[波立つ塔の世界]編
[幸せの記憶・5]
「俺、兵士になろうと思うんだ」
ある日、ぽつりと語られた、グレンの決意。
お城のおじさんが話してくれた、お城の話…。
そこで活躍した、勇敢な兵士のような人物に、あのグレンが、なるんだ。
「おとぎ話になるくらい有名になってさ、そんで、いつか王様になるんだ!」
夢のような、その言葉を、心の中で、繰り返して…。
大人たちは笑うけれど、僕たちは信じた。
「なれるよ、グレンなら、きっと!」
けれど、応援する気持ちと一緒に、僕たちの心には、寂しさもあった。
兵士になると言うことは…グレンはお城へ行ってしまう。
四人の繋がりの終わりは、早ければ、あと数年…。
その日から、夜が短くなった…気がした。
[評議世界・6 side.A]
夢見る旅人が、決して辿り着けぬ地…。
カルボモンドで出来た神経が、無限の演算要求を送り続ける。
女神を象った有機の像が、無限の演算結果を弾き出し続ける。
そこは異質な空間だった。
無より零れ落ちし闇の使徒たち。
彼らに言わせれば、そこは“いと尊き場所”である。
ふと、闇が蠢いた。
「さあ、始めよう」
紡がれた言葉。
宣言は、一度。
呼応は、無限。
そして世界は、震え出す…。
「破滅の世情…終焉の朝…
卑小の欠片…慇懃の夜…」
[波立つ塔の世界・1]
「…よし」
目を瞑り、大の字に寝たままの格好で、一言だけつぶやいた。
ぼやけた頭が覚醒したことの合図。そうすると決めてから、これで何度目の合図になるだろう。
何十もの世界を渡り歩いた。けれど、時間にすれば、きっと“あの時”から一年と経っていない。
なのに、気がつけば僕は、無精ヒゲが生える年頃になっていた。
…今更、時間の流れがおかしいことの、なにがおかしいんだ。
上体を起こし、眼を開き、ヒゲを指でこねくり回しながら、辺りの様子を見回してみる。
ヒゲって青の刃で剃れるのかなー…じゃなくて。
苔とツタに覆われた、コンクリートの部屋。
コンクリートは朽ち、部屋の半分が崩れていて、そこから外の光景が見える。
緑に覆われた高層の、これまた崩れた建物たちが波飛沫のように林立している様を、高みから眺められる位置。
…どうやら僕は、運良く倒壊しなかった建物の最上部にいるようだ。
…さすがに圧巻だ。
…さて。
「なにしようかな」
とりあえず、波打つ建物たちの向こうに見える、一際高い塔でも目指してみようか。
何をしても、何をしなくても、時間が来れば終わりだけど、だったら何かをしてみよう。
今はそう言う気分だ。
「よっと」
立ち上がった瞬間。
じゃりっ
後ろの物陰から…足音…?
誰かいる?
いや、あるいは…“何か”が?
三つくらい前の世界では、巨大な肉食獣の群れに襲われて大変だった。
死ぬわけじゃないけど、対応が面倒くさい。
右手の先に、青の刃を生み出す。
かかってくるなら…切る。
音がした物陰、そこから出てきたのは…
「…お前、人間なのか?」
少女だった。
[波立つ塔の世界・2]
ボロ切れのような…服…と言って良いかわからない布を纏った…半裸の少女。
すす汚れた浅黒い肌は、あちこち傷だらけだ。
見た目を見る限り、文明人とは思えない。
でも…
「お前は、人間か? 答えろ」
彼女は、喋っている。二度も。
「人間だよ。…たぶんね」
青の刃をひらつかせながら、そう返す。
「その青いのは?」
「なんて言ったらいいか…剣かな」
「剣って光るものなのか?」
「まぁ…僕のは、ね」
質問に答える度、彼女の険しかった顔つきは和らいでく。
とりあえず、お互いに敵意がないことはわかったかな、うん。
