三年後
「あれから三年か」
ふと、あの日のことが脳裏に浮かぶ。
「俺も随分と成長したもんだ」
異能によって鍛え上げた刀を振るい、刃を赤く染め上げていた血を払う。
眼前に横たわるのは、見上げるほどの巨躯。雄々しい角と鋭利な爪をもつ、獰猛な魔物だったモノだ。
不精して近道をしようと森を突っ切ろうとしたのが、いけなかった。
どうやらこの魔物の縄張りに入り込んでしまったようで、返って時間が掛かってしまった。
「それにしても、物好きな奴がいたもんだな」
刀を鞘におさめつつ、魔物を背にすこし歩く。
森の末端、途切れ始めた木々の群れを抜けて、丘の上に立つ。
優しく吹いた風が、纏わり付いた血の匂いを払うように駆け抜ける。
それを心地よく思い、俯瞰視点から収めた眼界に目的地である街の様子を映す。
周囲を城壁で取り囲んだ、城郭都市。
それは周囲の自然から独立するように、鎮座していた。
「見事に十字架だらけだが。まぁ、普通は考えないよな。てめぇの懐に吸血鬼がいる、だなんて」
聖都、ルイルラ。
敬虔な信徒たちが集う神の膝元に、まさか吸血鬼が潜んでいるとは思うまい。
それも暴徒鎮圧や魔物狩りを生業とする聖都の花形、征伐隊の一員ともなれば、尚更だろう。誰も身内に吸血鬼が紛れているなど考えない。
ちょうど三年前の俺のように。
「さて。吸血鬼らしく、白昼堂々と聖都に入るとしようか」
わざとらしい独り言を呟いて丘を下り、聖都を目指す。
その道程は穏やかなもので、先ほどの森とは違って平和なものだった。
考えても見れば、聖都の周辺なのだから当然だ。
話によれば治安維持のために、征伐隊が定期的に魔物狩りを行っているらしい。何度も行えば魔物だって本能で学習する。あそこは危険なのだと。
お陰で、悠々自適だ。のんびりと向かうとしよう。
そう思った、矢先のこと。
「GAaaaaAAAAAAaaaaaaaaaaa!」
妙に聞き覚えのある魔物の咆哮を耳にする。
俺が先ほど斬り伏せた魔物の声と酷似していた。
「あそこか」
咆哮が聞こえたほうへと目をやると、見覚えのある輪郭が目に入る。
どうやら幾人かの人間と戦っているようで、目に見えるほどくっきりとした砂塵が待っている。魔物は先ほどのものと同種と考えていいだろう。
人間側は、恐らくは征伐隊の隊員か。
「ま、なら任せて大丈夫だろ」
なるべく目立つような行動はするな、との言いつけだ。
幸い、戦っているのは身の程知らずな魔物一体だけ。面倒には関わらないようにしておこう。
奮戦する人間たちからそっと目を逸らし、聖都に向けての一歩をまた踏み出す。
「――危ない!」
けれど、人生とはままならないもので。
不意に飛んできた警告に、視線が再び魔物のほうに向く。
すると、標的を征伐隊からこちらへと移した魔物が、全速力で駆けてくるのが見えた。人の足など、文字通り足下にも及ばない速度で駆け抜けたそれは、瞬く間に眼前にまでやってくる。
「まったく、囲んだなら逃がすなよ」
高く振り上げられた鋭爪が空を掻く。
爪先で弧を描いたそれが、この身に迫るまで秒と掛からないだろう。
だが、それだけの猶予があるなら十分だ。
この刀、この紅姫からなる一刀は、振り抜くのに一瞬と掛からない。
紅い残光を引いて馳せた剣撃は、魔物の四肢を刻んで果たすべき機能を奪う。
四肢を失えば攻撃も防御も姿勢もなにも、ままならない。
魔物は勢いのまま止まることも出来ずに地面を転がり、掠めるように俺の隣を過ぎていく。
「流石は、タフだな」
だが、四肢の機能を奪った程度では魔物は殺せない。
吸血鬼ほどではないにしろ、野生の本能は早々たやすく生命を諦めたりしない。
だから、刀の鋒を振り上げた。
「半人なりし半鬼なれど」
鬼の異能の顕現は、刀の軌道とともに成る。
薄く高く、薄氷の如く迫り上がった深紅の刃は、天と地を裂いて分断する。
何者にも邪魔されることなく、するりと落ちた鋒は何者にも触れることなく、世界を縦に斬り裂いた。
「こいつの制御にも慣れたもんだな」
世界と言えども、この目で捕えられる範囲だけだ。
精々、すこし遠くの敵を二つに割るくらいの出力しかない。
こいつは制御を謝ると、山一つ消し飛ばすくらい造作もなくなるから、使う時はいつもおっかなびっくりだ。
まぁ、ほぼほぼ、余程のことがない限り、失敗もないのだけれど。
「さて」
二つの肉塊となった魔物から視線を移す。
敵意を丸出しにした、征伐隊に。
「テメェ等のケツを丁寧に拭いてやったってのに。随分な挨拶じゃあないか。征伐隊さんよ」
視線の先に映るのは、幾つもの剣の鋒だ。
周り込むようにして、背後にも何人かがつく。
