クリスマスの奇跡
12月24日、街はクリスマス気分で盛り上がっている。今年の冬は寒く、イヴの夜には雪の予報も出ている。最高のクリスマスイヴと言いたいところだが、僕はそうもいかない。社内でイヴを一緒に過ごす相手がいないのは僕一人ってわけで・・・、他人の分まで残業することになった。
周りの人がいなくなってどれくらいの時間が過ぎたのだろう、集中力が切れたのか、ふと時計を見た。静かに時を刻む時計の針は22時を回ったところだ。
「はぁ、何で?」
今夜、頑張って仕事をしている自分がなんだかむなしく感じた。
コーヒーでも飲もうと席を立った。
部署で残業しているのは僕一人。静かなオフィスに椅子が動く音が響いた。
休憩室まで行くと自動販売機の缶コーヒーを買い、喫煙ルームへと入った。
煙草に火をつけると大きく息を吐いた。外のにぎわいなど感じないほど部屋の中は静かだった。今年こそ誰かとイヴを過ごしたいと思っていたが・・・、今年も去年と同じ、仕事と一緒に過ごすことになってしまった。
「去年のそうだったなぁ」
缶コーヒーを飲み終えると窓の外を見た。ビルの谷間にヘッドライトとテールランプの帯が続く。無音のイルミネーションが眼下に広がっている。人の数だけイヴの過ごし方があるのだろう。
(あと少し、がんばるか)
そう思って煙草を消すと、ふと隣の部署の明かりに気がついた。
「総務も残業してるんだ。・・・同じような人もいるんだな」
机に戻ると仕事の続きを始めた。職場がこんなに静かな事もあまりない。普段は電話が鳴り、会話が飛び交っている。
時間が過ぎやっと仕事を終えた。
「さぁ、帰るとしよう」
椅子にもたれかかると両手を上げ背伸びをしながら呟いた。
そしてパソコンをシャットダウンさせた。
オフィスの見渡し、室内をなにげなく確認をすると照明を消してエレベーターへと向かった。そしてエレベーターの前に立つと下行きのボタンを押して待った。
顔を上げエレベーターのいる階を見ていると、後ろから近づいてくる足音に気づいた。ゆっくりと近づく足音はやがて僕の後ろで止んだ。誰だろうと思ったが間もなく来るエレベーターに振り向くことはなかった。
静かにゆっくりとエレベーターの扉が開いた。
中へと歩いて振り返ると女性の姿が映った。髪を方まで伸ばし小柄ではあったが倫とした雰囲気の女性だった。時々すれ違う程度で顔は覚えていたが名前はわからなかった。
(同じ会社なのに誰だかわからないなんて)
「お疲れさまです」
エレベーターに入ろうとする彼女が言った。
「お疲れ様」
初めて話すせいか緊張気味に答えた。
扉が閉まるのが遅く感じたが、やがて静かに扉は閉まりエレベーターは下へと動き始めた。僕の前に立つ後ろ姿の彼女はバッグを肩に掛け片手を添えて正面を向いていた。
(何か話したほうがいいのかな?でも迷惑だよな)
あれこれ考え過ぎて行動できない自分。だからこの年まで彼女もできないし、仕事も受け身でビンボーくじを引いている。ただ自分自身が勝手にそう思い込んでるだけであって周囲の人は何とも思ってないのだと考えればもう少し楽に生きられるのかもしれない。
「遅くまで大変だね」
思い切って声を出した。いつもならどんな答えが返ってくるのか、相手に嫌がられはしないか、なんて考えるだけで終わってしまう。クリスマスイヴのせいだろうか今夜の行動は自分でも信じられなかった。
「はい。年末ですからね・・・」
少しうつむき加減に彼女は答えてくれた。答えてくれたことに内心喜んだが冷静に考えれば普通にことだ。同じ会社の社員が挨拶程度の会話を無視することはない。
「僕のクリスマスイヴのおかげで他人の分まで仕事させられたよ」
「フッ・・・、そうなんですか」
少し笑われた様子で答えた。
そこで会話は終わりそうだ。扉の右側に表示されいる階数が一ケタになっていた。今から次の話をしたところで間に合いそうにもない。
(何を考えているんだ、僕は・・・。さっさと帰ろ)
やがてエレベーターの速度が落ち、ゆっくりと1階へと着いた。僕は正面を向き扉が開くのを待った。
(あれ?)
