[褪せた大河の世界]編
[幸せの記憶・6]
「俺、立派な兵士になるよ。…じゃあな」
決意の強さは別れの言葉に。
不安の発露はグレンの目に…見えた気がした。
村総出で見送られて、グレンは一路、お城へと歩いていった。
その道のりは、お城のおじさんが乗る馬車を使っても、三日はかかる、って…大人たちは言っていた。
「また…会えるよね?」
「当然よ。…だって、あのグレンだもん」
ティナの問い、ルッツァの励まし。
僕も信じた。
また、一緒に遊べる日が来る、って…。
[評議世界・7 side.A]
夢見る旅人が、決して辿り着けぬ地…。
カルボモンドで出来た神経が、無限の演算要求を送り続ける。
女神を象った有機の像が、無限の演算結果を弾き出し続ける。
そこは異質な空間だった。
無より零れ落ちし闇の使徒たち。
彼らに言わせれば、そこは“いと尊き場所”である。
ふと、闇が蠢いた。
「さあ、始めよう」
紡がれた言葉。
宣言は、一度。
呼応は、無限。
そして世界は、震え出す…。
「澱み行く流れ…澱み逝く命…
円環の理…停滞の結…」
[褪せた大河の世界・1]
流されていた。
これまでも、そして、今も。
薄土色の河…その中を漂って。
青い光に覆われて、ずるずると。死ぬことも許されず、ただ、ずっと。
呼吸なくても、生きられる、旅人は。
「…」
流されていた。
これまでも、そして…これからも?
僕は…求めていただろうか。あの丘を…。
「…」
赤い空も、不老も、砂漠も。
戦火も、魔法も、悪魔も。
結局、教えてくれやしなかった。
この、終わり無い旅路を終わらせる、そんな都合の良い方法を。
「…“神様”」
もし、そんな“もの”がいるならば。
「…これが“最後”だ」
見えざるその手をはたき落として。
「僕は帰る」
帰ってやるんだ。
「あの丘へ」
[褪せた大河の世界・2]
「まぁ、怖い目つきですこと」
魚は言った。
魚に人間の目つきが分かるものなのだろうか。
「スマイルしましょう! スマイル! “魚生”に大事なのは笑顔ですわよ!」
僕の手の平ほどの大きさしかない体で、よくも器用に口が動くと思う。
ニィっ、と、そんな丸い口は半月に。
「さっ、ほらっ! あなたも! スマイル!」
「この河はどこまで続いてるの?」
無視した。
「そうねぇ…“始まりと終わりの地”かしら」
無視されたことは気にしないらしい。
「何が始まって、何が終わるの?」
「何が、って…そりゃ命よ、命」
はいはい、またお約束の儀式ですか。
「むざむざ死にに行くつもり?」
「あたくしは死にに行くわ。だけど、我が子はそこから生まれるの」
魚はヒレを動かし、お腹を指差す。
たっぷりとふくれたお腹の中に、卵が詰まっているようだ。
「何が原因で死ぬの?」
「食べられるのよ。大魚様に」
「逃げないの?」
「逃げられないのよ」
「どうして」
「円環の理に導かれて」
矢継ぎ早に疑問を投げかける。
答えは矢継ぎ早に返ってくる。
世界の本質を探し出していく。
ここから始める、復讐の第一歩。
[褪せた大河の世界・3]
ドーナツ型の河の、ある一点…そこが“始まりと終わりの地”。
そこには大魚様がいて、魚たちをみんな食べてしまう。
食べられた魚は、溶かされてみんな死ぬけど、卵だけは溶けず、大魚様から排出される。
そして卵は流れ流され…いずれは孵化して、魚が生まれる。
生まれた魚たちは河を進んでいく。
大魚様へ向かって…。
「お役に立てましたでしょうか?」
「うん、ありがとう」
質問をしていたら、段々と他の魚たちが集まってきて、この人…いや、魚が誰なのか分からないけど。
ともかく、最後に答えてくれたこの魚含む、彼らから聞いた情報は、そんな感じで。
「最後に一つ、訊いても?」
「ええ、もちろん」
「そのことを、どうやって知ったの?」
陸に上がれない魚が、河がドーナツ型だってわかるだろうか。
孵化したときには大魚様なんていないだろうに、どうして存在が分かるだろうか。
「…」
魚の顔つきなんてわからないけど。
そういえば何故だろう、そんなことを言いたそうにも見えた。
