プロローグ
一昔前にシドニアの騎士に触発されて書いてみました。少しでもお楽しみ頂ければ嬉しいです。
ひとまず文庫本一冊分(全十話)にて完結済みですが、伏線回収が終わっていないため万が一反響があれば連載続行も考えています。
感想などはご自由にどうぞ。
よろしくお願いします。
「またあいつかよ」
機械音の鳴り響く訓練室から細身の少年が1人千鳥足で出てくる。
【スコア43562 評価:C】
電光掲示板にそう記されているのを見て周囲の生徒達が遠巻きに嫌悪感を示した。
唾でも吐きそうな顔で少年は睨まれる。
「足引っ張りやがって」
後ろから肩をはじき飛ばされて他の少年らも口々に罵り去って行った。ぶつかる肩にバランスを失った少年は片膝を着く。
少年の周囲を取り巻く白く輝く床。
かつかつと無慈悲の旋律を奏でる訓練生の足音が響く。
その合間を縫うように1人の少女がカーディガンに似た織物を肩に掛け早足で少年の傍らに向かっていた。
病的なほど白の肌に儚げな黒い瞳。少年の傍らにしゃがんだ少女は薄らとその瞳を潤ませた。
「ルキト……ごめんなさい、私のせいで」
今にも泣き出しそうな顔。
蒼白の面持ちで少女は少年の服のよれを静かに直していく。
ショートの髪はすっかり脱色して白くなってしまい、華奢な肩から伸びる細い腕がルキトの黒い制服に蝋燭のような白と映えた。
「どうして来たんだよ、ちゃんと寝てないとだめだろ……」
ルキトの明るく努めた声はかすかに震えていた。
握るその手は氷のように冷たく生を感じさせない。
少女の体臭から香る強い薬の匂いにルキトは眉間に皺を寄せた。
少女はルキトから手を解き視線を落としながらその制服を直し続ける。
「私、少しでも役に立ちたいの。私がだめになってもルキトが――」
言いかけたところでルキトがリナの手を取って立ち上がる。
「俺はアグナーズなんかにならないよ。リナの分も生きるって約束したんだからな」
冷たい手にルキトの体温が伝わっていく。リナは頬を染めてその手をそっと握り返した。
「そろそろ良いか? 2人とも」
女性の声が聞こえてルキトは弾かれるように振り返った。
「ミツイ訓練長!」
敬礼するルキトにミツイは苦笑しながら電光ボードを見せる。
「お前の強化スケジュールだ」
ルキトは手首に装着した腕輪型のデバイスにその情報をダウンロードした。
完了を知らせる緑色の光と電子音が鳴る。
「サポーターがいなくてもやれる奴はごくわずかに存在する。まあ、十年か二十年に1人という可能性だが、それでもお前は第一線に立ちたいんだろう」
「はい!」勢いよく返事をするルキトにリナは微笑みを浮かべた。
「お前は今日の訓練を見直しながら少し部屋で休んでいろ。私はリナと話がある」
「はい。リナ、それじゃまた後で」
「うん」
リナはルキトを廊下の影に見送る。
ミツイは橙色に似た美しい髪を舞わせながらリナの隣に並んだ。
「少し歩こう」
清潔な床と白一色の淡泊な構造物の集合。
その随所に申し訳程度の草木が生えてあった。
白髪という珍しい外見の人間は通りに1人もいない。
中にはリナを時々奇異の目で避けるようにして歩く者さえいるほど。
「すまないな、歩かせてしまって」
「いえ、私に何か話があるんですよね」
リナの掠れるような小さい声は疲れを示していた。
息は少し上がり頬は熱を帯びたように赤くなっている。
「ここでいいだろう。座ってくれ」
適当な場所に見つけた芝生とベンチにミツイは脚を止めた。
リナはゆっくりと腰掛けるとその仕草を見届けたミツイが神妙に切り出した。
「後どれくらいなんだ、お前の命は」
リナは一瞬表情を暗くしてからすぐに薄らと諦観したように微笑を浮かべて答える。
「半年です」
「ありがとう、答えてくれて」
「いいえ、私も本来なら教官に叱られるべき立場です。そんな他人行儀にならないでください」
ミツイは唇を横に引き締めた。ミツイは時々やるせなくなるのだった。
「私は遺伝子開発のリーダーではないからお前の体の状態はわからんが、お前がサポーターを降りれば他の者がルキトの適合者となる可能性もある」
ミツイはリナの顔を見られなかった。いつだって損な役回りであると悔しく思うもこれは義務でもある。
「数パーセント……でしたよね」
「そうだ、ルキトの遺伝子にお前以上の適合率がある奴は恐らく同じ世代にはいない。しかし実戦に耐えうる人材とするならば数パーセントもの可能性がある。今からお前のクローンを作って外見だけ同じにしても年齢差がありすぎるしな」
「コピーブレインは?」
「お前の記憶を他の個体に追体験させるのか? ルキトがそれを望むなら問題はない……が脳信号の移植を行った個体は自己不適合、つまり乖離性人格障害がほぼ100%の確率で起きる。素体は薬漬け、自己暗示は毎日必要になるだろう」
