エピローグ
今日は、一輝の誕生日だ。
弥生はだいぶ前から「欲しい物は何か」と尋ね続けているのに、彼はさっぱり答えてくれない。「その日になったら教えるから」の一点張りだ。
そう言われても、祝う側には準備する都合があるではないか。
彼女はムウと唇を尖らせる。
十八歳の誕生日というのは少し特別な日だと、弥生は思う。
だから、これでもか、というほど特別な日にしたかった。
それなのに。
肝心の日に彼の予定が空くかどうかを教えてもらったのも、つい昨日のこと。
結局プレゼントは決まらなくて、弥生は、取り敢えず作った一輝お気に入りのケーキを手に、指定された場所に向かう。
いつもは車で迎えに来てくれるのだけれど、今日は一人で待ち合わせ場所まで来て欲しいとのことだった。なんとなく『普通』のデートみたいで、なんだか、弥生もそわそわしてしまう。
約束の場所は一輝とのデートでよく使う、こじんまりとした可愛らしいレストランで、弥生が一番気に入っている所だ。いつも身に着けているネックレスも、ここでもらった。
扉を押し開けると、カランカランと、カウベルが可愛い音をたてる。
店内を見渡すと他に客はおらず、一輝だけが弥生を見て片手を挙げて立ち上がった。その姿を認めて、思わずパッと笑みが浮かんでしまう。
「一輝君」
席に近寄ると、いつものように一輝が椅子を引いてくれる。
「今日は、迎えに上がらなくてすみません」
「ううん。これはこれで、なんだか楽しかった。ワクワクしたよ」
心からの弥生の笑みに、一輝も嬉しそうに微笑を返してくれる。
「それならよかった」
そうして、一瞬弥生の顔を見つめて頬に軽く唇で触れると、彼も席に着いた。あまりにさり気ないので流してしまいそうになって、ハタと気が付いて弥生の頬はジワジワと熱くなってくる。
慌てて店内を見回して、初めて他に誰もいないことに気が付いた。
いつもごった返しになる店ではないけれど、必ず数組の客はいる。
おかしいなと思いつつ、弥生は一輝に向き直った。
「で……で、欲しいもの、決まった?」
半ばごまかすように、弥生は早々に重要課題を出してしまう。もう少ししてから訊くつもりだったのに、順番が狂ってしまった。
弥生がそう尋ねても、一輝は彼女の顔を見つめて黙ったままだ。しばらくそのままの状態が続いて、やがて、彼が手を差し出した。
「左手を、ください」
一輝の真剣な眼差しに首を傾げながら、弥生は言われたとおりにする。彼の手の上に、その半分くらいしかないように見える自分の左手を、のせた。
彼は弥生の手を軽く握ると、右手で何かを取り出した。
続いて、左の薬指に、ヒヤリとした感触。
「え……?」
弥生は、そこにあるものに、思わず目を見張る。それは、アクアマリンを取り囲む小粒なダイヤモンドで飾られた、小さな指輪。
思わず引っ込めそうになった手を、一輝がクン、と引き止めた。
「誕生日プレゼント、何でもいいと仰いましたよね?」
「あ……え……うん」
「今日で、僕は十八歳になりました」
一つ一つ確かめるような一輝の言葉に、弥生はコクリと頷く。
「弥生さんも、二十歳を越えています」
また、コクリ。
「日本では、男は十八歳になれば、婚姻届を提出できます」
釣られて頷きかけて――台詞の内容に気付いて固まった。
大きく瞬きをした弥生の左手が、一輝の両手の中に包み込まれる。
まるで、逃がさない、と宣言するように。
「僕もあなたも、結婚できる年齢になりました。なので、プレゼントにはあなたをください」
「……え?」
「僕に、あなたの一生をください。一緒にいれば、迷ったり、悩んだりする時もたくさんあるでしょうけれど、全部、二人で越えていきたいんです。喜びの時は共に楽しみ、苦しい時には支えて、支え合って、いきたいんです」
そう言って、一輝は身を乗り出すと、手の中の弥生の指先に口付けた。次いで、薬指で輝く指輪にも。そして、黙ったままの弥生を上目遣いで見つめる。
その眼差しに、偽りやためらいはない。
「お返事は……?」
笑みを含んで、一輝が問う。彼にも、弥生の返事はとうに判っている筈なのだ。
「そんなの、ずっと前から言っているじゃない!」
弥生は、晴れやかな満面の笑みで、とっくの昔に決まっていた答えを告げた。