青の刃を出す意味はないや、消そう。
「そうか…ともかく、お前は本当に人間なんだな…あたし以外にも…」
やけにこだわるなぁ。
「死なない人間を、人間と呼ぶなら」
「…少なくとも、悪魔じゃない?」
「死ねない人間を、悪魔と呼ばないなら」
「そうか、じゃあ人間だな」
…ちょっと面食らう。
この力をまるで恐れないなんて。
似た経験はあるけど…あの“魔法の世界”とはまた別だ。
「なぁ、どこへ行くんだ?」
特に目的地は…いや、あの高い塔へ行くと決めたっけ。
なにがなんでも、ってわけじゃないけど。
「あの塔、かな」
「本当か!? 奇遇だな!」
と言うが早いか、廊下の方へ走っていって…
「遅いぞ! 付いてこーい!」
……賑やかな同行者が出来ちゃったな。
[波立つ塔の世界・3]
何十もの世界を渡り歩いた。
それは、赤い空と青い大地の世界であったり、黒煙の下で燃え続ける戦火の世界であったり、世界樹が生み出すマグマに溺れる世界であったりした。
人々は、僕の青い刃を、ただ恐れた。
そしてある者は非難し。
しかしある者は利用し。
けれどある者は崇めた。
世界にあるまじき存在、拒絶されてしかるべき存在、拒絶の聖なる青。
異質の僕と、拒絶の刃。
これらを受け入れられる世界は、どこにもない。
…きっと、彼女も、例外ではなく…。
僕が彼女に名乗ったとき、彼女は僕に名乗らなかった。
なぜなら、彼女は、名前を持たないから。
いや、より正確に言えば、名前を“忘れている”。
何年も、独りで生きてきたらしい。
名前を意識する機会なんて無かった…とか。
彼女もまた、僕と同じ、独り。
なら、もしかしたら…と、昔の自分なら思ったかも知れない。
でもこれは、“独り者同士、馬が合うかも”とか、そう言う問題じゃない。
彼女は人間、僕は旅人。
僕を受け入れられる人は、きっと、どこの世界にもいないんだから。
彼女の姿が遠くに見える。
振り返って、ついてこい、と手を振ってる。
…ちょっと試してみようか、と、昏い感情がわき上がってきた。
たとえ、自分を傷つけることになっても…。
[波立つ塔の世界・4]
一日目の夜は、間近に迫っていた。
目的地である一際高い塔…その名も『神の蓆』に…夕日が沈んでいく。
夕焼けが、波立つ塔たちを照らして、さながら…炎の海のように…。
「おい、セルク」
「ん?」
「行き止まりだ」
指差す先に、巨大な瓦礫の山が横たわっていた。
「この瓦礫はたぶん、“汚染”されて崩れたビルだ。触ると危ない」
「汚染?」
「そういう兵器があったって話なんだ。この色は…その兵器の特徴に似てる」
よく見れば、青紫のぶよぶよした液状のものが、瓦礫の隙間隙間からのぞいている。
「有機物・無機物問わずに喰らい続けるウイルスの塊だ。そいつらは、まだ生きてる」
…知らない単語が多く飛び出して、よくわからないけど、危険だってことだけはわかった。
「迂回しよう、セルク。かなりの遠回りになるけれど」
…この位の瓦礫なら、吹き飛ばせるかな。
「…セルク?」
「ちょっと後ろに下がってて」
訝しがりつつも、言われたとおり、後ろに下がる彼女。
それを見届けてから…右手に青の刃を顕現させる。
世界樹を両断した時よりは、若干弱く…と、青に意識を送る。
そして、振った。
……じゅうっ……
瓦礫は、跡形もなくなった。
「……」
声は…ないか。
「…すげぇ」
…
「まるで…おとぎ話の勇者みたいだ!」
ッ!?
おとぎ話の…勇者…?
「…怖くはないの?」
「セルクは、その剣を、あたしに向けるわけじゃないだろ?」
じゃあ怖いことなんて無い、って?
