[幻影夢幻の世界]編
[幸せの記憶・8]
「…あたしね、グレンのこと、好きなんだ」
祭りで騒ぐルッツァとグレンから離れて、僕とティナは話し合っていた。
いきなり雰囲気が変わったかと思えば、この暴露だ。
「…グレンには伝えたの?」
「ううん、まだ」
「そ、そうなんだ…」
「グレンを、この村に縛り付けちゃうようで、悪いから」
だから、ティナは決めてるらしい。
「大人になったら、あたしもお城に行って、そこで初めて告白するの」
…そっか。
「ごめんね、置いて行っちゃうけど」
「いいや、いいよ」
一生会えなくなるわけじゃないんだし。
「ルッツァとお幸せにね」
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
からかうティナと、うろたえる僕。
穏やかな、夜だった。
[幻影夢幻の世界・1]
『鳥人は人に憧れ、人は鳥人に憧れる』
目の前に、人と鳥人がいた。
赤い空、青い大地…。
それは、いつか見た悪夢。
『鳥人は翼を引き千切り、人は足を切り落とす』
…なんのつもりだ。
『緋色の空から赤が零れ落ち、群青の大地から赤が溢れ出て、世界は赤く染まった』
「なんのつもりだッ!?」
人と関わらず、世界と関わらず。
僕の信念を嘲笑うかのように、今、世界は…僕の眼をこじ開けている。
『人ならざる者。人たり得ぬ者』
不愉快な、有無を言わさぬ迫力の声は…どこからも聞こえてくる。
『己が存在を否定するモノたちの世界に、存在意義は…』
「黙れッ!!」
そうだ、この声はまるで…終わりを告げる、あの声だ。
世界の“外”から語りかける、あの声だ。
だけど、この不愉快さは何だって言うんだ。
『消去』
赤の光景は消えた。
[幻影夢幻の世界・2]
「はぁ…ッ! はぁ…ッ!」
凄惨な世界は見えなくなり、周囲は真っ黒になった。
あの声もまた、ぴたり、止んだ。
……
『理想を目指し、現実から目を逸らした人々』
…いや、終わっていない。
世界は再び、黒から空へと転じた。
『落とされた現実は、空の上から理想を睨み、やがて降り注ぐ』
「ああああぁああッッッ!!!」
もう耐えられない…!
壊してやる!こんな茶番!
右手を、前に…っ!
……
…刃は、出なかった。
『粉々になった大地』
粉々になった大地のカケラに、青い光が見える。
『加害者は理想。被害者は現実』
『己が業に潰された人々も、今は亡し』
『夢の跡だけが落ち続ける世界に、存在意義は…』
…こんなものを、僕に見せて、聞かせて…
『消去』
「…何のつもりだよ」
返答はない。
そして、世界は暗転した。
[幻影夢幻の世界・3]
『渇いた世界の、渇いた心。砂塵を纏いて、生け贄を求む』
灼熱の太陽に照らされた、無限に続く、砂漠。
暑さは感じない。これは所詮、幻だ。
『祈り続け、踊り続け、その果てに意味はなく』
遠い昔に聞いた、笛の音が、鮮やかに流れる。
そう、遠い、昔に…。
『雨降れども、吸わずの砂の者ども』
『青き水受けた唯一の泥者は、何を秘めるか』
笛を吹いていた男は、血まみれの少年を見て、笑った。
『砂の心と泥の心が共存する世界に、存在意義は…』
懐かしい、忘れたい、忘れがたい記憶が、蘇りつつあった。
それはまだ…旅人になったばかりの、少年時代。
世界に流されていた…あの頃の。
『維持』
男も、少年も、消えた。
暗闇に一人、僕一人。
[幻影夢幻の世界・4]
これはまるで、夢の中の出来事だ。
『他者を支配するがため、技術を高める者ども在り』
記憶の奥底に眠る、何もかもを、洗いざらい…ぶちまけて。
そこに善悪はないのかもしれない。
『幾星霜経て得たものは、黒煙の闇と、化学の光と、争いの火種』
だのに、この声は…無性に癪に障る。
『殺し、殺され、復讐の輪廻が止まることなく』
言葉は、意志ある命が喋るものだ。
でも、コイツは…まるで、命も意志もない。
薄気味悪い、不気味、そういった類の、嫌悪感。
『旅人を迎えし王の野望、娘を失ってなお、止まることなく』
「アーシェ…」
自然に口をついて出た名前。
目の前に倒れる少女の名前。
