005 オメテリア王国
『オメテリア王国』王都・『ティトラン』。
王城のある一室では、かりかり、と紙の上を踊る音だけが響いていた。
執務机の前に座るのは、白銀の髪に碧眼を持つ二十代後半ぐらいの美貌の青年だ。
じっと手元の書類に視線を落とし、サインをするとペンを置いた。一息つき、執務机の端にあるカップを手に取って口元に近づけた。
『そろそろ、時間だ――』
ぱさり、と翼をはためかせながら、何処からともなく姿を現したのは一羽の鷹。
体長三十センチほどの蒼い毛並みに碧眼を持つ鷹は〝使い魔〟だった。
「……そうだね」
青年――クランジェ・サンクエタ・オメテリアは、〝使い魔〟のアルクルに向けて笑みを向けた。
ちらり、とアルクルは書類の山に視線を向け、ため息をつく。
『張り切り過ぎだ。呼ばれているのだろう?』
「もう少しでキリが良かったから、来る前に終わらせておこうと思って」
『他の者はのんびりとしているというのに……』
呆れた声のアルクルは、ぴくり、と震えて顔を上げる。
―――コンコンコンッ、
と。執務室のドアがノックされる。
「失礼します。近衛騎士団第二騎士団長ミゼラルド・コンフィア、参りました」
どうぞ、と声をかけるとドアが開き、一人の三十代半ばほどの赤銅色の髪を持つ男性が入ってきた。
白い騎士服に身を包むのは、近衛騎士団の証だ。肌は程よく日に焼け、明るい金色の瞳がクランジェを真っ直ぐに見据えた。
執務机の上に積まれた書類を見て、口元に小さな笑みを浮かべ、室内に足を踏み入れる。
目の前まで来ると、軽く頭を下げた。
「遅くなり申し訳ございません、殿下」
「ミゼさん。他に人はいないので、いつも通りでいいですよ」
苦笑交じりに言うと顔を上げたミゼラルドは、にかっと笑った。
「だと思ったけど、一応な」
クランジェとミゼラルドは剣の師弟関係であるため、二人っきりの時は互いに素で話していた。
ミゼラルドは改めて机上に視線を落とし、
「まだ仕事をしていたのか? 教導院の〝勇者〟も来たのに……」
「それはミゼさんもだよね?」
「俺は警備免除の上に訓練も禁止されているから、めちゃくちゃ暇なんだよ」
ミゼラルドは肩を竦めた。
「それで用事って…………陛下から?」
ミゼラルドをここに呼んだ理由は言っていなかったが、察していたのか言葉少なに尋ねて来た。
クランジェは頷きを返し、
「今からケイのところに話に行こうと思って。ミゼさんも来るよね?」
「当たり前だろ――」
にやり、と笑ってミゼラルドは頷いた。
クランジェは城下町の一角にあるコワフリーズ公爵家――婚約者の下を訪れた。
ミゼラルドが警護として同行しているため、他にお供はいない。
コワフリーズ公爵家の侍女に案内されたのは、広大な敷地の一角――庭の外れにある東屋だった。
そこには一つのテーブルと四つのイスが置かれ、近づいていくと二つの人影が見えた。周囲には人払いの[結界]が張られ、警護の者の姿もない。
「やぁ、ケイ」
クランジェが声を掛けると、二つの影のうち、萌黄色の長い髪を下ろしている女性――公爵令嬢が立ち上がって振り返った。
端正な顔立ちの美しい女性はクランジェとは同い年であり、色白の肌に細身の身体は見る者に儚げな印象を抱かせ、あながち、それは間違ってはいなかった。
「クランジェ様。ミゼラルド様もようこそいらっしゃいました――」
ふわり、と笑う公爵令嬢にクランジェは歩み寄り、そのまま細い腰に手を回して抱きしめた。
そっ、と頬に手を添え、その顔を覗き込む。
「……今日も顔色は良いね」
「はい。もうすぐ殿下の晴れ舞台ですから、ご一緒したくて……」
「それはとても嬉しいけど、無理をしてはいけないよ……?」
