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大事なあなた  作者: トウリン
幸せの増やし方
73/83

十一

 一時間で終わる筈の会議が十五分ほど延び、予定よりも幾分遅れて執務室の扉を開けると、そこには余計なものがいた。


「ごきげんよう、一輝かずき様、たちばな様」


 余計なもの――静香しずかは、手にしていた紅茶のカップをテーブルに置くと、優雅に一礼した。その姿はすっかりこの場に馴染んでいるが、一輝としては決して許容しているわけではない。

 答える気も起きずにため息混じりにデスクへ向かおうとした彼だったが、橘の呆然とした声に引き止められる。


「あれ……静香様……?」

 視線をそちらに向ければ、一輝の隣で、何故か橘が蒼い顔をしていた。その目には珍しく焦りの色があるように見える。


「どうした?」

 一輝のその問いかけには答えず、橘は静香を凝視している。そして、主人を無視したまま、恐る恐るといった風情で彼女に尋ねた。


「静香様、いつからこちらに?」

「三時半頃からかしら」

 小首をかしげた静香のその返事に、橘が喉の奥で変な音を立てる。


「橘、お前いったいどうしたんだ?」

「いえ、その――静香様、あの……もしや……どなたか……?」

 橘らしくない曖昧な言い方に、静香は察し良く頷きを返す。

「お客様でしょうか? ええ、来られましたわ。高校生か――もしかしたら中学生でいらしたかしら? お可愛らしい女性の方がお見えになられて」


「女性?」

 一輝は訳が解からず首を捻る。と、橘が片手で顔を覆っている姿が目に入る。


「橘?」


「――申し訳ありません」


「?」


「弥生様です」


 一瞬、一輝には橘が何を言っているのか理解できなかった。


「――何?」


 眉間に皺を寄せて問い返した彼に、橘は深々と頭を下げる。

「申し訳ありません。まさか、こんなことになろうとは……今日、弥生様がここに来られることになっていたのです」

「何故!?」

「どうしても、一輝様とお話したい、と」

 次いで一輝に向けられた橘の視線は咎めるものだ。


「二ヶ月もお逃げになられて……弥生様が痺れを切らされるのも、もっともです」

「だからと言って、何故、僕に黙って……」

「お伝えしたら、またなんだかんだと逃げてしまわれるじゃないですか」

 橘の声には呆れ返っている響きが含まれている。実際のところ、まさに彼の言う通りなので、一輝は反論できる言葉を持っていない。


 二人が口を閉ざした瞬間に滑り込むように、静香が口を挟んだ。

「あの、先ほどの方……弥生様? もしかして、一輝様の……?」

 静香の問いかける眼差しに頷いたのは、橘だった。それを目にした彼女は、珍しく焦りを帯びた表情になる。


「まあ……それは、申し訳ないことをしてしまいましたわ。わたくし、きっとあの方に誤解を抱かせてしまいました」

「誤解?」


 非常に、嫌な予感がする。


 目を細めた一輝の促しに、静香は申し訳なさそうに答える。

「一輝様と親しくさせていただいている、と申してしまいましたの。末永く……とも。ほら、父と一輝様はお仕事でご一緒なさるでしょう? 今後、その機会も益々増えていく筈ですから……」

「それは……」

 肩をすぼめて消え入りそうな静香に、橘も渋面になった。

「すぐに追いかけられた方がよろしいのではなくて? お家はご存知なのでしょう?」


 ほらほら、と静香が急かす。


 確かに今頃弥生は呆然としていることだろう。

 散々逢うのを拒んできて、この事態だ。彼女が最悪の状況を考えていたとしても不思議ではない。というより、そうされて当然の事を一輝は今までしてきてしまった。


 ――説明、しなければ。


 それは明らかだ。

 が、一輝は動けなかった。これで自分に愛想を尽かしてくれるなら、むしろその方がいいのではないのだろうか。今は悲しませてしまうけれど、一輝を忘れることが、少しは楽になるのではないだろうか。


