Clearth 六、崩壊
新しい訓練長の肩書きのもと男は浮遊椅子を押しながら廊下を突き進んでいた。
声もなく椅子の女主人は片手で品を作って男の手を求める。
ハンドルに深く握られた拳を平げた男はその求めに応じて小さな手をそっと包んだ。
「ごめん、俺だけまだ割り切れないみたいだ」
椅子に座る少女は頭を振って許そうとする。
そっと包んでいた少女の手が男の手の中から尾を引くように抜けていった。
「良く来てくれた、ここからは私が案内しよう」
迎えにきた女は2人を歓迎とはほど遠い業務的な対応をする。
デバイスで確認を取った後に女は2人に背を向けて歩き出す。
廊下には年下の少年少女たちが行き交い、男にとってそれは懐かしくもあった。
「ここが君たちの待機場所だ、長官の指示をここで待て」
中にはモニターがいくつも置かれている。今にしては珍しいシート型のモニターだった。
「こんな古いシステムで大丈夫なんですか」
「立体モニターはデータの処理が面倒だから二次元式だ。私から引き継ぐデータは受け取っているな」
レッドは頷きながらデバイスを操作する。
【引き継ぎを承認。ミツイ・グレイドはこれより特別訓練育成長から除名されます】
「除名? 除名ってどういう――」
ミツイは無表情で頷き言葉を遮る。
「私の事は気にするな、全て問題なく出来ている。君たちの活躍を祈っているよ」
レッドの呼び止めも虚しくミツイは部屋を後にする。
久々に姿を現したミツイは生徒の1人に呼び止められた。
「ミツイ訓練長!」
「私の事は気にするな、全て問題なく出来ている。君たちの活躍を祈っているよ」
生徒もそれ以上は寄りつこうとはしなかった。
生気の伴わない瞳、精細さを欠いた身のこなしはおよそ生徒たちが知るミツイではない。
「ブレインコピーかな」
「それならもう少し本人らしいわよ。あれは本人の代役でしょ」
「死んだのかな?」
跡を絶たない陰口を背にミツイの体は廊下の角へと消えて行った。
これ以降、彼女を見た者は1人もおらずまた思い出す者も消えた。
――――。
朝食を終えた後に入った久々のミーティングで生徒達の驚きは相当だった。
「新しく訓練育成長としてではなく教官に就任したレッドだ。こっちはレンシア、俺のサポーターだ。副教官になる」
そこでレッドは不安げに見つめる生徒たち以上に不安そうな表情となってゆっくりと話し出した。
「君たちにはどうか勘違いしないでほしいのだが、君たちはたった今よりクレアラット。つまり、本隊活動の権限が認められた……これは艦長命令であり大変名誉なことである」
喜ぶ生徒たちとは正反対にレッドは複雑な表情を浮かべる。レンシアも指摘したことだが、この生徒たちは特殊な実戦経験しか積んでいなかった。何かの意図を持っていることは確かだったが本隊に所属して使えるレベルかというとそうではない。
「これで俺たちには永命権が認められたんだ。やったぞ!」
喜色満面で盛り上がる生徒。
サポーターと抱き合う者も少なくない。
そんな光景を前にレッドは目を向けられずレンシアと視線がかち合う。
「…………」
物言わぬ瞳には確たる意思があってレッドは頷いた。
「みんな、静かにしてくれ。まだ話は終わっていない」
その一声で話が止むのは前任が優秀だった証拠でもある。レッドは詳しく知らないミツイという人物に感謝しながらこれならと話を続けた。
「実は俺はさっき来てからずっと不思議に思っていたことがある。みんなも分かるとは思うが俺は仮想ではない現実で任務をこなしてきた。そしてその不思議というのは――」
その異様な雰囲気に生徒も予感を感じていた。レンシアの手がレッドの手に添えられるのを冷やかす者もいない。
「お願いします、教官。何が不思議なのか教えてください」
その言葉に弾かれたようにレッドは顔を上げた。本隊とは違う純粋な眼差しにレッドは自然と口を開いていく。
