Clearth 十、アグナーズ
艦長はこの結果を大いに褒め讃えクレアーズの戦果と放送した。
約束された安寧と平和が語られ、訓練生であった彼らのことは一切語られないまま放送は終了する。
ルキトはそれを待合室のモニターで席に座ったままただぼんやりと眺めていた。
病的なほどに明るいと思える天井の明かりの下でルキトの表情はどこまでも無色である。
「君のサポーターは重大な情報を漏洩させた疑いがある」
気がつけば目の前に居る男はルキトにとって影を作る位置に居た。
なぜリナは過去にオーバーブレインを使っていたのか。なぜリナは最後に搭乗することができたのか。
男の問いかけにルキトは何もわからないと告げる。この星船の中で最も大切だったものを失ったこと以外に知るものはないと言うと厳つい顔をした男はルキトに蔑むような視線を残して去って行った。
入れ替わるように現れた執行官と名乗る男は細い腕を立てて眉間の眼鏡に中指を置くとつまらなさそうにルキトと対面する。
「片割れ」と呟かれたルキトはその事実を心の奥深くで受け止めざるを得なかった。
「君はリナ・ウィンルの遺言により絶命時の所有物を全て引き継ぐことが認められている。またクレアーズとしての名誉自決が認められている。拒否を訴える場合はアグナーズとして下層市民に下ることが義務付けられている」
手渡されたのは腕輪のデバイスだけだった。
その手が震えてルキトの思考が白く染まっていく。
男は自らのデバイスでルキトに赤い光を照射すると渋い顔を浮かべた。
「君は意志薄弱状態にある。最後までクレアーズとしての誇りを持つことが叶わなかったようで遺憾に思う」
ルキトの腕にあったデバイスが取り外されて男の背後にいた2人がルキトの制服についた装飾を取り外していった。
そうして最後にカードを首輪のように掛けて男達は去って行く。
思い出の品はリナのデバイス以外に何も無い。2人の所有物のほとんどは機密漏洩という容疑が掛けられ没収されていった。
今後、リナ・ウィンルという個人が調査されることはあってもルキトという個人は決してこの世界の人間の目に留まることはない。彼ら2人は決して1つとして認められていたわけでも1つだったわけでもなかった。
その事実がルキトにようやく理解出来たときルキトはむせび泣くしかなかった。
生き残るということの意味が大きな現実となった瞬間だった。
【アグナーズ出身者、ナンバー493094553を確認しました。下層世界へお送り致します】
後ろをついて回る円柱型の機械がルキトの目の前にボード状の乗り場を用意する。
それを無視してルキトは見知った影を探していた。
何か得体の知れない予感と共にルキトはその道を歩いている。
「大変名誉ある決断だ」
先の男の声が嬉しそうに廊下に響いてきていた。ルキトはその場へ足を向けると笑顔の下で朧気な存在が目に止まった。
「クレアーズの誇りとして最後までその信念を貫くことに敬意を表する」
流転室と掲げられた電光プレートの先に小柄な少女が立っている。ルキトが近づくと男がルキトに気がついた。
「お前はさっきの」
先ほどの男が見下したような視線でルキトを見ると威圧するように口を開いて怒鳴る。
「ここは貴様のような権限のない者が立ち入る場所ではない。さっさと後ろに着いているディオンに乗って下層へ行け」
ルキトはその言葉を聞き終わることもしないうちに目の前の少女に声を上げる。
「シャル……なんで……」
その声は憐れなほど掠れた叫びだった。
シャルという少女が自らの命に終止符を打とうとしている。それを催促するように立つ男。
「彼女の英断を鈍らせるような越権行為は慎みたまえ。彼女は自らの意志でクレアーズとして自決を望んだのだ」
ルキトは掴み掛かってきた男の手首を捻り宙に回転させる、首が下に浮いているところへ蹴りを一撃した。荒い息を落ち着かせることなくルキトはシャルの元へ駆け寄る。
分厚い扉が開いて彼女の体が消え、最後の片手がその先に飲み込まれそうになる瞬間、かろうじてその手をルキトが掴み取った。
横に流れる滝のような光の奔流が無機質にシャルの足下で待ち構えている。
「な、に――?」
シャルは今し方落ちたはずの体が宙吊りになっていると気がついて動揺する。
状況は光の粒子と消える手前だった。
シャルはその手首の鈍痛の先にルキトの苦痛に歪む顔を見て絶望と諦観を怒りに歪めていった。
「なんのつもり?」
「見てわからないのかよ、助けるつもりだ!」
そういったルキトの顔がシャルにはマキリのように見えてくる。シャルの眼窩は黒く沈み脳裏に纏わり付く泥のような意識が人としての正常を妨げる。
