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運命の朝


 血を綺麗だと思ったことがある。

 絞めた鳥の鮮血が、射掛けた猪の死血が、怪我した人の出血が。

 時折、とても綺麗に見える。

 幼い頃にその話を義理の家族である義父に話した所、ひどく殴られた。

 その話は二度とするな。誰にも言うな。気持ちが悪い。恩を仇で返す気か。孤児のお前を誰が養ってやっていると思っているんだ。この無能力者。

 記憶が曖昧だが、拳が振るわれるたびに、そんなことを言われていたような気がする。

 だから、か。

 不意に血を綺麗だと思って後に、その考えを直後に振り払うようになっていた。

 けれど、どれだけそうした所で、人の感性はなかなか変えられない。


「――いッ」


 そんな嫌な記憶を思い出していたからか、包丁で指先を切ってしまう。

 指先から滴り落ちる血の雫。

 だが、それを綺麗と思ったことは一度もない。

 自分の血には、なぜか惹かれないのだ。


「レイ! 飯はまだか!」


 義父の酔っ払ったとき特有の、鼓膜が破れそうなほど大きな声が響く。


「はいはい、ただいま」


 そう返事をして、残った野菜を手早く刻んで料理を完成させる。

 義父と義兄の二人分。

 二つをもって食卓へと向かい、それぞれの皿を机上においた。


「よう。待ってたよ。お前の作る飯は美味いからな。よかったなー、料理が得意で。お前みたいな無能力者が、これで料理まで下手だったら目も当てられないもんなァ! はははっ」


 義兄はいつもの調子で、もはや日課であるかのように、陰湿な言葉を吐く。


「そいつはどうも」


 いつものように軽く聞き流して、そそくさと食卓を後にする。

 二人が夕飯を食べている短い間、それだけが俺に許された自由時間だ。

 硬くて、ぼそぼそしていて、味のしないパンを片手に、屋根裏部屋から覗く月を見上げる。

 唯一の楽しみは月をみること。

 どれだけ腹が減っていても、喉が渇いても、疲れていても、月を見ているだけで不思議と癒される。


「……闇を払え(フラッシュ)


 ふと、気が向いて異能の詠唱を行って見る。

 けれど、やはり発現しない。

 眩い光を放って暗闇を照らすはずの言葉は、やはり意味のない独り言となって暗闇に融けていく。

 無能力者。

 俺がそんなものでさえなければ、あるいは義父や義兄は。


「――なんか……眠いな」


 毎日毎日、誰よりも速く起きて、誰よりも遅く眠る。

 疲れも溜まっているし、最近はパンもうまく喉を通らない。

 睡魔が襲ってくるのは当然のことで、いまの俺に抗う術はなかった。


「ちょっとだけ……ちょっと、だ、け」


 月明かりを浴びながらゆっくりと瞼を下ろす。

 そうして泥沼に沈み込むように、意識を手放した。



「……あ? ――不味っ」


 意識が覚醒してすぐ、自分が眠りこけていたことに気が付く。


「どれくらい寝てたんだ?」


 見れば、月明かりに照らされた部分が、随分と違っている。

 月の位置が見てわかるほど動くくらい、眠っていたということだ。


「……どやされるな、これは」


 むしろ、まだ叩き起こされていないことに驚くほどだ。

 とにかく、ここにいても始まらない。

 拳の二発や三発は覚悟して、恐る恐る食卓へと戻る。


「あれ……いない」


 意を決して戻ってみれば、静寂が俺を出迎えてくれた。

 肩透かしを食らったような気分になりながら、二人が帰ってくる前に食器を片付けてしまおうと机上に手を伸ばす。けれど、そこでもまた妙な光景を見る。


「珍しいな、食べ残しなんて」


 義父や義兄は、毎日俺に文句を言うが、こと料理に関してだけは不満を言ったことがない。あるとしても、軽い物ばかりだ。

 速くしろ、だとか。この愚図、だとか。ピーマンを入れるな、だとか。

 そう言った比較的、優しい文言しか飛んでこない。

 出した料理は残らず平らげていたはずなのに。珍しく残っている。


「残ってるって言うか……」


 なんだろう、この違和感は。

 そう。違和感の正体は、スプーンだ。

 スプーンの上にまだ掬った料理が残っている。

 普通、満腹になったり、食欲が失せたりすると、そこでスプーンを置くはずだ。わざわざまた掬ってから置くなんて意味のないことはしないはず。

 これじゃあまるで、食事の途中で慌てて何処かに行ってしまったような。

 その推測に行き着いたところで、不意に大きな荒々しい音が鳴る。


「――なんだ? いまの」


 義父と義兄が帰ってきたのか?

