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王子様だと知らずに、恋をしました *一夜を共にした相手が既婚者だと知った公爵令嬢の話*  作者: HARUHANA


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1.見えない棘

 いつだって、現実という名の壁が立ちはだかるの。

 その壁の向こうに、あの人がいるのに。

 手を伸ばせば届きそうなのに、決して越えてはならない。


 こんなにも愛しているのに。

 こんなにも、名前を呼びたいのに。


 いくら涙を流しても、拭って欲しい手は――ここにいない。


 

 ***

 


 街は、今日も良い香りで溢れてる。

 立場上、食べ歩きという趣味は好まれないけれど、それでも街に溶け込めば……こちらのもの。

 昼食時のパン屋に出来た行列に並んで、今か今かと待つ。


 “無くなってしまわないかしら……“


 いつも同じ心配を繰り返す。

 たまには欲しいパンが売り切れてしまう。それでも、そういう時は必ず新しい美味に出会うもの。


「いつも、ありがとう」


 受け取った紙袋を抱え、侍女のソフィと待ち合わせの公園へと向かう途中。

 賑やかな広場を抜けようと歩いていると――


「危ないっ!」


 どこからか聞こえる危険を知らせる声と同時に、急に体が宙を舞い、優しく吹く風に乗ったように、ワンピースも綺麗な線を描いた。


「わっ……!」


 横目に映った、子供達のはしゃぐ姿。

 漸く地に足が着いた私は、目の前にいる艶やかな猫っ毛の髪に、澄んだコバルトブルーの瞳の端正な顔立ちをした男性に……釘付けになった。


「大丈夫でしたか?」

「え、えぇ。あの……」

「突然失礼しました。走ってくる子供達とぶつかりそうだったので、思わず」

「そう……でしたか。おかげさまで無事です」

「良かった。あ、そのパンってもしかして、向こうの角にあるお店のものでは?」

「そうですが」

「実は、さっきまで並んでたんです。妹が、どうしても食べたいと我儘を言うので。運悪く売り切れてしまったけど」


 指先で頬を掻く仕草で、少年のような顔をして笑う、そのほどけた笑顔に思わず見惚れてしまう。


「それじゃ、僕はこれで――」

「あの!」


 その場の勢いだけで呼び止めたけど、繋ぎとめるものを探してしまうなんてどうかしてる。


「良かったら……少し持ち帰りませんか? ゆ、友人の分も買ったので余ってて」

「……良いんですか?」

「私は、いつも食べていますから。これと……あと、これもお勧めなんですよ」


 そばに控えていたソフィからバスケットを借り、清潔なハンカチを敷いて幾つかのパンを並べた。


「妹さん、喜ぶと良いですね」

「本当にありがとう。いつか、このお礼は必ず」

「お礼なんて結構ですから、早く届けてあげて下さい」

「あぁ! 本当にありがとう」


 我が家のバスケット片手に、手を振りながら走り去る無邪気な青年に、思わず私まで手を振り返した。

 怪我をしなくて済んだのは彼のおかげだし、喜んでもらえたなら――


「お嬢様、なんだか楽しそうですね」

「そ、そぉ? あ、ほらっ……あそこのパンが有名になってくれて嬉しいし」

「お気に入りですもんね。それにしても、見目麗しい方でしたね。貴族でしょうか」

「ん〜……把握してるつもりだけど、どこかの商家かもしれないわね」


 学園の生徒にも、夜会で見かける殿方にも覚えはない。

 公爵家の令嬢として、社交界のイロハは叩き込まれてるから名簿だって忘れるはずない。


「あんな整った顔だったら、令嬢たちが放っておくはずないもの」

「既婚者だったら、大問題ですね。去年、侯爵令嬢が修道院送りになった話を覚えてますか?」

「既婚者との関係が疑われただけで、だったかしら」


 男性が走って行った方向に目を向けた。

 また……会えたら良いな、なんて。



 ソフィの忠告なんて、すっかり忘れて――


「また会えましたね」

「貴方は……」

「先日は、美味しいパンをありがとうございました。妹も喜んで……お礼を言わなきゃと」

「別にお礼なんて」


 翌週、同じ時間にパンを買いに来たら……会えたなんて。少し息を切らしながら「会えて良かった」って、そんな嬉しそうにしなくても……。


「良かったら、あそこの公園で少しお話ししませんか?」

「え?」

「パンのお礼に、お勧めのクッキーを持ってきたんです。少しだけで良いから。味見だけでも」

「そこまで仰るなら、少しだけ」


 助けてもらったお礼に、パンを渡したはずなのに、パンのお礼にクッキー? これは、またお返しが必要なのかしら?

 ベンチに座り、手元に出された香ばしいジャムクッキーを一つ手に取った。可愛らしい箱は、とても良く知ってるお店のもの。


「ここのクッキーも美味しいですよね。頂きます」

「ご存知でしたか。妹が、ここのクッキーなら間違いないと言ってたもので」

「妹さんも甘いものがお好きなんですね」

「好きに出歩けない代わりに、色々リクエストしてくるんです」

「そう……なんですね」


 好きに出歩けない……その言葉の意味を巡らせてはいけないと、話題を変えた。


「この辺でお仕事されているんですか?」

「仕事は……この辺です。休みが少ないから、少しでも時間が出来たら気分転換に散歩してるんです」

「お忙しいんですね」

「好きでやってますから。それに、こうして貴女とも会えました。僕の名前は……アレクと呼んでください」

「アレク……さん」

「アレクで良いですよ」


 異性を名前で呼ぶのは、貴族だったら親交の深い相手だけ。だからか、とても緊張してしまう。


「わ、私は……エリーです」

「エリー、可愛らしい名前ですね」


 そう言って、アレクは柔らかく笑った。

 ただ名前を呼ばれただけなのに、随分心臓がうるさい。


「また、ここで会えますか?」


 何気ない調子で問われたその一言が、やけに特別に聞こえた。


「……えぇ。私も、よくこの辺を散歩していますから」


 どうして、そう言ってしまったんだろう。ふんわり笑って「良かった」とクッキーを食べるアレクから、無性に目が離せないなんて、間違っても言えない。だけど、何も知らないのに……それなのに、隣にいるこの時間がどうしようもなく心地良い。


 ――こんな出会い、きっとすぐに忘れる。


 そう思うのに。

 振り返った先で、アレクもこちらを見て目が合う。慌てて前を向いた私を、ソフィは笑った。


 でも……それだけで十分だと思えた。

 まだ知らない痛みが、少しずつ少しずつ、見えない棘が胸の奥に向かってるとも知らずに。

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