僕は異変を感じた。いつものタイミングでドアが開かない。
(どうなってるんだ)
少し不安に思ったが同乗者がいるせいか慌てることはなかった。それに何かの理由でドアの開く時間が少し遅れてるだけの事と思っていた。
「おかしいですよね」
彼女が現状を言葉にした。
「故障かな?」
地震を感じたわけではないので、それ以外にはないと思った。すると彼女は横のある開閉ボタンを数回押してみた。
「開きませんね」
「やっぱり故障だよ、非常ボタンを押してみよう。ビルの警備員が来てくれるよ」
僕は言った。
「はい」
そう答えると彼女は非常ボタンを押した。エレベーターが故障したと思ったからそう言ったのだが、過去に非常ボタンを押した経験はなかった。
(外部と連絡がとれるなずだよな)
しかし何も変化がない。呼出し音が鳴るかと思っていた。
(まさか非常ボタンまで壊れてるなんてことは・・・)
それでは非常ボタンの意味がない。彼女もおかしいと思ったのかもう一度ボタンを押そうとした。
その時だった。エレベーターがゆっくりと上へと動き始めた。
「何だ?」
驚いたのもつかの間ですぐにエレベーターの速度が落ちた。階数を示すデジタルに目を向けると3と表示されていた。
「止まったら降りよう」
僕は彼女に言った。
「はい」
やがてエレベーターはは止まり、ドアが開き始めた。
安心した僕は下を向いて小さく息を吐いた。そして外へ出ようと前を向いた瞬間、信じられない光景が目に写った。
「なんだこれは!」
目の前には映像なのか現実なのかわからない景色が広がっていた。外に出るどころか僕たちはエレベーターの中で立ち止まってしまった。
その景色はオフィスビルのものではなく、アスファルトが広がるどこにでもありそうな道路だ。車2台分くらいの幅で、センターラインのない町外れの道路のようだ。
「外じゃないか。ありえないよ」
僕は言った。
「どこでしょう?」
彼女は僕を見て答えた。
「・・・出てみようか?」
少し考えて僕は言った。そして足を前へと出そうとした。
「待って!誰か歩いてくる」
彼女は慌てるように言った。
「え!?」
道路の先を見てみるとさっきまで見えなかったが、ひとりの小さな子供がこちらに向かって歩いてくる。黄色の帽子をかぶり紺色のスモッグを着た幼稚園児だ。そしてうぐいす色のカバンの肩紐を右手に握りしめ、時々カバンを振り回しながら歩いている。
(この制服・・・)
僕は遠い記憶をたどった。
「この子、もしかして自分?」
「え?そうなんですか?」
彼女も驚いて声を出した。
目の前に映っていることが何なのか、二人とも理解できずにしばらくの間、近づいて来る園児を見ていた。
「かわいいー」
笑みを浮かべて彼女は言った。
僕は照れくさかったが、その言葉に今までの緊張が和らいだ。
「三才くらいだと思う」
少しずつ思い出してきた。幼稚園バスを降りて家まで帰る途中の姿だった。母親がバスまで迎えにくる友達もいたが、両親が共働きの僕はいつも一人で歩いて帰っていた。寂しいと思うことはなく、それはそれで帰り道を楽しんで帰っていたような気がする。子供は遊びの天才と言うが、道の草木や構造物すべてが遊び道具だ。でも後から母親に聞いた話では、幼稚園に行き始めた頃は行きも帰りも泣いていたらしい。
「面影ありますね、って言うより変わってないですね」
微笑みながら彼女は言った。
「そうかな?いいのか悪いのか複雑な気分だよ」
そう答えると彼女は口に手を当てて笑った。その笑顔に引き込まれるような感じがした。子供や女性の笑顔に癒されると言うが、ほっとするのは僕だけだろうか。
しばらくして幼稚園児の僕が近くまで来るとエレベーターの扉が閉まり始めた。
「今のは何だったんだ」
「不思議なことってあるんですね」
そして扉が閉まると上へと動き始めた。
「1階へ行きたいんだけどなぁ」
僕は逆へと動くエレベーターに呆れたように呟いた。
「降りることができるのでしょうか?」
そう話す彼女にさっきみたいな不安な様子は見られなかった。それどころかこれから起きることを楽しみにしているような気もした。
やがてエレベーターは速度を落とし今度は6階で止まった。
(次はなんだ?)
