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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

仙女と鬼

作者: みつ

 昼が終わって夕暮れの、まもなくたそがれも終えようかという紫の時。ねぐらを求める鳥の群れが暮れなずむ紫の空を飛ぶ。

 鬱蒼と繁る林にもたそがれの紫が降りる。林を構成する木々は李や桃、梨や茘枝といった果樹ばかりで、それらはすべて神楽鈴のごときたわわに実を生していた。同じ季節に実を付けないはずの果樹が当たり前のようにすべて実を結ぶ。果樹の幹に絡まる蔦にも黄色く面長の実がいくつも下がる。

 木々の合間に横たわる川の流れはゆるく、熟れた果実が落ちて、清く澄んだ水を甘くする。

 果実の甘い香りが空気に溶けるそこは若い仙女の暮らす地。


 川側にひっそりとたたずむ木造りの平屋が仙女の住まいであった。

 平屋から、かたん、とんとん、かたん、とんとんと心地よい調子で機織りの音が響く。つややかな黒髪を後ろでゆったりと括った仙女は一心に機を織っていた。足を使って糸を操り、杼を経糸のあいだに飛ばす。経糸と横糸が交差して少しずつ糸が布に変わってゆく。

 今織っているのは夕刻の茜色を写した布。仙女自身が着る葡萄色の小袖も仙女が織り上げた布から仕立てていた。やわらかな印象のこの仙女がまとうにはいささか色が濃いが、おとずれるものなどほとんど無い仙郷ではさして頓着するほどのことでも無い――機の音にまぎれてかすかにおとないを告げる声を聞いた気がして、仙女は機を織る手を止める。静かに耳を澄ました。


 昼と夜のはざまのたそがれ時に魔が交じる。

 仙郷に、異形の影が一つ。それはぎょろりと大きくて吊り上った目をしていた。頭部は黒く太い剛毛が伸び放題でもつれ乱れている。額の生え際に角が二つ。背を曲げ、痩躯に弊衣をまとう。弊衣からのぞく鋭利な鉤爪の生えた手は鋼の色をしていた。爪が小さな平家の木戸をかいた。


 仙女は家屋の内側で息をとめて耳を澄ます。かりかりと木をひっかく音。同時に聞こえたしわがれ声は、やはりおとないを告げた。

 木戸の向こうで「瓜子姫やぁい、遊ぼう。」と。

 仙女――瓜子姫は木戸に言う。


「かんぬきをかけた。戸をあけるな。」


 鈴を転がしたような、高く華やぎのある声で言うと、かんぬきのされていない木戸が開いて蓬髪弊衣の鬼が現れた。


「家にあがってくるな。」


 かまちをあがり、機織り機の前に座っていた瓜子姫の前に立つ。背を曲げた鬼より小さい瓜子姫は、幼さの残る顔をにこりとも、恐ろしさに歪ませもせず淡としている。

 座るなと言えば鬼は板張りのゆかに座った。黄色く濁った大きな目が瓜子姫を凝視している。


 瓜子姫は杼を置いた。立ち上がって奥のくりやに行くと湯を鉄瓶から碗に注いだ。戻って鬼の前に置く。碗から薄く湯気がのぼる。


「毒を入れたから飲むな。」


 鬼は手を出し兼ねる。以前そう言われて飲んだものに正しく毒が入れられ、鬼はのたうち苦しんだ。だが、飲むなと言われれば飲まずにいられない。逆のことをせずにはいられない。

 鬼は天の邪鬼という鬼なのだから。


 碗を掴み、湯を飲み干す。湯は温めにいれられて天の邪鬼の渇いた喉を潤した。毒は混ざっていないらしく、苦しくない。


「まずい湯だ。」


 逆のことしか言わない天の邪鬼の言に、瓜子姫はそうかとだけ応える。


「おまえは毒入りが好みだったか。好みなら進ぜようぞ。」


 好むと言えば、すぐさま立ち上がってもう一杯、湯の入った碗を出した。


「飲むか。」


「飲まぬ。」


 瓜子姫は、そうかと言った。


 仙女のあどけなさの残る顔を、天の邪鬼はじっと見た。

 眉を落とさぬ額は白く丸い。鬢削ぎした黒髪に縁取られた頬はふっくらとしている。

 仙女は前に鬼が見た時と容姿が変わらない。

 およそ半日をかけて、天の邪鬼は仙郷に来た。天の邪鬼に許された時は一日だけ。人の通られぬ道を使って半日を費やす路程の中で、鬼は瓜子姫だけを想っていた。

 仙郷にいられる刻限は短い。留まれるわずかな時間のすべてを使って仙女を眼に焼き付けたかった。


「お前はいつもぼろを纏うな。」


 天の邪鬼の着ているものは元の形が分からぬほどに朽ちている。よくよく見れば、元々は織りの凝った小袖だった。人ならぬものの織り上げる布地で仕立てれていた。布が朽ち果ててしまうほどに、長く手放さずずっと着ていた。

 立ち上がる瓜子姫は帯を解く。着ていた小袖から腕を抜くと、天の邪鬼に放った。


「それをお前にはやらぬ。」


 天の邪鬼は喜々とした。羽織って袖を通し、衣の匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。甘い果実の匂いが鬼の肺腑を満たす。またその小袖を元の形が分からなくなるほどに、永く手放さずずっと着るのだ。

