4.衝動と無情
公爵家の令嬢として、相応しい施しのドレスを前に、溜息がまた一つ溢れた。
着飾りたい気分でもないし、ましてや楽しみたい気分でもない。
特に今日、王家主催の夜会には欠席できない二つの理由がある。
一つは、王太子アレクシス殿下の生誕祭であること。
もう一つは、マグノリア妃殿下の出身国から寄贈された贈答品のお披露目を兼ねているから。この結び付きが強固になったおかげで、今日のベルグランド王国があると言っても過言ではない。話に乗り遅れれば、お茶会でも憂き目をみるはず。
「はぁ……」
「お嬢様、もしかしたら夜会会場で例の殿方にお会いできるかもしれませんよ?」
「そんなこと、あると思う?」
「神様がお嬢様の味方なら、あるかもしれませんよ。そう溜息ばかり吐かれず、最後の仕上げに取り掛かりましょう」
――この時までは、神様にお願いしたわ。
“どうか、彼に会わせてください“
って。
それが……まさか……こんなことになるなんて。
――――――
『それでは、王太子アレクシス殿下、王太子妃マグノリア様のご入場です』
中央のレッドカーペッドを優雅に歩いてくる、王太子夫婦に皆が拍手で迎えた。
滅多にお会い出来ないご尊顔でも見ておこうかと向けた視線が、息と共に止まった。
――アレ……ク……?
整髪剤でしっかり整えられているし、ホクロもないけれど……間違えるはずない……。
焦がれた人が、今、目の前を通り過ぎた――
突き上げる感情に府さぶられて、足が震える。
壇上の彼とぶつかった視線を、すぐに逸らして下を向いた。
自分が、とんでもない過ちを冒したんだと気付いたときには、会場の扉を開けて廊下に飛び出ていた。あのまま会場になんか、いれない。
「どうしよう……」
優雅な音色すら胸を締め付けて、逃げ出した庭園のベンチに座った。
胸に手を当てて、呼吸を整えたいのに、ちっとも元に戻らない。このまま会場に戻らず帰ってしまいたい。帰って、全てを忘れて、それで……それで――
「こんばんはっ」
「……っ!」
心臓が飛び出そうなほど、驚いた。
一人のはずが、背後に誰かいたことにも気付けないなんて。
「お一人ですか? エリアナ嬢」
「な、何か御用ですか?」
「ダンスにお誘いしようと思ったら会場に見当たらず、窓から見つけまして」
「ごめんなさい。今夜は、誰とも踊る予定がないの」
「まぁ、そう言わず。貴女とお近付きになりたいと願う、多くの者の代表として僕と一曲だけ、ねっ」
“こんな気分でダンスなんて、御免だわ“
「せっかくのお誘いですが、お断りします。それでは――」
「待てよ。丁寧に頼んでんのに、随分な態度だな」
「はっ……離して」
踵を返そうとした時、腕を捕まれてしまった。
女の私が敵うはずもなく、掴まれた腕が解けない。
「こういう時は、大人しく聞いた方が良いですよ。エリアナ嬢」
「……私は、王家を支える筆頭公爵“ヴィルローズ“よ。貴女の命令には従わない」
「ははっ、威勢だけは立派だな――」
ドサッ!
「その手を離してもらおうか」
涙で溢れる、霞んだ視界に、低く怒りに満ちた声がする。
こぼれ落ちてしまえば、鮮明に見えるその姿に……余計、涙が溢れた。
「痛っ……なぜ殿下がこちらに――」
「離せ、と言っている。私の声が、聞こえないのか?」
「別に、悪いことをしてる訳ではありません。ただ純粋に、彼女をダンスに誘おうとしただけですが」
「泣いている彼女を無理に連れていく事が、悪くないと……」
漸く自由になった腕を、今度は殿下が掴んだ。
「エ、エリアナ嬢。僕は、諦めませんからね」
「…………」
「また、お会いしましょう」
目の奥が笑ってないなんて、すぐ分かる。
怒りなのか、呆れなのか……とにかく、強引男は闇夜に消えて行った。
でも……ここで、二人残されても、正直困る……。
「エリー……だよね。大丈夫?」
「……殿下、助けて頂き……ありがとうございました」
もう涙は、とっくに引っ込んだ。
それでも見上げることは、出来ない。そんな覚悟も度胸も、私は持ち合わせてない。
「良かったら……会場まで付き合うよ」
「いえ、結構です。どうぞ妃殿下の元へ、お戻りください」
「……そのマグノリアが、君を心配してるんだ。ほら」
殿下の指差す先に、窓から手を振る妃殿下が見える。
「貴女を無事、送り届けるのが使命ですから」
「……では、お言葉に……甘えます」
妃殿下に頭を下げ、私を待つ殿下の背中に近付いた。
こんなに……近くに来たのは、いつぶりだろう。なんて、不謹慎な言葉しか思い浮かばない。
背中越しに思い出す、あの日の熱に胸がギュッとなる……近いのに、こんなに遠いんだと現実を突きつけられる。
誰もいない廊下で突然、殿下が足を止めた。
「エリー……がいるとは、思わなかった」
「……私もです」
「あれから忙しくて……行けなかったんだ」
「……そう、ですね」
「君に、会いたかっ――」
「お止め下さい。忘れますから、殿下もそうして下さい」
目線を外したはずなのに、フッと笑った殿下が静かに「無理だ」と言った。一歩、また一歩と近付く殿下から後退りしたところで、半開きのドアにバランスを崩してしまった。
「危ないっ――」
支えられる腕の温もりに、あの日何度も感じた悦びが、溢れ出すみたいで……怖い。
「ずっと、探してた……」
どうして、そんなこと平気で言えるの?
どうして、抱き締めるの?
どうして……こんなに、切ないの……?
会いたくて……会いたくて仕方なかったアレクが、吐息を重ねるように――キスをした。
あの日の熱が……嫌でも蘇る。
重なったままの唇に熱が集まって、無情に、震える指先で裾を掴んで――勢いよく、現実に帰ってくる。
「最低……です」
押し返した殿下を残し、堪える涙を拭って廊下を走った。
このまま、どこか遠くへ行ってしまいたいと願うほど、走った。
殿下が、拳を壁に打ち付けてるなんて――知らずに。




