[茫漠たる砂塵の世界]編
[幸せの記憶・2]
「遅いわよセルク! 早く来なさいってば!」
僕とルッツァは、最初こそケンカ仲だったけど、やがて、どちらからともなく友達になった。
ルッツァは僕を振り回す役で、グレンは僕らを茶化す役で、ティナはその様子を見てなだめる役で。
よく四人で一緒に遊んでいた。
大人をからかいもしたし、森を探検もしたし、風見丘まで競争もした。
みんなが、それぞれを、かけがえのない存在だと感じていた、って思う。
それは、とても、幸せな時間だった。
[評議世界・3 side.A]
夢見る旅人が、決して辿り着けぬ地…。
カルボモンドで出来た神経が、無限の演算要求を送り続ける。
女神を象った有機の像が、無限の演算結果を弾き出し続ける。
そこは異質な空間だった。
無より零れ落ちし闇の使徒たち。
彼らに言わせれば、そこは“いと尊き場所”である。
ふと、闇が蠢いた。
「さあ、始めよう」
紡がれた言葉。
宣言は、一度。
呼応は、無限。
そして世界は、震え出す…。
「渇いた砂塵…渇いた心…
祈り続ける者…踊り続ける者…」
[茫漠たる砂塵の世界・1]
「おい、生きてるか」
投げかけられたのは、渇いた声。
「放って置いて早く行きましょう」
通り過ぎたのは、麗しい声。
目を瞑っているのに、とても眩しい。
腕で光を遮りつつ、むくり、起き上がる。
「こりゃすげえ。生きてたよ」
「よくも乾涸らびなかったものね」
光り輝く、一面砂色の砂地。
感心するように、おじさんとお姉さんは目を合わせた。
「ここは…?」
「砂漠のど真ん中」
「蛇神様の縄張り」
砂漠。蛇神。
どちらも聞いたことがない。
「…砂漠って? …蛇神って?」
「砂漠はここだ」
「蛇神様は蛇神様よ」
「…はぁ」
何が何だか分からない。
「生きてるなら手伝え」
「そうね。手伝ってもらおうかしら」
おじさんとお姉さんは、揃って壺のようなものを指す。
「運んでくれ」
「水瓶って重くてねぇ」
壺…いや…水瓶は、一、二、…五個もある。
「…なんで僕が?」
「乾涸らびて死にたくはないだろ?」
「手伝ってくれたら、水の一杯くらいは恵んであげるわ」
…村までこれらを運ばないと、僕はここに見捨てられる、と。
このあいだ体験した待遇が嘘みたいだ。
…?
……
……このあいだ……?
嫌な記憶が、甦った。
[茫漠たる砂塵の世界・2]
サラサラして歩きにくい、この“砂漠”の大地を踏みしめながら、過去の悪夢を思い返す。
赤と青の世界。空の上の世界。
前者は赤に染まって、後者は粉々に砕け散った。
どうしてこんな目に遭うんだろう。
よりにもよって、酷い世界が、最も酷い時期に、僕は現れる。
どうして、どうして…どうして…?
…
……なにか意味があるんだろうか…。
「俺は、因果律を乱す」
ふと、頭によぎったのは、旅人さんの声。
……因果律……。
「因果律…って?」
口に出して考えてみる。
「水を飲んだらションベンしたくなった」
突然、おじさんが喋り出した。
「だが、水を飲まなければ、ションベンしたくなることはない。つまりは、そう言うことだ」
…どう言うことだろう?
「もう少し上品な喩えは出来ないの?」
「俺には無理だな」
二人のやりとりは、ひとまず隅へ。
…
水を飲んだら、もよおす。
水を飲まなければ、もよおさない。
……水を飲んだから、もよおした。
「“原因”があるから“結果”がある。これは絶対に覆らない。この原則を“因果律”って呼ぶのよ」
お姉さんが説明してくれた。
「…ありがとうございます、二人とも」
「お礼は体でね」
「オメェの方が下品じゃねえか」
「働いて返してね、って意味よ。どスケベ」
おどける二人を尻目に、僕は考える。
…じゃあ“因果律を乱す”ってことは…
…つまり、“なんでもあり”ってこと…?