 つい、そんなことを考えてしまう。


 煮え切らない一輝に、静香の眼差しが鋭くなった。

「一輝様、何を考えていらっしゃいますの?」


 のろのろと視線を上げた一輝は、束の間彼女と目を合わせ、また逸らした。

「……このままの方が、彼女にとっては良いことなのではないかと」


「え?」

 訝しげな声は静香からのものだったが、見れば橘が驚愕に満ち満ちた眼差しを一輝に注いでいる。


 一輝は窓の外に目をやり、続ける。

「彼女は、僕の世界に引き入れない方が、幸せになれるのではないかと思っていたところでした。今回、彼女の方から離れていかれるのであれば、このまま……」

「お別れに?」

 静香が、淡々とした眼差しを一輝に向ける。


 彼は頷くことも首を振ることもしなかった。


 口にした台詞は、一輝の本心というよりも、彼が悟った事実だった。


 今は弥生も傷付いているだろう。

 だが、その傷が癒えた後、彼女は、もっとふさわしい相手を手に入れる。彼女に彼女らしい幸せを与えてやれる、相手を。


 ――その男は、僕よりも彼女を慈しむことができるだろうか?


 いや、それは不可能だろう。


 一輝には、今彼が弥生に対して抱いているよりも深い気持ちが存在するとは思えなかった。


 押し黙っている彼に、痛いほどに視線が突き刺さる。


 ふと、小さなため息が耳に届いた。


 目を上げると、呆れ返っている心の内をほんの少しも隠そうとしていない静香の顔が向けられている。

「一輝様、今のご自分のお顔を鏡でご覧になればよろしいわ。もう、これでもかという程に未練が溢れ出しておりますのよ?」


 揶揄混じりの彼女の台詞に、一輝はグッと唇を引き結ぶ。

 そんなことは、鏡など見なくても自分自身でよく判っている。もちろん、全く納得などしていない。納得などできるわけがない。

 だが、弥生のためを思えば、一輝のこの選択は必ずしも間違いではない筈だ。


 一輝は背を伸ばし、静香と、そして橘を順々に見やった。

「彼女には彼女の夢がある。僕の元にいたのでは、それをうまく叶えられない。僕では、助けになれないことなんだ」

「飛ぶ鳥を落とす勢いの新藤商事を統べる方が、随分と控えめでいらっしゃいますのね」

「弥生さんに必要なのは、権力でも金でもない。僕から手を放して差し上げれば、より彼女は幸せになれる」


 誰よりも彼自身がそう信じることができることを願いつつ口にした台詞だったが、望んだ効果は得られなかったようだ。


「あら、意外にお小さい方ですのね。それは、単に、自分の力が及ばないものに弥生様が関わられることがおイヤで、そこからお逃げになりたかっただけではなくて?」

 優雅なお嬢様の口調で、静香は容赦なくズバズバと切り込んできた。怯みつつも一輝は更に言い募ろうとする。


「そうじゃない。ただ、もっと彼女の支えになれる者が、いるんだ……」

「まあ、お気の弱いことを! 敵の大きさに目を留められる前に、ご自分の手の方を大きくなさればよろしいのに」


「……」


 ついに言葉のなくなった一輝に、静香は深々と息をついた。

「どうされてしまったのです? 一輝様は、他人に対して非常に厳しいわたくしの父に認められたほどのお方。何故、弥生様のことに関しては、そんなにも尻込みなさるのですか」


 それは、弥生のことだからこそ、尻込みをするのだ。

 彼女のことでは、わずかも間違いたくはない。完璧でありたいのだ。

 だが、弥生にとっての『完璧』がどんなカタチなのか、それが一輝には判らない。


 頑なに動こうとしない彼に、静香は少し表情を緩める。ふと、幾つも年上の女性のようになった。

「ねえ、一輝様。わたくし達は、金銭に換えられるものならば、簡単に得ることができますわ。けれど、金銭で手に入れられないものほど、得難いものなのです」


 顔を上げた一輝に、静香は頷く。


「わたくし達は、確かにある種の『力』があります。その『力』に任せて欲する心のままに多くを望んではならない立場ですが、本当に欲しいと思ったもの、けっして譲れないと思ったものをみつけたのなら、足掻かなければ」