ゆっくりと扉が開くと今度はまるでカーテンを開けたときのように明るくまぶしい光が入ってきた。僕はとっさに目の上に手を当ててその光を遮った。しばらくして目が慣れてくると、そこには公園で自転車に乗る練習をしている少女の姿があった。母親と思える人が自転車の後部を持つとゆっくりと自転車が動き出した。その手を離すと少女が持つハンドルは左右に振れ、やがてバランスを崩して自転車と一緒に少女も倒れた。そしてまた倒れた自転車を起こすと少女は再び自転車に乗った。
「これ、私です。」
彼女が言った。
「小学校に入学した頃、近くの公園で母と練習していました」
「今度は君だったんだ・・・」
髪を二つにしばり、真剣な眼差しで練習している。転んでは起きて、何度も繰り返していた。
「一生懸命だね」
そのひたむきな姿に何か心を洗われるような気がした。
大人になってから、目標に向かってこんなに一生懸命になった事があっただろうか。行動する前からあきらめる事が多くなって。いつからか失敗を恐れて毎日を過ごすようになっていた。恋愛も同じかもしれない、ただ傷つきたくないだけで臆病になっていた。
(もう少しで乗れそうだけど・・・)
だんだんバランスが良くなって、乗れている距離も伸びてきた。
「よし!その調子、頑張れ!」
思わず声に出した。
「なんか恥ずかしいですね。こうやって自分自身を見るのも、見られるのも」
「僕のさっきそうっだった。でも自分の生い立ちをビデオで見るのと同じかも」
「そうですね」
そしてまた扉が閉まり始めた。
「あ!もう少しで乗れそうなのに・・・」
最後まで続きを見ていたい気持ちだった。
エレベーターの階数表示を見て僕は気づいた。
「ひょっとして止まる階はその人の年齢じゃないの?今のが6階でさっきが3階。だから3歳と6歳の頃の映像かもしれない」
「そう言われればそうかも」
彼女は僕を見て答えた。
「あ!」
「どうかしました?」
「いや・・・」
僕は落ち着いた気持ちで彼女の顔を見ていた事に気づいた。さっきの少女の面影のせいだろうか、今見ていた彼女は第一印象とは違っていた。
やがてエレベーターの速度が落ちてくると僕たちは階数表示の目をやった。
「15階だ」
「15歳ってこと?」
彼女はそう答えると扉の向こうを見つめた。
扉が開き始めるとさっきより強い日差しが入ってきた。そしてセミの合唱と少年たちの声が聞こえてくる。白いユニフォームを着て野球の試合をしていた。今からバッターボックスに入ろうとしている少年が目に映った。
「思いだした・・・。今からバッターボックスに入るのが僕だよ。中学生最後の試合だ」
「野球少年だったのですね」
「うん。でも・・・、格好のいいシーンじゃないよ」
結果を知っている僕は複雑な気持ちだ。最終回の攻撃でランナー二塁、三塁。一打逆転の場面にベンチも最高に盛り上がっている。
(ここで打っていたら、その後の人生も変わってたかもしれないな)
誰の人生も振り返ってみると結果の良し悪しにかかわらず分岐点がたくさんある。そしてそれが後々後悔に変わる事もある。
「打てるといいですね」
両手を胸の前で握りしめて、まるで甲子園の観客のように彼女は応援してくれた。マウンドではキャッチャーのサインにうなづいたピッチャーがアンダーシャツで額の汗をぬぐう。そしてセットポジションに構えると一度ランナーの目をやった。小さく早く、タイミングをずらすように脚を上げると、ホームに向かって投げた。あっという間に勝負は決まった。僕のバットは空を切りボールは音を立ててキャッチャーミットに収まった。
「ストライクバッターアウト!ゲームセット」
審判の大きな声が、止まった時間を再び動かすように響いた。
辺りは歓声とため息に包まれた。
