3 『加虐者』
『加虐者』の二つ名を持つ男は、手に細長い鞭を出現させた。
彼の魔法によるものだろう。『加虐者』はニタァっと気持ち悪い笑みを見せ、駆け出す。
俺は一瞬の逡巡もなく、逃げ出す。
幸い、彼の狙いは、俺。
ルナから離れるように木々の間をすり抜け――
ビシッ!
そんな音と共に、俺の身体は宙に浮かぶ。
「グァッ!」
そして、そのまま地面に叩き付けられる。
咄嗟のことで上手く受け身が取れず、俺は思い切り頭を強打。
……な、なにが。
頭を手で押さえながら、俺は立ち上がろうとして――
「……っ!」
不意に背中に鋭い痛みが走り、地面に膝をつく。
『加虐者』とは、三十メートルくらい距離があったはず。
今まで逃げて逃げて生き延びてきた俺は、運動神経だけには自信がある。
いくら動きにくい森の中とはいえ、そう易々と追いつかれるわけがない。
じゃあ、どうして背中にあいつの鞭を受けた――
……って、あれ?
背中に手を当てたが、傷はおろか、服さえも破けていない。
痛みはこんなにはっきりあるのに。
これが、あいつの魔法の特性なのか?
……というか、さっきからミシミシうるさいな。
何の音だ?
俺が痛みを堪えつつ立ち上がると――
ドシン!
俺がいた両隣の大木が大きな音を立て、それぞれ俺がいない方へ倒れた。
「へっ?」
呆然とする俺の前に、『加虐者』が姿を現し――
「邪魔な木は排除したわ。さて坊や。あたしに坊やの苦しむ姿をたっぷり見せて頂戴」
ひげ面のオッサンが、女言葉で言う。
ゾクゾクっと鳥肌が立つ。
キモ過ぎ、このオッサン。
しかしながら、彼の言葉が真実なら、『加虐者』はあんな細い鞭だけで、大木を二本同時に倒したことになる。しかも、俺には傷が残らない一撃を加えつつ。
彼の魔法の性質が見えてくる。
興味のないモノには、必殺の一撃を。そしてジワジワいたぶりたい相手には、傷を残さず――つまり精神的な苦痛のみを、少しずつ与えていく。
あと、あの鞭は相当伸びるのだろう。
三十メートル……いや、魔法である以上、百メートル伸びたって不思議ではない。
どうする?
すぐには殺されないと思うが、このままじゃジリ貧だぞ。
あの鞭、結構痛かったからな。
十回、二十回とくらったら、生きてても逃げる気力がなくなる。
だったら……イチかバチか、こっちから攻める。
すぐに殺せない能力なら、俺の拳でも届くかもしれない。
魔法が使えなかった分、腕っぷしにはちょいと自信があるからな。
俺は『加虐者』が鞭を振りかぶった瞬間を狙い、勢いよく彼に接近する。
ギリギリまで鞭を引きつけて――
今だ!
俺は紙一重で鞭を躱し、『加虐者』の懐に潜り込む。
そして、彼の顔面目掛けて、思い切り拳を振り下ろ――
パシンッ!
「くっ……」
一度完璧に避けたはずの鞭が、俺の右頬を捉えていた。
伸ばすことが可能なら、短くすることも可能だろう。
瞬時に三十センチほどまで短くなっていた鞭――短すぎてはたきみたいになってるが……当然威力は変わるはずなく、超痛かった。
だが、覚悟はできていたので、次の攻撃に影響はない。
「くらえぇ!」
俺の渾身の一撃が、『加虐者』の顔面を正確に捉えた。