異世界トラベラー、和を食す
(ふぅ……、こっちの世界も久しぶりだな)
俺、タクヤ・クロガネは、数か月ぶりにニホンへとやってきていた。
前回の出張の後、なかなかに来られなかったニホン。
しゃにむに仕事を頑張ってスケジュールを調整し、営業兼視察出張に出られる段取りをなんとかつけ、ようやくニホンの地を踏むことができていたのだ。
(さて、予定通り早めに打ち合わせ終われたな……)
午前中にアポイントを取っていた客先のビルを出た俺は、両手を突き上げて背伸びをしてから次の目的地へと歩き始めた。
折角久しぶりの出張なのだから、この機会に“こちらの世界”の食を堪能し尽くしたいと思うのも当然であろう。
幸いなことに仕事を頑張ったおかげで懐もぼちぼち温かい。
このシチュエーション、ランチを堪能せよと言っているようなものだ。
狙いを定めていた一件の店へと歩みを早める俺は。
出張前日の綿密な作戦検討の結果、今日のランチは“スシ”と決めていた。
ニホンが誇るワショクの最高峰、スシ。
お客さんにご馳走になって初めて食べた時の驚きを、俺は今でも鮮明に覚えている。
ライスの塊の上に生の魚の切り身を載せた料理。
生の魚を食べる習慣がない異世界人の俺にとっては、なかなかのインパクトだ。
しかも、意を決してこのスシを頬張ると、ライスの塊からは酸味が感じられるではないか。
さらに、中に入った緑のペーストが、俺の鼻を攻撃して来やがる。
その時俺は思ったね。スシはヤバい料理だって。
しかし、いくつか食べ進めていくと、不思議と美味しく感じて来るじゃないか。
生の魚はどれも新鮮で臭みがなく、噛み締めるほどに旨いと感じられる。
それに、スメシとかいう酸味の付いたライスが口の中で生魚とまじりあい、美味しさを一層引き出してくれる。
生魚だけじゃない、ネタという上に載せられるものもバリエーションも豊富で、食べるものの心を飽きさせない。
サシミとスメシが織りなすそのハーモニーに、結局のところ俺の舌もとろけてしまったというわけだ。
とはいえ、その次に一人でスシを食べに来た時には、一気に財布の中身を持っていかれて別の意味で驚くことになってしまったがな。
しかし、今日は大丈夫。なにせ懐にはその分を見越してきちんと軍資金を用意しているのだ。
それに、次のアポイントまではあえて時間を空けてある。
準備は万端。さぁ、いざワショクの最高峰、“スシ”の世界へと向かおうぞ!
ブーッ、ブーッ。
意気揚々と寿司屋に足を向けようとした矢先、右手に通している腕輪が振動した。
チラリと腕輪に目をやる俺。どうやら職場からの通信らしい。
チッ、めんどくせぇ。
とはいえ、無視するわけにもいかないので、俺は渋々ポケットに手を突っ込んで、メモ帳を取り出す。
ん?なんでメモ帳かって?
いや、話をするだけなら別にこんな妙なことをしていても問題ないのだが、以前にそうやって道端で話していたら、ちょっと奇異の目で見られてな。
それだけならまだいいのだが、その後なにやらがっしり装備をした制服のオッサンたちに囲まれたりして面倒事になっちまったのよ。
で、こっちの世界の人たちを見ると、スマートフォンとかいう何か板みたいなやつを耳に当てて話しているみたいだから、見た目だけでもそれを真似してるってわけさ。
持つときには手に包んでいるみたくなるし、意外とバレないものだぞ。
っと、いい加減出ないと怒られそうだ。
俺は、ポケットから取り出したメモ帳をそれっぽく耳にあてつつ、腕輪にポンと触れて通信モードへと切り替える。
「ちょっとー! 出るのがおそーい!」
「あー、今ちょっと念波が弱いみたいでー」
ぶちっ。
ふぅ、間違い電話だったようだ。
ブーッ、ブーッ。
ぽちっ。
「ちょっと! アンタ舐めてんの? いきなり切るなんて失礼ね!」
「いやー、面倒のヨカンしかしなかったんで……」
「ったく、一応私はアンタの直属の上司なのよ? 逆らったら査定に響くわよ?」
「いつも大変お美しいソニア課長様。今日もご機嫌麗しく……」
「今更おべっか使ってもダーメーよー。 まぁ、それはそうと、一つお願い。急に私の担当のお客さんから連絡があってね。ほら、こないだ話していたところ。頼んでた資料が出来たらしいのよ。で、ちょうどアンタがそっちにいるじゃない。ついでに受け取ってきてほしいのよ」
「え、マジっすか? 俺、今から予定立て込んでるんっすけど……」
「どうせ、視察と称して食べ歩きするだけでしょ? 一時過ぎに取りに行かせますって言っといたから、あとよろしくねー。じゃ、頼んだわよ!」
ぷちっ。つーっ、つーっ。
仕事押しつけやがった。しかも一時過ぎだと!