最後のバッターとなった僕はゆっくりとバッターボックスを出ると、ベンチへと歩いて行った。途中、何度かシャツで顔を拭いている。あれは汗ではなく涙をぬぐっていたのだ。この試合のために辛い練習に耐えてテームみんなで頑張ってきた。それなのに僕はチャンスで打てなかった。悔しくて悔しくて、そんな気持ちから出た涙だった。テームメイトに合わせる顔がなかったがベンチに戻ると、そんな僕を中心に輪ができた。みんなの励ましの言葉に僕は膝をついて泣き崩れた。
やがて監督である先生が試合終了の挨拶に行くよう。みんなに促した。そしてホームベースを挟み両テームが整列した。僕の涙は止まっていなかった。両肩を揺らしながら時々涙を拭いていた。
審判が試合結果を告げると両チーム全員が帽子を取り頭を下げた。
「ありがとうございました」
白球を追いかけていた僕の暑い夏が終わりを告げた。
悔しい思いはしたが一つだけ気がついた良かった事があった。それは最後の打席がフルスイングの三振であったことだ。結果がどうであれ見逃しの三振だけはしないように決めていた。バットを振らなければボールには当たらない。
人生も同じようなものでチャンスで行動しなければ幸福もつかめないし、後悔ばかりが残るのかもしれない。
僕はいつの間にかそのことを忘れていた。
一つのシーンが終わるとまたエレベーターは扉が閉まり始めた。
「情けないところを見せたね」
彼女が応援してくれた事がうれしかった。あの時も多くの人が応援してくれてた。しかし僕はその期待に応える事は出来なかった。
「そんな事はないですよ。結果は残念でしたけど、最後まで一生懸命にやってる姿はカッコ良かったですよ、応援したくなりました。結果ばかりがすべてじゃないと思います」
僕はこの時からずっと自信を失い自分を嫌いになっていた。思い出す度、期待に応えられなかった自分を責めた。
「ありがとう、そう言ってくれて。僕はこの試合を引きずって生きてきた。学生時代や社会に出てからも、結果ばかりを気にしていた。でも今、君に言われて少し楽になったような気がする」
僕は彼女の目を見て話した。
エレベーターはまた次の階を示して止まった
「17階・・・」
そして扉は開いた。
今度は今までと違い、人工の光が冷たさを感じるように入ってきた。
目の前には白い壁に囲まれた病室だった。ベッドに1人が横たわり、その片側に3人の姿があった。みんな泣いているみたいだ。
「これは・・・、高校生の時の私です」
「え!?」
1人だけベッドに顔を伏せている人がいる。乱れたながい髪はまるで布団の模様のように広がっていた。
「父が亡くなった時で一緒にいるのが母と兄です」
そう話す彼女の表情を見ると、ただ一点を見つめながら氷ついた様だった。
「お父さん?」
そう聞くと彼女は静かにうなづいた。
その時僕は彼女の頬をゆっくりと伝う涙に気づいた。そして僕は言葉を選ぶように聞いてみた。
「病気だったの?」
彼女はすぐに答えなかった。僕は次の言葉を探していた。
「・・・自殺です」
返す言葉がみつからない。
「つらかったね」
彼女にとっては思い出したくもない出来事に違いない。
「私が中学校を卒業した頃、両親が離婚しました。母は詳しい理由は話しませんでしたし、私も聞こうとはしませんでした。子供心に聞いてはいけないと思っていました。そして、その年の暮のことでした。後から父には多額の借金があった事を聞きました。きっとそれを苦に・・・」
そう話す彼女の身体は少し震えているかのように見えた。
いろんな事情を抱え、人生に絶望して自ら命を絶つ人が多くいる。その命を救う方法はあると思うが、思いつめてる人に届かないのが現実だ。いじめや借金、理由は様々だが命を絶つ前に、相談できる人に出会えたのなら・・・、きっと多くの命が救われるのかもしれない。悲しい現実だ。
「私、優しかった父が大好きでした!」
そう言うと彼女は崩れるようにしゃがみこみ両手で顔を覆った。その指の間を通って涙が伝う。そして狭いエレベーターの中に彼女のすすり泣く音だけが響いた。自ら命を絶つ人もきっと残される家族の事は考えたと思う。ただそれ以上の絶望感が強いために避けられなかったのだろう。でも今、目の前の彼女を見ていると生きて立ち直る努力もして欲しかった。