「…きっと、生まれたときから知っていましたよ。我々みんな」
きっと、そうなんだろう。
…うん、これは確信に近い。
この世界も、どの世界も…“わざとらしい”。
世界の有り様を定められ、誰もがその有り様通り、生きている。
どうしようもない、作り物臭さ…。
[褪せた大河の世界・4]
…“神様”
もし、そんな“もの”がいるならば。
「どうしてこんなことを?」
「え? どうかしましたか?」
「ごめん、独り言」
どうして、こんな世界を作ったんだろう。
僕を送り込んで、どうしようというんだろう。
初日の夜、河の底まで届いた陽光は、今はない。
光るものは僕の青だけ。
この世界へ来てから、一度も水面に上がってないけれど、分かっていたけれど、死ぬことはない。
僕に宿ったこの力…宿らせたのは“神様”なんだろう。
旅人に死んでもらっちゃ困るわけだ。
でも、これは…刃にもなる。
世界を変える力がある。
つまり…世界を変えられても良い、って、“神様”は思ってる。
いや、ひょっとすれば…。
「“変えて欲しい”…?」
右手に向かって訪ねた。
答えが返ってきても驚かないけど、右手は沈黙したきりだ。
河は流れる、いつまでも。
夜は明けて、朝日が昇り、やがて陽は天頂に…。
滞在期間の折り返し地点。
…僕の為すべきことは…。
[褪せた大河の世界・5]
「…“神様”」
世界を変えることが、ヤツの望みとするならば。
僕は世界を“変えない”。
でも、その世界の住人に情が移れば、救いたく、変えたく、なってしまう。
だから、情が移っちゃいけない。
その為には、関わりを持ってはいけない。
でも、僕が目覚める場所は、いつも誰かが側にいる。
まるで誰かが仕向けたかのように。
だから、立ち去ろう、真っ先に。
誰とも関わらないように。
…僕の為すべきことは…。
僕を旅人にしたヤツの思惑を粉砕すること。
すなわち“神様”の意志に反逆すること。
旅人の責務を放棄すること。
つまり僕を“諦めさせる”こと。
…僕が求めるものは…。
あの世界の。
あの国の。
あの村の。
………。
…そうだ、僕が求めるものは…。
あの丘に、帰ること。
お母さんの、グレンの、ティナの、ルッツァの…みんなの顔が思い浮かぶ。
あの日常に、僕は帰るんだ。帰させてやるんだ。
帰ってやるんだ。
[褪せた大河の世界・6]
最終日、最終時刻。
大魚様の大口が、遠くに見えた。
河の横幅と同じだけ、それほどの大きさの口が、魚たちを食わんと開かれて。
「ああ…“始まりと終わりの地”が、すぐそこまで…!」
魚たちがざわめき立つ。
「さようなら、“魚生”。さようなら、みんな」
魚たちが…別れを惜しむ。
「悔しくなんて無いわ。我が子はこれから生まれるんだもの」
魚たちが…強がる。
魚に人間の顔つきは分かるものなんだろう。
人間に魚の顔つきは分かったんだから。
泣きながら笑ってる…そんな風に見えた。
…ああ、くそ、ずるい。
嬉々として死にに行くなら、情は移らなかったのに。
こんな時に限ってこれなんだ。
ゆらゆらと揺れる太陽が、天頂に見える。
そこを目指して、…ここへ来て初めて、…泳いだ。
ざばっ
視界に広がる、全方向のジャングルと、河の行く手を阻む大魚様と、…あれは…?
陸に上がった。そうして見えた。
「…海だ」
これで、やることは決まった。
右手を、前へ。
そして、振り下ろす。
…音とは言えない衝撃と共に、河は海と繋がった。
「これで最後だ」
天に向かって言い放った。
「流されるのは、これで最後だ!」
青く輝く川を、魚の群れが泳いでいった。
[評議世界・7 side.B]
「評議を始めよう」
虚無に声が響いた。
有り得ない?
いいや、有り得ない。
ここは評議世界。
あらゆる下位概念は、評議の前に無力だ。
「対象世界は」
夢見る旅人が歩んだ軌跡。
「褪せた大河の世界」
母なる流れに流さるる、命の輪廻に属すものたち。
円環の理に導かれ、停滞の結は不動なり。
されど旅は廻らない。輪廻を標榜せしものもまた。
大河の外の大海に、青き未来を見いだして。
諦念振り切り流るる世界に、存在意義は…。
「維持」
そして、その通りになった。