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シャッと勢いよくカーテンが開け放たれる。
それと共に、薄暗かった寝室に早朝の光が溢れかえった。ついでとばかりに窓が開けられてしまうと、十月半ばの涼しい空気が流れ込んでくる。
「さ、一智様! 朝です。記念すべき早寝早起き一週間目ですよ!」
時刻は朝の六時三十分。
軽やかな百合の声が室内に響くが、応じるのは意味を成さない呻き声だ。
「ほらぁ。起きてください。今日もよく晴れて気持ちがいいですから」
「……あと五分……」
「ダメです」
容赦なくそう言うと、彼女は一気に羽毛布団を引き剥がした。布団の温かさに慣れた身体には、外の空気は肌寒く感じる――今日はパジャマを身に着けていたぶんだけ、マシかもしれないが。
仕方なく起き上がり、一智は欠伸を噛み殺した。
「どうです? 爽やかこの上ないでしょう?」
爽やかこの上ないのは百合だ。
「うう……」
「それは肯定ですね」
一智の唸り声の意味を勝手に解釈し、百合はいそいそと朝の支度の準備を整えている。
その背中を見やりながら、一智はとどめの欠伸をかまして大きく伸びをした。
百合にはだらけて見せてはいるが、実際のところ、それほど眠気は強くない。毎朝決まった時間に起きるようにしたら、身体もそれについてくるらしく、以前のように『どうしても起きられない』という状態はなくなった。
それにしても、この一週間の、なんと健全だったことか。
朝がこの時間に叩き起こされるので、必然的に、夜は眠くなる。以前は午前様が普通だったのに、ここ数日は早々に帰宅し、夕食も自宅で摂るようになった。
「はい、お着替えです」
本日も無事に目覚めさせられて、上機嫌な百合が衣類一式を差し出す。
一智はいつもどおりにそれを受け取ろうとして、ハタと思い出した。
身体を捻ってナイトテーブルの引き出しを漁ると、小さな包みを取り出す。それを、ポン、と着替えの上に置いた。中身は、一週間かけて一智自身が選んだネックレスである。小さなダイアモンド数個が付いたシンプルなデザインで、百合に似合うに違いないと思ったのだ。
「……何ですか?」
マジマジとそれを見つめて、百合が尋ねる。
「何って――」
一智からすれば、何故プレゼントだと思わないのかが解らない。
「誕生日プレゼント。九月だったんだろ? 二十歳になったんだよな」
「ええ、そうですが……」
「いいから、開けてみろよ」
百合の喜ぶ顔が見たくて、一智は急かす。
彼女は着替えと共に一度それをベッドに置くと、再び取り上げ、丁寧に包装紙を剥がしていく。
細長いケースを開け、数秒間、ジッと彼女は中身を見つめた。次に一智に向けられたのは、いかにも呆れたような眼差しだ。
「いただけません」
「――なんで」
一智にしてみたら拒まれた理由がさっぱり不明なのだが、そう尋ねた彼に、百合はそれこそ「何でそんなことを訊かれるのかが解からない」と言わんばかりの顔をしている。
「当たり前じゃないですか。私は使用人ですよ? 雇い主からこんな高価そうなものなんて、いただけるわけがないじゃないですか。庶民の金銭感覚から、大きくズレてます。こういうのは、大事に想われている方に差し上げてください」
そう言いながら服ごと差し出されて、一智は思わず受け取ってしまう。
「じゃあ、七時には朝食にしますから、それまでに食堂にいらしてくださいね」
呆気に取られている彼を置き去りに、てきぱきとそう言うと、百合はさっさと出て行ってしまった。
一智は、ケースを開けてネックレスを見る。センスは悪くない筈だ。が、そういうことではないらしい。
――では、どういうことなのだろう。
さっぱり理解できなかったが、百合が喜ばなかったということだけは、解った。
プレゼントを渡されたことよりも、一智が一週間続けて早起きしたことの方が遥かに嬉しそうに見えたというのは、いったいどういうことなのか。
「なんなんだよ、いったい」
呆然としながら、一智は取り敢えずそれをナイトテーブルに戻して、着替え始めた。
*
出社途中の――早起きするようになって、毎朝社の執務室には行くようになった――車の中で、一智は朝の顛末を水谷に話して聞かせた。
そして、意見を求める。
「どう思う? 何で、百合のやつはアレを受け取らなかったんだ?」
この上ない難題の答えを訊くように眉根を寄せた一智に、水谷は無言で視線を向ける。
「やっぱり、お前にも解らないか……」
肩を落とした一智を見る目は、冷たい。たっぷり十秒間は主を見つめた後、彼は言った。
「ええ、全く解りません。それを百合さんに受け取ってもらえると、あなたが考えたことが」
「はあ?」
真の抜けた顔になった一智に、水谷はかぶりを振りつつため息をつく。
「珍しくご自分で贈り物を探されているかと思えば……彼女に差し上げるものでしたか」
「でも、『普通』は受け取るだろう?」
「……あなたの『普通』も彼女の『普通』も少しずつズレてますから。しかも、それがどちらも正反対の方向に。なので、重なる筈がありません」
これまでの女たちは、同じような物をやると十人中十人が大喜びで抱き付いてきたものだ。一智も、百合にそこまでの反応は期待していなかったが、受け取って、ニッコリ笑って「ありがとう」の一言くらいはあると、信じていた。
「どうすりゃ、喜ぶんだ?」
「普段の彼女をよく観察していたら、判るのではないですか?」
私が知るわけないじゃないですか、と言わんばかりの冷ややかな水谷の眼差しと声音である。
「……そうしてみるわ」
今すぐにでも答えが欲しかった一智には物足りない返事ではあったが、水谷に百合が望む物をピタリと当てられるのも、何となく、嬉しくないような気がした。