4 ルナの思惑
『加虐者』を吹っ飛ばした俺は、すぐに追撃しようとするが――
パシンッ!
腹部に攻撃を受けた。
「くっ……!」
思わず俺の足が止まる。
目の前には受け身を取り、素早く立ち上がった『加虐者』。
「よ、よくも……よくもあたしの美しい顔に!」
顔に手を当て、わなわなと震えながら、絞り出すような声で叫ぶ。
はっ、ひげ面の汚いオッサンが何を。
あまりに理解できないことを言うので、つい心中でツッコミを入れていると――
バチンッ!
「くっ……! あぁ……」
もう一発。先程と寸分違わぬ場所に鞭をくらう。
しかも……
見えなかった、だと。
崩れ落ちないように必死に踏ん張る俺は、今までで一番の激痛に顔を歪めながらも、考える。
威力も増している。
……これはマズイ。もう一度くらっただけで、恐らくもう立てないぞ。
なにか、なにか、この状況から脱する方法は……
バチンッ!
怒り狂った『加虐者』の鞭が俺の身体を吹き飛ばす。
小さな呻き声を漏らした俺は、なすすべなく倒れた大木に叩き付けられる。
カハァっと、吐血する。
痛い。
意識が朦朧として、『加虐者』の姿を視認できない。
「……」
フッと、俺は小さく噴き出す。
……何が救世主だよ。
こんな弱っちいクズに、世界なんて救えるかよ。
バチンッ! 鞭が振るわれる。
バチンッ! 俺の身体が不自然に跳ねる。
バチンッ! 正直、どこに鞭が当たったか分からなくなってきた。
バチンッ! もう痛みが消え――
……悪い、ルナ。
初めて誰かに頼られたのに、何もできなくて。
――まだだよ。ユイト。
声が聞こえた。
――ユイトが魔法を使えなかったのには、ちゃんと理由があったの。
――そして、今はもう、ユイトが魔法を使えない理由はない。
ハッと、目が覚める。
俺がやるべきことは……ああ、分かってる。
横たわったままの俺は、右手を上に突出し、俺を見下ろしている『加虐者』に狙いを定める。
そして、攻撃しろと念じると――
俺の手のひらから、溢れるようにほの白い光が飛び出す。
その輝きは、縦横無尽に走る五つの光線となり――それぞれがまったく別々の軌道を描き、一瞬にして『加虐者』の身体を貫いた。
「うっ……」
小さな呻き声と共に、『加虐者』の口から血が零れる。
両腕、両足、腹部。
五か所を同時に貫かれ、ガクッと頭を下げた『加虐者』は、フッと白い光が消えると、まるで糸が切れた操り人形のように倒れ伏す。
「か、勝った、のか……」
俺は地面に仰向けになったまま呟く。
正直、何が起こったのか理解できていない。
ただ、こうすれば魔法を使えるというビジョンが唐突に脳裏に浮かんできて、それを実行したに過ぎない。
「どう、人を殺した気分は?」
いつの間にかすぐそばにいたルナが低い声で訊いてくる。
……人を殺した? 俺が?
俺以外は、一人の例外なく魔法使いだった世界。
どんなに惨めな思いをしようが、魔法使いに盾突けば、痛い目を見るのは俺。
そんな俺が、初めて魔法使いに一矢報いた。
……でも。
「最悪だ!」
俺は吐き捨てるように言う。
くだらない。
確かに魔法使いは大嫌いだった。
でも、だからって、殺したかったわけじゃない。
だって俺は……今だから分かる。
俺は――憧れていたんだ。魔法使いに。
「ルナ。俺は救世主にはなれない……いや、なりたくない」
「どうして?」
「人を殺して強くなったやつが、世界を救うなんて……」
「救世主としては、力不足だよね」
ルナはあっけらかんと言う。
あれ? さっきからのシリアスな感じの声と全然違う……
「どうせ世界を救うなら、ついでに世界中の人全員まとめて救うくらいの気持ちじゃないとね」
今度は笑顔で言うルナ。
ウインクとかしてきたけど、何この雰囲気。
「あ、ユイト。言い忘れてたけど、さっきの嘘だから」
「え、何が嘘?」
「ユイトが人を殺したってやつ。もしもそれで喜ぶようだったら、みっちり矯正しないといけないかなって思ってたけど……ユイトが良識ある人で良かったよ」
ちなみに矯正期間は最低でも3ヶ月だよ、と付け加えるルナ。
「……え、でも、腹に風穴空けちゃって、完全に致命傷」
「え、ユイト。それ本気で言ってる? 『地獄の森』の囚人が、お腹に穴が空いたくらいで死ぬわけないじゃん。ほら、現に『加虐者』の腹部、もうほとんど傷が塞がってきてるでしょ?」
ルナに促されるままに『加虐者』を見て、俺は驚愕する。
「ま、マジで! な、なんで?」
「この森にいるのは、幾多の修羅場を乗り越えてきた凶悪犯ばかり、身体だって化け物みたいに頑丈に決まってるでしょ?」
いや、知らねぇーよ。
「あ、というか、もうすぐ目を覚ましそうだね、この人」
「え、早くない?」
気絶しただけにしても、最低三十分くらいは起きないよな、普通。
俺は魔法使いになった。だが、正直自分の魔法をよく理解していない。
今のまま戦闘を続行とか絶対無理!
俺は痛む身体を無理やり動かし、どうにか立ち上がる。
「ルナ。とりあえず逃げるぞ」
俺はルナの手を取り、この場を後にした。