002 ナカシワト
『ナカシワト』の中心部に広がる〝異域〟。
四方を〝座〟と呼ばれる四つの結界魔法陣が囲み、〝内〟と〝外〟が隔されていた。
〝南の座〟を基に発展した都市――『フォンデ・レヴル』。
その市庁舎の一室で、執務机越しに二人の男性が向かい合っていた。
イスに座るのは、この部屋の主である四十代半ばほどの白藍色の髪を持つ男性――ハーティス・サンセンだ。
ハーティスは手元の書類の束に視線を落としていたが、読み終えると顔を上げて目にかかる程度に伸びた髪の隙間から濃い灰褐色の瞳を部下に向けた。
「了解した。アンパシア首長には、私から伝えておこう」
「―――お願いいたします」
少し緊張した面持ちでハーティスの言葉を待っていた部下は、ほっとしたように僅かに気配を緩ませると、一礼して部屋を出ていった。
「………」
その気配が遠ざかった所で、ハーティスは書類を執務机に置いて目を伏せた。
部下が持ってきたのはテスカトリ教導院から届いた、彼のところの〝勇者〟の追加情報だ。
その情報を渡す相手はもう一人いるが、その姿が執務室にない――現在は〝ある場所〟に出ていたため、書類を届けに来た部下はそこに足を踏み入れるのを躊躇い、まずはハーティスの下を訪れたのだろう。
(すでに〝才能〟があり、魔力は第一階位クラスか……それに技術者としての技術も持つと――)
テスカトリ教導院の〝姫巫女〟によって〝召喚されし者〟は、世界からの加護を受けることになる。
その加護は様々だったが、すでに〝才能〟を持ち、魔法と酷似した〝力〟も扱えるというのなら、一体、どのような加護が与えられているのだろうか――。
「………」
しばらくして目を開くと、ハーティスは立ち上がって部屋を後にした。
その行き先は屋上だ。
市庁舎の屋上には、巨大な円形の台座があった。
屋上の中心付近――建物の中心部――に高さ三十シム(センチ)、直径五十メル(メートル)ほどの代物で、その八方には直径一メルほどの円柱が立ち、三角錐の屋根があった。
円座には魔法陣が深く刻まれており、その中心の辺りには何種類もの魔石がはめ込まれている。
そこから上を仰ぎ見ると、天井の裏にも魔法陣が刻まれているのが分かった。
その円座は〝南の座〟――〝異域〟とこちら側を隔てる結界を張る魔法陣を刻まれた結界装置の一部だった。
それを背にして屋上の縁に身を預け、北の方角――〝異域〟を見上げている一人の女性がいた。
肩よりも少し長めの白銀色の髪は日の光で輝き、左側の髪に群青色の紐を編みこんでいた。表情のない顔にある青色の瞳は、真っ直ぐに前に向けられている。
二十代半ばほどに見えるが、ハーティスの倍以上を生きている族長の一人だった。
屋上に出たハーティスが近づいて行くと、
「何か用?」
涼やかながらも淡々とした声が聞こえ、ハーティスは足を止めた。
彼女までの距離は、数メルといったところだ。
白銀色の髪の女性――ソレファラ・アンパシアの背を見つめながら口を開く。
「テスカトリ教導院から、異世界人の追加情報が届きました――」
先日、召喚成功の一報があった時は簡潔な情報だけだったが、今回届いたのは能力検査の結果だ。
「そう。――それで?」
「やはり、〝召喚されし者〟でしょう。高い潜在能力が確認されたということです。それに加えて、技術者としても腕があるようで、いずれは魔法具のような物とその分析結果も届けるとのことでした」
感情のない声は気にせずにハーティスは答えた。
「………魔法属性は?」
「〝無〟です。見解としては、第一階位魔法師クラスだと界導院長様が――」
ぴくり、とその細い肩が揺れた。
「第一階位?」
「――はい」
世界中で、僅か五人しか承認されていない第一階位魔法師。
その中でも最も年長者であるのが、先の〝ゲーム〟に参加したラフィン界導院長と『ナカシワト』の先代〝勇者〟の一人だった。