…理屈としては、そうかもしれない。
でも…今までの世界で、そんな見解はなかった。
「さ、行こう!」
僕の呆然、僕の自問、僕の悔恨…諸々を、彼女は無視し、そう言った。
[波立つ塔の世界・5]
星のない夜空の下。僕らは焚き火を囲んでいた。
彼女は子供に言い聞かせるように、昔話を語る。
「戦争があったんだ」
それは彼女が生まれる前のこと。世界は戦争で滅んだらしい。
栄華を極めた文明は滅び去り、生き残った僅かの人類も、ゆっくりと…。
汚染された大地で、辛うじて生を得た世代が、今は亡き、彼女の両親の世代。
そして、その次の世代が…最後だった。
すなわち、彼女のことだ。
「みんな死んでいった。根強く残る汚染に、異常進化を遂げた獣に、そして、飢えに」
植物は逞しく生えている。
しかし、植物もまた、汚染されているのだとか。
軽度の汚染とは言え、摂取すれば、ただでは済まない。
「食べなきゃ死ぬ。だから食べた。食べた人は早死にして、食べなかった人は飢え死にした」
しかし、その中で…
「あたしだけは適応できた」
パチッ
薪が爆ぜる音。
「戦争前の人が見れば…あたしはもはや、人間じゃないんだろうな」
「…悪魔、だって?」
「そうそう、それ」
二人で、しばし笑い合った。
真の意味で同じ境遇同士、通じるものが、きっとあった。
…ああ、笑うのって、久しぶりの気がするな…。
朗らかな、夜だった。
[波立つ塔の世界・6]
二日目の朝日を背に浴びて、引き続き僕たちは『神の蓆』を目指した。
近づくにつれて、天を貫くかのような、そのスケールの大きさに圧倒されそうだ。
これだけのものを作る文明を滅ぼした戦争とは…どれほどのものだったのだろう。
「『神の蓆』には、逸話があってさ」
道中、彼女は『神の蓆』について語ってくれた。
曰く…
「あの頂上で祈りを捧げれば、神が降臨して、世界を蘇らせてくれるんだって」
…都合のいい話だと思う。
「都合のいい話だと思うか?」
見透かされていた。
「悪魔を退ける聖域…世界を蘇らせる奇跡の塔…どこの誰が言い出したんだろうな」
「君も信じてないの?」
「…信じたい」
信じたい、か…。
「両親の顔も覚えてない。二人が死んでしまったのは、あたしがあまりに幼いときだったから。だから、もう一度、会いたい」
強い意志の籠もった言葉で、彼女は続ける。
「そして、二人に聞くんだ。あたしの名前を」
名前を、取り戻す…。
「…滑稽だろ。戦争前の基礎知識は、情報カプセルを摂取するだけで、簡単に手に入れられるのに。自分の名前だけは、手に入らないんだよ」
まるで、嘲笑を誘っているかのように吐き捨てる。
そして同時に、『神の蓆』の逸話を、否定していた。
……
「…求めろ」
「え?」
「求めれば、きっと…いつの日か…」
「…」
「…そんなことを言われたよ、昔にね…」
運命の日の、旅人さんの台詞。
彼は何を求めたのだろうか。そして、それを手に入れることが出来ただろうか。
僕は…求めていただろうか。あの丘を…。
「そうか…求めなければ、手に入るものも手に入らない、ってことか。その通りかもな、セルク…」
彼女の自問が、旅人さんの真意が、僕に突き刺さる。
世界に流されるように生きている僕への、戒めの言葉。
この痛みを、忘れちゃいけない…。
[波立つ塔の世界・7]
月明かりが、厚い雲を抜けて少しだけ届く。
とは言え、野営地の主な光源は焚き火で、闇夜の圧力に負けじと踊っていた。
…二日目の夜、じっと深く…深く…。
「世界は…蘇るかな?」
…数々の世界で、数々の奇異を見てきた。
そのいずれもが、およそ、幸せに繋がるとは思えない現象だった。
神の気まぐれにせよ、人の業にせよ、結果は常に残酷だ。
…僕は、なんと答えれば良いんだろう?