[茫漠たる砂塵の世界・3]
あの日、旅人さんは、おとぎ話を語ってくれた。
それは、天まで届く塔をあがめる世界であったり、言葉を話すオオカミと戦い続ける世界であったり、一面が銀色に輝く美しい世界であったりした。
あの日、旅人さんは、僕に言葉を残して、…消えた。
きっと、間違いない。
僕は、旅人さんと同じだ。
おとぎ話は本当にあったこと。
おかしな世界を旅して…。
時間が来たら消えて…。
そうだ、僕は旅人なんだ。
そして、旅人は因果律を乱す。
起こりえないことを起こす。
…僕の村を燃やす。
「俺は、因果律を乱す。無自覚に、無慈悲に、この世界の…」
原因は旅人さんにあった。
けど、旅人さんの所為じゃない。
何もしなくても、歪みをもたらす。
旅人さんはなにもしてない。
ただ、そこに居ただけなんだ…。
…でも、腑に落ちない点もある。
僕と旅人さんが、同じ“旅人”なら、僕だって因果律を乱すはずだ。
だけど、僕が居た、赤と青の世界と空の上の世界は、いずれも“起こりえないことが起きた”訳じゃない。
50年に一度の儀式が有ったから、世界は赤く染まった。
老い無き世界を作ったから、世界は老いに砕かれた。
原因があったから、結果がある。
何も間違ってない。
時期が悪かったけど、いつかは必ず起きたことなんだ。
旅人というものが分からない。
僕は旅人さんとは違う性質を持った旅人なんだろうか。
わからない。わからない。わからない。
[茫漠たる砂塵の世界・4]
ぐぅ~~~…
思い出したように、お腹が鳴った。
そう言えば、村に着いてから何も食べてない。
水瓶を運んだら、約束通り水一杯をもらったけど…それだけだった。
食料がないのかな、と思ったら、僕以外の人は、みんな普通に何か食べてた。
……
砂漠と呼ばれる大地で目覚めてから、既に半日。
外は暗闇に閉ざされてる。
食べ物こそもらえなかったけど、こうして屋根の下に居られるだけ、幸せなのかも知れない。
…って強がっても、さすがにこれは…。
ぐぅ~~~…
たぶん、飢え死にすることはない。
だって、どうせ…。
三日目には、この世界ともおさらばなんだから。
…僕はずっとこのままなんだろうか。
ずっとこうやって、変な世界を旅し続けて…。
……し続けて、…最期は…?
……あの旅人さんは、今頃、どんな世界で何をしているんだろう。
今は無性に、あの人と話してみたい。
僕らの“最期”について…。
[茫漠たる砂塵の世界・5]
窓から射す朝の日差しが、室内でもお構いなしに舞う砂埃を浮かび上がらせてる。
長かった、凍える夜は、ようやく明けた。
昼はあんなにも暑かったのに、理不尽だ。
だけど、この世界に住む人たちにとっては、そんなの当たり前のことなんだろう。
僕は旅人。この世界にとってイレギュラー。
間違っているのは僕だけだ。
他人事のように考えつつ、あてがわれた石造りの家を出た。
…太陽が眩しい。
「おお、餌が目覚めたか」
…起き抜け早々、とんでもない台詞が聞こえたのは、気のせいだったらどんなに良いか。
声の主は、白髭のお爺さん。
「…餌、って、僕のことですか?」
「当たり前だろう」
お爺さんの顔にも、同じ事が書いてある。
「明日まで死ぬなよ。村長たるワシの顔が立たないからな」
そんなこと言うならご飯を下さい。
…って、それよりも。
「……僕をどうするつもりですか?」
「蛇神様に捧げる。当然だろう」
…そうですね、当然ですね。
よし、逃げよう。
「逃げようなんて考えないことだな。村の外は蛇神様の縄張り。村を出た途端にガブリだ」
…旅人さん。
僕の最期は捧げ物だそうです。
[茫漠たる砂塵の世界・6]
死の恐怖に、初めて対面したのは…父さんが死んだときだった。
意識が、思い出が、体が、みんな無くなる。
僕という存在が、完全に消えて無くなる。
生きていれば避けられない。誰にだって降りかかる。
いくら逃げたって、必ず追いつかれる。
死。
…あの頃は、ずっと“死”のことばかり考えていて、…ずっと泣いてばかりいた気がする。
それをルッツァが慰めてくれた。ルッツァらしいやり方で。
どれだけ僕が救われたか。
でも…ルッツァは…、死んでしまった。
お母さんも、村のみんなも、誰も彼もが…。
村が燃えたとき、僕も一緒に死んでしまえばよかったんだ。
それを、ずっと…ずっと…今までずっと、逃げ続けてきた。
だけど、死は、ついに…僕に追いついた。
……これで良いんだ。
…いや、ひょっとすれば、僕は、死の間際に夢を見ているだけなのかもしれない。
なら、いずれ、悪夢は覚める。
目が覚めれば、そこは火の海で。
僕は、みんなと一緒に…ようやく…死ねる。
これで、良いんだ…。
「よう、餌の少年。水やりの時間だ」
家の中に入ってきたのは、昨日のおじさん。
「水くらいは飲ませないと、さすがに死んじまうからな。さ、飲め飲め。遠慮はいらんぞ」
