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大事なあなた  作者: トウリン
仔ウサギちゃんとキツネくん
81/83

 毎月第三日曜日は、嫁いだ姉の弥生やよいが旦那と一緒に大石家に帰ってきて、みんな揃って食事をする。

 普段は姉を連れて行ってしまった代わりに義兄が雇ってくれた家政婦さんが家の中のことをやってくれているけれど、この日は懐かしい姉の料理が食べられるのだ。


 弥生が台所で料理を作っている間、葉月は義兄の一輝と居間でテレビを眺めていた。七つ年上の兄、睦月むつきは、台所で弥生の手伝いをしている。この食事会は毎回弟のどちらかが手伝いをすることになっていて、今日は睦月の番だった。


 葉月は、斜め隣で有名なアニメ映画を映しているテレビの画面を眺めている義兄をチラリと窺った。胡坐をかいた彼の膝の上には、少し前に二歳になった姪っ子、皐月さつきがチョコンと座っている。


 一輝は睦月と同学年だ。

 まだ二十歳をいくつか越えたくらいだというのに、サッカー選手として知名度が上がりつつある葉月と同様、落ち着き具合と威厳が半端ない。たとえ、膝にのせた愛娘がアニメ映画に興奮してあげる歓声に赤ちゃん言葉で応じているとしても、だ。


(まあ、あんなでっかい企業のトップだもんな)

 何度か見学に行ってみた一輝の会社のビルを頭の中に思い浮かべながら、葉月は独り言つ。


 この義兄は、今の葉月と同じ年くらいの時には、すでに新藤商事を束ねる地位に身を置いていた。当時はその凄さを葉月は全然解かっていなかったけれども、それなりに社会というものを知った今なら、解かる。


 その天下の新藤商事の総帥は、十年以上前から今この瞬間に至るまで、姉にベタ惚れだ。

 それも、年々褪せていくどころか、年々深まる一方に見える。


 葉月も幼い頃は少々焼きもちを焼いてちょっとしたお邪魔虫になっていたものだが、客観的に見て、この人が姉にとってこの上ない相手であることは間違いない。

 地位や能力、容姿といったものが優れているから、というわけでなく、この新藤一輝という人ほど姉を愛してくれる人はいないだろうから。彼の弥生への想いの注ぎ方は、葉月にとって憧れでもあり、模範でもあった。


 そんな一輝に、葉月は最近ぶち当たっている行き詰まりについて、相談してみることにする。

「あの、義兄にいさん、ちょっといいですか?」

 葉月の呼びかけに、クル、と、父と娘が同時に振り向いた。黒曜石のような二対の瞳が真っ直ぐに彼を見つめる。


 姪は可愛らしい弥生よりも怜悧な一輝に似ていて、二歳にしてすでに、将来さぞや美人になるだろう、と思わせる容姿だ。一輝は弥生に向けるのと同じくらい娘を溺愛しているから、将来この子が連れてくる男は、かなり苦労するに違いない。


 そんなことを考えながら、葉月は一輝に問いかける。

「義兄さんは、姉さんの笑顔を物足りなく感じたことありますか?」

「え?」

 葉月の質問を受け止めかねたのか、一輝は眉をひそめた。葉月もうまい説明ができないのだが、何とか言葉を見つける。

「確かに笑いかけてくれているんだけど、なんか、こう、『これじゃない』っていう感じっていうか」


「笑顔、ね」

 一輝は軽く首を傾げ、呟いた。

「彼女の笑顔そのものに対して何か思ったことはないが、それが他の者にも与えられるのを目にすると、苛立ちを覚えたな」

「え……」

 今度は彼の方が眉根を寄せる番になった葉月に、にっこりと、義兄は笑った。


「正直、君や睦月に笑いかけるのでさえ、腹立たしかった」

「それ、無茶苦茶心狭くないですか?」

「まあね。僕は弥生さんを独り占めしたかったから」

 子どもじみたことを、一輝は何のためらいもなくサラッと口にした。呆気にとられる葉月に、彼は肩をすくめる。

「あくまでも過去形だけどね。今はそんなことはないよ」

「その頃と今と、何が違うんですか? 結婚したから?」

「いや、彼女が僕のことを愛してくれていると知ったからだよ」


 これは惚気だろうかと反応を返せずにいる葉月の前で、一輝は膝に座る娘の頭の天辺にキスをした。姪の嬉しそうな満面の笑みは、やっぱり姉に似ている。


 キャッキャと声を上げる娘を抱き締めた一輝の眼差しが、少し、遠くなった。

「多分、それが判らなければ、未だに方々に嫉妬していたかもしれないね。もしかしたら、この子にも。まあ、正確には、彼女が僕のことを愛してくれているということが身に沁みた、なんだけどね。弥生さんは僕には過ぎた人だから、彼女の気持ちを知ってはいても、なかなか、自信が持てなかったんだ」

 そこで彼は少し人が悪そうな笑みを浮かべた。


「で、君が好きになった子は、どんな女の子なんだい?」


「え」

「笑ってもらえても、満足できないのだろう? 特別な相手に決まっているじゃないか」

 葉月はグッと言葉に詰まり、それから、答える。


「可愛いよ、すごく」

「それだけ?」

 一輝が眉を上げた。葉月は視線を落とし、繰り返す。


「とにかく、可愛いんだ」

 それ以外に言いようがない。

 可愛いから一緒にいたくて、可愛いから独り占めしたくて、可愛いから守ってあげたくなる。


 それではいけないのだろうか。

 自分に何か足りないから、彼女に対しても物足りなさを感じるのだろうか。


 憮然としている葉月を、一輝は面白そうに見ている。

 ムッとして何か言い返そうとしたところで、ドカドカと重い足音が廊下を近づいてきた。


「葉月、運ぶの手伝え」

 現れた睦月はそれだけ残して、また台所へ戻っていく。


「ちょっと、行ってきます」

 何となく、兄の登場に助けられた心持ちだ。

 一輝に頭を下げて立ち上がった葉月に、彼はクスリと笑った。


「まあ、頑張って」


 それは何に対する励ましだろう。

 首をかしげながら廊下に出て、結局、自分の問題は何も解決していないことに気づいたのは、台所で弥生からズシリと重いお盆を渡された時だった。


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