リアリストとドリーマー
意見の対立はあって当たり前です。
人はそれぞれが違い、思想も嗜好も違って当然ですから、その考え方も必然的に異なってきます。
民主主義においては、だからこそ議論が必要で、双方の意見を存分に述べあって互いの主張を検討しあい、譲る部分は譲り、欠けた所は補い、最後は多数決であったとしても、互いの不満をなるべく少なくしようとします。
これをリアリスト(現実主義者)の捉え方だとすれば、ドリーマー(理想主義者)は違う様です。
ある理想を至上となし、他の人にもそれを強要します。
その理想に反対する者の存在を認めない。
私の主観にしか過ぎませんが、そんな印象があります。
例えば、平和を絶対的な価値と見做し、憲法9条を守れと言う方々です。
それとも、お隣の国の南北統一を夢見る人々でしょうか。
理想を追求するのは良いのですが、現実を見つめなければ理想は叶わないのではないでしょうか。
また、彼らの掲げる理想が素晴らしければ素晴らしい程、それを批判したり距離を置く相手に猛烈に反発します。
平和を訴えているのに、その在り方は非常に攻撃的です。
対立を乗り越えて統一を目指している筈なのに、実態は反対者の排除にしか過ぎません。
ドリーマーな方々は、夢を夢見ているとしか思えません。
その夢を至高なモノと思うばかりに、それに疑問を呈する者、方法論を問う者、反対する者を認めない、許さない。
普通はこういう態度を独裁者、権威主義者と言うと思うのですが、安倍政権は独裁だと口にしている共産党を始めとする一部の野党こそ、本当の独裁者、権威主義者の集まりに見えます。
しかし、よくよく考えれば、夢や理想を追及するには思い込みが必要だとも思うのです。
仮にここで、オリンピック出場を目指す少年がいたとします。
幼い頃から身体能力は圧倒的で、同年代の中では飛び抜けていたとしましょう。
そんな時期であれば、その夢を持ち続けるのは容易です。
周りに敵うライバルがいないのだから、それも当然でしょう。
成長するにつれ、参加する大会の規模も大きくなっていきます。
居住する地区の同年代だけでなく、県外からの参加者もあるでしょう。
強敵が現れ、思うように勝てなくなるかもしれません。
それでも勝ち続けられるのなら問題はありませんが、もしも負けが続いたら?
俺には才能が無いのかも、とか考え始めたら?
夢を追い続けるには、諦めない精神が大切になるのだと思います。
お前なんかに出来る筈が無いという、弱い自分の心の声をシャットアウトする強さが。
諦めたら?という、外野の無責任なアドバイスを無視する頑なさが。
ですから、ドリーマーな方々がある種排他的なのも、ある面では仕方が無いと思います。
思い込みがあるからこそ、叶う夢もあるでしょうから。
問題は、リアリストからの的を射た忠告すらも聞こうとしない、頑なさでしょうか。
リアリストは夢を持っていない訳では無く、寧ろ同じ夢を見ていた可能性さえあるのですが、というか成功して欲しいと思っているかもしれないのに、自分に反対しているという一点を以て全てを排除する。
それだけはどうにかならないものかと思います。
諦念から悲観主義に陥っている者、理想を叶える為にこそ現実的に考えている者とがいるでしょう。
悲観者に夢にケチを付けられれば反発もしますし、それは理解出来ます。
また、夢の実現の為に日々頑張っている方もいるし、能天気なだけの人もいるかもしれない。
様々な思想、信条、哲学の人がある中で、大事なのは自分とは違う考えを持った相手を尊重し、違いを認める事だと思います。
自分とは違っているからこそ、相手を尊重しなければならない。
それぞれがそれぞれを必要としているからです。
理想が無ければ目指す先が分からないし、現実を見つめなければ転がる石に躓く可能性があるからです。
しかし、下を向いてばかりでは道を間違えるかもしれませんし、空だけ見ていたら開いた穴に落ちる恐れもありましょう。
互いが互いを補完しあい、より良き未来に向けて共に歩む。
それしかないと思うのですが・・・
時々立ち止まって行先を確かめながら進むのが最も正しい方法かもしれませんが、中々そうもいかないのが愚かな人間の限界という事で。
全てはバランスでしょうね。
昔から理想が高すぎる人は孤立しやすいと言いますし、現実に拘り過ぎると金金金、です。
難しい・・・