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大事なあなた  作者: トウリン
幸せの増やし方
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 つまらないパーティーだった。

 金をばらまかんばかりに飾り付けられたこの会は、幾度か大臣にも任命されたことのある議員の誕生日を祝うものだ。華やかな内装は煌びやかに輝き、料理も飲み物も最高級品がふんだんに用意されている。

 上品なBGMが穏やかに流れる中で、人々は笑顔を交わしている。だが、よくよく観察してみればその『笑顔』の大半は口元だけのもので、目は相手を探るように冷ややかだ。


 一見、華やかで美しい。

 だが、一皮むけば計算高く冷淡。


 それが、彼が――新藤一輝が棲む世界だった。


 彼とて、同じ穴のムジナだ。終始当たり障りなく会話をこなし、心の中の鬱屈をキレイに覆い尽くしていつも通りの笑顔すら浮かべている。

 今も、さる大手銀行の頭取夫人の雑談に愛想よく頷きを返していた。

 そんな彼がこの会が始まってからずっと心の中で早く終われと罵り続けていることを知ったら、彼女は目を丸くするだろう。


「あら、主人が呼んでますわ」

 やけに甲高い声でそう言った夫人は、名残惜しそうに一輝の腕に手を添えてきた。まるで引き留めてくれないかと言わんばかりのその仕草をする彼女は、齢四十を超えているのだ。


 振り払いたいのをこらえて、一輝はそっと腕を引いた。

「また、近いうちに頭取にはお会いする予定です。よろしくお伝えください」

 暗に離れることを促され、彼女は眉をひそめつつも微笑んだ。

「ええ、確かに。では、また」

 夫人から解放されると一輝は小さくため息を漏らし、踵を返すと壁際に寄り、そこにもたれて会場内に視線を向けた。


 広いホールの中には、老若男女、様々な人間が溢れかえっている。

 若い女性は皆高価なドレスと宝石を身にまとい、その大半は『美女』と評されるに相応しい容姿の者ばかりだった。一輝に誘いかけるような眼差しを注いでくる者も少なくない。

 もっとも、パーティーが始まった頃は入れ代わり立ち代わりで女性たちが近寄ってきたが、冷たい愛想笑いばかり返す一輝に自尊心を傷つけられ、皆、すぐに立ち去っていったが。その彼女たちも、今は己を褒めそやしてくれる相手を見つけて楽しく過ごしているに違いない。


『女性』というものを認識して以来、容姿の美しさが一輝に何かの影響をもたらしたことはなかった。

 女優やモデル、日本でも指を折って数えられるほどの美女とも、数多く知り合った。だが、そのうちの誰一人として、彼の心を動かすことはなかったのだ。


 一輝は、深いため息をつく。

 彼の世界に彩りを与え、良くも悪くも彼の心を動かすことができる唯一の相手とは、もう、随分会っていない。


 想像してみる。


 弥生であれば、この場でどんなふうに振る舞うだろう、と。


 きっと、あんな笑みは浮かべない。

 相手の首にかかっているのがいくらくらいの宝石なのか、目算したりはしない。

 言葉の裏にあるものを深読みし、毒を潜ませて返したりもしない。

 アクセサリーは、着けるとしたら一輝が贈ったあのネックレスくらいだろう。高価な宝石が付いていないことなど全く気にせずに、それについて問われれば、満面の笑みで一輝にもらったのだと返すだろう。

 単純に綺麗なものに目を輝かせ、美味しい食事に夢中になって、帰り際には家族への土産にケーキをいくつか包んで欲しいと言うかもしれない。


 ――そんな姿が容易に頭に浮かんで、思わず一輝は笑ってしまう。


 そうして、また、いつしか弥生のことで頭の中がいっぱいになっていることに気付いて、一輝はため息とも深呼吸ともつかない深い吐息をこぼした。

 時折、形振り構わず彼女の元へ行ってしまいたくなる衝動に駆られたが、そのたびに自分を叱咤し押しとどめた。

 頭をフル回転して仕事をしている時はまだマシだが、こんなふうにぼんやりしていると、弥生への想いが溢れて息苦しささえ覚えてしまう。


 ――早く仕事に戻りたい。


 そうすれば、ほんの束の間でも、彼女のことを考えずにいられるのに。

 だが、義理での出席とは言え、少なくとも一時間はこの場にいなければならない。イライラしながらも、一輝は、料理にも飲み物にも手を付けず、ただ腕組みをして時間が過ぎるのを待っていた。


