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「一智様! ほら、朝ですってば。まだギリギリ朝にしてあげます。あと五分で十一時になっちゃいますよ!」
百合は本日五度目に一智の寝室に入り、今度こそカーテンを全開にする。時期は残暑の残る九月。昼近くになれば、陽射しも強くなる。真っ暗だった室内に、眩しい光が一気に広がった。
これで目を覚まさないものはいない。百合の感覚では、その筈だった。
だが、部屋の主はもそもそとシーツを被ってしまう。
「頼む……昨日も遅かったんだよ……あと、五分……」
「ダメです! お仕事で遅かったならまだしも、遊びじゃないですか! それに、あと五分を聞いて、もう三時間です」
膝丈のメイド服、髪はきっちりとシニヨンにして黒縁メガネをかけた百合は、外見も中身もメイドの手本に相応しい。
すっぽりと一智が被っているシーツを両手で握ると、一気に剥ぎ取る。
と、同時に元に戻した。
「……一智様……お休みになる時には何かお召しになってくださいと、いつも言っているでしょう……」
地を這うような百合の声に、一智がまだ覚醒していない不明瞭な声でもごもごと答える。
「面倒臭かったんだよ……」
「みっともないです。もしも火事とかあったら、裸で逃げる羽目になるんですよ? お金持ちなんですから、強盗が入ることもあるかもしれないじゃないですか。裸で縛られたりしちゃうんですよ!?」
「解った、解った。次から気を付けるって」
流石にこれだけごちゃごちゃ言われれば目も覚めてくるというものだ。ようやく一智はムクリと身体を起こした。
今年の五月で二十七歳になった一智は、寝起きだというのに精悍な眼差しが際立っている。日本人離れした鼻筋はすっきりと高く、女性が放っておかないのも頷ける。無精ひげさえ、色気があった。
「たまにはさぁ、こう、ニッコリ笑って『おはようございます、一智様』とか、言えないわけ?」
寝癖のついた頭を掻きながらそうぼやく一智に、微妙に視線をずらして、百合は着替えを渡しながら返す。
「一智様が毎朝六時に、私が声をかけなくても起きて下さったら、喜んでそうさせていただきます」
「そりゃ、無理だ」
はは、と笑いながらケロリと言う一智に、再び百合は眉を吊り上げる。
「普通の二十七歳は、そうされているんです! いい年した男が人に起こされなきゃ起きないなんて! しかもこんな時間に!」
「解った、解った。ほら、着替えるぞ」
手を振りながら苦笑すると、一智が今にもベッドから下りそうな仕草をする。更に叱り飛ばそうとしていた百合はクルリと向きを変えて、ドアに向かった。そして、振り返らずに、取り敢えず言わなければいけないことだけ伝えた。
「いいですか? 今日は十五時から役員会がありますからね。忘れないでくださいね。水谷さんも、もう二時間前から待っているんですから」
「はいはい」
「『はい』は一つです!」
まるで小学校の先生のような注意を残して部屋を出て行く百合の背中を、一智の笑い声が追いかけた。