003 トナッカ公国
『トナッカ公国』首都・『リトームコルド』。
公主城の広い廊下を一人の男性が足早に歩いていた。
常盤色の髪を短く切った三十代ほどの男性で、細身ながらも程よく筋肉のついた長身は、軽やかな足取りで廊下を進んでいく。
時折、すれ違う者たちはその姿を見とめると立ち止まって礼をしたまま、通り過ぎるのを待った。
それらに視線を投げることなく、真っ直ぐに金色の瞳を前に向けて歩き続け――やがて、目的の部屋の前に辿りついた。
ドアを軽くノックして、
「失礼します。テオフォル・シュクセ・イリタブール、参りました」
『――入れ』
室内からの了承の声を聞いて、男性――テオフォルは扉を開いて足を踏み入れた。
広い執務室は整頓されており、左側の壁には本棚、右側の壁には棚があり、部屋の中心に一組のソファとテーブルが置かれていた。
そして、正面にある執務室の向こう側にこの部屋の主であり、テオフォルを呼び出した人物が座っていた。
五十代ほどの男性で、露草色の髪を後ろに撫でつけて細面の甘い顔立ちをしているが、強い眼光を放つ金色の瞳が何処か近寄り難い雰囲気を放っていた。
その人物こそ、この国の宮廷魔法師長――ゼヴィータ・シュクセ・グランティスだ。
じろり、と金色の瞳が、テオフォルを射抜く。
「忙しい時に悪いな、テオフォル」
「いえ。急用のことでしたが……?」
ゼヴィータが立ち上がってソファを勧めて来たので右側のソファに腰を下ろすと、テオフォルは単刀直入に尋ねた。
その身の忙しさは分かっており、また、他愛もない話で時間を割く人物でもないからだ。
向かい合うように座ったゼヴィータは、ああ、と頷き、
「先ほど、テスカトリ教導院から連絡があった。〝勇者〟の追加情報だ」
「追加の……」
正面のソファに腰を下ろしたゼヴィータが差し出したのは、魔法具と一束の書類。
「〝モントレの記録盤〟ですか……一体、何の映像が?」
〝召喚の儀式〟が成功してから、それほど日は経っていない。
「魔法を使用した模擬戦だ。そっちの書類は、その時の分析結果がまとめられている」
「……もう、ですか?」
誰の、とは問うだけ愚問だった。
テオフォルは模擬戦が行われたということ――その早さに驚いて僅かに目を見張った。
「先に観させてもらったが、中々、興味深い異世界人だ」
「! ……そうですか……」
あまり、他人を褒めることや興味を持つことがないゼヴィータの言葉に、テオファルは目を見開いた。
ちらり、と魔法具に視線を向け、
「模擬戦ということは、相手は――」
そこまで尋ねたところで、口を閉じた。
召喚されて間もないとは言え、召喚された〝勇者〟の世界には魔法と似た技術があるという。
ならば、それなりの実力がなければ、その実力を正確に把握することは出来ないだろう。
いくら、似ている力とは聞いても初見で見るこちらにとっては、未知の力だ。
相手として真っ先に思い浮かぶのは、テスカトリ教導院所属の第一階位魔法師が三名。
その内、一人は研究気質でもう一人は立場があるとなれば自然と相手は決まってくるが、その名を口にするのは憚れた。
(けど、たぶん無理だな……)
少し癖が強すぎる。
結果、その三名を除くとなると、あとは二つの騎士団から選ぶことになるので――。
「相手は近衛騎士団副団長のネリューラ・ギリアンだ」
「………あの人が」
やっぱり、とテオフォルは納得した。
第一階位魔法師を除くとなると、考えられる適任者は彼女しかいないだろう。
「模擬戦の結果は、ギリアン副団長の負けだ」
「――っ?!」
はっとして、テオフォルは伏せ気味だった顔を上げた。
「使用された魔法は中位と上位――そして、最上位だったらしい」
「……!」
ゼヴィータは絶句するテオフォルから書類に視線を向け、また戻した。
「そして、異世界人が使用した最上位魔法については〝魔法であって魔法ではない〟と、教導院は分析している」
「はっ……?」
テオフォルは最上位魔法が使われた――それを異世界人も使ったことに息を呑んだが、
「……………魔法であって魔法ではない、ですか?」
その言葉の意味が分からず、眉をひそめた。
「その〝勇者〟も魔力と魔素を操っていることに変わりはない。ただ、発動の仕方が我々の方法とは全く違うことから、そういう結論に達したと言うことらしい」
「………」
「そこは口で説明しても分からないだろう。……その魔法具を持ち帰ってじっくりと見ると良い。〝メガネ〟はあるな?」
「………はい。大丈夫です」