 と、すい、と人の気配が隣に立つ。

 チラリと視線を流すと、そこにいたのは彼と同じくらいの年頃の少女だった。

 若い女性はほとんどドレスを身に着けているが、彼女は華やかで上品な振袖姿だ。地の桜色が良く似合っている。


 和製の人形のように整った顔立ちをしていて、涼しげな目元と楚々とした微笑みは、さぞかし人目を惹き付けるに違いない。


「ふふ、仏頂面ですのね」

 一輝と目が合うと、少女は、不躾にそう言った。微かに細くなった彼の氷の眼差しにも、澄ましている。

 彼女は唇を左右に引くようにしてニッコリと微笑むと、綺麗に頭を下げた。


「初めてお目にかかります。わたくし、綾小路静香あやのこうじ しずかと申しますの」

「綾小路家の……」

 その名に、一輝は少し表情を改めた。


 綾小路家は旧華族の、由緒正しい家柄だ。

 浮世離れしたお貴族様の常で、かなり経済的に苦境に立たされた時期もあったが、現頭首――入り婿である静香の父が非常に野心的な人物で、破産寸前だった綾小路家を一気に立て直したという。

 綾小路家現当主とは仕事で顔を合わせたことが何度かあったが、何というか、人によっては粗野と表現するかもしれない、豪放磊落という言葉そのものの男だった。

 一輝は、綾小路の家柄よりも、彼のその手腕に敬服している。


 目の前に立つ静香は、そんな父親を持つとは思えないほど、清楚な風情である。

「新藤一輝です」

 それきり、よろしくとも何とも付け加えずにいる一輝に、静香は軽く首を傾げた。絹糸のような黒髪が、サラサラと肩を滑っていく。

「お隣、よろしいでしょうか?」

 隣も何も、椅子が置かれているわけでもない、ただの壁だ。許可が必要なものでもあるまい。そうは思いつつも、一輝は頷きを返す。

「どうぞ、ご自由に」

 ニコリともしない彼に艶やかに笑みを向けると、静香は壁を背にし、一輝と同じ方向を向いて、真っ直ぐに立つ。


 そのまま、十分ほどが経過し。


「何か、ご用でしょうか?」

 ただ静かに佇んだままの彼女に、一輝はそう問い掛けた。静香は、声を掛けられたことが意外であったかのように心持ち目を開き、彼に視線を向ける。


「まあ」

 何が「まあ」なのか。

 お嬢様のテンポについていけない一輝に、彼女はフワリと微笑む。


「実は、父から、貴方を『オトシテこい』と言いつけられておりますの」

「……は?」

「何でも、貴方は、父が見込んだ『一番の出世株』とか。で、わたくしのお婿さんにしたいと申しておりまして」

 発言そのものが理解できなかっただけで、理由を訊いた「は?」ではなかったが、静香は律儀に説明してくれる。


「……間に合ってます」

 しばらく言葉を探した一輝の口から出たのは、その台詞だった。他に、なんと答えればよかったというのか。


 だが、静香は一輝の断りの返事に対して、艶やかな笑みを浮かべる。

「あら、わたくしもですわ」

「え?」

「一輝様は、わたくしの理想の殿方ではありませんの」

 フフ、と笑う静香の印象は、微妙に、当初の彼女からずれてきたような気がする。

 さっぱり掴めない静香の言動に、一輝は対処に困った。いったい、この少女は、自分にどんな答えを期待しているのだろうか。


 黙ったままの一輝を前に、静香はおっとりと続ける。

「寡黙なところは素敵ですわ。でも、わたくし、もっと目に力のある方でなければ。貴方のように覇気がない方は、ちょっと……」


 口元に手を添え、少し首を傾けて。


 言いたい放題だ。

 もう、好きなようにしてくれ、と相手をすることを放棄した一輝の前で、彼女はまたニッコリと微笑んだ。


「でも、取り敢えず父には、『貴方に挑戦している』ということにしておきたいのですわ。父はとっても面倒くさい人ですの。ですから、これから何度かお伺いさせていただくこともあるかと存じます。お願いいたしますわね?」

 一輝の顔を覗き込むようにして「ね?」と強調する静香の語調は、確認というよりは、完全に、押し付けだ。「断る」と言っても構わず押しかけてきそうな気がする。


 ウンともスンとも答えない一輝をよそに、静香は上品に手首の時計に目を落として「あら」と声をあげる。

「そろそろ、おいとましても構わない頃合ですわね。では、わたくし、失礼させていただきますわ。ごきげんよう」

 そう言うと、振袖を翻しつつ、着物とは思えない身軽さで去っていく。人混みをすり抜け、にこやかに人々に会釈をしながら。そのさり気無さは、生まれ持ったものなのだろうか。


 一輝も時計を見ると、パーティーが始まってから、丁度一時間が経ったところだった。あの奇妙なお嬢様のお陰で、残りの時間を潰すことができたらしい。


 彼は壁から身体を起こすと、会場の出口へと向かった。

 部屋から出る前に、もう一度、彼は中を見回す。


 ふと、思った。


 この中に弥生を立たせたら、どんなふうだろうか。

『この場にふさわしい』美しいドレスを着せ、輝くアクセサリーをつけさせた彼女を。


 ――少なくとも、軽やかな笑い声を上げる姿は、全く思い浮かばなかった。


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