 いや、それにしては荒々し過ぎる音がした。


「あー、しけてやがんな。どこもかしこも」


 聞き慣れない声がして、見知らぬ男が現れる。

 小汚く、粗暴で、大柄な男。義父と義兄には、似ても似つかない、誰か。


「あ? なんだよ。逃げ遅れか? 災難だな、お前も」

「な……あ……」


 あまりのことに声が上手くでない。

 こいつは、盗賊だ。


闇を払え(フラッシュ)


 瞬間、視界が光に包まれた。

 眩いほどの閃光を前に、視野のすべてが一気にゼロになる。

 だから、俺は気が付かなかった。

 目の前にいた大柄な男が、自分に剣を突き立てたことに。


「が――あ――」


 冷たい異物が、臓物を裂いて突き抜ける。

 夥しい量の血液が流れ出し、大切な何かが急速に失われていくのを実感する。


「いい夢を、不幸な少年」


 剣を引き抜かれ、そのまま力なく地に伏した。

 暖かいような、寒いような、高いような、低いような。

 くらくらする、揺れている、酩酊している、飛んでいる、落ちている。

 わからない、なにも。


「あぁ……喉、渇いたな」


 無性に何かが飲みたくなった。

 もう痛みも感じない。

 薄れていく意識に抵抗する気力もなく、だから俺は自分でも驚くほどすんなりと、瞼を閉じたのだった。



 目が覚める。


「生き……てる」


 意識が覚醒し、自分がまだ生きている実感を得る。

 心臓の鼓動がある。自分の息遣いがある。握り締めた手の感触がある。

 痛みは、ない。


「なんで……」


 倒れ伏した地面から起き上がり、自身の腹に手をやる。

 手の平で乾いた血の感触を味わいながら、ゆっくりと刺された部分に触れた。


「……ない」


 傷がない。

 腹を裂かれ、背中まで突き抜けた深い傷がなくなっている。

 跡形もなく、血という痕跡だけを残して。


「助けられた……のか?」


 刺された俺を誰かが治した。

 そう考える他に、まだ生きている理由が思い当たらない。

 でも、いったい誰が、なんの目的で。

 朧気な意識の中、それでも思考を巡らせていると、不意に声がかかる。


「助けられたのではない。自力で治したのじゃよ、お前は」


 見上げた先で目を引いたのは、窓から射す朝日に照らされた、金色の髪だった。

 そして、次に血のように紅い瞳に惹き付けられる。

 なんて、美しい人なのだろう。

 一目見て、そう思わざるを得ないほどの美貌を備えた彼女は、ゆっくりとこちらに歩み寄った。


「なにやら珍しい匂いがすると思うて来て見れば、存外に珍しい半鬼に出会えたものじゃ」

「半……鬼?」

「なんじゃ、鈍い奴じゃのう。よもや、自分がただの人間だと、未だ思っている訳でもあるまい?」


 人間じゃあ、ない。


「お前は儂の同胞じゃ、半分だけじゃがの。半人半鬼。ふむ、先祖返り……いや、隔世遺伝という奴かの。まぁ、どちらにせよ数奇なことじゃあ。半分とは言え、吸血鬼が人の世に紛れているとは」


