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大事なあなた  作者: トウリン
ライオンのしつけ方
37/83

6

 最近、百合ゆりは妙に視線を感じる。

 視線の主が誰なのかはよく判っているのだが、その意図が解らない。


 つくづく彼女の主人は理解不能な人間で、この間は突拍子もないものをプレゼントされそうになった。

 見るからに高価そうなネックレスは、誕生日ごときで使用人に気軽にやるようなものではないだろう。

 新藤家の財力からすれば、ほんの端金で買えてしまうのだろうけれど……。

 首を振りつつ百合はシャッと手を滑らせて、ベッドの上に敷いた真っ白なシーツを伸ばす。


 今は午前十時。しかも日曜日。


 この時間にこの作業をできるだなんて、一年前には夢のまた夢だった。


 ――まあ、まだまだ常識は乏しい人だけど、早寝早起きをして、きちんと毎朝出社するようになったのは褒めてあげてもいいわよね。


 百合としても、何か一つやり遂げた気がする。


 ベッドのシーツを換えて、カーペットには掃除機をかけて。

 爽やかな空気に満たされた一智かずともの寝室を一望して、百合は満足の笑みを浮かべる。

 もうワンポイント、一智の部屋に飾る花を切るために庭をうろついていると、水谷と行き合った。

「こんにちは。こんなところで、どうされたんですか?」

 土日は彼も休日のはずだけれども、水谷はほぼ毎日顔を出す。秘かに百合は、主人が何かしょうもないことをしていないか、見張るためではないかと思っていた。


 そんな彼女の深読みなど全く知らないだろう水谷が、軽く会釈をして近寄ってくる。

「失礼します。お邪魔してもよろしいでしょうか」

「構いません。急ぐことではないですから」

 何の用かと思っていると、彼は突然頭を下げた。

「水谷さん?」

「百合さんには、感謝してます。一智さまのことで」

「え……? ああ」

 彼が言わんとしていることに思い当たった百合は、思わず顔をほころばせる。

「それって、水谷さんがありがたがることですか?」

「ええ、もう。やはり、きちんと出社していなければ、下への示しがつきません」

 確かに、いくらお飾り専務でも、会議の時にしか顔を出さないのはあんまりだ。そんなところでも役に立っていたのかと、百合は嬉しくなった。ついつい口元が緩んでしまう彼女を見下ろしながら、水谷は続ける。


「一智様は、優秀な方なんです。本当は。きっと、新藤商事をこれまで以上に成長させるでしょう。でも、それにはやる気を出してくださらなくては……」

「でも、仕事って、やる気を出すも何も……やらなければならないことでしょう?」

 特に一智の立場では、まさに『やらねばならない』筈だ。そんなふうに甘えたことを言っているようでは、将来の新藤商事が、ひいてはその従業員たちのことが心配だ。

 ムッと眉間に皺を寄せた百合に、水谷が苦笑する。

「そうなんですけれどもね、三年前に一智様が専務に就任された時、世襲で、その年で、となると、やはり風当たりが強かったんです。……少し違うな、風すらなかった、というべきでしょうか」

 そう言った水谷が、肩を竦める。生真面目な彼らしくない所作に、百合は首を傾げた。


「?」

「相手にされなかったんですよ。ボンボンの若造が何を言う、とね」

「ああ……」

「それでも、初めはもっとやる気を見せていたんですよ。でも、何を言っても流されてばかりなので……」

「拗ねちゃった?」

「そう」

 二人は思わず顔を見合わせて笑ってしまう。

 共通の上司をネタに笑うなんていけないことかもしれないが、『拗ねた』という表現があまりにピッタリ来すぎた。百合には、その時の彼を簡単に思い浮かべることができる。


 頬杖を突いて、そっぽを向いて、唇を曲げている、一智。

 なんだか、可愛らしい。


 ひとしきり笑った後、水谷が口元に笑みを残したまま、言う。

「でも、一番助かっているのは、女性たちへのプレゼントを買いに行かされなくなったことかもしれませんね。寄り道もなくなりましたし。以前は毎日のようにプレゼントやらホテルやらを手配させられていましたけれど、きちんと出社するようになってからは、帰りも早くて……。正直言って、一智様の傍に三日以上女性の姿がないのは、数年ぶりです」

 心底から、水谷は感心しているようだ。

 ちょっとそれはどうよと思った百合だが、ふとあることを思い出す。


「ああ、じゃあ、あのネックレスも水谷さんが?」

「え?」

「この間、一智様が私の誕生日プレゼントにって」

「あ、いや、あれは――」

 言いかけて、水谷が顔をハッと百合の背後に向ける。

 なんだろう、と釣られて振り返ろうとした彼女の腕がグイと引かれて、思わずバランスを崩した。ひっくり返りそうになって身構えた背中が壁に当たる。こんなところにそんなものがあったかしらと肩越しに後ろを見ると、彼女を見下ろしている一智の目と出合った。


 むっつりとした彼は、やけに不機嫌そうに見える。


 ――笑っていたのが、ばれちゃった……?


 本人がいないところで話題に出したことを申し訳なく思って百合が神妙な顔つきになると、一智の眉間の皺はより一層深くなった。

 怒っているのは一目瞭然だけれども、何をそんなに怒っているのかが判らない。

 仮に、話の内容を全て聞かれていたとしても、あれでこんなふうに腹を立てるような一智ではない。それこそ、拗ねることはあっても、怒ることはないだろう。


「一智様?」

 恐る恐る名前を呼ぶ。と、不意に、彼は百合の腕をひっぱって早足で歩き出した。


「一智様!」

 水谷が呼びかける声が追いかけてきたが、一智の足は止まらなかった。


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