 初めに鬼が着た瓜子姫の衣は、瓜子姫の生皮をはいだものだった。

 柔らかな肌に爪を立てて腕を動かすと、脆弱な人の肌はすぐに切り裂かれた。切り裂いたところから裏返すようにして皮をはいだときの熱気と血の臭い。脈打つ血の管。真っ赤な肉の甘 (うま)そうだったこと。

 中身は血の一滴も骨のひとかけらも残さずすべて食べた。はいだ皮を身に着けて瓜子姫のように機を織った。瓜子姫と一体になったようで愉快だった。


 衣を羽織ってくるり回り、仙女を見る。人の器を失って仙郷に戻った仙女。小袖の下に着ていたのは薄い単衣 (ひとえ)のみ。単衣にうっすら透ける肌の色が、薄暮の淡い光の中でも見える。思わず裸と見紛うた。


「瓜子姫。瓜子姫。」


 呼ばれて、何用じゃと問う。問いに答えず、鬼は姫の単衣に爪をかけた。薄い布を爪で裂いて、現れた肌をじっと見つめた。白い果肉を思わせる肌。紅に色づく花蕾がゆるく膨らむ胸に二つ。移り香ではない、果実の甘い香りが立ち上ぼる。

 眼前の、甜瓜の実の化身。

 天の邪鬼は瓜子姫の肌から目が離せなかった。

 単衣を裂かれたはずみで尻もちをついた瓜子姫もまた、天の邪鬼を見つめていた。紅唇が開いて鈴を鳴らす。


「欲しいか。」


「いらぬ。」


「ではやらぬ。」


「欲しい。」


 仙女の身体に、鬼の長い舌が這う。

 赤い唇から細い喉へ。

 ほのかに膨らむ胸に。

 やわらかな腹に。

 白い腿を這って小さな膝から桜色の爪先へ。

 再び上って腿の付け根を何度も這った。

 決して女陰に触れない。仙女は笑う。


「欲しいと言うたな、天の邪鬼。」


 自ら足を開いて指で女陰を開いて見せる。赤い果肉が咲いた。天の邪鬼の瞳が爛々と輝いて見入った。ごくりと生唾を飲み込む。


「欲しいならここにお前のそれを入れれば良い。」


 それ、と顎の先で示す。赤黒く醜悪なものが鬼の足のあいだから突き出ていた。いびつに捻じれ、傘より下は根元に向いて小さなこぶがいくつもついている。


「出来ないか。」


「出来る。」


「ならばやれ。」


「……。」


 天の邪鬼は瓜子姫を見た。大きな目に涙が浮かぶ。

 天の邪鬼の言葉で言うならば、天の邪鬼は瓜子姫が大嫌いであった。「憎しや、憎しや。」と言って泣く。


 瓜の実の化身である瓜子姫の存在は、まぐわいで失われる。

 仙女の時が流れ始める。

 果実が落ちて芽吹き、花を咲かせて新たな実を付けるように、瓜子姫も再び生まれる。だがそれは天の邪鬼を知る瓜子姫ではないかもしれない。肉の衣を脱いで仙郷に戻った瓜子姫とは別の存在だ。

 天の邪鬼は思う。瓜子姫の記憶から己がいなくなってしまうことは酷く恐ろしい。それは己自身の存在の消失にも等しい。


「まぐわいはならぬと?。」


「瓜子姫ぇ、憎しやあ。」


 ゆかに手を突き大粒の涙を落とす。足のあいだには摩羅がいまだそそり立っていた。


「くながいは恐ろしいか。」


 鬼は答えない。瓜子姫は足を閉じて天の邪鬼を見据えた。天の邪鬼は涙を落としながらも瓜子姫だけを見つめる。

 鬼を見る仙女の瞳は、虹彩の中心の黒い部分が大きく膨らんでいた。瞳に吸い込まれる。


「わたしは、天の邪鬼、おまえが好きじゃ。」


 声に浮かれたような熱は無い。ただ鈴が転がる。

 瓜子姫の言葉は時折嘘と真実が混じる。今の言葉がどちらか分からなくて、天の邪鬼は泣き笑いの顔ですべらかな姫の肌を抱いた。するどい爪が柔らかな肌を傷つけぬよう、そっと引き寄せる。瓜の果実の甘い芳香が天の邪鬼を包んだ。


「おまえの咎 (とが)がなにか、まだ分からぬか。」


「分かっている。」


 分からなかった。天の邪鬼は自分の罪が分からず罰を受ける。罪は瓜子姫を仙郷に送り返したことか、それとも瓜子姫の人の父母を騙したことか、それとも、それとも……。


「また毘沙門天のお罰を受けるが良い。」


 天の邪鬼の、まさしく悪鬼の顔を間近で見据えて言い放つ。瓜子姫の顔を、天の邪鬼はしっかりと目に焼き付けた。


 *


 半日をかけて来た道を辿り、再び罰を受けに戻る天の邪鬼へ、手向けに一言。


「もう来るな、あまんじゃく。」


 天の邪鬼は、瓜子姫の葡萄色の小袖を着て喜色を浮かべる。葡萄色は天の邪鬼がまとうとちょうど良い色味となった。

 天の邪鬼がたった一日の許しを次にもらえるのは、この布がもとの色も形も分からないくらいに朽ちてしまうほどの永い時の先。


「もう来ぬぞ、瓜子姫やぁい。」


 何度も振り返り、名残を惜しんで疾く去んだ。



 2008/08/08初出

 2014/05/22ものすごく改稿

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