「みんながやっていた訓練は実戦だけだ。精神強化トレーニングが1度も行われていない」
その言葉に疑問を呈する者もいた。
多くはどこか冷静さを失ったようにおろおろするが、しかし、すぐに機転が利く者もいる。
「訓練長、ではなぜ私たちは実戦に配備されるのですか? 精神強化とはなんですか?」
レッドは頭を振った。だからこそ不思議なのだと説明するしかない。
レンシアはデバイス操作を行い全員の腕にデータを送信する。
【プログラムを受信、3秒後にオープンします】
陽気な音楽が流れて生徒も声を潜めた。ホログラムで現れた奇妙なうさぎのマスコットに皆が目を丸くする。
【君たちはずっと自分たちが受けていた訓練を実戦だと思っていたんだよね。それは悲劇だ、なぜなら実戦では必ずパートナーの精神的支えが必要だからだ。パートナーとの深い繋がりがなければ、君たちは死ぬ。だって、君たちの乗っている機体は2人が繋がるためのものなんだから!】
腕から現れた画面には先のレッドの実戦映像が流れ始める。とても目には追えぬ攻防の激しさや機獣そのものの性能が別次元でありながらそのさらに上を行く本隊。
ミツイの受け持った生徒の中で最強を冠していた8人もこの映像には悔しさを隠せなかった。
映像は最後にレッドが放った矢で途切れる。
【わかったかい。君たちが仮想で受けた訓練の感覚を頼りに実戦に挑めばほぼ間違いなく、全滅だ。だけれど艦長命令が下った今、君たちは逃げることはできない。生き残りたければこれからいうレッドの言うことをよく聞くんだよ】
声を上げる者はなく、レッドの言葉を静かに全員が待った。
「俺が先ほど確認したところによると本隊へ上がる訓練生部隊はここにいるクラスを合わせてもう1クラスの計2クラスになる。君たちの2つ上の訓練生たちがもう一部隊のそれだ。君たちは彼らのバックアップに徹する。それだけで生存率は飛躍的に上がるだろう」
そこで生徒たちが徐に挙手して発言する。
「それは僕たち全員が一人前になるにはあと2年も必要だということですか」
レッドは神妙に頷いた。
「細かい説明は省くが明後日には初陣となる。そこで本物の機獣を見ろ。そして、ただ生き長らえるだけだ、例えそこで愛する者と寿命を全うしても恥じ入ることはない。いいかい、まずは明後日を生き延びるんだ」
敬礼の後にレッドはこの長く辛い時間がようやく終わることに安堵を覚えていた。
戦場に入れば通信のやり取りはほぼ意味が無くなる。彼らが常に全幅の信頼を置くのは自らのパートナーであり、長官ではない。
解散の号令に悲壮感を漂わせて散っていく訓練生たち。
彼らは明後日には本物の戦士となる。
それを感慨深く見つめているとただ1人の者の視線が目に止まった。
レンシアがレッドのデバイスにデータを送る。
コンタクトモニタを通して表示される画面に前任との共有情報が記されてレッドは深い溜息を付いた。
情報の内容はルキトである。
「彼は助からないよ、レンシア。サポーターがいない」
恐らく興味があるのはレンシアだけではない、レッドも同じだった。
サポーターが欠けるということの意味を誰よりも分かっているのは彼のような人間である。
その人物は今も自分を奮い立たせるようにクレアーズとして生きていくと呪詛のように呟いていた。
「前任は彼に自分を重ねていたのかもしれないな」
完全な世界で不完全な存在がどれだけ仲間に匹敵するのか、彼に数多の嘘を付いてまで前任は彼の可能性を見出そうとしていたようだった。
趣味がいいとはいえないが、前任の余生もその少年と同じようなものだから尚更に咎めることはできない。
欠けたものや失敗を持つ人間というのは他者に共感を抱こうとする。
それはレッドが初めて味わったわずかな親近感だった。
「君はルキトで間違いないか」