目元を擦ってシャルは小さく口を動かした。
「……マキリ?」
マキリのコピーが現れるかも知れない。そんな期待がシャルにはあったのかもしれない。
そう思うとルキトは握る手を強めるしかなかった。
「違う、ルキトだ」
「手を放して、もう目もよく見えないし、マキリのいない世界に私の居場所なんかない」
「違う世界に行くんだ。2人で。俺たちはずっと勘違いしていたんだ、俺たちは全員別々の存在だ。2人で1つなんかじゃない」
シャルがはたと視線を上げた瞬間2人の間に一陣の風が舞った。ふわりと浮かんだ体――、
伸びた腕を掴み、ルキトはシャルを抱えた。
「いやだ……死にたくない……よぉ……」
目から溢れる涙は美しい顔の輪郭の端を滑り落ちていく。か弱い手の平がルキトを求めるように背中に伸ばされた。
「一緒に行こう……」
「――うん……」
シャルの靴が光の滝に飲み込まれてゆく。ごうと響く光の催促の中にそれは小さく消えた。
「シャル……俺と……生きてくれ……」
絞り出すように虚しく響く声はシャルの耳朶を優しく撫でた。
「私を見て」
静かな抱擁とキスが終わると2人は連れ立って歩き始める。
やがてルキトたちは倒れた執行官の横を通り過ぎた。
【アグナーズ、ナンバー493094553を確認しました。下層世界へお送り致します】
足下に出て来たボードの上に乗るとルキトはシャルの腰を引き寄せる。
【アグナーズは上層へのアクセス権限がないため、情報遮断のため一時的に視力を奪います】
点滅する光にルキトの世界は奪われシャルの小さな体の感触をただ感じるのみとなった。
「ルキト――……」
【外部音をノイズキャンセラします】
周囲の音も消えてルキトはただ自分が風を切っていることだけを感じる。
それが地獄への道か楽園への道かはわからないが、ただ最後に聞こえた自分を呼ぶリナの声が世界との別れのような気がしてか静かに涙した。
クレアースは回り続け、ルキトの第489283回訓練生は最終生存者2名として記録を残す。
そこに刻まれていた名は「ルキト・ウィンル」であった。もう1名は名誉自決したと記されるがその真偽は住民クレアーズのほとんどにおいて無関心な出来事であった。
――――。
広大な青の光の下に黄金の砂を敷き詰めた大地が広がっている。
夜のような気配にルキトは天上を見たが、そこにはかつて見えていた人工の星空もない。
「現人神だ……」
不意に聞こえた声にルキトは視線を下ろすと白い布を巻いただけの男が裸足のまま大地を踏みしめている。
後ろに並ぶその数は300に近い。
1人が徐に地に膝をつくとそれに続くように男たちも膝を着く。
「アースのお力を我らにお示し下さい」
男たちはそれぞれ思い思いの姿勢でただそれだけを連呼する。地に頭を付ける者、両手を合わせる者、頭を下げる者、それはルキトにとって見ていて異様な光景だった。
しばらくその様子を見守っていたルキトだが、何を呼びかけようとそれ以外を口にしない男たちを置いて砂漠の中を歩き出す。
そうするとそこに出来たルキトの足跡を追うように男たちが連なって歩き出した。
「おい……ふざけてるのか?」
立ち止まって振り返っても男たちはきょとんとした顔で足跡の先を見つめている。
よくよく見れば男たちは右往左往としながら地面に目を懲らして触ったりしながらルキトの居場所を探っているようだった。
目蓋は薄らと開かれているがそこにあるはずの目のようなものは見当たらない。
どういうわけで足跡を見つけているのか、ルキトは少し考えたがすぐにやめた。
ルキトの呼びかけに応じないことを考えれば耳も聞こえてはいないことが分かる。
男たちの周りをぐるぐると回ればまた男たちもぐるぐると回り始める。
いつまで続くのかと試してみたい気に駆られたルキトだったが、途中でルキトのほうが飽きてしまう。
男の間を縫って歩く途中、砂場に足を取られ偶然肩がぶつかったときにそれは起こった。
「おお……っ! アースのお力が私にお触れになった!」
異常な歓喜に包まれる集団の中でルキトだけが誰にも見えていないようだった。
やがて男たちはもみくちゃになりながらアースの力を叫んだ男に触れていく。
ルキトはその光景に唾を呑んで背を向けた。
普通ではないというのはもちろんのことだが、もし自分に触れられると分かれば男たちは自分に群がり殺されるかもしれない。
そんな恐怖を思い浮かべてルキトは駆け出す。
しかし、どこまでいっても砂漠の大地はルキトに逃げ場のない焦燥感をもたらしていた。