テオフォルは頷き、つと、視線を魔法具に向け、
(あの人が負けたなんて……)
目を伏せた。
近衛騎士団副団長の彼女は『トナッカ公国』出身であるため、第二階位魔法師としての実力はよく知っている。
以前に届いたテスカトリ教導院からの情報では、召喚された〝勇者〟は潜在的には第一階位魔法師と同等クラスの実力と魔力を持つらしいが――。
「……あともう一つ、話しておくことがある」
「………はい」
改まったゼヴィータの声に、テオフォルは顔を上げて姿勢を正した。
「〝勇者〟の召喚成功が全世界に報じられたことに伴い、〝日天の福音〟の行動が活発化したと報告があった」
それは半ば予想していた事だったため、特に驚きはなくテオフォルは頷いた。
世界に広く知れ渡っているわけではなかったが、国政に関わる者ならば誰しもその〝名〟を聞き、口にすることを忌避している者たちがいた。
テスカトリ教の過激派、〝日天の福音〟――エカトールの奥底に根強く蔓延る闇だ。
彼らは〝ある理念〟を掲げ、それこそが創造主の真意だと〝ゲーム〟開始時期までは身を潜めて機会を窺いつつ、確実に世界にその根を広げていた。
これまでの〝ゲーム〟でも、開催が近づくにつれてその活動は活発に――やがて激化していき、幾度となくテスカトリ教導院や各国と衝突してきたのだ。テスカトリ教導院を中心としてその目的を阻んできてはいるが、狂気としか言えないその思想が消えることはなかった。
そして、今回も――。
「教導院からも同様の情報が入ってきている。あちらは、既に島内の再調査は終えたようだ。こちらも実施中だが……君も十分気を付けてくれ」
「はい………」
〝ゲーム〟の日時は決まっているため、間者の侵入も年単位――下手をすれば十年単位に近くなることもあった。
そのため、炙りだしは慎重に慎重を重ねなければならず、かなりの時間を要するのだ。
(終わっている、か………さすがだな)
テスカトリ教導院には独自の諜報機関があり――さらに島内の全ての職員が〝契り〟を交わさなければならないので、炙りだしも五カ国よりはしやすいだろう。
各国にある支部はそれほどの縛りはないため、完全に把握しきれているわけではないだろうが、情報は集まっているはずだ。
「ミスフォル侯爵家には……?」
「ああ、そちらも手配はしてある。それに、テスカトリ教導院も手は回しているはずだ」
彼らの標的は二人――その内の一人が〝姫巫女〟だった。
ただ、〝姫巫女〟はテスカトリ教導院の総本部から滅多に出ることがないため、一体、どのような暴挙に出てくるのか――実家にも手を出すかもしれないので念のためだ。
「ただ、問題となるのは各国の来訪時だろう」
「確か、学院にというお話でしたが……?」
異世界からの〝勇者〟が魔法と似た技術を持つと知ってから、『トナッカ公国』を訪れた時の案として〝国立学院〟への招来が挙がっていた。
「ああ。今回の情報を聞いてからは、益々、その声は高まっている。………魔法を知ってもらうにしろ、異世界の魔法を知るにしろ――どちらにとっても、いい機会になるからな」
「それは……よろしいのですか?」
言葉を濁したテオフォルに「……分かっている」とゼヴィータは頷いた。
「その為に最善は尽くしている。………それに、その問題は彼だけに収まるわけではないからな」
「………はい」
テオフォルは小さく息を吐いた。
(全く、理解しがたい……)
〝勇者〟となる前から〝その理念〟は知っているが、全く共感出来なかった。
「何にしろ、〝お披露目〟の時は仕掛けては来ないだろう」
小さく口の端を上げて笑うゼヴィータ。
その瞳は鋭くテオファルを射抜き、だから安心して見極めろ、と言外に云われている気がした。
テオフォルはつられるように小さく笑い、頷いた。
「………『オメテリア王国』は〝顕の巫〟と会わせるでしょうか?」
その名は『オメテリア王国』のある能力者のことであり、その能力は見た者の力を――隠れた力でさえも見抜いてしまうほど強力なモノだ。
彼女が会えば、世界人の〝勇者〟の実力がどれほどのものなのか――或は秘めている力を知ることが出来るだろう。
「殿下の晴れ舞台だが………あまり、身体が丈夫な方ではないからな」
「お会いするのなら、一体、どのように見えたのか知りたいところなのですが……」
テオフォルの言葉に、ふむ、とゼヴィータは考え込み、
「そうだな……確認しておこう」
頷いたゼヴィータに「よろしくお願いします」とテオファルは頭を下げた。