14
百合が行方をくらましてから、すでに一ヶ月。
一智は執事からその連絡を受けるとすぐに、瑞江の元に向かった。
キッチンにいた彼女は、一智が戸口に足を踏み入れると同時に、手にしていたものをパッと背後に隠した。その行動が、手紙が誰からのものであるかを雄弁に語っている。
まるで信用のおけない人物に対するようなその態度に、一智は奥歯を軋らせた。
この一ヶ月というもの、まるで存在したことが夢だったかのように消え失せてしまった百合の身を案じて、一智は夜も眠れないありさまだったのだ。瑞江はそんな彼を日々見ている。
――にも拘らず、彼女からの報せを隠そうとするとは。
長年、母親のように世話を焼いてくれた女性に、裏切られたような気がする。
「お前宛に手紙が届いたそうだな」
唸るような低い声で言いながら、彼は百合の母に詰め寄る。
「見せろ」
そうするのが当然だと言わんばかりの態度の一智に、それまでおどおどしていた瑞江は突然キッと顔を上げた。
「ご覧になって、どうなさるおつもりですか?」
「百合を迎えに行くに決まってるじゃないか!」
苛立ちを隠さない一智の声にも怯まず、瑞江は唇を引き結ぶ。これまで彼に甘い顔しか見せなかった彼女の態度に、一智は眉間のしわを深くした。
百合が、瑞江にどこまで話していったのかは彼には知る術がない。彼女のことだから、多分、何も話してはいないのだろう。だが、一智と何かがあってここを出ることに決めたのだろうということは、母親の勘からか、瑞江は薄々感じ取っているようだった。
――だが、俺が追い出したわけじゃない。
一智は、腹立たしさを懸命に抑えようとした。
彼が追い出したどころか、彼の方が百合に捨てられたようなものなのだ。
目が覚めたら、彼女に傍にいてくれと言うつもりだった。
なのに妙にベッドは寒々としていて、自分独りでいることに気付いた時にはとてつもない喪失感に襲われた。
更に、百合が彼のベッドどころか屋敷の中にもいないと知らされた時には、まるで足元がガラガラと崩れ落ちていくような衝撃に打ちのめされたのだ。
安否も不明なまま一ヶ月も待たされて、こうやって報せが届いた今は、怒りと安堵とどちらの方がより大きいのか、彼自身にも判らない。
激しい感情に目をぎらつかせている一智に、瑞江が強い口調で問いかける。
「何のために?」
「何のため? 勿論、あいつが必要だからだ」
彼にとっては自明の理なのに、瑞江は更に問いかけてくる。
「あなたは、何のために百合が必要なんですか?」
「そんなの――」
百合は自分の傍にいるべきなのだ。
そうでなければならないのだ。
――理由など必要ない。
答えようとして、一智は言葉に詰まる。
そう、理由がなかった。
彼自身の中でも、何故、百合に傍にいて欲しいのか、彼女に対して抱いている想いが何なのか、その答えがまだ見つかっていないのだ。
氷水に浸けられたかのように一瞬にして固まった彼を、瑞江が呆れたように見つめる。
「連れ戻すための言葉も知らないのに、どうやって説得するおつもりですか? 戻ってきて、俺の世話をしろ、と?」
「違う。そうじゃない」
「では、なんて?」
問い詰められて、自分の中にある想いを一智は何とか言葉にしようとするけれど、うまくいかない。しかし、瑞江を頷かせるためには、何かを言わなければならなかった。
「……傍に、いて欲しいんだ。俺の傍に、ずっと。ただ、いてくれるだけでいい」
全然足りない、けれど精一杯の一智の台詞に、瑞江はしばらく彼をジッと見つめていたが、やがて小さく溜息をつく。
そうして、渋々ながら、という風情で背後に回していた手紙を差し出した。
「あの子は聡い子だから、あなたの言葉足らずのところも察してくれるでしょう。でも、失敗したら、きっと永遠にあの子を失いますよ? あなただけでなく、私もね。今度逃げたら、きっと二度と連絡してきてくれないでしょう。あの子は父親に似て、『こう』と決めたら引きませんから。……私も、それ相応の覚悟であなたにこの手紙をお渡しするんですからね?」
百合に最も近い存在からの真に迫った脅しに、手紙を受け取りかけていた一智の手が止まる。だが、一度大きく息を吸い込むと、彼はそれを取った。
「何がなんでも、百合を取り戻す。失ってたまるか」
自分に言い聞かせるようにそう呟いて、封筒に目を落とす。そこにはここの住所と瑞江の名前しかない。そして消印は――京都の都市だ。
取り敢えず、日本全国どこにいるかさっぱりわからなかった状態から、一つの都市、あるいはその周辺まで絞れる。全国に送った調査員を全て京都に向ければ、じきに見つかる筈だ。
「待ってろよ……百合」
どこの空の下にいるとも判らない彼女に向けて、一智は呟いた。