「本当に欲しいもの……」


 一輝は低い声で呟く。


 彼にとって『欲しい』と思うものは、弥生だけだ。新藤一輝という一個人が自分のものにしたいと思ったのは、大石弥生という少女だけ。

 それは、我欲だけで望んでいいものではない。

 一人の人間を所有したいなど、考えてはいけないことなのだ。


 と、まるで一輝の心を読んだかのように、静香が言う。

「自分のものにしたい――そして、自分もその人のものになりたいとお互いに思える相手など、そうそう見つかるものではありませんことよ?」

 一輝はハッと顔を上げ、彼女の静謐な面を見つめた。

「そんな相手に出逢えたのなら、けっして諦めてはいけません」

「だが、相手が自分と同じように想っているなど、判らないだろう?」


 弥生は優しい人だから、一輝が求めればきっと拒めない。たとえ、彼女の本当の望みを脇に押しやっても、彼に応じようとしてくれる。


「僕が求めることで、彼女は本来手に入れる筈だった幸福を諦めることになるかもしれないじゃないか」

 心が揺らぎ始めた一輝の最後の悪足掻きを、静香は一蹴する。


「まったく、魑魅魍魎のような化け狸の腹の内は完璧にお見通しになるのに、女心はさっぱりお判りにならない方ですのね。もしも弥生様に一輝様よりも大事なものがおありなら、先ほど、あのようにこのお部屋を出てお行きにはなりませんわ」

 呆れた声で、あなたの主はどうなっているのかと言わんばかりの眼差しを橘に向ける。彼は苦笑八割の笑みを返しただけで、沈黙を守っていた。


「まったく。早くお行きなさいな。わたくし、あの方をお泣かせしてしまったかもしれないもの」

 静香のその台詞に、弥生の泣き顔が一輝の脳裏に浮かぶ。


 自分のいないところで、彼女が涙を流すだなんて。

 ほんの一瞬、弥生の悲しげな顔を思っただけで、彼の胸は鈍い刃物で切り裂かれたように痛んだ。


 ふらりと歩き出した一輝の後を、静香に向けて頭を下げた橘が追う。

「ご成功をお祈りいたしますわ」

 そんな声が背に投げられたが、一輝は振り返ることなく廊下を進んだ。


 エレベーターに乗り込んだ一輝は、スマートフォンを弄ぶ。

「彼女は、僕に愛想を尽かしたりしていないかな」

「さあ……何しろ二ヶ月無視した挙句に、『女性の影』ですからねぇ。普通の女性は、許してくれないでしょう」

 チクチクと棘を持たせた橘の言葉は、これでもかというほどの正論だ。


 弥生の『普通ではない』ところに望みをかけるしかないのか。


 橘は、無言で一輝を見守っている。

 短縮ダイヤルの筆頭に、弥生の携帯電話の番号が登録してある。ほんの少し指を動かせば、すぐに彼女とつながるのだ。


 だがしかし。


 果たして彼女は出てくれるのだろうか。

 出てくれても、怒っているかもしれない。

 いや、怒っているならまだいいが、もしも泣いていたら、どうしよう。

 電話越しでは、何もできないではないか。

 だったら、最初から直接逢いに行った方が――


 悶々と思考を巡らせている主に、橘が深々とため息をついた。

「一輝様? 案ずるより産むが易しという諺をご存知ですか?」

 遠回しかつにこやかに、彼は「さっさと動け」とせっついてくる。

「まさか、この期に及んでまた後回しにしようとか思っていらっしゃいませんよね? 時間が経てば経つほど、こういう問題は修復が難しくなるんですよ? 時が解決してくれるとか、有り得ませんから」