少し頬を染めて頷く公爵令嬢に、にこり、と笑い、クランジェは手と身体を離した。
そして、未だにイスに座る女性に視線を向ける。
こちらもクランジェや公爵令嬢と同い年ぐらいの女性で、公爵令嬢と同じ色の髪は後頭部で一まとめにされ、身に纏っているのは紺色の侍女服だ。
ぴんっ、と背筋を伸ばし、クランジェとミゼラルドの来訪に視線を向けることなく、カップを口元に運んでいた。
「――遅かったわね。二人とも」
待ちくたびれたわ、と言外に言っていた。
ちらり、と肩越しにクランジェたちを振り返り、
「仕事もほどほどにしないと。そもそも〝勇者〟なのだから、のんびりとしていればいいのに……」
「同感です――」
「それはミゼさんもだよ?」
大きく頷くミゼラルドに、クランジェは呆れた視線を向けた。
「二人ともよ――」
そんな二人の様子に呆れたように侍女は呟き、顔を前に戻す。
くすっ、と公爵令嬢は笑い、「――どうぞ」とクランジェたちにイスを勧めた。
ミゼラルドも軽い挨拶をしてクランジェと共に席に着くと、公爵令嬢が用意していたカップに二人分のお茶を淹れた。
二人がお茶を飲み、一息ついた所で侍女が口を開く。
「……二人が来るのを心待ちにしていたのよ?」
その言葉にクランジェは「そうなの?」と公爵令嬢を見つめた。
彼女は「……はい」と少し恥ずかしそうに俯き、目を伏せた。
「少し前に、とても澄んだ――綺麗な虹色に輝く〝オーラ〟を感じて………恐らく、〝あの方〟が来訪された時だと思います」
「見えたの……?」
「!」
その言葉にクランジェは目を見開き、ミゼラルドも息を呑んだ。
王城からコワフリーズ公爵家までは、それなりに距離はある。
そして、何よりも[結界]が張られているのだ。それら全てを無視して、見えたということになる。
「………」
長い睫が揺れて瞼が開き、髪と同じ色の瞳が現れた。
だが、その焦点は合っておらず、クランジェたちには見えない〝何か〟を見ていた。
「その内側から輝いているように強くて、とても温かい色……魔力は感じなかったけど『王国』を訪れた瞬間に見えた閃光は今も瞼の裏に焼き付いてて――」
彼女は素の言葉で呟き、ぎゅっと胸元で両手を握りしめた。
「端々から〝黄金色の光〟が溢れて………まるで、〝勇者〟様自身から、その光が漏れているみたいだったの……」
「………!」
クランジェとミゼラルドは顔を見合わせた。
その光景を思い出すように、ぎゅっと目を閉じた彼女を呆然と二人は見つめていたが、
「―――ケイ」
「――っ」
侍女に名を呼ばれて、はっと我に返り、公爵令嬢は目を瞬いた。
「すみません…………」
「珍しいですね……?」
片眉を上げて告げたミゼラルドに、公爵令嬢は顔を赤くして目を伏せた。
時折、〝才能〟で見えたものに意識が向き過ぎることがあるが、それは見えた直後の事で、数時間も前の事を未だに動揺しているのは珍しかった。
「惹かれたのよ。魔力量と制御能力は、けた違いだから――」
「!」
侍女にクランジェとミゼラルドは目を見開いた。
それに構わず、くすくす、と笑いながら侍女は続けた。
「少し見に行ったけど――アレは面白いわね」
「………確かに、第一階位クラスの実力はあると聞いているけど」
「〝使い魔〟を授かっていると聞きましたが?」
困惑した二人を無視して、侍女は話を変えた。
「陛下はどうだと? それを話に来たのでしょう?」
「えっ………ええ、そうです」
もっと詳しく聞きたい気持ちがあったが、クランジェは疑問を呑みこだ。
侍女は気まぐれだ。
知りたいことを尋ねても、答えが返ってくることはごく僅かしかない。
