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夢見の丘  作者: きぎぬ
2/11

[緋き群青の世界]編

[評議世界・1 side.A]


夢見る旅人が、決して辿り着けぬ地…。


カルボモンドで出来た神経が、無限の演算要求を送り続ける。

女神を象った有機の像が、無限の演算結果を弾き出し続ける。

そこは異質な空間だった。


無より零れ落ちし闇の使徒たち。

彼らに言わせれば、そこは“いと尊き場所”である。


ふと、闇が蠢いた。

「さあ、始めよう」

紡がれた言葉。


宣言は、一度。

呼応は、無限。

そして世界は、震え出す…。



「赤色の空…青色の大地…

人ならざる者…人たり得ぬ者…」






[緋き群青の世界・1]


「お、気がついた」

すぐ目の前に、子供の顔。

「ママーーー!! 兄ちゃんが起きたーー!!」


 ドタドタドタドタ…


子供の顔は離れ、代わりに、ちょっと遠くに白い壁。

いや、壁じゃない。天井だ。


ベッドから上半身を起こした。

…ここはどこだろう…?


「まあ、もう起き上がっても大丈夫なの?」

見知らぬおばさんが、子供を連れ、心配そうな面立ちで、こちらにやってくる。

ちょうど、お母さんくらいの、おばさん…。


…そうだ、僕のお母さんは…もう…。


「お、おい! どうしたのさ、兄ちゃん!?」

子供が僕を気遣ってくれるけど。嗚咽は止まらない。


そうだ。村は燃えた。

みんな、死んでしまったんだ…。


…なのに、なんで僕は…?

「…なんで、僕だけ、生きて…生きて…?」

しゃくり上げながら、なんとかそう口にした。


「事情は分からないけれど…」


おばさんは、いろいろと教えてくれた。


草原に倒れている僕を、息子のエネルが発見したから、家へ連れてきたこと。

全身にやけどを負った僕を看病してくれたこと。

僕は丸一日、目が覚めなかったこと。

「最初は死んでるかと思ったんだ」

僕を発見してくれたエネルは、倒れている僕の状態をそう語った。


「よく無事だったわ…。…ああ、もう大丈夫?」

「はい…突然すみませんでした…」

泣くだけ泣いて、少しだけ、すっきりした。


「…ところで、ここ、どこなんですか?」

「ここ? ここはね、マナレイカが暮らす街、シャルル・マナレイカよ」


まるで心当たりがなかった。






[緋き群青の世界・2]


僕が暮らしていた村の名前は、“緑萄(りょくとう)の村”だ。

そしてたしか、国の名前は“開風の国”…。


「…じゃあ、この国の名前は?」

「国? …国って…何?」

「何っ、て…。国は国で…」

「残念だけど、知らないわねぇ、そんな言葉は…」

からかっているようには見えない。

本当に知らないんだ。


頭の中が真っ白になった。


じゃあ、僕が倒れていたのは…どこ?

村…があった場所…じゃない、って…こと…?


「気分悪そうだぞ、兄ちゃん…」

エネルが僕の顔を覗き込む。

「もしかして、記憶喪失かしら…」

そうだったらどんなにいいか。

あの、悪夢のような光景は…、一生、脳裏から離れてくれそうにない。


「もし歩けるようなら、散歩でもどうかしら? なにか思い出すかもしれないわ」

体と相談したところ、歩くには問題ないように思える。

「…はい、そうしてみます」

今の僕にできることは、たぶん、それくらいだ。


「じゃ、おいらも付いてくよ」

僕よりも小さいのに、僕を支えようと、気遣って。

それほど、今の僕は弱って見えるんだと思う。


「ありがとう」

お礼を言い切る前に、エネルはドアまで駆けていった。

「こっちだぞ! …ええと」

「セルク。よろしく、エネル」

「ああ、よろしくな! セルク兄ちゃん!」


弟がいたら、こんな感じなのかもしれなかった。






[緋き群青の世界・3]


村が燃えている。


あの残酷な光景が、再び目に飛び込んできた。


でも違った。

なにも、燃えてなんかいなかった。

夕焼けにしては赤すぎるほど赤い空が、家々を紅く染めていた。


こんな空は、見たことがなかった。



「なんか思い出したのか?」

「…いや、なんでもない」

上がりっぱなしの顔。エネルに応えて、下へ戻す。


…ッ!