「……解かっている」


 もしかしたら、時間を置いて話をしたら、弥生は何もなかったように、以前のように接してくれるのではないだろうか。


 ほんの一瞬、そんなズルい考えが一輝の頭の中をよぎってしまったことは否定できない。


 ――ああ、そうだ。多分、彼女は赦してくれるだろう。何ヶ月も彼が無視してきたことも、他の女性が彼と親しげにしていたことも、なかったことにしてくれる。

 一輝がそう望めば、きっと、弥生はそうしてくれる。

 だが、彼女の寛容さに甘えることは、できない。してはならなかった。


 一輝は意を決して、スマートフォンを操作する。


 弥生は、すぐには応答しなかった。

 呼び出し音を十回数えたところでそれは止み、代わって彼女の声が耳をくすぐった。


「はい」


 その、たった二文字。二ヶ月ぶりの、彼女の声。

 それだけなのに、聴いてしまえば、どうしようもないほどの愛おしさが一輝の中に込み上げてくる。思わず、スマートフォンが軋みを上げるほどに握り締めてしまう。


「弥生さん」

 呼びかけても彼女の返事はなかったが、構わず続けた。完全に一輝に愛想を尽かしていたら、声も聞きたくないに違いない。

 少なくとも、電話には出てくれたのだ――望みはある。


「今は何も釈明しません。でも、お逢いしたいんです。逢って、お話したいことがたくさんあるんです。あのネックレスを着けてくださっていますか? ええ、そう、あれです。すみません、それを使わせていただきます」

 丁度、エレベーターが駐車場のある地下に着き、弥生の返事を確かめることもせず、一輝は通話を切った。


 一度目を閉じ、また、開く。


 ほんの少し声を聴いただけで、実感した。

 弥生を手放すなんて、やはり、彼には不可能なことだった。

 多分、こうなることが無意識のうちに判っていたから、頑なに彼女の声を聴くことを避けていたのだろう。

 何ていうことはない、ただ、彼女と過ごせた貴重な二ヶ月を無駄にしただけだ。

 弥生には、自分の隣で笑っていて欲しい。

 泣く時には、自分の手が届く場所にいて欲しい。

 ずっとそう思ってきたのに、何故、今更迷ってしまったのだろう。


 一輝は、小さく笑った。


「一輝様?」

「何でもない。ただ、自分のバカさ加減を笑っただけだ」


 迷いは消えない――当然だ。

 大事に想う人のことで、迷わないわけがない。

 きっと、一生、最善の道を手探りしながら進んで行くのだろう。だが、その労苦を厭う気持ちはない。自分の力が及ばないかもしれないから、と安易に人に任せようとしたことが、間違いだったのだ。