彼女が話題を変えたのなら、これ以上話す気がないのは明白だ。いくら、そのことを尋ねても無駄だということは、短くはない付き合いの中で分かっていた。
『クランジェ……』
(うん。分かってる……)
侍女の言葉は、些細な事だと思っても、実際は重要な意味を持っていることが多いので、今は聞いたことを覚えているだけでいい。じっくりと考えるのは後にしよう。当初の目的はまだ果たされていないのだから。
「………それじゃあ、父から聞いて来たことを話すよ」
クランジェは一息ついて、頭を切り替える。
本日――ほんの数時間前に『オメテリア王国』に来訪した異世界からの〝勇者〟。
その面会を終えた国王と王太子たちから彼の者がどんな人物であったのかを聞き、それを公爵令嬢に伝えに来た。
そのことについては、父たちも理解している。
何故なら、彼女が〝何か〟を見なかったか――その確認するためでもあるからだ。
「テスカトリ教導院の〝勇者〟は――」
召喚された〝勇者〟の見た目は二十歳に届かない程に若く見えたらしいが、終始、落ち着いた様子で受け答えもハキハキとしており、全く緊張している様子がなく――むしろ慣れているような印象を受けたようだった。
そして、来訪直後から身に纏っている魔力こそ微弱なものだったが、その質はとても高く、体内でも魔力が滞りなく巡っていることから制御に関した実力も高いのではないかと――。
「さすがに旅の件に関するこちらの意見を伝えた時は、年相応に驚いた様子を見せたみたいだけど――」
「それは驚くだろう。……お互い様だが」
何とも言えない表情をするミゼラルドに侍女は小さく笑った。
ミゼラルドはソレに気づき、そっと視線を逸らした。
「………」
クランジェと公爵令嬢はミゼラルドを見るも、何も言わなかった。
沈黙が落ちる中、「――なら」と侍女が声を上げる。
「会いに行けばいいでしょう?」
「………」
三人の視線が集まるが、侍女は目を細めて虚空を――王城の方へと視線を向けていた。
「陛下は教導院の提案を完全に受け入れた――そうよね?」
「ええ、そうです」
侍女にクランジェは頷いた。侍女は公爵令嬢に視線を移し、
「そして、直に会いたいのでしょう?」
「っ――はい!」
はっと息を詰めるものの、公爵令嬢は大きく頷く。
「あの光の源が何なのか、知りたいです……っ」
「!」
力強く言う公爵令嬢に、クランジェとミゼラルドは目を見開いた。
「そう。なら、明日しかないわね。他の人たちと一緒に会う前に決めるためには」
本日の午後からの会談で、テスカトリ教導院が旅についての案件を話すと聞いていた。
その後、会談が混乱するのは目に見えているので、その最中に会いに行くことは難しいだろう。
クランジェは公爵令嬢に視線を向け、
「父が決めたのなら、各国にもすぐに立ち位置は知られるだろうから、明日、君だけを連れていくだけなら出来ると思うけど……どうする?」
〝あの件〟が各国に知れ渡ってから会いに行くことは、周囲を刺激することにもなるので得策ではなかったが、彼女なら――彼女に限って言えば、会いに行くことは可能だった。
その〝才能〟は、各国に広く知られているのだから。
「はい。いち早く、お会いすることが出来るのでしたら……」
クランジェの言葉の意図をしっかりと読み取り、それを了承して公爵令嬢は頷いた。
「そう……ミゼさんもそれでいい?」
〝勇者〟には〝あの件〟はひとまず伏せると言うことになる予定のため、第五王子であり公爵令嬢の婚約者であるクランジェが彼女に同行するのならまだしも、ミゼラルドは止めておいた方がいいだろう。
「―――」
ミゼラルドは目を伏せ、無言で頭を下げた。
「分かった。それじゃあ、父に頼んでみるよ――」