11
随分と肌寒くなり、日の入りも早くなった今日この頃。
休日である日曜日、暗くなっても姿を見せない百合を探して、一智はキッチンを覗き込んだ。しかし、そこにいるのは瑞江だけである。
元々、日曜は好きなように過ごしていい事になっているため、屋敷にいなければならないわけではない。だが、そうはいっても、大抵百合は屋敷にいて、結局一智の世話を焼いていることが殆どなのだ。
それが、今日は昼過ぎから一向に姿を見せなくなった。
「瑞江、百合はどうしたんだ?」
問われて、彼女は口ごもる。
「あら、聞かれてませんか?」
「何を?」
「……」
どこか気まずそうにする瑞江に、一智は答えを迫る。
「どこに行っているんだ、あいつは?」
「あの、まあ……簡単なお見合いといいましょうか……」
「見合い!?」
「ええ……あら……てっきりお話ししているものだとばかり……」
「聞いてないぞ!」
声を荒らげた一智に彼女が驚いた目を向けていたが、それに取り合う余裕はなかった。
「どこでやっているんだ!?」
詰問する一智に、瑞江が慎重な眼差しを向ける。
「それを聞かれて、どうなさるんです?」
「もちろん、連れ帰る!」
険しい眼差しでそう息巻くと、不意に彼女が顎を上げた。
「……あの子は、普通に結婚して、幸せな家庭を築くのが夢なんです。それを邪魔するわけにはいきません」
『邪魔』という単語を出されて、一智は言葉に詰まった。そこに、瑞江はさらに続ける。
「元々このお仕事は、本当なら専門学校に行く予定だったところを止めさせて、頼んだことだったんです。専門学校に行って、他のお仕事に就いていれば、今頃いいご縁に恵まれていたかもしれません。そうしたら、あの子の夢は叶っていたんです。あの子は良く勤めてくれましたし、何よりも私はあの子の母親ですから……。今回、あの子から相談されて、本来の道に戻してあげるのが一番だと思ったんです」
いけませんか? と、普段の柔和な瑞江が見せたことのない強い眼差しで問われ、一智は抗する言葉を失う。
ふと彼は、瑞江は彼と百合との間にあったことに気付いているのだろうかと思った。
二人の間にあったこと――たった二回の、キスのことを。
一回目は、単なるからかいだと思われた。
二回目は、なかったことにされた。
一智にとってはどちらも深く心に残っていることなのに、百合にとっては簡単に消し去ってしまえることなのだ。その証拠に、彼女の態度はキスをする前と全く変わらないものになっている。
いや、キスをしたことで二人の距離が縮まったどころか、むしろ以前より彼女の素振りはよそよそしくなったくらいだ。
――普通、これ見よがしに恋人面したりしないのか?
少なくとも、これまで付き合ってきた女たちは、そうだったのに。皆、『恋人』として振る舞える期間は短いことは最初から理解していたが、キスをすれば彼が終わりだと明言するまでは『それなりの仲』だと認識していた。
それなのに、百合は素っ気ない。
その挙句。
――見合い、だと?
グッと拳を握りしめた一智を、瑞江が何かを見通そうとしているかのように微かに目を細めて見つめている。
半ばそれから逃げ出すようにして、彼はフラフラとキッチンを後にする。
自室へ戻った一智は、力なくベッドへとヘタりこんだ。
――百合が、結婚する?
それは、彼女が他の誰かのものになり、彼女の一番がその男になるということか?
今のように、呼べばすぐに姿を現すということはなくなり――最悪、ここを辞めてしまうかもしれないのだ。いや、彼女のことだから、辞めるだろう。きっと、自分にしてきたように、夫となる男に尽くすに決まってる。
そう考え、一智は思わず跳ぶようにして立ち上がった。そして、ウロウロと落ち着きなく室内を歩き回る。
そんな事態は、耐え難い。今でさえおかしくなりそうなのだ。
檻の中の熊のように行ったり来たりを繰り返しながら、一智は考える。
――どうしたら、百合を思い留まらせることができるんだ?
だが、どんなに考えても、答えは全く見つからなかった。