小説を書くことは
小説を書くことは、難しいことじゃない。ただ、キーボードに身を任せ、頭の中を空っぽにするだけ。何か書きたい気持ちがあれば書ける。Wordを開いた時点では何も考えていない。「これについて書きたい」とか、「あれについて伝えたい」とか何もない。ただ、なんとなく、小説でも書くか、という按配で書き始める。タイトルは、好きな曲名から適当に持ってくる。そして何となく一行目を書いて、続く感じで二行目を書いて、三行目まで辿り着けば、後は繋がって言葉が出てくる。それで、そろそろWordの一頁目が終わりそうだ、というところで着地点を決めて、大体で着地する。これが自分のスタイルで、飽きっぽい性に合っていた。推敲とかも極力避けた。新鮮さが削がれるからだ。いや、文章の新鮮さとかは良く分からんのだけれど、勢いで出てきた言葉というのは、やはり何か違う気がする。流れの中で、その瞬間にしか出せないものになっている。後から見直して、しっくりくる表現に置き換えると、いつも同じような感じに落ち着いてしまう。ボキャブラリーの貧困な者にとっては、これは結構重大だ。だから逆に、普段使わないような、違和感を感じるくらいの言葉が出てくると嬉しい。そこは絶対直さないぞ、という気になる。落ちついて考えると、それが文章の新鮮さにどう繋がるのかはハテナですけど。推敲し始めると面倒臭いというのももちろんある。書き始めのテンションが続かないし。
何も考えずに一行目を書き始めて、なんとか最後まで到着したときに、書き始める前には想像もしていなかったものになると、本当に嬉しい。まだまだ、自分には良く分かっていない部分が存在していたことの発見になる。自分というものは良く分からんもんで、良く分からんことを考えているらしいんだけど、どんな良く分からんことを考えているのかも良く分からんのです。当たり前のことだけど、これが忘れてしまいがちなんです。普段から何でも分かってるような気になってんです。
ただ、この方法で小説を書いても、楽しいのは自分だけということにも気付いた。先々月に、「超名曲」という短編を書いた。この出来が結構良くて、自分では最高傑作だな、と思っていたのにアクセスとか全然無かった。これは痛い、このままじゃ小説家になれない。書いた人が楽しくて、読んだ人も楽しいっていうのが理想なので、そこへ向かう努力をこれからは考えます。もう、斜めに構えたりしません。ぶっちゃけ、今まで書いてきたやつは(これも含め)小説じゃないし。そろそろ小説を書くための作法を身に着けんとね。もう、本気で小説家にならないと、限界なんです。今の仕事も三年目で飽き飽きしてるんです。三年目研修がめんどくさいんです。この人生の袋小路から抜け出すには、小説で一発当てるしかないんす。
これからは明確な目的を持って小説を書くぞ!最初の一文字から最後の一文字まで計算しつくしたものを書いてやるぞ!小説家を目指している人々の一番最底辺に存在しているという自覚を持って、やっていくぞ!
これからは変なプライドは持たないようにします。己は高尚なことを考えている、とか、己はセンスがずば抜けている、とか、小説を書くときには邪魔になるんじゃなかろうか。「超名曲」がコケた原因はそこにあるはず。己という存在を、極力排除したところから、新たな小説家人生を始めてみよう。小説を書き始めて早三年、そろそろ次のステージに昇りたいものです。変な固定観念を排除して、そこから何か新しいことができたらいいな。
ちなみにこの文章は、一体どんなジャンルに分類されるのか。小説ではない。最後どんでん返しがある訳でもなく。日記みたいなもんか。アンネの日記と同ジャンルとかまいったね。怒られるね。とりあえず、この次に書く小説ではコケたくない。それだけっす。そろそろWordの一頁目が終わるので、この小説もこのへんでおしまい。まる。