リナは首を振った。気分の沈み込む沈黙の時間が過ぎる。
「こんな話ですまないな。遺伝子の変異病は何十年かに一度現れるものではあるが、他の生徒はコピーブレインを選んできた。それが残された人間にとっても幸せだ、ルキトとよく話し合ってくれ」
ミツイはしなやかな体をすっと伸ばして立った。女性としても軍人としても尊敬できる彼女をリナは羨望の眼差しで見つめる。
「ルキトがアグナーズに落ちたとしてもそれでルキトの人生が終わるわけじゃない。あいつの心の支えはお前しかいないことをよく踏まえてな」
リナが頷くのに満足そうな笑みを返してミツイは去って行く。
私だって――。そう呟いてしまうとリナの体の血が鉛になって全身を重たくするようだった。言葉は最後まで出ることはなかった。
「……」
◇
円形の部屋でルキトがベッドのシーツを替えていると扉が開いた。
「リ……なんだ」
振り返り様に落胆するルキトと対照的に明るく笑い出す少年。
「リナだと思ったのか。相変わらずだな」
「何の用だよマキリ」
マキリは太い眉にいたずら心を忍ばせたようにそっと腰のポケットからチップを一枚つまみ出して見せる。
「らんぎゅー隊の美乳戦隊シリーズ第4弾……手に入れたんだよ」
「お前、倦怠期なのか?」
「ちげーよ馬鹿。お前のサポーターってえらい良い乳してんじゃん? だからお前の遺伝子適性が乳に起因するのかなって、ちょっとまて。第3弾まではお前だって乗り気だっただろ?」
ルキトは溜息を付いてシーツの皺を伸ばす。
「第4弾からは脇役だったナナがいないだろ。……だからもういいんだよ、あいつ気に入ってたんだ」
「ああ、ア~。あれか」
マキリがそっとチップをしまうと部屋を見渡してからチップを入れたお菓子の赤い箱をもう一度隠すように差し出す。
「とにかく、渡しとくからな」
「ばか、よせって。つか、監視モニターを気にしてるわけじゃねえよ!」
臭い物を押し付けるようにチップを渡してマキリが逃げていく。
マキリが去った後、扉の端に一瞬マキリの相方の姿が覗いていた。
いつもへらへらとしているマキリとは対照的に鋭く冷たい印象のある少女。
2人が白い扉で見えなくなってしばらく、入れ替わるようにリナが入ってくる。
「そこでマキリに会ったけど、何か用事だったの?」
「え、うん、大した用事じゃなかったよ」
「訓練のこと?」
ルキトが否定するとリナは安堵を隠すように小さく息をした。
「そう、ならいいんだけど……」どこか遠い目のリナは窓の外を見つめる。
黄昏に影を作る住民区画が無数にある。
その1つ1つの窓の中に自分たちと同じような少年少女が暮らしていた。
それを見つめる美しいリナの横顔は光の中に消え入りそうだった。
「どうして私たち戦っているんだろうね……」
リナの蒼白な顔がルキトを現実に引き戻してくる。
いつからか笑わなくなったリナがどこか遠くにいる錯覚。
だからこそルキトは苦しくとも微笑み掛けた。
「一番最初にやる授業だろそれ。人類のため、このクレアースという星のためだ。教科書にも歴史書にもそう書いてあるだろ」
「うん……そんなこと誰が決めたのかな」
その声は冷たく暗く透き通っていた。ルキトは頭を振ってリナの肩に手を置く。
「そんなこと考えるのは疲れた証拠だろう。横になれ」
ルキトの腕に一切の抵抗なくリナはベッドに横になった。ふと見せた微笑みが落胆か嬉しさか判断のつかないままルキトは笑みを返す。
「薬をお願いしてもいい?」
「もちろん」
部屋の端にある戸棚には無数の薬があった。知識は誰でもダウンロードさえすれば簡単に手に入れられる。
治療する人間、その心の重荷は誰とも分かち合えない。
ルキトは徐々に多くなっていく薬の分量に戦慄を覚えていた。
それをひた隠しにしながら慎重に分量を計る。少しでも少なく、少しでも長く。彼女をこの世に留めるためにルキトは訓練以上の神経を使っていた。
「出来たよ」
リナにこの言葉を幾度と投げかける度にルキトは奥歯を噛みしめている。
そうしていなければ感情の波が押し寄せてきて叫び出すのを耐えきれそうになかった。
もうこれ以上は細くなりそうもない白腕に生体針での体内で血管化する人工血管注射を終えてルキトは傷のないその跡を何度も静かに摩った。
「ありがとう」その言葉がルキトに重くのし掛かるときがある。
ルキトはただ精一杯の笑みを浮かべて応えることしかできなかった。
やがてリナが死んだように眠りにつくとルキトは彼女の握った手をそっと離して置いた。
今の瞬間まで優しげにあったその瞳の奥から阿修羅の如く鋭い鬼が表れルキトを変貌させていく。
彼がリナの分もこの世界で生き続けるためには人並の精神のままではいられなかった。
「行ってくるよ」
リナの直した制服を再び締めて部屋を出て行くルキト。リナは誰もいなくなった部屋で静かに涙を落とす日々だった。