囲まれた。
「貴様は何者だ。その異能はなんだ?」
俺が投げ掛けた言葉に答えは返ってこず、代わりに質問が返ってくる。
どうやらまともに取り合ってくれる様子はなさそうだ。
なら、こちらも答えてやる義理などない。
「ちょうどいい。あんた等のお仲間にアルカードって奴がいるはずだ。そいつを呼んできてくれ」
「なぜ貴様がその名を知っている」
「あぁ、こう言葉を添えてくれよ。頭でっかちな部下をもつと苦労するな、って」
瞬間、視界の端に剣先が映り込む。
それに反応して得物を薙ぎ、迫りくる剣を塞き止めた。
「なんのようだ、と聞いている」
「頭が硬けりゃ手も早いか。こりゃ耳まで遠そうだな」
売り言葉に買い言葉。
いや、厳密には会話は一度も成立していないのだけれど。
ただ自分が言いたいことを、言いたいだけ言っているに過ぎない。
だから、こうして野蛮なことになっているのだけれど。
「はいはい、そこまで。ダメだよ、喧嘩しちゃ」
そうしていがみ合っていると、酷く優しい声音が聞こえてくる。
軽く手を叩きながら現れたのは、どこか儚げな雰囲気をもった二十代後半くらいの男だ。
いや、それは見た目だけで中身は違うと、吸血鬼の血が告げている。
カーミラと同じで、彼は老けていないだけだ。
自らの肉体を全盛期のまま維持している。
長き時を生きる吸血鬼の基本的な能力だ。
「あんたがアルカードか」
「そうだよ。そう言うキミがレイくんだね? 話は聞いているよ。なんともまぁ、物騒な初対面になってしまったけれどね」
まったくだ。
「みんな、剣を下ろすんだ。彼は敵じゃあない。敵に見えるかも知れないけれど、彼はボクの知人なんだ。いや、知人の弟子かな? まぁとにかく危険人物じゃあないから、警戒を解いて欲しい」
吸血鬼である。
その事実を知らなければ、その声音だけで絆されてしまいそうだった。
半人半鬼である俺でもそう感じるほど優しい言葉を、彼は紡いでいる。
その口から発せられる声に、普通の人間は逆らえないだろう。
吸血鬼としての異能なのか。それとも長い時を生きて会得した技術なのか。
いっそ異能だと言ってくれればいいのだが、これが技術だとしたら末恐ろしい。アルカードという吸血鬼は、言葉だけで人を操れてしまう、ということになるのだから。
「うんうん、わかってくれたようで嬉しいよ」
彼の言葉によって、征伐隊の面々はゆっくりと剣先を下ろした。
剣を交えていた目の前のいけ好かない奴も、渋々と言った風に剣を納めた。
「キミたちはこのまま魔物狩りを続けてくれたまえ。レイくん、キミはボクについてくるんだ」
「あぁ、わかった」
武装の意味はもはやなく、ゆえに刀を鞘に納める。
けれど、その時になって気が付く。
いつの間にか主導権をアルカードに奪われていたことに。
のらりくらりと、だがしたたかに、誰にも気付かれることなく、場の空気を支配する。
これがカーミラと同じ、純血の吸血鬼か。
「――あまり感心しないね。吸血鬼の異能を、ああも容易く人に見られるなんて」
聖都の中へと入り、人気のない道をいく中、アルカードはそう口にした。
「ここは聖都だ。ここに住む人間たちは神の膝元にいるが故に、人成らざるモノを極度に恐れている。キミの異能を見て、あの子たちがああなってしまうのも仕様のないことさ」
「そうか、そいつは悪かったよ。知らなかったもんでな」
いつも珍しい異能だと判断されるだけで、特に障害になったことはなかった。
けれど、どうもこの聖都ではそれが通用しないらしい。
「知らなかった? 彼女から聞かされていないのかい?」
「なーんにも」
「あぁ、そう。まったく、彼女にはほとほと困らされるね」
いつも薄く笑っているように見える表情が、この時ばかりは苦笑に変わる。
「でも、何か厄介なことが起こってもアルカードが何とかしてくれる、って言っていたっけ」
「嬉しくない過大評価だね。まぁ、大抵のことならどうにかすることが出来るけれど。それなりに骨を折ったりするんだよ? あぁ、そうか。キミの異能の言い訳を考えておかなくちゃ。いやー、楽しいねぇ。やることが沢山だぁ!」
半ば投げやり気味にアルカードは言葉を口にする。
談笑を交えつつ、そうして聖都を歩いていると、目的地と思われる場所に到着する。
「吸血鬼が教会を根城に、ね」
「灯台もと暗しならぬ、教会もと暗しって奴さ。さぁ、入って、入って。いま美味しいお茶を入れてあげよう」
意外と世話焼きなのか? と、アルカードについて分析しつつ、協会の内部へと足を運ぶ。
ばたりと扉は閉められ、教会は吸血鬼の存在を静かに秘匿したのだった。