「……魔力量は?」
「測定不能、と――」
そこで、ソレファラは振り返った。
「測定不能?」
その顔に感情は浮かんでいなかったが、少しだけ訝しげな声で尋ねてくる。
「……どういうこと? 元々魔力があるのなら、測定は問題ないでしょう?」
魔力が発現したばかりなら安定するまでは測定しても意味がないが、すでに得ている状態ならば問題なく測定は出来るだろう。
だが、それをテスカトリ教導院は〝測定不能〟と報告してきたのだ。彼女が訝しむ理由も分かる。
「測定が出来ないのは、彼の〝才能〟が関係しているようです。使用した時、魔力が跳ね上がるために、最大値の正確な測定が行えず…………それに、素の状態でも第二階位以上はある、と」
ソレファラは、ぴくり、と眉を動かすも「……そう」と呟いて、再び背を向けた。
「能力者で、ね……」
そして、すっ、と空を見上げた。
その視線の先にあるのは、〝座〟によって張られた結界だ。
淡い光を纏った帯のような結界は、幾重にも重なって天から地へと降り注ぎ――地面に近づくに従ってその色を濃くしていき、地上付近では光り輝く〝壁〟のように隔たっていた。
「………先代様への手紙もそのことかしらね……」
「はい……」
現在、先代は〝異域〟内に住んでおり、定期的に物資の配達を行っていた。
先日、〝異域〟に配達人が入ったが、その時、ラフィン界導院長からの依頼物――手紙も預けていた。
そこに書かれた内容については、テスカトリ教導院からの申し出から予想はついている。
―――「先代と今代を合わせたいため、今代を〝異域〟に入る許可がいただきたい」
先代に会うためにわざわざ申し出があったのは、断りを入れる事だけが目的でなく、先代は〝異域〟から出てくることはないので〝異域〟に入る必要があるからだ。
〝異域〟への立ち入りの許可に関しては、全て首長たちによって決められていた。
「今代、とね……」
「いかがされますか? 首長たちの反応は半々ですが……」
ソレファラは、ふっ、と小さく息を吐き、
「先代様がお会いすると言われたのなら、いいと思うわ」
「………分かりました」
恐らく、先代はお会いするだろう。
界導院長が会わせたいと言うのだから――。
(界導院長様が会わせたい相手、か――)
先の〝ゲーム〟に『クリオガ』の代表として参加していた界導院長。
故国が実力主義であることから、彼女の人を見る目は正しくも厳しく――体力こそ落ちてきているらしいが――今も、魔法に関する技量は第一階位魔法師の中でも一、二を争うモノを維持していた。
先の〝ゲーム〟を経験してもなお、戦友に会わせたいと思う〝何か〟を今代の異世界人の〝勇者〟に見つけ出したと言うことだろう。
「恐らく、界導院長様が同行するかと思われますが――こちらはいかがされますか?」
正直なところ、界導院長が同行するのならば道案内兼護衛は不要だと思うが、立場などからそれでは済まない。
それに〝異域〟では、何が起こるか分からないのだ。
他国では〝魔素の淀み〟の多発が相次いでいるが、この国ではソレは日常的に起こる事だった。
ただ、〝堕ちた〟わけではなく〝出現〟しただけなので、魔素に狂い暴走していることは少ないため、危険性は低かったが。
「同行するわ。二、三人見繕っておくから、貴方も――」
「承知しました」
ソレファラはほぼ即答に近かったが、予想通りの言葉だったのでハーティスは戸惑うことなく頷いた。
(二、三人か……)
先代様の下へ連れていくとなれば、と考えていると、
「それと、大使館のことだけど……」
紡がれた言葉に、意識をソレファラに戻す。
〝ゲーム〟の開催宣言から――それ以前から徐々に魔界からの冒険者の数は減っているが、未だにそれなりの人数は残っている。
「今から監視の強化を――」
「ただちに、手配します」