どれくらい走っただろうか。熱と徒労感がルキトを苛み、やがて地面の上に倒れると懐かしい声が聞こえてきた。
「立って、ルキト」
エピローグ
ルキトのデバイスが赤く点滅を繰り返している。脳内に投影される映像は白昼夢のように全てを彩っていった。
そこでルキトは自分を強く認識しながら追体験を始めた。
――――。
「俺は良かったとそう思うんだわ」
マキリが照れくさそうに鼻を掻く。俺の目の前に映るその男の顔は優しく垂れた目尻と濃い肌色には薄い眉でいつも通りの薄い印象しかなかった。
マキリを取り囲む世界は白い外壁、白い街並み、それらは全て青い夜空によって落ち着く色に染まっている。
何について良かったのかと聞こうとして、すぐにそれが実戦に挑むことだと思い出せばそれは迫る死を前にただ脅えているだけで虚勢にすぎない。
俺にはそう見える。全てを終えたような顔が遠くに見えた。
任務の前夜、俺はバルコニーで人工天体を頭上にして小さく笑う。
「良かった、か……俺はそんな風には思えないな」
俺の偽るざる考えだった。良かったと思えるのは永命権を得られると未だに思っているクレアーズくらいだろう。マキリはそういう意味で良かったとは言っていなかった。
「俺たちは明日を生き延びることすら危うい。そしたらさ、急に分かっちまったんだよ。俺はただ生きてるだけだってな」
鼻で笑いながらマキリの顔を見てやろうと思った。怖じ気づいたのかと暗に言ってやるつもりで俺は振り返る。
「俺たちはクレアーズだ。この星を守ることを忘れてないか?」
「そうじゃないんだよ」
仮想の世界ではなく現実として役に立てるということが嬉しいというわけではないらしい。マキリは真摯な態度で俺の視線から逃れるように横に並ぶ。珍しく静かに語るマキリの感傷になんとなく付き合う気分になっていった。
「守るために生きてると思ってた。……生きることを望むために生きてるってな」
「シャルもか?」
「お前だってリナだってそうだろ。むしろリナがお前に望むことは生きることなんだろ?」
「そうだ」
「それが、受け入れやすい理論と感情だぜ。でもよ、
――リナやシャルがクレアーズである必要なんか端からないんだぜ」
それが分かったから良かったとマキリは言う。
俺には全く理解し難い話だ。
しかし、同時にその言葉で俺は自分の大切なものに気付く。生きていく上で必要なのはクレアーズということではない。
完成された星船ほしぶねクレアースは自分たちの居場所だから守っている。
それは確かだ。
あるいはそこに敵が来るから守っている。
それは確かだ。
それでもただ1つ言えることは俺もマキリもクレアースよりも大事なものがあるということだった。
「悪い、こんなこと言ってたら俺処分対象になりそうだわ」
「はは、任務の前夜に消えていなくなる男か」
「良いなそれ……シャルと何処かに消え去りたいぜ……」
絶対的な死が待つこの星に留まる意味。戦う意味。生きていく意味。
そこには互いの大切な者を除いて何一つ納得できる理由がない。それに気付くことができたとマキリはそう言って「良かった」と呟いた。
似合わない台詞を吐くマキリの背中が遠くなっていく。そうして不意にマキリは横顔を見せて小さく声を上げた。
「ルキト、お前がもし生き残ったら、シャルと生きることって出来るか」
マキリの顔は真剣だった。お前は死ぬつもりなのかと発破を掛ける声を飲み込んで俺は窺ってしまう。
命の危険は誰もが当たり前に甘受している。逆に言えば必死になるためにそれだけが必要でもある。どちらかが片割れとなったとき最後に残るのはきっとそういうことなのだと言われた気がして俺は口を噤んだ。
正しいクレアーズの在り方ではないマキリの言葉と明日の先にある奇跡を天秤に架ける。そうしてから俺はそれを可能と判断した。
「……お前は凄い奴だよ。マキリ」
「だろ?」
親指を立てて頬を上げるこの男を俺は羨ましく思った。
きっとこいつはシャルのためならば何でもするだろうと分かったからだ。
俺にはないその一途な想いが羨ましい。
白む世界に俺は別れを告げて夢であったことを不意に思い出した。
守れなかった約束も今となってはマキリという男の夢物語であったと分かる気がする。
――――。
記憶の再生が終わると同時に俺の周囲に人の気配が広がっていく。
腕の装置は哀しげに赤い光を点滅させている。リナはこれを見ていたのだと分かり肩を震わせた。
マキリとリナが この未来を 俺に与えたのかもしれない。そんな気がした。
クレアースの第一下層部「アグナーズ」としてシャルと生きていくという未来を。
おわり
お読み頂きありがとうございました。