[夢の続きの世界]編
[夢の世界]
それはまるで、夢の中の出来事だった。
満天の星空の下。人々が焚き火を囲んでいた。
僕は独り言をつぶやくように、おとぎ話を語る。
それは、空飛ぶ鳥人の世界であったり、黒煙満ちる王国の世界であったり、緑溢れる美しい世界であったりした。
人々は、僕のおとぎ話を、ただ静かに聞いていた。
穏やかな、夜だった。
『夢見の丘』
[夢の続きの世界・1]
「…ねえ、起きなさいよ」
まどろみを邪魔するこの声には、聞き覚えがある。
「…起きろ!セルク!」
仰向けの人間に踵落としを食らわせるこの理不尽には、心当たりがある。
「い…痛いって!ルッツァ!」
「とっとと起きないのが悪いのっ」
みぞおちを押さえて不平を漏らしてみるけど、一蹴されてしまった。
「長老が呼んでるわ。はやく村に戻りましょ」
全天の青空の下。僕は、いつのまにか寝てしまっていたらしい。
風薫る初夏の“風見丘”は、昼寝には最適だから。
「急がなきゃ駄目?」
「急がなきゃ駄目」
もう少し、夢の続きを見ていたかったんだけど…。
そう、あの…
……
「……あれ?」
「なによ?」
「どんな夢だったっけ…?」
「わたしが知るか」
どんな夢を見たか忘れてしまった。
珍しいことではない。…ないけれど。
忘れたくない夢だった気がする。
「さ、行きましょ。セルク」
ルッツァが手を差し伸べる。
僕は、その手を握って
「うん、行こう」と返事した。
穏やかな、世界だった。
[夢の続きの世界・2]
「旅人さんが来たんだって」
村に向かう道中、ルッツァが説明してくれた。
ここの村以外の人なんて、はるばるお城からやってくる税取のおじさんしか見たことがない。
村のみんなだって、大体はそんなものだと思う。
そこに見知らぬ来客があったなら、村総出でおもてなしするのが当然だ。
ましてやそれが“旅人”なんて来たら。
「長老、はりきってたわ」
「だろうね」
この村のイベントと言えば、豊作を願う“肥風祭”と、年越しを祝う“涜瘍祭”くらいのもの。
降ってわいた大行事に、長老も年甲斐なく、はしゃいでいるんだろう。
もっとも、長老はいつも年甲斐ないけど…。
「その顔は失礼なことを考えてるな」
長老の顔がぬおっと近づく。
…気付けば、いつの間にか村に着いていた。
「…ふふっ、まあいい。二人とも、森に行って薪を拾ってきてくれ」
そう言い残し、長老は大人たちの元へ向かっていった。
「女の子に力仕事させるなんて、酷いと思わない?」
「僕より力あるじゃん、ルッツァ」
足を踏まれた。
[夢の続きの世界・3]
シャミシャミシャミシャミ…
夏の風物詩、シャミ鳥の鳴き声。
“舞葉の森”の清涼な雰囲気作りに、今日も一役買っている。
さて、薪に使えそうな小枝は、どこかな、と。
「ねぇ、セルク」
「なに?」
「一緒に踊らない?」
「ど、どうしたのさ、唐突に」
…ルッツァはいつも唐突だけど。
「…今夜のための準備に、よ。旅人さんの前で、二人で踊りを披露するの。どう?」
どう、って言われても…。
ちょっと、どぎまぎするけど、表に出ないように…。
「踊りならティナの方が得意じゃん。ティナを誘った方が…」
「…」
「…ルッツァ?」
「…わたしと踊りたくないって言うの?」
「…い、いや、そうじゃないけど」
なんか、変だ、絶対に。
…でも…
「…」
ルッツァの右手が、目の前に。手を取れ、って。目も言ってる。
…右手を、前に。
流される、いつもの僕。
「マカフシ第三舞踊」
“涜瘍祭”で、訪れる新年に感謝を込めて、踊る踊りだ。
二人でクルクル、手を取って。
耳に残る、祭りの音楽を口ずさんで。
大人が中心の“涜瘍祭”では、メインイベントの、この踊り。
子供の僕たちが踊ることはないけれど、見たことなら何度でも。
記憶の中で踊る大人達。…きっと、形だけなら、なぞれたと思う。
「…じゃん、と」
[夢の続きの世界・4]
踊りを終えて、一息つく。
「…本当に旅人さんの前で踊るの、これ?」
お世辞にも上手とは言えない踊りだと思う。
毎年、子供が中心の“肥風祭”で踊り慣れてる、第一舞踊の方がいいんじゃないだろうか。
…というか、なんで第三舞踊を踊ったんだろう?
