5.マグノリアの心
「庭園で泣いてた子は、大丈夫でしたか?」
「あ、あぁ……」
「強引な殿方は、減りませんね。もっと女の子に優しくして差し上げて欲しいわ」
「……優しく、か」
「どうかしました? 今日はいつもよりお酒を飲まれてましたね」
わたくしの旦那様が、多くの重圧に耐えられてるのを知ってるわ。今日だって、十分すぎる社交を熟していたもの。
隣にいるわたくしは、王太子妃として何か役に立てているのかしら。笑顔で隣に立つことしか出来ない自分が、少し情けなくなる時もある。
胸元のボタンを緩めてソファに掛けるアレクシス様の隣に、一緒に座ってから気付いたのだけど。
「その手、怪我をされたのですか?」
「少し、ぶつけただけだよ」
今朝はなかった傷と、傷を物悲しげに見るアレクシス様に、初めて少し距離を感じた。
――その距離は、一週間たった今も違和感として残ってる。
結婚式を挙げて、もうすぐ二年が経とうとしてるけれど……王女でも、王太子妃でも、人生ってうまくいかないものだと痛感させられるわ。
「アレクシス様……少し宜しいですか?」
「どうしたの?」
夕食後の私室で、ワインを嗜むアレクシス様の前に一通の手紙を差し出した。
「実は、両親から手紙が来ていまして……」
中身を開けて、読み進めるのに表情は全く変わらない。
「孫はまだかと……。結婚して二年ですし、周りも色々言う時期ですよね」
「そう、だよね。王室の安定は、子供が絶対条件だから心配なんだろうね」
「最近は、お忙しくて執務室でお休みになる日も多いですから……今日は――」
「今日は……」
「……まだ、お仕事ですよね。わたくしは、先に休んでいますから。あまり無理されないで下さいね」
聞くのが怖くて……逃げてしまった。
私はいつだって、意気地なしだから。
***
「妃殿下、こんな遅くにどうされたのですか?」
「ノエルも、こんな時間まで仕事してたのですか?」
「いつものことです」
妃殿下がこんな夜更けに出歩かれるなんて、珍しい。
それに、少し目が赤い……?
「妃殿下、何か――」
「ノエルも頑張ってね。お休みなさい」
急足で去って行った妃殿下を見ると、あの子を思い出す。
夜会の夜、廊下を泣きながら走って行った、あの子は大丈夫だったんだろうか。あの日、会場で揉め事があった報告は受けていない。
追いかけようか悩んだが……ひどく鈍い音がした先に、殿下がいた。拳に滲んだ血の処理を優先したため、どこの誰か、結局分からず仕舞いだ。
殿下の拳と、あの子の涙――。
……いや、詮索は良くない。
外交文官として、やるべき仕事がある以上、下手なことに首を突っ込むのは得策でないのだ。
――翌日の午後。
陛下へ提出予定の報告書が仕上がり、先にアレクシス殿下の検閲を依頼すべく、執務室の前まで来た。
締め切っていない、半開きの扉を叩こうとした時。
「――無理です。こんなに仕事が溜まっているのに、外出など」
そう聞こえた。
デスクに溜まる書類は、誰が見ても慌てる量だ。
「頼む。一刻でも良い。仮眠の時間を削るから、見逃してくれないか?」
「なりません。それに、本日は文官と約束もありますし、護衛騎士は生憎出払っております」
「……このままじゃ、仕事が捗らない。それじゃ困るのは、お前達だろう?」
「し、しかし……」
いても立ってもいられず、部屋の扉をノックした。
焦る側近と、決意の硬い殿下のやりとりは、終わりが見えないようだったから。
「報告書をお持ちしました」
「あぁ、置いて置いてくれ」
「あの……私で宜しければ、同行致しましょうか?」
突然の提案に、目を丸くした側近の心情は分かる。大方、“余計なことを言うな“ そんなとこだろう。
だけど、仕事が進まない状況は打破しなければならないし、私としても仕事は早く片付けたい。
「良いのか?」
「外交文官ですが、剣術は身につけております」
「頼む! 一刻で良い。帰ったらすぐ仕事にも戻る」
側近に視線を送り、漸く折れてくれたようだった。
「では、馬車の準備をして参りますので少しお待ち下さい」
「いや、馬車の必要はない。馬を用意してくれ」
「かしこまりました」
指示通り、厩舎から馬を出し、殿下の待つ場所へ向かった。
仕事柄、あまり馬に乗る機会は多くない。それでも、剣術も馬術も貴族として嗜める教養なのだ。
殿下の後に続くように馬を走らせ、慣れた場所なのか、徐に馬から降りて「ここに居てくれ」と言う。護衛としては、一番近い場所で守るのが最適解だが……いつでも飛び出せる位置にいろ、そういう指示だと解釈して会釈した。
“広場なんかに何の用事があったんだ?“
しばらく一人で辺りを見回し、ベンチに座っては立つを繰り返した。
約束の一刻ももうすぐ。
諦めたように首を下げた殿下の前に――
……あの子が、立った。