蒼白な面持ちで佇む彼にレッドは優しげに話し掛ける。
彼が頷くと後ろにいたレンシアにレッドは視線を配った。
レンシアの小さな顔がわずかに頷く。
「俺はこれから少し用事があるからしばらくレンシアを見ていてくれないか。頼んだよ」
レッドは他の訓練生が呼び止めるのにも応じず廊下を歩いて角に消えていく。
レンシアは長髪の一風変わった少女だった。
緑の双眸は美しく輝くもののその四肢は細く健康体には見えない。
着ているスーツの白と黒はその細身を際立たせるだけで不憫ささえ感じさせるものだった。
「候補生の237番ルキトです、よろしくお願いします」
返事はなく、代わりに無表情の頷きだけが返される。
「あの……このまま待っていればよろしいのですか」
ルキトの言葉にレンシアは指を指して行き先を告げる。
そこへ歩いて行こうとするとルキトはレンシアが着いてこないことに気付く。
「え? 自律操縦機能を切っているんですか?」
腕のデバイスを椅子の読み取り機に照らすと簡単に付随承認が通る。
これではレンシアは誰かの意志によって簡単に連れ出されてしまう状態である。
「クレアーズでは滅多なことで犯罪なんて起きませんけど、レッド訓練長は不用心過ぎませんか」
クレアーズを害する組織も存在するとルキトが説明するとレンシアは瞬きをして仄かな笑みを浮かべるだけだった。
ルキトの真横に固定されたように浮いて動く椅子の主は指先をルキトに見せてはその目的の場所へと近づいて行く。
「俺の部屋ですけど……」
途中からおかしいとは思って見たものの着いてから咎められたような落胆と緊張が訪れた。
訓練長にサポーターが存在するということ事態が例のないことだけにレンシアが何の意図でここへ着たのかがわからないからである。
「…………」
先を促されてルキトは部屋を開ける。
飛び込んで来るリナの弱々しい笑顔は突然の訪問者にも向けられた。
「その人は?」
経緯を説明し終えたルキトはレンシアに何故ここへ着たのかを尋ねると驚くべき答えが2人のデバイスから発せられる。
【私はレンシア、突然の訪問をお許し頂きありがとうございます。私は見ての通り喋ることも歩くことも満足に行きません】
「クレアラットって」
リナの声にルキトは頷いた。
「この人は今現実で戦ってる本隊の人だよ」
立ち上がろうとするリナを制止してルキトはその非礼を謝罪する。
「私立てるよ!」
「姿勢補助をスーツに施して立ってるように見せるなんていうのはやめてくれ」
口論になろうかというところでレンシアが放つプログラムによってデバイスが再び光り始める。
【私にはあなた達を責めるつもりはありませんし、敬礼も必要ありません。今日ここへ伺ったのは次の任務についてサポーターの代役を引き受けることを了承して貰うためです】
リナの手の下でシーツに皺が寄った。
リナはレンシアの意図を推し量るようにして見つめるも無表情の少女から真意は読み取れない。
「それは、何故ですか」
唖然とするルキトよりも数段冷静なリナはまるでこのことを予想していたかのような冷静さだった。
無言のうちにレンシアの手元でプログラムが作動する。
【次の任務は仮想ではなく、実戦となるからです。
実戦でサポーターがいない機体は過去4000年の歴史を見ても存在しません。
つまり、彼は死ぬのです。私はそれを防ぐためにここへ来ました】
「ちょっと待ってくれ! 過去にわずかだがサポーターなしで戦っていたクレアラットもいたはずです。
ヘラやゼウルがそうだ」
レンシアが驚きに硬直する。
【私の言葉を信じて貰えるならそんな人物は存在していないと断言できます。参考までにその事実が記されたデータを開示頂けますか?】
鈴の音のような声が響いてそれがリナの笑い声だと気付いたルキトは自分の背中に冷たい汗が流れるのを感じていた。