地面が、青い。

湖よりも、青空よりも、ずっと青い。


そこでようやく、僕は、自身が置かれてる現状に気がついた。


ここは、違う。

僕のいた世界じゃない。

異世界だ。



「…セルク兄ちゃん?」

「なんでもない…なんでもないんだ…」

赤と青の暴力が、僕の、なけなしの理性を破壊しようとしている。


…僕はいったい、どうしてしまったんだ…?






[緋き群青の世界・4]


「ここが、セルク兄ちゃんが倒れてたとこだよ」

エネルが指さしたところは、青い草原のどこか。

近くには青い岩が点在している。遠くには青い山が見える。

少し視線を上にやれば、赤い空、赤い雲。

その対比が、なんだかとても綺麗に見えた。


「どうだ? なんか思い出したか?」

いつの間にか、記憶喪失者ということにされてしまってる。

「残念ながら、なにも…」

「そっか…」


突如吹いた風が、髪を揺らす。

風見丘に吹く緑風と、やっぱり、違う気がする。


 バサッ


目の前を、なにが、横切った…?


「あ、ハスラウカだ」

「やあ、マナレイカの少年。こんなところでどうしたんだい?」

「ちょっとなー」

彼…と言っていいのだろうか。

エネルがハスラウカと呼んだあの生き物は、間違いなく、言葉をしゃべっている。

なのに、人ではない。


腕の代わりに、鳥のような翼。

かぎ爪の付いた足は、人間のそれと比べれば、半分の長さもない。

口がついてるべきところには、大きなクチバシが…。


「そちらの彼は?」

「記憶喪失なんだってさ」

「それは難儀だ。我々に手伝えることがあれば、なんでも言ってくれ」

「うーん…今はわかんないや」

エネルとハスラウカは、ごく普通に会話している。

僕は…目の前の現実を、現実だと言い聞かせるので精一杯だ。


…ここは、異世界。

何が起きても、不思議じゃない。






[緋き群青の世界・5]


「ハスラウカをご存知ない…ですって?」


おばさんは、たいそう驚いていた。


ハスラウカとは個人名ではなく、種族名。

この世界には、おばさんやエネルのような姿形の“マナレイカ”と、マナレイカに鳥を掛け合わせたような姿形の“ハスラウカ”の、二種類の人間がいるのだという。

僕は、この世界においては、マナレイカとして見られているんだろう。


「記憶、戻るといいわね」

戻る記憶なんて、そもそもないけれど。

「どうしたら記憶が戻るんだろうな」

エネルが頭を捻ってる。ごめん、無意味なんだ、それ。


…ともかく。


なんでかは分からないけど、なにはともあれ僕は、この世界に来てしまった。

お母さんも、ルッツァも、長老も、みんないない…燃え尽きた元の世界に、執着はない…。


だったら、覚悟を決めなくちゃいけない。


「すみません、訊いても良いですか」

もっとこの世界のことを知ろう。


「ハスラウカの人たちに会いたいんですけど、どこへ行けば会えますか」

“マナレイカ”として生きていくために。






[緋き群青の世界・6]


断崖絶壁を見上げて、エネルが言った。

「ここが、シャルル・ハスラウカさ」

岩壁には多数の穴が開いていた。

その穴から、ちらほら、ハスラウカが飛び立つ姿が見える。


…一人のハスラウカが、こっちにやって来た。

「おやおや、マナレイカのお二人さん。シャルル・ハスラウカに何のご用で?」

「僕、記憶喪失なんですけど…」

もう記憶喪失ってことにした。なにかと都合が良さそうだし。


「この世界のことさえ、まるで覚えてないんです」

「なんと…それはお可哀想に…」

「マナレイカの人から、いろいろ聞かせてもらいました。なので今度は、ハスラウカの皆さんに、お話を伺いたくて」

「ええ、ええ、もちろん構いませんよ。是非、あなたのお役に立たせて下さい」

掴んで下さい、と、短い足を差し出すハスラウカ。


…それって、つまり…?

「ほら、セルク兄ちゃん」

エネルが急かす。

…ええい、ままだ!


