年後、その日がお別れの日になるとは思ってもいなかった。





昨日は夕飯も珍しく一緒に食べた。


デパ地下で買ってきたお惣菜だったけど、お酒も飲んだ。

本当はお互いにそこで別れを告げるつもりだったと思う。少なくとも私は。


でもできなかった。この2年と、付き合っていた4年間を振り返るのが楽しかったのだ。



じゃあ寝ようか、とベットに入って、久しぶりにおやすみのキスは長い方だった。

どちらともなく舌を絡ませ、久しぶりのセックスをした。


お別れを確認するような、優しくてぬるくて悲しいセックスだった。



最後にそんなことをするのはずるいと思うだろうか。



でも私にとってはとても幸せなものだった。

私たちが今まで恋人であって、そして今も恋人であることの証明だったのだ。




「荷物はどうする?」


「今日休みだからまとめておく。家具家電は置いていくし、そんなにないから持っていけると思う」




同棲解消をするとき、彼がこの部屋を出て一度実家に帰り、

私の次の家が決まるまでは家賃を今まで通り折半してくれるという約束だった。


家具や家電も全部私に置いて行ってくれると言っていたし、そのつもりらしい。




いつでも私の負担を軽くしてくれる優しい彼だった。




「お揃いのものは捨てちゃおうね。」


「…そうだね。僕が置いてったものは勝手な判断で捨ててくれていいから」




思い出のたくさん詰まった品を私にだけ捨てさせるのか。ずるい。




そろそろ家を出る時間だ。


次に帰ってきたとき彼がいないのは想像ができないから悲しいとも正直思えない。




「…そろそろ行かないと」


「…鍵はポストに入れておくね。仕事頑張って」




今までありがとう。とか、これからも元気でね。とか、

やっぱり別れたくないって号泣するとか、今やるべきことがたくさんあると思う。


でもどれもやる気持ちにはなれなかった。



「じゃあね」


「うん。じゃあね」



こんなにあっけないことがあるだろうか。2年の同棲期間と、4年間の恋人期間が終わりを告げた。





いつも通りに仕事をした。


いつも通りに夜家に帰った。



彼はもちろんいなかった。


荷物も少なくなっていた。




机の上にあるものを見つけた。


「今までありがとう。どうか幸せに」


と書かれたメモと、隣のコンビニで買ったであろうチョコレイト。





そういえば今日は2月14日。バレンタインデーだ。


2年前の今日は張り切って夕食の後に手作りのチョコレイトケーキを振る舞った。




冷蔵庫の中からチョコレイトを取り出す。


机の上にあるものと全く同じもの。


私と彼が大好きだったもの。



一緒に食べるかな、と思って買っておいたのだ。









大粒のなみだがこぼれた。




今日は2月15日。









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