「ルキト、そんなに脅えないで。あなたはそれでも1人で戦ってきたじゃない」
「全部、リナは知っていたのかい?」
「私も今初めて知ったよ。けど、問題はそこじゃない。もしこれがただの作り話だったならどうして本隊のお方がルキトのサポーターを務めるの。よく考えて」
くすくすと笑うリナは作り笑いをしながらルキトを見ていた。
ルキトも笑おうとしてうまくいかず小さく首を振る。
渦巻く不安はリナの笑顔で確信となってルキトを悲哀の表情に変えた。
「いやだ……」
リナの笑いにつられるようにして口元を歪ませたルキトの目尻から筋が通った。
【訓練長は次の任務を1人の犠牲者も出さず完了させるつもりです。
それにはあなたを戦死者として虚偽の報告がなされます。
それが1人の犠牲者も出さないという手段と結果です】
ルキトは崩れるようにしてベッドの脇の床へ腰を落とした。
「……レンシアさん、私はルキトの生存率が上がるならその提案を受け入れます。ただ、1つだけ。その任務の直前にはもう1度、2人きりでお話しできませんか」
レンシアはそれに頷くと部屋の外にいたレッドに連れられてその場を後にする。
ルキトは俯いたままそれに気付かず、レッドは帰り際に軽い会釈だけを交わした。
それにリナが深い礼を返したことに気がつく者は誰もいない。
「ルキト」
細くか弱い手で振れようとしてリナはそれを思いとどまる。
最も近く、最も遠い2つの存在を暗い影が包み込んでいった。
――――。
その日からルキトの訓練にレンシアが加わった。初めこそそれを知った全員が驚いたものの、訓練の結果だけを見ればそれは散々な結果となった。
やるせない気持ちのまま食堂に入り、娯楽である飲食を始めた3人はいつもの面々である。
「そりゃいないよりはいた方がマシだろうけどよ。適合率も20%じゃせいぜい自動サーキットでできる姿勢なんかのデータ処理をわざわざやる程度だろ」
マキリもルキトには同情の目を向けた。
頭を掻きながら休憩室で机を囲む3人はそれぞれに複雑な心境を表わにしている。
「なんつったらいいのか、お前はレンシア副長と組む前の方が……いや、とにかく生き残ることだけ考えないとな」
突如ハイレベル化した訓練の内容はとても訓練と呼べるようなものではなく、ただ一方的に全員がやられていく時間を計るためだけのものだと言い換えられた。
「2時間と43秒。300人が逃げ回るってこれってある意味凄いわよ」
「どっちにどう凄いんだよ。いっとくがサポーターとして見た限りでは全員本気だったと思うぜ。ただ、逃げるほかにないって分かったところから逃げまくってただけのひでえ戦いだった」
シャルは呆れたように肩を竦めてテーブルの上のドリンクを一口飲んだ。
他のテーブルでも似たような会話がされているのか明るい雰囲気はない。
「いいか、俺たちはそもそも4組ですら挑めていないんだぜ。こういっちゃ悪いがルキトはあの副長との間に何か秘策でもあるのか」
「ない、レンシア副長とはそもそもこちらから連絡がとれない。訓練生の俺たちには訓練長同様に権限がないらしい」
マキリは溜息を着いて周囲を見渡した。
シャルは目を伏せたまま手元の茶色く染まった液体を見つめて口を開く。
「無駄よ、今はどこも自分たちの組がどう生き残るか必死に考えてる。……離脱して欠けた組も出たから前いた2組もそれぞれ別に入ったみたい。私たちの組に入る奴がいるとしたらまたどこかの組が欠けないとならない」
「……馬鹿が。やる前から自決してんじゃねえよ」
スティック状の固形物をかじりマキリは苛立ちに任せるようにしてそれを食いちぎった。
「分かってる……私たちが最初から間違った選択をしたかもしれないというのも。けど、ルキトの側についてる理由は分かってるでしょ」
「ああ」
マキリは静かにそう言うとルキトは深く頭を下げた。