「しっかり掴まってて下さいね」


 ぶわっ


青い大地が、遠くなった。

僕たちは今…

「飛んでる…!」

「ヤハハハ! 気持ちいいー!」

もし、この手を放したら…って思うと、素直に笑えない。

「はは、ははは…」

漏れるのは引き攣った笑いだった。


ハスラウカは飛ぶ、飛ぶ、岩壁へ。

岩壁の穴は、住居。シャルル・ハスラウカに、僕たちは…。






[緋き群青の世界・7]


その後、僕たちは、シャルル・ハスラウカで一晩過ごさせてもらうことになった。

ハスラウカの生活を間近で見られる良い機会だ。


「ハスラウカって、みんなスッゲー良いヤツらなんだぜ。おいらたちマナレイカなんかよりも、ずっと!」

エネルは、憧れを込めて、そう語る。


僕も同意見だ。

見ず知らずの僕たちに、こんなにまで親切にしてくれてる。

それに、高潔さが滲み出る優美な外見にも、憧れてしまう。

心が綺麗で、姿も綺麗…。劣等感を覚えるというか、なんというか…。


「いえいえ、もったいないお言葉です。あなた方マナレイカに比べれば我々など…」

町長を名乗るハスラウカが謙遜する。社交辞令のような嫌らしさは感じない。

「なんでさー! ハスラウカって空飛べるし! おいらたちマナレイカよりずっと凄ぇよ!」

「確かにあなた方は空を飛べないかもしれない。しかし、その二本の腕で、どれほど優れた道具を創れるか」


マナレイカのエネルは主張する。

マナレイカは強欲な上に、空を飛ぶことも出来ないから、優しさと翼を備えたハスラウカに到底及ばない、と。

ハスラウカは主張する。

ハスラウカは向上心が乏しいし、何かを創ることも苦手だから、賢く器用なマナレイカとは比べものにもならない、と。

どちらも自身の種族を貶める発言の応酬で、一向に主張を譲るつもりがない。


…そろそろ止めた方が良いのかな。


「まぁもっとも、明日には」

「こんな体とは、おさらばできるんだけどな」

ハスラウカとエネルが、口を揃えて言った。


…明日には…おさらば…?

…“体”と…?






[緋き群青の世界・8]


赤い空は、すっかり黒く染まっていた。

岩壁の住居穴からは、藍色に染まった大地を一望できる。

この世界の夜だ。


「ねえ、エネル」

「なんだい、セルク兄ちゃん」

どちらが空か、見分けが付かない地平線を、二人で座って眺めつつ。

「明日、何があるの?」

“体とおさらば”…気になって仕方ないから。


「そうなんだよ!! スッゲーのがあるんだよ!!」

ずいっ、と、顔を近づけて、目を輝かせながら。

エネルは、本当に嬉しそうに、明日のことを教えてくれた。



明日は、五十年に一度起こる、皆既日食の日。

その時に、とある儀式をすると、マナレイカはハスラウカに、ハスラウカはマナレイカになれると言う。

どちらも、自分の種族に執着はない。マナレイカはハスラウカに、ハスラウカはマナレイカになりたがっている。

だからこの日は、多くの人たちが儀式を行う。

理想の種族に、なるために。



「おいら、ハスラウカになりたい」

真剣な眼差しだった。


「セルク兄ちゃんはどうだ? ハスラウカ、なりたいか?」

「…そうだなー…」


何の因果か、この異世界に来てしまった。

まだ気持ちの整理は付かないけど…

新しい世界と共に、新しい姿になるのは、悪くないかもしれない。


「なってもいいかも…」

「ああ、良いと思うぞ!」

エネルはニカッと笑った。

「ヤハハハ! セルク兄ちゃんもハスラウカになるのかぁ! お揃いだな!」

「…うん、そうだね」

なると決めたわけじゃないんだけど…

…エネルの笑顔を見ていると、ならなきゃいけないように思えてくる。


…いや、大事な弟分だ。

この笑顔のために、なろう。

気高き、空飛ぶ種族、ハスラウカに…。


「じゃあ、これ。やるよ」

渡されたのは、正方形の布きれ。

「これ、何?」

「ハンカチ。儀式に使うんだってさ」

どうやって使うのか見当も付かないけど…。きっと大事な物なんだろう。


「ありがとう。…でも、エネルも必要なんじゃない?」

「ああ、おいらはいいよ。耐えられそうだから」


…“耐えられそう”?

…何に?



月の色は、黄色だった。






[緋き群青の世界・9]


翌日。

よく晴れた赤空に、赤い太陽が輝いている。

運命の刻限を目前にして、マナレイカもハスラウカも、落ち着き無く。


それにしても…こんなに一杯、種族を変えたい人がいるなんて…。

空を覆うような数のハスラウカは、一体、何人?

大地を埋め尽くすような数のマナレイカも、一体、何人?