「…ねぇ、ルッツァ?」
…ルッツァはどこか上の空だ。
「…ルッツァ?」
「…薪、拾いましょ」
ワケが分からない。
…仕方なく、薪を拾い始めた。
薪を拾う僕等の間に、会話はない。
…しばらくして、拾った薪を胸に抱えて、ルッツァが言った。
「知ってる?こんな話」
「どんな話?」
薪を拾いながら、答える。
「この森でね」
「うん」
「第三舞踊を踊った二人はね」
「…うん?」
「結ばれるんだって」
薪を拾う手が止まった。
声が、出なくなった。
「…ねぇ、セルク」
脂汗が絶え間なく噴き出す。
「わたしのこと…好き?」
…少なくとも嫌いじゃない。
好き…?
“好き”って…恋とか、そういう…“好き”?
この場から逃げ出したい。
答えたら、なにかが終わってしまいそうで。
でも、逃げたらいけない。いけないんだ…。
「僕は…」
僕は…
「…わからない」
…逃げた。
「…そう」
女の子を悲しませるな、とお母さんは言っていた。
最低だ…僕って…。
「…ううん、答えは後でいい。明日でも、明後日でも…。それまで、待ってるから」
[夢の続きの世界・5]
お祭り騒ぎの歓迎会。
僕の心は別の場所にあった。
ルッツァ…僕はルッツァを、どう思っているんだろう。
嫌いではない、間違いない、だけど…好き…なのかな?
悩むって事は、好き…?
考えて答えが出るような物でもない気がするけれど。
それでも、今の僕は、考えることしか…。
「悩んでるな、少年」
赤ら顔の、見慣れない顔…。
旅人さんだった。
右手で酒の入ったコップを持ち、左手で白い髭をいじりながら、僕の顔を覗き込むように。
「恋か? 恋の悩みだろう? 良いね、若いモンは」
確かにその通りだけど、勝手にそうと決めつけて、旅人さんは話を続ける。
「俺もな、若い頃は悩んだよ。ビビって答えを先延ばしてさ」
「…」
「そんなことを続けてたら、いつの間にか、恋なんて縁遠いジジィになっちまった」
「はぁ…」
「悪いことは言わねぇからよ、告白されたんなら付き合っちまえ。それだけで、俺よりも経験豊富なんだぜ」
…誰にだって、青春時代はあったんだなぁ。
「…ありがとうございます」
少し、気が楽になった気がする。
満足げに頷いて、旅人さんは人の輪の中へ戻っていく。
人の輪の中心にある大きな焚き火。
その勢いと結びつくように、お祭り騒ぎは収縮しつつあった。
「さて、良い頃合いだし」
村のみんなに向けて、旅人さんが切り出す。
「俺が知ってるおとぎ話でも聞いてくれ」
旅人さんの目は、どこか遠くを見ていた。
[夢の続きの世界・6]
満天の星空の下。人々が焚き火を囲んでいた。
輪を形作る人々の視線は、たった一人に注がれている。
旅人さんだ。
旅人さんは独り言をつぶやくように、おとぎ話を語った。
それは、天まで届く塔をあがめる世界であったり、言葉を話すオオカミと戦い続ける世界であったり、一面が銀色に輝く美しい世界であったりした。
人々は、彼のおとぎ話を、ただ静かに聞いていた。
穏やかな、夜だった。
だった…のに…。
「すべてを略奪しろッ!すべてだッ!」
甲冑を着た兵士たちが、村に押し寄せてきた。
僕らに、為す術はなかった。
目の前で、みんな、殺されていった。
村は、燃えた。
それはまるで、夢の中の出来事だった。
[夢の続きの世界・7]
「すまない」
燃えさかる火の海の中、旅人さんが立っていた。
そんなところにいたら、燃えてしまう。
夢見心地に、的外れに。
「俺のせいだ」
「…どうして?」
「俺は、因果律を乱す。無自覚に、無慈悲に、この世界の…」
「……どうして?」
「…」
旅人さんは答えない。
「返してよ…」
だけど、責任は旅人さんにあるんだ…。
「返せよッ!!!僕の世界をッ!!!」
旅人さんは答えない。
「…返せよ…」
みんな、燃えてしまった。
なにもかも、だれもかも、みんな…。
「…求めろ」
言葉を発した旅人さんが、ゆらり、揺れた。
それはまるで、陽炎のように。
「求めれば、きっと…」
旅人さんの体が、透けていく。
「いつの日か…」
そこで、言葉は途切れた。
僕は、…ひとりぼっちになってしまった。
…嫌だ。
そんなの、嫌だ。
あの森に、戻りたい。
あの村に、戻りたい。
…あの丘に、戻りたい。
ああ、求めたさ。
目に焼き付く、炎の海。
そして、世界は暗転した。