…
「…僕って餌なんですよね?」
「そう言ってるだろ」
「餌を“捧げる”って…変じゃないですか?」
おじさんの、飄々とした顔が、強張った。
「………昔の人が考えることは分からんな」
おじさんは、僕の論を認めた。
会話はそれで尽きた。
…おじさんが去った後、残ったのは、コップ一杯の水だけ。
…家の中は、また冷えてきた。
二日目の夜が訪れる。
[茫漠たる砂塵の世界・7]
三日目の朝は、村長に起こされた。
「時間だ」
時間だ、か…。
僕が世界から消えるときに聞こえる台詞。
だけどもう、あの声を聞くことは無いんだろう。
今日、僕は、蛇神に捧げられるんだから。
…いや、死ぬ前提で考えていたけど、そうとは限らないかもしれない。
“時間”が来て、この世界から消えるのが先かもしれない。
悪夢は続くかもしれないんだ。
…もう、どっちでもいいか。
悪意の日差しで、心はカラカラだ。
まるで、僕が僕でない他人のよう。
そう…“他人”がどうなろうと、“僕”には関係無い…。
村長に、家を連れ出され、村を連れ出され、砂漠の真ん中へ。
大きな円形の人垣、そこの中央へ、僕は立たされた。
灼熱の日差しの下、無表情な村人達は、人垣を維持してる。
とても気味が悪い。
やがて、円周から、二人が歩み寄って来る。
おじさんとお姉さんだ。
二人とも、色鮮やかな服で着飾っていた。
お姉さんはヒラヒラ、おじさんはずっしり、と。
「笛長バラン。舞長エイリーン。務めよ」
「「承知」」
村長の言葉に応えて、二人は儀式がかった一礼をした。
そして、僕の後ろに座り込む。
おじさんは笛を構え、お姉さんは目を閉じて。
砂風が吹く、吹く、痛いくらい。
動く人は誰もいない。
ただ、時間だけが刻々と…。
「「ドウッッ」」
轟音と同時に、視界が砂色に埋まった。
砂塵をはらんだ暴風が、周囲を暴れ回る。
反射的に目を塞いで…、耐えて、…目を開けると…
巨大な蛇の化け物が、地中から現れていた。
…ああ、また儀式が始まる…。
[茫漠たる砂塵の世界・8]
なんでもかんでも、儀式なら良いとでも思ってるんじゃないのか。
もうこれで三回目だ。うんざりだ。
目の前の異形を見ても、それほど驚けない。
これまでの事を考えれば…ってな具合。
既に僕は、ヒトに備わるべき“感情”が麻痺しているんだろう。
巨大な蛇の化け物、蛇神様は、とぐろを巻きながらこちらを見つめてる。
…怖くない。
睨んでも無駄だよ。僕は旅人だから。
「歓待せよッ!」
村長の号令が飛ぶ。
同時に、笛の音が響き渡った。
正面の蛇神から目を離し、後ろを振り返れば。
おじさんが笛を吹き、お姉さんが踊りを舞っていた。
村長を含めたその他全員は、蛇神に向かって、拝むような動作を繰り返していて。
それはまるで、おとぎ話の中の出来事だった。
ズザァッ…
蛇神が動く。
僕を見て、こいつが生け贄か、と笑う。
開かれた大口、途端、目の前が真っ暗になって…
…ああ、食べられたんだ…。
[茫漠たる砂塵の世界・9]
蛇は獲物を丸呑みにする。
そしてゆっくりと時間をかけて消化すると言う。
村の大人たちの雑学。記憶の引き出しから、唐突に。
…これが蛇神も同じなら、きっと、蛇の体内で時間切れだ。
消化液に包まれながら、この世界から消えるんだ。
…消化液って、痛いのかな?
暴れず、騒がず、ただじっと。
蛇神に呑まれた人間が、唯一出来ること。
それは、愚考。
…直後、視界を、青が塗りつぶした。
パァンッ
再び、日差しが照りつける世界へ。
人々は、一様に驚いた顔で、僕の帰還を見つめている。
…違う。見つめているのはむしろ、蛇。
正確に言うなら…蛇神の死体。
…そうだ、そうだった。
忘れてた…いや、忘れようとしてた…。
僕の“青”は、蛇の体内で爆発し、蛇を殺したんだ。
きっと、そう。あの時と同じように。
人骨に埋もれた直後の、あの、青の爆発のように。
「…な、なんてことを…!!!」
村の人々が騒ぎ出す。
「悪魔…悪魔だッ…! 神殺しッッ!!!」
村の人々が喚き出す。
「アイツを殺せ!!」
「水の恩を忘れやがって!!」
「死刑だ! 死刑だッ!!」
殺気立った人々の視線が、怒号が、一身に突き刺さる。
僕は…
「…ハハ…ハハハッ…」
笑った。
消える直前、おじさんの笑い顔を見た。
[評議世界・3 side.B]
「評議を始めよう」
虚無に声が響いた。
有り得ない?
いいや、有り得ない。
ここは評議世界。
あらゆる下位概念は、評議の前に無力だ。
「対象世界は」
夢見る旅人が歩んだ軌跡。
「茫漠たる砂塵の世界」
渇いた世界の、渇いた心。砂塵を纏いて、生け贄を求む。
祈り続け、踊り続け、その果てに意味はなく。
雨降れども、吸わずの砂の者ども。
青き水受けた唯一の泥者は、何を秘めるか。
砂の心と泥の心が共存する世界に、存在意義は…。
「維持」
そして、その通りになった。