「大丈夫?」
そう言って僕は同じようにしゃがんで彼女の肩に手を添えた。
彼女は小さくうなずいて答えた。やがて彼女はバッグからハンカチを取り出し涙を拭くと少しずつ冷静さを取り戻していった。
「すみません。あの時の事をいろいろと思い出してしまって・・・」
ハンカチで口を押えながら立ち上がると話始めた。
「突然の事で・・・、別居していたこともあってその時は深く悲しむことはありませんでした。なにもわからない子供だったのでしょう。でも今こうしてあの時の事を目の当たりにすると、大人になって少し父の気もちがわかるような気がします」
たしかに親の心、子知らずと言われるように子供の頃は親の気持ちなんてあまり考えない。というより考えられなかったという方が正しいのかもしれない。
「大人になり社会へ出てみると父の辛さや悲しみがわかってきました。だから余計に・・・」
続きの言葉を残して、止まりかけた涙が再び流れ出した。涙をハンカチで拭いたり涙がこぼれないように顔を上げたりしていた。
大人になって理解することは彼女にとって後悔することが増えたのかもしれないように思えた。
「そんなに自分を責めることはないと思う。どう言ったらわからないけど・・・」
本当に言葉が見つからなかった。自分の事と置き換えてみると想像はつくが実体験ではない。まして他人の事となると本当のところわかるはずもない。ただ彼女の深い悲しみは僕にとって感染するかのように感じた。
(なんてエレベーターだ。ひとにこんな思いをさせて。どうせなら楽しい思い出ばかりにしてくれ)
エレベーターの扉がゆっくりとと閉まり始めた。
「お父さん!」
彼女が叫んだ。
思い出したくない過去であっても父親と会えた事に対する言葉だと思った。僅かな時間であるけれど思い出の中にいる人の姿を見ることができたのだから。
彼女は扉が閉まる瞬間まで父親の姿を見つめていた。
「・・・すみません」
現実の世界に戻った言葉だった。
「いや・・・、大切な人を失ったのだから」
「私もこんな形で父を見ることができるなんて・・・・」
「でも、父が亡くなってからずっと思っていました。最初は家族を捨てて恨んだりもしたけど、本当の父の気持ちや考えを知りたいって。いろんな事を話したり聞いたりしたいって」
彼女は父親の死に納得できないんでいるのだろう。その時、何を考えていたのか、どんな心理状態なのかは本人しかわからない。
「もう父から聞くことはできないけど、今はなんとなくわかるような気がします。父は父なりに家族の事を最後まで考えてくれていたんじゃないかって」
時が過ぎて、当時は考えられなかった事に彼女は何か気づいたのだろう。
「家族の迷惑をかけたくないと思ってたと思うし、立ち直ろうと考えても方法がわからなかったりして1人で苦しんでいたと思う。自ら命を絶つ人は無責任でも何でもない、逆に人一倍責任感があって周囲の事を考えてる優しい人だよ。だから余計に・・・、悲しい事だね」
「ありがとうございます」
彼女は涙を拭いて微笑んだ。
「きっと相談できる人や力になってくれる人がいれば多くの命が助かると思う」
やがて動いていたエレベーターは次の階で止まった。ふと表示板を見るとRと表示されていた。
「屋上?このエレベーターに屋上なんてないはずだ」
「そうですよね」
エレベーターの扉がゆっくりと開く。
すると室内のすべての明かりが消え、目の前には屋上の景色が広がった。まるでこの場所へ招待されたかのようだった。
「ここ、会社の屋上ですか?」
そう言うと彼女は外へと歩き始めた。
コツコツと彼女のヒールの音が響く。
(あれ?何か変だ)
目が慣れてきて視界が広がると違和感を感じた。
「音がない!会話以外の音が・・・」