 今回のことに、まだ答えは出ていない。

 だが、そもそも、弥生の言葉もまだ、聴いていないではないか。

 彼女がどう思っているのか、どうしたいのか、何が彼女の幸せなのか。

 それを、聴いていない。


 父親を喪ってから、一輝は常に決断を下す立場にあった。家のことも会社のことも、彼が何が正しいかを判断し、最適の道を選んできた。

 ずっと、そうしてきて、それでうまくいっていた。

 だが、弥生との関係は、そんな一方的なものでは駄目なのだろう。


 まずは彼女ときちんと言葉を交わしてみよう。


 今更ながら、一輝はそんなことを決意する。


 車に乗り込むと、一輝はモニターで弥生の現在位置を確認した。彼女は、今、自宅の最寄り駅を出た辺りにいる。彼が追いつくのは大石家の近くになりそうだった。

 駐車場内を通り抜け、出口のバーをくぐる。地下から外へと出ようとしたところで――車は急停止した。


「どうした?」

 一輝の問いかけに、運転手は困ったような顔で振り向いた。

「それが――」

 前方に目をやると、だらしない格好の男が、ヒラヒラと手を振っている。

「例の記者ですね」

 スッと細めた橘のその目の中に、不穏な光が宿る。

「私が話をしてきましょう」

 そう言って車を降りようとした橘を、一輝は制した。

「いや、僕が行こう」

「え!? 一輝様!」

 慌てる橘を置き去りに、一輝は車から出て坂の上に立つ小金井の元まで足を進める。


「やあ、御曹司」

 へらへら笑いながら、記者は手にしていたA4大の茶封筒を一輝に向けて振った。

「いい写真が撮れたんだけど、見る?」


 一輝は答えない。ただ、黙って立っているだけだ。そんな彼に、小金井は物足りなそうな顔をしたが、気を取り直したようにまた笑みを浮かべた。そして、封筒を開ける。


「どうよ」


 取り出したのは大きく引き伸ばした、写真。

 写っているのは、抱き合う男女。背景は海のように見える。


 その二人が誰なのかは、考えなくてもすぐに判った。


「よく撮れてるだろ?」

 小金井が、一輝の表情の動きを探るように視線を注いでくる。だが、数枚の写真を見つめる彼の顔は、ピクリとも動かなかった。

「で?」

 計五枚の写真全てに目を通した一輝は、それを小金井に返しながら、そう問うた。何も動きのない一輝に、小金井は落胆を覚えたようだ。当てが外れたような声を出す。

「何も感じねぇの?」


 それは、大いに感じた。

 こうやって、写真で弥生が他の男の腕の中にいるのを見るだけでも耐え難いというのに、彼女を誰かに譲ることなどとてもできることではないということを、実感した。

 二ヶ月前は、一輝自身が混乱していたせいで宮川と弥生の姿を直視できず、思わず逃げ出してしまった。時間を遡ることができれば、今すぐにでもあの場に戻るのに。


「それをどうするつもりです?」

「この子、あんたの彼女なんだろ?」

 散々かわしてきた質問を、小金井が繰り返す。恐らく、質問した当人もまた、答えが得られるとは思っていなかったのだろう。

「そうですね」

 写真を袋にしまっていた小金井が、その台詞を耳に入れ、優に数秒間は経ってからピタリと止まる。


「……え?」


 一輝は、言葉を変えて同じ内容を繰り返した。

「彼女は、僕の大事なひとです」

 ごまかしのない一輝の言葉に、小金井は呆気に取られている。


 一輝は笑みを浮かべたが、それは決して心が温まるものではなかったようだ。その表情を目にした小金井が、顔を引きつらせてピシリと固まった。

「だいぶ、彼女に迷惑をかけてくれたようですね? 今後も彼女に関わるようでしたら、それ相応の覚悟をしてください。僕はどんな手を使っても、彼女を護りますよ? ええ、どんな手を使っても」

 そこで彼はフッと笑った。

「新藤商事は、更に大きく成長させます。誰にも、手が出せないほどにね」


 その時、下手を打てば自分はジャーナリストとしてやっていけなくなるかもしれない、と小金井が感じたのは、決して錯覚ではなかっただろう。穏やかこの上ないというのに、一輝から発せられるのは獰猛な肉食獣もかくや、という威圧感だった。


 踵を返して車に戻る一輝を呼び止める声は、もう、ない。


「出せ」

 シートに腰を落ち着かせてそう指示を出す。


 車が走り出すと、その通り道をあけるために、小金井はのろのろと後ずさっていった。

 時間を無駄にしてしまったが、その分、弥生に逢っても怯まずに済む覚悟はできた。あの写真を見せられたことで、いっそう、彼女を手放すことができないということが身に染みたとも言える。


 むしろ、小金井に感謝してもいいくらいかもしれない。

 あんなに彼女には逢ってはいけないと思っていたのに、今は一刻も早くその声を聴き、その肌に触れたいと願って止まなかった。


 ――もしかしたら、弥生は許してくれないかもしれない。


 そんな気持ちもよぎったが、それならば、許してくれるまで、できる限りの言葉を尽くそうと、一輝は心に決めていた。


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