俺は、腕輪を時計モードに切り替えて時刻を確認する。
表示された時刻は、こちらの時間で十二時少し前を示していた。
移動するには余裕がある時間だが、ゆっくりとスシを堪能していては間に合わない。
くっそっ! あのポンコツ女狐上司め!!
絶対俺のスケジュール分かってて押しつけやがったな!
とはいえ、お客さんが絡んでいるんじゃ無下にするわけにもいかない。
俺は、後ろ髪を引かれる思いをぐっとこらえ、踵を返して地下鉄へと向かっていった。
――――――
(うーん……、どうしたものかなぁ)
地下鉄と電車を乗り継いでお客様の最寄駅までついた俺は、再び時刻を確認する。
約束の時間まではあとに二十分少々。
お客様のところにはここから歩いて五分ほど。
なんとも中途半端な時間だ。
そしてスシを食べ損ねた俺の腹の虫は、今にも暴れ出しそうな気配を漂わせていた。
これは軽く何か腹に入れて置かなければ、お客様のところで腹の虫がグゥと大きな声で泣き出しかねない。
(とはいっても、コンビニ飯の気分でもないしなぁ……)
こんな時は普段であれば、こちらの世界にどこにでもある“コンビニ”とかいう小さな万屋に入り、パンなりライスの塊なりを買って腹を満たすことが多い。
しかし、今日はスシを食い損ねているせいかそれでは満足できないと腹の虫が訴えてきている。
スシは無理でも、何かニホンならではのものを食べたい。
何かさっと食べられる店は近くにないかと、俺は辺りをぐるっと見渡す。
すると、一軒の店の看板が目に入ってきた。
(ほほう、ソバか……)
ソバ。それはソバ粉という香りのよい粉を使って作られたニホンのパスタ。
スシと並んで人気の高いワショクの一つだ。
スシと同じように高級な店もあるが、駅前にあるようなソバの店はカウンター席がメインのところも多く、店によっては立ったままでさっと食べられるようになっている。
そして、そういうお店はとてもリーズナブルなのだ。
店の中をそれとなく覗き込むと、どうやらこのソバの店も、そういうリーズナブルなファストフードタイプの店のようだ。
頭の中でイメージを巡らせると、腹の虫がグゥと鳴った。うん、これだ。
迷っている時間もない。俺は、腹の虫の気が向くがままソバの店へと入っていった。
「らっしゃーい! 先にそっちで食券買ってくださいねー!」
店に入るや否や、タイショーらしき人物の威勢のいい声が響いてきた。
店の中は混雑していたが、ランチにはやや遅めの時間ということもあり席は何とか確保できそうだ。
券売機の前に立った俺は、何にしようかとボタンに書かれたメニューに目を通す。
(ほう、鶏つけそば。 しかも大盛りか……)
するするっと動かしていった視線が、一つのメニューで固定された。
『新作! 店長おすすめ! ボリュームたっぷり!』と三度も念を押されたそのメニュー。
つけそばというのは、汁に入ったカケソバとは違い、ザルソバのようにつゆをつけながら食べるタイプのソバのことなのだろう。
「もしよかったら鶏つけそば試してやってくださーい! 今大人気の一押し品ですよー!」
推定タイショーがタイミングよく声をかけてきた。
うん、そこまで言うのであれば、きっと旨いんだろう。
俺は券売機にお金をいれると、『鶏つけそば』と書かれたボタンをぽちっと押した。
―――――
「あいよっ! 鶏つけそば一丁ね!」
食券を渡してわずか1分、推定タイショーから注文の品が載せられたお盆を受け取った俺は、カウンターの空いた席へ腰を掛けた。
(おお? 思っていたのとちょっと違うぞ……?)
改めてお盆の上の『鶏つけそば』を見る。
ドンブリとかいう大きな深皿の中に入っているソバの上には、細かくちぎった黒い紙のようなものと、白い小さな粒状のものがたっぷりとかけられていた。
黒い方は確か“ノリ”とかいう海藻から作ったシート、白い粒はゴマとかいうやつだったな。
ノリがかかったソバは何度か見たことし、ザルソバにゴマが添えられているのも見かけたことがあったが、こうしてソバの全面にたっぷりとノリとゴマが振りかけられているのは初めてだ。
それに、このつゆもすごい。
大き目の深めの皿に注がれたつゆには、鶏肉がたっぷりと入り、上には白ネギの千切りがこれまたたっぷりと散らされている。
鶏つけそばなのだから、つゆに鶏肉が入っているのはまぁわかる。
ネギがみじん切りではなく千切りになっているのも一つの食べ方なのだろう。
……しかし、なぜつゆが“赤い”んだ?
