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――いったい、彼は、何をしたいのだろう。
家中の花瓶を使っても活けきれない薔薇の大群を前にして、弥生はため息をこぼした。
『彼』とは当然、伊集院蓮司のことである。
何かと弥生に声をかけてくる彼の今日の行動は、花束贈呈だった。
花は確かに好きだけれども、黒に近い深紅の大輪の薔薇は、正直に言って、自分にはあまり似合っていないと弥生は思う。
――こういうのって、もっと、華やかな人向けだよね。
築三十年になる大石家に、艶やかな薔薇の花束。
何だか雀に孔雀の羽を挿して飾り立てようとしているみたいで、居心地の悪ささえ感じてしまう。
そう言えば、以前に一輝が贈ってきたピンクの薔薇はきれいだったな、と弥生はくすりと小さく笑った。
片手にちょうどしっくりくる程度の小ぶりの花束を差し出しながら、普通のものよりも丸い形と柔らかな淡いピンクが何となく彼女に似ているのだと、一輝は言っていた。
薔薇というには可愛らしいその花に、彼には自分がそんなふうに見えるのかと、くすぐったく感じたのを覚えている。一輝がくれる花束は、いつも『弥生のために選んだ』という気持ちがひしひしと伝わってくるのだ。
それに比べると、伊集院がくれたこの薔薇の大群は、確かにとてもきれいなのに、何故か心には響いてこない。
「ポプリにでもしちゃおっかな……」
始末に困って、そう呟いた時だった。
弥生の携帯電話が、鳴る。
表示を見ると、知らない番号だった。怪訝に思いながらも出てみると、爽やかかつ華やかな声が耳に響く。
「やあ、弥生ちゃん。薔薇は届いた?」
「伊集院さん……」
予想外の人物に、名前を呼んだきり、後を続けられない。
彼には、番号を教えてはいないのに。
「この番号、どこで――?」
思わず訊いてしまった弥生に、伊集院は悪びれる様子もなく答える。
「ああ、お友達に訊いたら教えてくれたんだ」
「『お友達』……?」
美香ではない。彼女だったら、弥生に黙って教えてしまうということはない。となると、ゼミの誰かだろうか。
弥生の不快な気持ちは電話を通して彼に伝えることはできなかったようだ。
「で、薔薇は届いた? 綺麗でしょう?」
屈託なく訊いてくる伊集院に、困ったなぁ、と思いつつ、薔薇は確かにきれいなので、弥生は口ごもりつつも答える。
「ええ、はい……」
「じゃあさ、今晩、ディナーをどう? 夜景が綺麗なホテルがあるんだよ」
「あ……いえ……」
断られるとは微塵も思っていなさそうな口調の伊集院である。いつものように断ろうとして、弥生はハタと思い当たった。
――もしかして、いつも断るから、ムキになってるのかな。
見るからにモテそうな伊集院は、誘いを断られるという経験が滅多にないに違いない。だから、弥生が誘いを受けるまで引っ込みがつかないのだ。
そう考えると辻褄が合う気がする。
合点がいった弥生は、それならば、と頷いた。
「判りました」
電話の向こうは、一瞬の沈黙。弥生はほぼ毎日繰り返されてきた彼からの誘いをことごとく断ってきたから、誘いながらも承諾されると思っていなかったのだろう。
「本当に?」
半信半疑というのがありありと伝わってくる声で、伊集院は訊き返してきた。
「はい。何時頃ですか?」
「そうだな、六時はどう? 迎えに行くよ」
「あ、いえ、場所を教えていただければ、行けますから」
また、少しの間。
「……そう? じゃあ、『帝王ホテル』に来てくれる?」
「『帝王ホテル』、ですか……」
「嫌かな?」
あのホテルには、イヤな思い出と良い思い出の両方がある。弥生は少し迷って、返事をした。
「いえ……六時に帝王ホテルに行きます」
「待ってるよ」
「はい」
電話を切って、弥生は時計を見る。時間はまだまだあった。
―― 一輝君に言っておいたほうがいいかな。
そんな考えが頭の中をチラリとよぎったけれど、やはり、こんなことで彼を煩わせるのも気が引ける。どうせ今回だけのことなのだし、と自分を納得させた。次に会った時に言えばいい。
弥生は小さくため息をついて、夕飯時に家を留守にする準備に取り掛かった。