ここにいる全員が儀式をするわけじゃないそうだ。

エネルのお母さんも、エネルを見守りに、この場に来てるし。

「私みたいな年にもなると、儀式は乗り越えられないからねぇ…」

おばさんは残念そうに言う。

若い頃だったら、おばさんもハスラウカになりたかった、ということだろうか。

いや、それよりも、若くないと乗り越えられない儀式って…なんだろう。


周囲には、斧を持ったマナレイカが大勢居た。

…妙に、血生臭さを感じる…。

それに比べ、空のハスラウカはなにも持っていない。そもそも腕がないから、何も持ちようが無いけど…。


ともかく、異様な光景だった。



「…始まるッ!」

エネルが叫んだ。

周りからもざわめきが起こる。

太陽が、隠れ始めたから。

「いよいよだ…」


みんな、空を見ていた。

祈るように、待ちわびるように。


世界が、暗闇に閉ざされた。



儀式は、始まった。






[緋き群青の世界・10]


突然、雨が降り出した。

嫌に温かい雨粒が、頬を濡らした。

赤い空からは、赤い雨が降るらしい。

僕は、たった今起きたことを、そう解釈した。


…嘘だ。本当はわかってる。

ただ、認めたくないだけ…。



ハスラウカが、落ちていく。

翼を引きちぎられ、止め処なく…。

翼を引きちぎっていたのは、ハスラウカだった。


雨は、血の雨。

赤い空から零れ落ちるように、それは降り注いだ。


マナレイカが、うめき声を上げている。

あちらこちらで、半分ほどになった足を抱えて。

足を切り落としていたのは、マナレイカだった。


土は、血の泥濘(ぬかるみ)

青い大地から湧き出すように、それは走り回った。



降る赤、湧く赤、止め処なく。

世界が真っ赤に染まってく。


…どうして?


「こうすれば、なれるんだ…。ハスラウカに」

エネルが、近付いてくる。

斧を持って、僕に向かって…。

「だから、ほら」

エネルの足は、まだ半分じゃない。

「おいらの足、これで」

…“まだ”。

「切り落としてよ」






[緋き群青の世界・11]


それはまるで、夢の中の出来事だった。


「ねえ、早く」


赤と青の世界が、赤で塗りつぶされていく。

ハスラウカのクチバシは、翼を引きちぎって。

マナレイカの斧は、足を切り落として。

赤と青の世界は、赤で塗りつぶされていく。


「…できないよ」

「ねえ、早く」

「できないよッ!!」

兄と慕ってくれる弟がいる。

たとえ血が繋がっていなくても。

それを…その弟の足を…誰がッ!


「仕方ないわね」

おばさんが、エネルから斧を取り上げた。

…躊躇いなく、弧を描き…

「ぁッ…ぁあああ…ッッ!」

エネルの足も、半分になった。


「あ…ありがと、ママ」

「ほら、ハンカチを噛んで。痛いでしょう?」

「ハンカチなら、セルク、兄ちゃんに、あげた、よ」

「あら、セルク君も儀式を?」

「うん、そう、だよ」

おばさんが、こっちを向く。

血濡れの斧が、鈍く光った。

「歯を食いしばって。ハンカチを噛めば、だいぶマシって話よ?」



こんな世界が、存在するのか。

こんな世界に、僕はいるのか。



「…嫌です」

「どうして?」

「…間違ってる…!」

「セルク、兄ちゃん、ハスラウカに、なりた、くないの?」

「そういう問題じゃない…ッ!」

「おいら、嬉し、いぞ…ハスラウカに、なれ、るんだもんな、ヤハ、ハハハハ…」

「足を、切ってもか!?」

「そう、だ」


誰もがみんな、狂っていた。

…いや、狂ってるのは、僕一人…?

もう、なにもわからない。

わかりたくもない…。



挿絵(By みてみん)



真っ赤な世界。

暗い闇に、塗りつぶされて。






[評議世界・1 side.B]


「評議を始めよう」

虚無に声が響いた。


有り得ない?

いいや、有り得ない。


ここは評議世界。

あらゆる下位概念は、評議の前に無力だ。


「対象世界は」

夢見る旅人が歩んだ軌跡。

「緋き群青の世界」



   鳥人は人に憧れ、人は鳥人に憧れる。

   鳥人は翼を引き千切り、人は足を切り落とす。

   緋色の空から赤が零れ落ち、群青の大地から赤が溢れ出て、世界は赤く染まった。

   人ならざる者。人たり得ぬ者。

   己が存在を否定するモノたちの世界に、存在意義は…。



「消去」

そして、その通りになった。


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