俺の記憶では、ソバのつゆは黒に近いものだったはずだ。
魚でとったスープにショーユという日本独特の調味料を加えて作られるソバのつゆは、美しい女性の黒髪を思わせるような艶やかな漆黒の中に、芳醇な旨みを湛えている。
ハシでつかんだソバを、このつゆにチョンと浸してから啜ると、それはもう何とも言えない香りと旨味が押し寄せて来るもんだ。
しかし、今日の鶏つけソバで出されたつゆは、赤いのだ。
ソバのつゆの上には何やら赤色の油が層になっており、さらにその上に赤いパウダーがたっぷりと振りかけられている。
(もしかして……?)
俺はつゆの入った器を口元へと近づけ、香りを確かめる。
ザルソバのソバツユとは違い、どうやら温かいつゆのようだ。
そして鼻孔をくすぐる刺激的な香り……。
やはりそうだ。これはトウガラシだ!
恐らく、赤い油はギョーザのタレに使われるラーユとかいうやつ、そして赤いパウダーはトウガラシを挽いてつくったイチミとかシチミとかいうニホンのスパイスであろう。
なんということだ。
俺はワショクを食べたかったのだ。 ニホンのソバが食べたかったのだ。
まさかこんなものが出てくるなんて……。
しかし、頼んでしまったものは仕方が無い。
腹の虫に任せるがまま、食べるとするか。
俺はカウンターの上に置いてある割り箸を手に取ると、両手でパチンと割り、一口分のソバを挟む。
そして、ノリとゴマがたっぷりかかったそのソバを、赤いつゆに浸してから、ずずっと啜った。
(ん……? これは……?)
俺は奇妙な感覚に襲われた。
ソバの冷たさとつゆの温かさのコントラスト。
鶏の旨味がたっぷりと感じられるつゆのコクと刺激的なトウガラシの辛さのコントラスト。
対比する味わいが俺の口の中で踊り出す。
何だこれは?
もう一口、先ほどやや多めにソバをたぐり、たっぷりとつゆに浸してずずずっと啜る。
(……うまい!)
そう、うまい。驚くほどに旨いのだ!
今まで食べてきたソバとは全く異なる刺激たっぷりの辛さが口の中に広がる。
しかし、その辛さが旨みたっぷりのつゆと出会うことで、実に深い味わいを生み出しているのだ。
ノリから漂う海の風味や、ゴマのプチプチとした香ばしさもとても面白い。
そして、驚くべきはソバの“香り”。
トウガラシやゴマといった強い風味に包まれてしまうかと思えば、意外にもソバの香りがしっかりと立っているのだ。
むしろそのまま頂くよりもソバの香りがしっかり引き立っているようにすら感じられる。
旨い。とにかく旨い。
具材として入っている鶏肉にもつゆがたっぷりと染みこんでたまらない旨さだ。
ラーユや鶏の旨味でややこってりとしたところに飛び込んでくる白ネギの千切りのシャキシャキとした辛さが、また良いアクセントとなっている。
こうなるともう止まらない。
俺は大盛りのソバをつぎつぎと箸でたぐり、つゆに浸しては口の中に放り込んでいく。
気づけば、大きなドンブリいっぱいに入っていたソバはあっという間に空になっていた。
「ふぅ、ごっそさん。旨かったよ」
返却口と書かれた棚に空いた器を戻した俺は、調理場を半ば覗き込むようにして声をかける。
声こそ返ってこなかったが、忙しそうに調理を続けている推定タイショーが嬉しそうに微笑みながら頭を下げている姿が見えた。
しかし、思わぬ収穫だったな。
これだけ満足できる味が、わずか数百円で味わえるとは。
これだからニホンは面白い。
また近くに来ることがあれば、この鶏つけそばを食べにこよう。
その時、右手につけた腕輪がぶるっと震えた。
店に入る前にセットしておいたアラームが起動したらしい。
ちょうどお客様の下へと向かう時間になったようだ。
女狐上司に予定をかき乱された恨みなどすっかり忘れ、俺は、気分よくとお客様の下へと足を向けるのだった。
最後までお読み頂きましてありがとうございました。
久しぶりの異世界トラベラーシリーズです。
そして、今回も旅行者ではなく、ただの旅行社の従業員だったこと、お詫び申し上げます。
今回のお話は「和モノ布教企画」参加作品です。
テーマの「和食」から選んだのは、“蕎麦”。 それもちょっと変わり種の“鶏つけそば“を選んでみました。
ラー油の入ったつゆとボリュームたっぷりの蕎麦が特徴のつけ蕎麦は、蕎麦界の二郎ともよばれて少しずつブームになっているとかいないとか。
先日頂いた際には、その旨さに驚きでした! ぜひ機会があれば皆さんもお試しいただければと存じます。
さて、ここからはご案内です。
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P.S.
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