悔恨の記憶が、朧気な像を結んだ…。
『繰り返される殺戮の世界に、存在意義は…』
「黙れ」
何もかも知ってる癖に、何もかも“知った事じゃない”と。
その声は、そう言ってる。
害意無く人を傷つける…この声は、そんな存在なんだ。
『消去』
喩えるなら、それは、“神様”の声だ。
[幻影夢幻の世界・5]
『不老なる者は超常を産み、地上を歩く者は残虐を育てる』
「…“神様”」
聞いているか、分からないけど。
「なぜ、僕を旅人にした?」
『他者との違いを魔法に育てる者達と、他者から奪い糧を産む者達』
「青の力を与えたのも、奪ったのも…お前なんだろ?」
『奪わず奪われ、奪い奪われず、調和は保たれ続く』
青い刃を振るう、少年の姿があった。
彼が一人の男を切り伏せたとき、歓声が上がった。
少年はうずくまり、震える。
『歪に痩せ細る奇跡の配合、変わらず続く』
少年は、泣いていた。
『進歩無き魔法が揺蕩う世界に、存在意義は…』
「…趣味が悪いよ、“神様”」
『消去』
少年は、消えた。
耳奥に残る泣き声は、消えなかった。
[幻影夢幻の世界・6]
声は続く、続く、いつまでも。
耳を塞いでも、いつまでも。
『滅びた大地、芽吹く命、彷徨う残滓が穿つ足跡』
消去、維持…何十もの数、延々と。
『虚偽の甘言見抜けねど、真実の意志に優るもの無し』
情無く、淡々と、けれど刃物のような鋭さを持つ声で。
『宿した希望を産み落とす日に、その決断の賢しさよ』
神経を逆なでする、芝居がかった物言いで。
『波立つ大地、波立つ命、足取り確かに穿つ足跡』
世界は流れる、波立って。
かつて見た少女の姿と共に。
『青き希望が織り成す世界に、存在意義は…』
…ひとつ、気付いたことがある。
投影されるこの光景は、みんな…僕がいたときのものだ。
僕がその世界に来る前、そして消えた後の光景は…
つまり、滞在期間の前後の光景は…決して現れない。
『維持』
投影しないのではなく、投影“できない”とすれば…?
…旅人の役目の、少なくとも一つは…。
[幻影夢幻の世界・7]
鬱蒼と茂るジャングルと、円環の河が映された。
『母なる流れに流さるる、命の輪廻に属すものたち』
流されていた。
ここまでは、そして、ここだけは。
『円環の理に導かれ、停滞の結は不動なり』
決意は続く、ここからは。
そして、これまでも。
『されど旅は廻らない。輪廻を標榜せしものもまた』
青き旅人の、青き刃が振り下ろされる。
青き海へと繋がる、青き道が作られた。
『大河の外の大海に、青き未来を見いだして』
魚影が流れていく。
円環の理を抜け出して。
『諦念振り切り流るる世界に、存在意義は…』
流されていたのは、ここまでだ。
僕は、ここから、僕の意志で進んでいく。
『維持』
お前の思惑を、裏切るために。
あの丘を、取り戻すために。
[幻影夢幻の世界・8]
何百もの声を聞いた。
情無く、淡々と、刃物のような鋭さを持つそれを。
だけど、僕には思える。
『保留』
これは、悲鳴だと。
『…少の半円、…大…恩恵』
世界の投影は、揺らぎ続きだった。
声の調子は変わらなくても、所々、音が途切れた。
『滅…し…時代…、…り所……』
かすれ、消えていく声。
そして…
『…………。………』
世界は消え、音は止んだ。
……
『情報不足。評議不能』
沈黙の後、何百も繰り返した台詞を、“神様”は告げた。
『存在意義を問うこと能わず』
偉そうに、無能をアピールしつつ。
『保留』
長い、長い、茶番は続く。
[幻影夢幻の世界・9]
『保留』
これが、最後の世界だった。
………
……
…
声は、続かない。
黒い空間は、彩られない。
無限とも思える幻は、完全に沈黙した。
………
……
…
…不意に、闇が蠢いた。
『さあ、始めよう』
紡がれた言葉。
…宣言は、一度きりだった。
なのに…
その声は、波紋となって、世界中に満ちていく。
「…ッ!」
声が出せない。
体も動かない。
瞬きさえままならない。
波紋は広がる、広がる、どこまでも。
そして理解する…。世界が今、“振動している”と。
『旅の終わり…旅の始まり…
継がれる力…継がれる想い…』