 吸血鬼。

 その言葉は、不思議とすんなりと受け入れられた。

 これまでの人生で感じていた、自らの異常性。血への関心や、月への好意、傷の治癒。それらすべてを説明できる。

 俺が人間ではなく、吸血鬼なのだとすれば。


「人の世はさぞかし生きづらかろう? 人と吸血鬼はどうしようもなく相容れぬ。どうじゃ、儂について来ぬか」

「貴女に付いていって、なにがどうなるって言うんです」

「生きる術を教えてやろう」

「生きる……術」

「久々に会った同胞じゃあ。一人で生きて行けるように鍛えてやろう。なに、見返りは求めんよ。長すぎる生の暇つぶしじゃ、たまには半鬼を育てるのも悪くない」

「でも、俺は……」

「異能が使えぬか?」

「……えぇ」


 無能力者という現実が、差し伸べられた手を霞ませる。

 なにも出来ない俺が、なにかを望んではならない。

 この家に拾われたことだけでも幸運で、この歳まで生きていられたことすら奇跡に等しいのに。これ以上を望んでいいはずがない。


「そうか、やはり半人とは言え、半鬼の身では人の異能は使えぬか。だが、吸血鬼の異能なら、話はべつじゃろう?」

「吸血鬼の異能?」

「やはり試しておらんか。どれ、一つ見せてやろう」


 もともと、彼女はその美貌に似付かわしくない、見窄らしい格好をしていると思っていた。いまの俺の格好のほうがよほどマシだと言える程度には、その衣服はぼろ切れだ。

 だが。


起源血装クローズ


 その衣服は一瞬にして姿を変えた。

 絢爛で、格調高い、深紅のドレス。

 どこかの貴族や王族を思わせるそれは、彼女と言う存在を引き立たせる最高の装いとなった。


「なにを呆けておるんじゃあ。お前もやってみよ」

「俺も……」


 促されるがまま、同じ言葉を口にする。


起源血装クローズ


 唱えた瞬間、自身の奥底から熱いものが込み上げてくる。

 それは全身から溢れ出すと身に纏う衣服のすべてを浸食し、新たな異なる装いとして造り変える。

 それは間違いのない異能の発現であり、俺がいくら手を伸ばしても届かなかったものでもあった。


「これが……吸血鬼の異能」


 手にしたのは、形作られたのは、見たことのない異装だった。


「ほう。和装に、刀か。お前の起源は、どうやら極東の島国にあるらしいの」

「極東の?」

「一度、行ったことがあってのう。小さな国土の中で昼と夜となく殺し合いを繰り返していた修羅の国じゃ。あそこはな、吸血鬼である儂の目からみても、ちと可笑しい」


 そう口では言いつつも、楽しげに彼女は語る。

 よほどその国が気に入っているのか。だとしたら、彼女もその国の住民くらい可笑しいということになる。

 吸血鬼に正気を求めるというのも、可笑しな話ではあるけれど。


「じゃあ、この剣もそうなのか」


 いつの間にか手にしていた剣を持ち上げる。

 引き抜いてみると、その造形の美しさが目を引いた。

 微かに反った刀身に、濡れたような刃が沿う。その在り方に一つの淀みはない。

 一目見て、これが理想だと確信した。

 根拠はない。けれど、自分にとってこれ以上の剣はないと、なぜだかそう思えてならなかった。

 彼女は起源だと言っていた。

 なら、俺の起源はこの異装――和装と、この刀なのだろう。


「どうじゃ? 気は変わったかのう」


 彼女の言葉を受けて、心が揺らいだのはたしかだった。

 無能力者だった俺にも吸血鬼の異能なら扱うことができる。

 彼女についていけば、もっと沢山のことが学べるだろう。

 その未来に、希望に、胸がざわついている。

 けれど、それでも。


「ふむ、そうか。お前にはどうやら人として――一個の知的生命体として、欠けているものがあるようじゃの」

「欠けているもの?」

「意志、じゃよ」


 意志。


「よく覚えておけ。決断は、当人にしか出来ぬことじゃ。儂が背中を押したとて、実際に一歩を踏み出すのは他ならぬお前自身。だれも代わりに歩いてなどくれん。決めるのはいつだって自分自身じゃ。どうしようもなくな」


 自分の意志決定権は、つねに自分だけにある。

 誰かの言葉に揺らぐことも、傷付けられることも、勇気づけられることも、希望を見出すこともあるだろう。だが、結局のところそれを受けて俺がどうするかは、俺自身が決めなくてはならない。

 誰も代わりに決めてはくれない。

 これは俺が選択すべきことなのだから。


「さぁ、選べ。半人半鬼、人と鬼の子よ。お前はどちらを望む、人か? 鬼か?」


 人か。鬼か。

 俺は。


「――俺は、鬼になる」


 差し伸べられた手をとり、俺は人間であることを止めた。

 そして、正真正銘の半人半鬼として生きることを決意したのだった。


「――なぁ」

「ん? なんじゃ」


 長い時間を過ごした家を出て、村を出て、すこししたころのこと。


「名前、なんて言うんだ?」


 ふと気になって、そう問いかけた。


「そう言えば、名乗っておらんかったのう。儂の名前はな――」


 俺はその名を一生、忘れることがないだろう。


「――カーミラ、という」


 それから、三年の月日が経った。

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