「答えは要らない。だから、そんな顔をするな」
…慰められた。
「セルクが何者で、どこから来たのか。気になるけど、でも、どうだって良いんだ」
「…」
「なぁ、セルク」
「…なに」
「あたしは、生きた証が欲しい」
「生きた、証…?」
生きた証、か…。考えたこともなかったな。
…僕は、証を残せているだろうか。
いや、たった三日しかいられない世界で、僕は…証を残して意味があるのだろうか。
「人から忘れられるのは、悔しいだろ?」
「……“寂しい”じゃなくて?」
「“悔しい”さ」
「そういうものかな」
「あたしはそう思う」
焚き火は揺れる、揺れる、猶も。
「だからさ、セルク」
何のことはないように、彼女は続けた。
「子供が欲しい」
パチッ
薪が爆ぜる音。
月明かりは、厚い雲の向こうに隠れている。
焚き火は、闇夜の中で踊る僕らに負けじと踊っていた。
それはまるで、夢の中の出来事だった。
[波立つ塔の世界・8]
色々あって、彼女の名前は、仮にエヌとなった。
その名は彼女が決めた。
「N極とS極は惹かれ会うんだよ」
理由はよく分からないけど…S極と言うのが僕であることは教えてくれた。
三日目の朝陽は、今や天頂付近まで差し掛かり、僕が去るまで、あとわずか。
「また会えるさ。あたしが“求める”から」
…彼女、いや、エヌには、“旅人”について語った。
奇妙な世界に突然現れ、三日経てば姿を消す…そんな奇妙な運命を背負う旅人。
このことを誰かに伝えたのは、これが初めてだった。
…と。
ぶわあっ
強い風が吹き付けてくる。
長い長い階段は終わったんだ。
「頂上だ」
『神の蓆』の頂上は、だだっ広い広場のようになっている。
高いフェンスに囲まれるだけの、何もない、ただの広場。
「なんもないね」
「なんもないな」
こんなところに神はいないだろう。
「「…よく来た」」
…空から、声が降り注いできた。
「「小さき乙女よ」」
声は大きくなっていき…やがて広場に中央に…巨大な“何か”が現れる。
「「世界を、蘇らせたいか?」」
「…ああ、その為に、ここへ来た」
現れたのは、白い衣をまとった老人。背丈の半分はある白髭を蓄えた、威厳ある姿…。
まさか…本当に…神?
「「ならば差し出すが良い」」
老人は、僕の事なんて気付かないかのように、ただ、エヌに向かって話しかける。
「何を差し出せと? あたしは見ての通り、何も持ってない」
「「差し出せ…」」
その時、老人の口元が、醜く歪んだ。
「「命を、差し出せ…」」
…今、何を言った?
「「お前の命と引き替えに…世界を蘇らせよう…。差し出せ」」
ふ、ふざけ…
「断る!」
それは、エヌの声だった。
[波立つ塔の世界・9]
老人の顔は、醜く歪んだ。
信じられないことを聞いた、と言わんばかりに。
「「…両親が恋しくはないのか?」」
「恋しいさ。でも、あたしが死んだら、会えない」
「「ならば、会わせるだけの猶予はやろう。それなら…」」
「それでも断る」
エヌは頑なに拒む。
僕が止めるまでもなく。
「「…何故だ…」」
「あたしは生きてる。死にたくない。だからだ」
答えはシンプルだ。
「「…これでは、噂を流布した甲斐がない…」」
老人の顔は、醜く崩れていく。
「「心美しき乙女の生き血を…最後の人類を…喰らえば…」」
綺麗に取り繕った仮面は剥がれ、おどろおどろしい顔が露わになっていく。
「「思念体の我でも…神になれたであろうに…ッ!」」
神なんてとんでもない。それは悪魔そのものだった。
「「自己犠牲の美しさこそ、我が糧! それを食らえないのは癪だが…せめて命だけは頂く…」」
じゅっ
青い光を、奔らせた。
「「…ぞっ…?」」
「やらせるもんか」
「「お前…は…何者…だ…?」」
「旅人」
悪魔の体は、真っ二つ。
僕の返答を待たず、崩れていった。
「死ぬわけにはいかないさ。セルクの子もいる」
「…どうかな、あれだけで」
…今の僕の顔、赤いんだろうな。
「なぁ、セルク」
太陽は、真上に来ていた。
「名前は、どうする?」
「名前、かぁ…」
悩める時間はなかった。
だから、飛び出した名前は、身近だった人の名前。
「ルッツァ」
最後に見た、エヌの笑顔。
さよなら、と口が動いた気がした。
[評議世界・6 side.B]
「評議を始めよう」
虚無に声が響いた。
有り得ない?
いいや、有り得ない。
ここは評議世界。
あらゆる下位概念は、評議の前に無力だ。
「対象世界は」
夢見る旅人が歩んだ軌跡。
「波立つ塔の世界」
滅びた大地、芽吹く命、彷徨う残滓が穿つ足跡。
虚偽の甘言見抜けねど、真実の意志に優るもの無し。
宿した希望を産み落とす日に、その決断の賢しさよ。
波立つ大地、波立つ命、足取り確かに穿つ足跡。
青き希望が織り成す世界に、存在意義は…。
「維持」
そして、その通りになった。