いつも当たり前に聞く車などの生活音が一切聞こえない。
「静かだなぁ、別世界にいるみたいだ」
そうつぶやきながら僕は彼女の後を歩いて行った。そして真っ直ぐ突き当たった所まで行くと彼女が声を上げた。
「わぁー!綺麗」
僕も彼女の隣に立ち眼下を眺めた。そこにはビルの屋上から見える夜景が広がっていた。。人の暮らしが作り出す、美しいイルミネーションだ。
「本当だ!音がない世界は変だけど・・・、会社の屋上の景色はこんなに綺麗だったんだ。初めて見たよ」
「・・・私も」
まるで川の流れのような車のテールランプが時々点滅している。ビルの明かりやネオンの明かり、人が作り出す世界。美しく輝いてるものだけが見える。そうでないもは闇に消え見えることはない。
「何なのでしょうか?エレベーターの中の出来事や、今、この瞬間は・・・」
遠くを見つめながら彼女は言った。
時折吹く冷たい風に彼女の髪が揺れている。
「僕にもわからない。映画か小説の中にいるみたいだ」
僕はそう答えた。
「・・・今日初めて君に出会ったけど、エレベーターの事のせいか今は何故か初対面とは思えない」
普段なら緊張して女性に話す事をためらうのに自然と話を続けた。
「私もそうです」
「お互いの過去を見たせいかもしれない。ほら普通出会ってから少しずつ相手の過去を知って分り合っていくじゃない。でも今日はエレベーターの中で相手の過去を知る事ができた。しかもリアルにね。これって大事な事なんだよ、きっと」
そう言って彼女を見て話していた僕は夜景へと視線を移した。すると彼女も同じように遠くを見つめた。
「いつ、どこで、誰と出会うかなんて分からない。人生を変える出会いなんて奇跡に等しいと思っていたよ。・・・でも悲観することなんてなかった。大切なのは自分がどうしたいかだったんだ」
僕はそうつぶやいた。
「あれ見てください!」
そう言って彼女は夜景の中を指さした。
道路脇の街路樹に飾られたイルミネーションは道路に沿って二本の直線を描いていた。その先には大きなクリスマスツリーがひと際明るく光っていた。まるで道を歩いた先に必ず出会えるように。
「綺麗なクリスマスツリーだ・・・」
通勤で通って見ている時とは別物のツリーに思えた。
「今夜がクリスマスイヴだってことを忘れていた。・・・不思議な事があったからね」
「不思議過ぎです!」
「でも教えられたこともあった。人生の数だけ物語があるんだってこと、楽しい事もそうでない事も、自分だけじゃないってね」
「・・・そうですね。普段は他人を見て羨ましいと思ったりするけど、自分の事、見つめなおしてみたくなりました」
次の瞬間、大きなライトで照らされたように真っ白な光が僕たちを包み込んだ。
「な、何だ?」
僕は左腕を顔を隠し目を閉じた。
やがて辺りは元の景色へと戻り、日常の音も聞こえてきた。
(現実へと戻ったのか?)
(は!)
僕は隣にいるはずの彼女を慌てて見た。
彼女を含めたすべての事が夢のような気がしたからだ。
「フ、不思議なクリスマスイヴでしたね」
彼女は微笑みながら言った。
「うん」
「・・・帰ろうか」
「はい」
そして僕たちは夜景を背にすると歩き出した。すると目の前に舞い落ちる雪に気が付いた。
「ホワイトクリスマス!」
彼女がつぶやいた。
見上げると白い雪が静かに、そしてすべてを白くするかのように降ってくる。まるで次に新しい色を付けられるように。
「エレベーターで降ります?」
彼女が僕の顔を見て聞いた。
「エレベーターはやめて階段はどうかな?今は乗りたくない」
「・・・君と少しでも長く一緒にいたいんだ」
僕は彼女の目を見て素直な気持ちを話した。その結果なんて考えもしなかった。
「私も!」
彼女はそう答えてくれた。
人生は誰でも自分の好きな色を描けばいい。たとえ絶望の淵へと追いやられても、きっとまた白い雪が消してくれるはず。そしたらまた新しい色を描いていけばいい。自分だけの色を・・・。
おわり